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第二章 忘れられた男
高級メゾン
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馬車の中で、俺はようやく、エルシーとまともに向き合うことができる気がした。
それでも、エルシーは第三王子である俺に遠慮して、座席に浅く腰掛け、背筋もピンと伸ばしたままだ。両足をきれいに揃え、膝の上で両手を重ねている。
うなじでまとめた亜麻色の髪に、化粧っ気のない白い肌。少し釣り目がちな大きな目に、ブルーグレイの瞳。凛とした雰囲気は、ー北のモスカネラの宮廷で飼われていた、上品な猫のようだ。
俺は馬車の向い側で脚を組み、窓枠に肘をついて頬杖をつき、エルシーを観察した。マックスの持っていた写真よりもさらに成長した彼女の美しさに、目は釘付けだった。
「どこに行くのですか?」
「十番街のドレス・メーカーだ。ミス・ローリー・リーンという新進のデザイナーがやってる店で――」
王都の若い娘の間で人気のメゾンという話だったが、エルシーは知らないと首を振る。
「お前は普段、どこに頼んでいるんだ」
どこか行きつけの店があるのなら、次からはそこで頼んでもいいと思って尋ねたが、エルシーの答えに俺は愕然とする。
「自分で縫うか、古着です」
「自分で縫う?」
思わず、俺は身を起こしてエルシーの重ねられた手をまじまじと見、それからエルシーの服を見てしまった。
「制服は支給なのでいいのですけど――」
そんな話から垣間見えるエルシーの暮らしぶりに、再会に浮かれていた俺は、冷水をぶっかけられた気分だった。
ある程度、生活を切り詰めているのは予測はしていた。でも、リンドホルムではお姫様だったエルシーが、自分で縫った服や古着を着ているなんて。
なんて答えていいかわからず、黙り込んだ俺を見て、エルシーはきまり悪そうに視線を逸らす。
エルシーが悪いわけじゃない。
でも、なぜそんなことに――。
エルシーの没落の原因は間違いなく、マックスの死だ。
俺は絶対に、エルシーに元の暮らしを取り戻してやらなければ、と改めて誓った。
ミス・リーンのメゾンで採寸を終え、あらかじめ俺が注文しておいた既製服のドレスを着て、階段を降りてきたエルシーの美しさと言ったら! パールグレーの絹は地紋が入っていて、動きと光の加減で浮かび上がる。シャンデリアの灯りに照らされた彼女は、相変わらず光をまとったようにキラキラしていた。ほっそりとした首筋と、くびれた腰つき、広く開いた胸元の、白い谷間に俺の目は釘付けになる。
――昔見た幼いエルシーの裸の胸は、真っ平らだった。
白い胸の谷間は、エルシーがもう幼女ではない、大人の女性なのだと俺に教えた。俺はどぎまぎしてエルシーを正視できなくて、思わずミス・リーンに言った。
「胸元が寂しいな」
ミス・リーンの合図で、小柄な中年の男がガラス・ケースを持ってきた。バーナード・ハドソンの片腕の東洋人だと俺は気づいた。ミス・リーンはドレスに合うネックレスを見繕っていたのだ。
サファイアとダイヤモンドの豪華なビブ・ネックレスと、イヤリングのセット。もとより、俺は金に糸目をつけるつもりはない。エルシーを着飾らせるくらいの資産はあるし、それが俺の気持ちのつもりだった。
だが、ネックレスを目にしたエルシーは露骨におびえて、遠慮しようとする。
「そんな高価そうなの……」
「気にするな、単なる武装だ」
俺に言われ、しぶしぶネックレスとイヤリングをすると、思った通り、エルシーによく似合った。薄く化粧も施され、流行の髪型に整えられた彼女は、金をかけて磨けば磨くほど輝く、ダイヤの原石というわけだ。
促されて俺の隣に腰を下ろすと、ちょうど目線の先に白い胸の谷間があって、俺が無意識に目で追った、その時。
「痛て!」
エルシーがブルーグレイの瞳で俺を睨みつけながら、俺の足を踏んでいた。その気位の高い猫のような表情が幼い頃の彼女そのままで、俺はなつかしさで瞳が潤むの隠すために、目を逸らした。
ドレスを三着注文し、ちょうどいい時間だからと、予約したレストランに向かうことにした。もちろん、エルシーは遠慮したが、ここまで来て飯も食わずに解散するなんて、あり得んだろう。
迎えにきたロベルトが、
「殿下、今夜は食事だけですからね? デザートはお預けですよ?」
と、妙な念押しをしたときに、俺はようやく、ロベルトとミス・リーンが何を考えているか気づいてギョッとした。
ロベルトもミス・リーンも、俺が愛人候補の女をこれから口説くつもりなのだと、思っているのだ。
