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第五章 〈真実〉か、〈死〉か
のんだくれ(ロベルト視点)
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療養院のヴィラで、エルスペス嬢から別れを告げられ、殿下は文字通り腑抜けになってしまった。
エルスペス嬢とマクガーニ中将夫妻が去った後、殿下が一向に部屋から出てこない。ご遺体を礼拝堂に運びたい下男たちが困惑しているので、俺は寝室を覗いた。殿下は床に膝をついて、放心して項垂れていて、ゆすっても反応しない。何かの病気かと思ったが、「エルシー……エルシー……」とうわごとを呟いているので、俺はとにかく引きずるようにアパートメントに連れ帰った。
アパートメントに入るや否や、殿下は俺に、
「喪服! 喪服がいる! 山ほど! 早く準備しないと! お前の姉貴に電話して、喪服を作らせろ!」
と言い出した。もう振られた相手に何を言って……とは思ったけれど、実際問題、ひと月は喪服を着ないといけないから、確かに必要になる。
「それは俺が姉貴に言ってなんとかします。マクガーニ閣下のお宅に届ければいいんすよね?」
「ああ……マクガーニが……マクガーニがエルシーと一緒に住んじゃだめだって……エルシーももう、俺とは終わりって……あああああ」
殿下はよろよろとエルスペス嬢の使っていたらしい寝室に向かおうとするので、俺が慌てて支える。その頃にはジュリアンもやってきて、殿下をご自身の寝室に運ぼうとしたが、殿下が頑としてエルスペス嬢の寝室に向かい、暖炉の前に座り込むと、例の絵を見上げて言った。
「酒……酒持ってこい……酒……」
ジュリアンが慌てて厨房に走り、俺は姉貴に電話をかけるために、席を外した。
「ねえさん? 俺だけど。エルスぺス嬢の喪服が必要になったんだ」
『喪服? そう言えば、例の非常識な公爵令嬢と殿下の婚約が決まったって! どうなってるの?』
「その説明はまた今度。エルスペス嬢のおばあ様が死んだんだ。だから大至急、喪服がいる」
『あら、ご愁傷様。……喪服ねぇ……今から作るにしても、今日明日には無理よ。うちにも高級既製服は数着……友達のメゾンにも聞いてみるわ。あとは黒い靴と下着……コートに手袋、帽子も必要ね。わかった、揃えておくから取りにいらっしゃい」
「恩に着るよ!」
『長期の旅行に行くのはどうなったのかしら? 豪華客船で駆け落ちってやつ』
「駆け落ちぃ? 何それ、聞いてねーよ!」
『駆け落ちなんだから、あんたなんか連れていくわけないじゃない。お邪魔虫もいいところだわ』
「いやいや、あの人、何のかんの言っても王子様なんだから、俺ナシじゃ切符一つ買えないって! 無理! 飢え死にする! だいたい誰に頼んでそんな――」
と言ってから思いついた。
殿下は俺に、エルスペス嬢の旅券を申請するように言っていた。他に客船のチケットを手配するとなると――。
「バーナードか! わかった、ありがとう! 喪服頼んだよ!」
俺はガチャンと電話を切ると、バーナード・ハドソンのオフィスにダイヤルした。
『おお、ロベルトか、久しぶりだな』
「バーナード! アルバート殿下、客船の予約してる?」
『ああ、しとるよ。ハンプトンの港から出るやつで――十日後ぐらいに出港するやつを今、押さえている。二人分。愛人と駆け落ちするつもりらしいが、二人っきりは無謀過ぎるから、お前や従僕の分も押さえた方がいいか?』
バーナードの発言に、俺はキャンセル、と言いかけて、あることを考えてそのまま押さえておくように言った。
「とりあえず、殿下と二人で逃避行は無理じゃないかな。キャンセル料が発生するギリギリまで、押さえておいてくれる?」
俺は電話を切ると、ぶつぶつ呟きながら、殿下のいるエルスペス嬢の寝室に向かう。
――女性の寝室だが、部屋の中央に存在感のあり過ぎる大きな天蓋ベッドが置いてあって、ここでどういう行為が行われていたか、否が応でも意識させられてしまい、俺は少しだけ眉を顰めた。
当然、予想された結末ではあるけれど、レディ・アシュバートンが死んであっさり振られた殿下と言えば、藤色のキモノ・ガウンを抱きしめて、しくしく泣きながら絵を眺め、酒を呷っている。大の男が、正直言って、かなり気色悪い。
