【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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第三章 執着とすれ違い

見えない羽、見えない傷

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 しばし快感の余韻に浸っていた俺は、エルシーがゲホゲホと苦し気に咳き込む音で、我に返る。
 周囲に漂う、生ぐさい独特の臭い。ぐったりと俺の足元で咳き込むエルシーの姿と、俺の脚の間の、みっともなく萎えたモノが、自分のしでかしたことをはっきりと俺に教えた。

 瞬時に、目が覚めてみぞおちが冷える。

 ――俺は、なんてことを!

 セックスの知識もないエルシーに無理やり口淫させて、精液まで飲ませるなんて!
 
 俺は、咳き込むエルシーの背中をさすろうと触れたが、その途端、エルシーがびくりと震え、俺から逃れようと身を捩った。

「あ……」

 当たり前だ。あんなことまでさせられたら、怯えて当然だ。

「水を……」

 俺は、サイドテーブルの上のベルを鳴らした。
 おそらく、ドアの外で固唾かたずを飲んで待っていたのだろう。間髪入れずにロベルトが出た。

「水を持って来い、今すぐだ!」
『殿下! ちょっと……!』

 伝声管に叫んで、容赦なく通話を切ると、俺は慌ててシャツをトラウザーズに押し込み、ボタンを嵌める。今度は逆に、俺の指先が震えて、ボタンが上手く嵌まらない。もたもたしていると、ドアノブがガチャっと動き、鍵がかかっていることに気づいたドアの向こう側から、ガンガンとドアを乱暴に叩く音がした。

 その音にもエルシーは怯えるものの、動く気力もないのか放心したように座り込んでいる。俺は恐る恐るドアを開けて水だけ受け取ろうとしたが、さすがロベルトは強引に部屋に入ってきた。

 ――その時のロベルトの表情ときたら!

 怒りにかられた雰囲気に、俺は息を飲んだ。
 だが、ロベルトは俺をにらみつけるだけで何も言わず、エルシーに水を渡して宥め、俺から逃すように部屋の外に送り出す。そうして――。

「何てことしてくれたんすか?」
「いや、その、これは――」

 その後は散々、説教をかまされて、正直思い出したくもない。――全面的に俺が悪いのだが。その上でロベルトは言った。

「本気でエルスペス嬢を口説きたいなら、ばあさんを落とすしかないっすよ」

 だがそれは無理だ。なぜなら俺は、すでに十二年前に拒否されているから――。



 


 しかし、このままだとハートネルがおばあ様を口説いて、エルシーはハートネルの求婚プロポーズを受け入れてしまうかもしれない。
 爵位のないエルシーにとっては、第三王子でしかも公爵令嬢との婚約も間近と噂される俺との結婚なんて、あり得ない絵空事だ。子爵の三男坊で陸軍中尉のハートネルなら、そっちに嫁いだ方がはるかに現実的だから。

 嫌だ! エルシーは俺のだ! ハートネルなんかに渡したくない!

 ロベルトの足払いで床に倒され、絨毯の上で無様に暴れる俺に、ロベルトが言った。

「とにかく追っかけて、ばあさんを口説くしかないっしょ!」

 ロベルトは俺の命令で、郊外の王立療養院サナトリウムと契約して、すぐにもウルスラ夫人を入院させる手はずを取っていた。

「……その前に、一度、王立診療所の診察を受けてもらいたいって、お医者ドクターは言ってたっす。療養院じゃあ、できない検査があるらしいんで」
「それなんだが――」

 そもそも、おばあ様は俺とはもう、二度と会わない約束になっていたし……。
 リンドホルム城で、エルシーとの結婚を申し込むのであればともかく、爵位も失い城も追い出されたおばあ様が、俺の申し出をおとなしく受けるだろうか?

 ためらう俺をどう思ったのか、ロベルトがはっぱをかける。

「おばあ様に最新の治療を受けさせる! これこそ、エルスペス嬢に売れる最大の恩でしょ! ばあさんが入院している間は、他の男と結婚なんてできないし!」

 ロベルトの言葉に俺はギョッとした。
 おばあ様に最新の治療を受けさせたいとは思っていたが、それを理由にエルシーに恩を売るつもりも、入院中のおばあ様を人質に、エルシーの結婚を邪魔しようというつもりもなかった。

「おば……ウルスラ夫人はマックス・アシュバートンの母親で、俺は彼の恩に報いるためにも、最新の治療を受けて欲しいだけだ」
「そりゃ、わかってますけど、実際問題、あの家にの入院費が払えるわけないっしょ。金は殿下が出すんでしょ?」  