俺がどうしたものか、と思っていると、昨日の議会の先走りの件で走り回っていたジェラルドが、ばたばたとやってきた。
「ジェラルドです、殿下……この部屋は……」
ジェラルドもまた、中央に鎮座まします天蓋ベッドに端麗な眉を顰める。そう、あまりに露骨だ。この部屋に最初に連れてこられたエルスペス嬢は、きっと己の運命に絶望しただろう。
「……というか殿下、何泣いてんですか、気色悪っ!」
「振られちゃったんだよ、愛しのエルシーたんに」
俺の説明に、殿下のすすり泣きの声がひときわ大きくなる。ジェラルドは呆然とその様子を眺めてから、俺に言った。
「……本気で、彼女と結婚するつもりだったのか……!」
「そう、でも、殿下バカだから、デートに誘う時も間諜ごっこだとか、セックスも業務の一環だからとか、無茶なこと言って彼女に言うこと聞かせてたから、ばあさんが死んだ以上、お仕事は終わり、って振られちゃったの」
「……バカすぎる……」
ジェラルドは呆れたようにため息をつく。
「王宮からは出仕しろって矢のような催促が来てますけど、この状態じゃあねえ……」
昨日の議会の暴走に激怒した殿下は、今日は朝から仕事も公務も全部サボって、エルスペス嬢とドライブに出かけていた。俺は司令部での仕事、ジェラルドは王宮との折衝をしていたはずだ。
「明後日、婚約披露の晩餐会するって言ってますけどね」
「手回しのいいことで。レコンフィールド公爵にしてやられたね、全く」
俺が両手の掌を上に向ければ、ジェラルドも憤慨したように言った。
「いくら何でも、これは殿下に同情するね。殿下は帰国以来、一貫してステファニー嬢との婚約は拒否していたのに。国王陛下がなんで勅書なんて出したのかは置いといても、同意書もなく勝手に議会にかけるなんて、やりすぎだよ」
「ジェラルドはステファニー嬢との結婚に賛成かと思ってたよ」
俺が言えば、ジェラルドも肩を竦める。
「決まってる婚約者なら、大人しく結婚すべきとは思うよ。でも正直言って、戦争前の彼女は本当に我儘で、何度予定をいきなり変更して、振り回されたか! 警備計画が全部パーになるんだよ、それされるとさ! 戦争を理由に婚約が白紙に戻ったときはやった!と思ったね。いくら王妃の姪で従妹でも、あんな我儘な王子妃、仕える身にもなってくれって思ってた。――まあ、殿下が我儘聞いちゃうのがいけないのだけど」
ジェラルドはそう言って、頭をかく。
「エルスペス嬢個人は、殿下のお妃としては悪くないんだけどな。性格も悪くないし、我儘も言わない。あれこれ言われているけど、彼女が自分からねだったものはないしね。――ただ、おばあ様の入院費だけだ。でも、それを理由に愛人になったのに、レコンフィールド公爵に暴露されて、おばあ様が死んでしまったのでは……」
ジェラルドが痛ましそうに顔を歪める。
「昨日の議会の件と言い、レコンフィールド公爵のやり口はあまりだ。議会が通ってしまった以上、王手に近いけど、僕は殿下の恋を応援したいな」
「えええ? マジで? エルスぺス嬢と? どういう風の吹き回し?」
俺が驚愕すれば、ジェラルドは不思議そうに言った。
「僕はもともと、愛人は嫌いだけど、エルスペス嬢自身の人柄に問題があるとは思ってないから」
ジェラルドは王宮とのやり取りは適当にやっておく、と言って出ていった。あの潔癖なジェラルドを味方につけたエルスペス嬢と殿下は、もしかしたらすごいのかもしれない。
それから数日、殿下が飲んだくれている間、俺とジョナサン、ジェラルドは王宮からのあれこれを受け流したり、新聞社への対応なんかもこなした。酒はほどほどにしてほしかったけど、失恋のショックから立ち直るのに、数日は必要だと思ったから。
王宮での婚約披露の晩餐会も「体調不良で欠席」で押し通した。ステファニー嬢はエスコ―トもなしで、一人で晩餐会に出たらしい。不自然に思った新聞社から取材が来たので、殿下に聞いたところ、へべれけになって回らない舌で、「ステファニー? 絶対、結婚しないぞ! 俺はエルシー一筋なんだ! エルシー、戻ってきてくれぇ……」と、再び泣き出したので、ジェラルドが適当に取り繕って返事をしておいた。
翌朝の記事には、
――アルバート殿下は『婚約は自分の意志ではない』という声明を発した――
と言う談話が出た。こういうのを一つ出しておくと、後々情勢が変わってくることがあるのだそうだ。
エルスペス嬢とマクガーニ中将夫妻が去った後、殿下が一向に部屋から出てこない。ご遺体を礼拝堂に運びたい下男たちが困惑しているので、俺は寝室を覗いた。殿下は床に膝をついて、放心して項垂れていて、ゆすっても反応しない。何かの病気かと思ったが、「エルシー……エルシー……」とうわごとを呟いているので、俺はとにかく引きずるようにアパートメントに連れ帰った。
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「喪服! 喪服がいる! 山ほど! 早く準備しないと! お前の姉貴に電話して、喪服を作らせろ!」
と言い出した。もう振られた相手に何を言って……とは思ったけれど、実際問題、ひと月は喪服を着ないといけないから、確かに必要になる。
「それは俺が姉貴に言ってなんとかします。マクガーニ閣下のお宅に届ければいいんすよね?」
「ああ……マクガーニが……マクガーニがエルシーと一緒に住んじゃだめだって……エルシーももう、俺とは終わりって……あああああ」
殿下はよろよろとエルスペス嬢の使っていたらしい寝室に向かおうとするので、俺が慌てて支える。その頃にはジュリアンもやってきて、殿下をご自身の寝室に運ぼうとしたが、殿下が頑としてエルスペス嬢の寝室に向かい、暖炉の前に座り込むと、例の絵を見上げて言った。
「酒……酒持ってこい……酒……」
ジュリアンが慌てて厨房に走り、俺は姉貴に電話をかけるために、席を外した。
「ねえさん? 俺だけど。エルスぺス嬢の喪服が必要になったんだ」
『喪服? そう言えば、例の非常識な公爵令嬢と殿下の婚約が決まったって! どうなってるの?』
「その説明はまた今度。エルスペス嬢のおばあ様が死んだんだ。だから大至急、喪服がいる」
『あら、ご愁傷様。……喪服ねぇ……今から作るにしても、今日明日には無理よ。うちにも高級既製服は数着……友達のメゾンにも聞いてみるわ。あとは黒い靴と下着……コートに手袋、帽子も必要ね。わかった、揃えておくから取りにいらっしゃい」
「恩に着るよ!」
『長期の旅行に行くのはどうなったのかしら? 豪華客船で駆け落ちってやつ』
「駆け落ちぃ? 何それ、聞いてねーよ!」
『駆け落ちなんだから、あんたなんか連れていくわけないじゃない。お邪魔虫もいいところだわ』
「いやいや、あの人、何のかんの言っても王子様なんだから、俺ナシじゃ切符一つ買えないって! 無理! 飢え死にする! だいたい誰に頼んでそんな――」
と言ってから思いついた。
殿下は俺に、エルスペス嬢の旅券を申請するように言っていた。他に客船のチケットを手配するとなると――。
「バーナードか! わかった、ありがとう! 喪服頼んだよ!」
俺はガチャンと電話を切ると、バーナード・ハドソンのオフィスにダイヤルした。
『おお、ロベルトか、久しぶりだな』
「バーナード! アルバート殿下、客船の予約してる?」
『ああ、しとるよ。ハンプトンの港から出るやつで――十日後ぐらいに出港するやつを今、押さえている。二人分。愛人と駆け落ちするつもりらしいが、二人っきりは無謀過ぎるから、お前や従僕の分も押さえた方がいいか?』
バーナードの発言に、俺はキャンセル、と言いかけて、あることを考えてそのまま押さえておくように言った。
「とりあえず、殿下と二人で逃避行は無理じゃないかな。キャンセル料が発生するギリギリまで、押さえておいてくれる?」
俺は電話を切ると、ぶつぶつ呟きながら、殿下のいるエルスペス嬢の寝室に向かう。
――女性の寝室だが、部屋の中央に存在感のあり過ぎる大きな天蓋ベッドが置いてあって、ここでどういう行為が行われていたか、否が応でも意識させられてしまい、俺は少しだけ眉を顰めた。
当然、予想された結末ではあるけれど、レディ・アシュバートンが死んであっさり振られた殿下と言えば、藤色のキモノ・ガウンを抱きしめて、しくしく泣きながら絵を眺め、酒を呷っている。大の男が、正直言って、かなり気色悪い。