 俺はハッとした。療養院サナトリウムの費用は、かなりの部分、父上の個人資産から拠出されるが、それは秘密だった。――父上がウルスラ夫人の入院費を支払う理由なんて、説明できないからだ。だから、表向きはすべてマックス・アシュバートンに個人的な恩義を感じる俺が、個人の資産から拠出した形を取る。そうするように、父上からも指示されている。

 眉根を寄せて考え込む俺を、ロベルトは何か誤解したのか、首をかしげて言った。

「まあ、慌ただしいですけど、早急に説得していただかないと、病院も迷惑っす。いつまでもベッド空けておけないですからね!」
「わかっている。――慌ただしいが、説得しよう」

 俺はうなずいた。
 とにかく、おばあ様を入院させる。金のことは心配しなくともいいと言って、ただし、エルシーには俺の秘書官の仕事を続けてもらう。おばあ様の入院中のエルシーの生活のこともあり、考えなければならないことはやまほどあるけれど。

 ――少なくともおばあ様が入院している間は、ハートネルとの結婚話は留めることができる。

 俺は上着を羽織ると、エルシーを追いかけて馬車を出した。




 前方に、見つめ合うエルシーと、ハートネルの姿。
 ハートネルの手がエルシーの細い二の腕を掴んでいる。俺の頭に血が上った。

 エルシーは傍目にも頽れそうに弱弱しく、立っているのがやっとのように見えた。
 このままでは、ハートネルの腕の中に飛び込んでしまう。俺は嫉妬と後悔で眩暈がした。
 
 見つめ合う二人の横で馬車を止め、俺は高圧的にエルシーに命じた。

「エルシー、こっちへ来い」 
「殿下、彼女は行きたくないと――」
「お前にには聞いていない。口を出すな」

 エルシーは蒼白な表情で、諦めたように俺を見て、おぼつかない足取りで馬車に近づいてきた。腕を伸ばし、エルシーの細い腕を掴んで強引に馬車に引きずり込む。ハートネルの目の前で、これ見よがしに扉を閉めた。

 溜飲が下がるような、そんなことはなかった。
 恋人同士を引き裂いた罪悪感と、焼けつくような嫉妬心。焦燥――。

 布鞄を抱きしめ、俯くエルシーの萎縮した姿に、俺はなんて言葉をかけていいかわからず、無言の車内に車輪の音が響く。エルシーは、弱弱しく傷ついていて、座っているのもやっとのように見えた。

「すまない、俺が、全部悪い」

 だがエルシーからの返事はなくて、ガラガラと車輪の音だけが虚しい。エルシーの儚い様子に、このまま消えてしまうのではないかと俺は怖くなり、そっと抱き寄せた。エルシーの全身が恐怖でこわばる。俺はその背中を撫でた。

 見えない羽の毟り取られた、妖精の背中。

「なんで、あんな――」

 俺は、上手く答えられなかった。ハートネルに奪われたくなかった。それくらいなら、すべて食いつくしてしまいたかった、なんて、言えるはずもない。
 俺は何も言えず、ただ、エルシーの髪にキスをする。自分の暴走が信じられなかった。

「……わたしを、どうするつもりなんですか?」

 エルシーの声は震えている。
 結婚を申し込むつもりで、そして父上の許可だって三年も前に下りていて――。
 そう、言えればいいのに。もし、その約束がエルシーの相続を潰したのだとしたら――。そもそも、リジーのことを憶えていないエルシーにとってみれば、見知らぬ俺が三年も前から結婚するつもりだったなんて、ただひたすら気味が悪かろう。

 俺は、なんて答えていいかわからず、でも、いてもたってもいられなくて、聞いた。

「……あいつと、結婚するつもりか?」

 エルシーが小さく首を振る。

「今は何も考えられません。……あんな……」

 エルシーは両手で顔を覆い、鞄が膝から滑り落ちる。俺はどうしようもなくて、ただエルシーを抱きしめて、早口で言い訳を重ねる。

「すまない、そこまで傷つけると思わなかった、俺は――」

 本気でエルシーと結婚したいんだ、とそれだけは口にしようとしたが、その時、ロベルトが扉を叩いた。

「殿下、家の様子が変です。辻馬車が止まって――」

 見ればみすぼらしい庶民用住宅の前に、辻馬車が止まっていた。家から出てきた細身の中年男が馭者に代金を支払い、やがて馬車が走り去ると、白髪の小柄な男が大きなカバンを下げて家の中に吸い込まれていった。

「ウィルキンス先生?」
医者ドクターか?」

 エルシーは俺の腕を振り払って馬車の窓に飛びつき、呟く。

「……祖母の、具合が悪いのかも……」

 エルシーは俺の静止も聞かず、転がるように馬車を降り、小さな家へと駆けだしていった。

 
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