俺がどうしたものか、と思っていると、昨日の議会の先走りの件で走り回っていたジェラルドが、ばたばたとやってきた。
「ジェラルドです、殿下……この部屋は……」
ジェラルドもまた、中央に鎮座まします天蓋ベッドに端麗な眉を顰める。そう、あまりに露骨だ。この部屋に最初に連れてこられたエルスペス嬢は、きっと己の運命に絶望しただろう。
「……というか殿下、何泣いてんですか、気色悪っ!」
「振られちゃったんだよ、愛しのエルシーたんに」
俺の説明に、殿下のすすり泣きの声がひときわ大きくなる。ジェラルドは呆然とその様子を眺めてから、俺に言った。
「……本気で、彼女と結婚するつもりだったのか……!」
「そう、でも、殿下バカだから、デートに誘う時も間諜ごっこだとか、セックスも業務の一環だからとか、無茶なこと言って彼女に言うこと聞かせてたから、ばあさんが死んだ以上、お仕事は終わり、って振られちゃったの」
「……バカすぎる……」
ジェラルドは呆れたようにため息をつく。
「王宮からは出仕しろって矢のような催促が来てますけど、この状態じゃあねえ……」
昨日の議会の暴走に激怒した殿下は、今日は朝から仕事も公務も全部サボって、エルスペス嬢とドライブに出かけていた。俺は司令部での仕事、ジェラルドは王宮との折衝をしていたはずだ。
「明後日、婚約披露の晩餐会するって言ってますけどね」
「手回しのいいことで。レコンフィールド公爵にしてやられたね、全く」
俺が両手の掌を上に向ければ、ジェラルドも憤慨したように言った。
「いくら何でも、これは殿下に同情するね。殿下は帰国以来、一貫してステファニー嬢との婚約は拒否していたのに。国王陛下がなんで勅書なんて出したのかは置いといても、同意書もなく勝手に議会にかけるなんて、やりすぎだよ」
「ジェラルドはステファニー嬢との結婚に賛成かと思ってたよ」
俺が言えば、ジェラルドも肩を竦める。
「決まってる婚約者なら、大人しく結婚すべきとは思うよ。でも正直言って、戦争前の彼女は本当に我儘で、何度予定をいきなり変更して、振り回されたか! 警備計画が全部パーになるんだよ、それされるとさ! 戦争を理由に婚約が白紙に戻ったときはやった!と思ったね。いくら王妃の姪で従妹でも、あんな我儘な王子妃、仕える身にもなってくれって思ってた。――まあ、殿下が我儘聞いちゃうのがいけないのだけど」
ジェラルドはそう言って、頭をかく。
「エルスペス嬢個人は、殿下のお妃としては悪くないんだけどな。性格も悪くないし、我儘も言わない。あれこれ言われているけど、彼女が自分からねだったものはないしね。――ただ、おばあ様の入院費だけだ。でも、それを理由に愛人になったのに、レコンフィールド公爵に暴露されて、おばあ様が死んでしまったのでは……」
ジェラルドが痛ましそうに顔を歪める。
「昨日の議会の件と言い、レコンフィールド公爵のやり口はあまりだ。議会が通ってしまった以上、王手に近いけど、僕は殿下の恋を応援したいな」
「えええ? マジで? エルスぺス嬢と? どういう風の吹き回し?」
俺が驚愕すれば、ジェラルドは不思議そうに言った。
「僕はもともと、愛人は嫌いだけど、エルスペス嬢自身の人柄に問題があるとは思ってないから」
ジェラルドは王宮とのやり取りは適当にやっておく、と言って出ていった。あの潔癖なジェラルドを味方につけたエルスペス嬢と殿下は、もしかしたらすごいのかもしれない。
それから数日、殿下が飲んだくれている間、俺とジョナサン、ジェラルドは王宮からのあれこれを受け流したり、新聞社への対応なんかもこなした。酒はほどほどにしてほしかったけど、失恋のショックから立ち直るのに、数日は必要だと思ったから。
王宮での婚約披露の晩餐会も「体調不良で欠席」で押し通した。ステファニー嬢はエスコ―トもなしで、一人で晩餐会に出たらしい。不自然に思った新聞社から取材が来たので、殿下に聞いたところ、へべれけになって回らない舌で、「ステファニー? 絶対、結婚しないぞ! 俺はエルシー一筋なんだ! エルシー、戻ってきてくれぇ……」と、再び泣き出したので、ジェラルドが適当に取り繕って返事をしておいた。
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