俺はエルシーと結婚するつもりだから、愛人にするつもりなんてない。反論しようとしたが、エルシー本人は意味を理解できずに首を傾げているし、ここで「愛人にするつもりはない」なんて言おうものなら、エルシーが怯えて逃げてしまう。
俺は、ロベルトに余計なことを言うな、と釘を刺すつもりで片眼をつぶってみせた。
「わかってる。デザートはまた今度」
この結果、ロベルトとミス・リーンの誤解はずっと続くことになるのだが、俺はエルシーと食事ができることに浮かれて、深く考えていなかった。
それでも、エルシーは第三王子である俺に遠慮して、座席に浅く腰掛け、背筋もピンと伸ばしたままだ。両足をきれいに揃え、膝の上で両手を重ねている。
うなじでまとめた亜麻色の髪に、化粧っ気のない白い肌。少し釣り目がちな大きな目に、ブルーグレイの瞳。凛とした雰囲気は、ー北のモスカネラの宮廷で飼われていた、上品な猫のようだ。
俺は馬車の向い側で脚を組み、窓枠に肘をついて頬杖をつき、エルシーを観察した。マックスの持っていた写真よりもさらに成長した彼女の美しさに、目は釘付けだった。
「どこに行くのですか?」
「十番街のドレス・メーカーだ。ミス・ローリー・リーンという新進のデザイナーがやってる店で――」
王都の若い娘の間で人気のメゾンという話だったが、エルシーは知らないと首を振る。
「お前は普段、どこに頼んでいるんだ」
どこか行きつけの店があるのなら、次からはそこで頼んでもいいと思って尋ねたが、エルシーの答えに俺は愕然とする。
「自分で縫うか、古着です」
「自分で縫う?」
思わず、俺は身を起こしてエルシーの重ねられた手をまじまじと見、それからエルシーの服を見てしまった。
「制服は支給なのでいいのですけど――」
そんな話から垣間見えるエルシーの暮らしぶりに、再会に浮かれていた俺は、冷水をぶっかけられた気分だった。
ある程度、生活を切り詰めているのは予測はしていた。でも、リンドホルムではお姫様だったエルシーが、自分で縫った服や古着を着ているなんて。
なんて答えていいかわからず、黙り込んだ俺を見て、エルシーはきまり悪そうに視線を逸らす。
エルシーが悪いわけじゃない。
でも、なぜそんなことに――。
エルシーの没落の原因は間違いなく、マックスの死だ。
俺は絶対に、エルシーに元の暮らしを取り戻してやらなければ、と改めて誓った。
ミス・リーンのメゾンで採寸を終え、あらかじめ俺が注文しておいた既製服のドレスを着て、階段を降りてきたエルシーの美しさと言ったら! パールグレーの絹は地紋が入っていて、動きと光の加減で浮かび上がる。シャンデリアの灯りに照らされた彼女は、相変わらず光をまとったようにキラキラしていた。ほっそりとした首筋と、くびれた腰つき、広く開いた胸元の、白い谷間に俺の目は釘付けになる。
――昔見た幼いエルシーの裸の胸は、真っ平らだった。
白い胸の谷間は、エルシーがもう幼女ではない、大人の女性なのだと俺に教えた。俺はどぎまぎしてエルシーを正視できなくて、思わずミス・リーンに言った。
「胸元が寂しいな」
ミス・リーンの合図で、小柄な中年の男がガラス・ケースを持ってきた。バーナード・ハドソンの片腕の東洋人だと俺は気づいた。ミス・リーンはドレスに合うネックレスを見繕っていたのだ。
サファイアとダイヤモンドの豪華なビブ・ネックレスと、イヤリングのセット。もとより、俺は金に糸目をつけるつもりはない。エルシーを着飾らせるくらいの資産はあるし、それが俺の気持ちのつもりだった。
だが、ネックレスを目にしたエルシーは露骨におびえて、遠慮しようとする。
「そんな高価そうなの……」
「気にするな、単なる武装だ」
俺に言われ、しぶしぶネックレスとイヤリングをすると、思った通り、エルシーによく似合った。薄く化粧も施され、流行の髪型に整えられた彼女は、金をかけて磨けば磨くほど輝く、ダイヤの原石というわけだ。
促されて俺の隣に腰を下ろすと、ちょうど目線の先に白い胸の谷間があって、俺が無意識に目で追った、その時。
「痛て!」
エルシーがブルーグレイの瞳で俺を睨みつけながら、俺の足を踏んでいた。その気位の高い猫のような表情が幼い頃の彼女そのままで、俺はなつかしさで瞳が潤むの隠すために、目を逸らした。
ドレスを三着注文し、ちょうどいい時間だからと、予約したレストランに向かうことにした。もちろん、エルシーは遠慮したが、ここまで来て飯も食わずに解散するなんて、あり得んだろう。
迎えにきたロベルトが、
「殿下、今夜は食事だけですからね? デザートはお預けですよ?」
と、妙な念押しをしたときに、俺はようやく、ロベルトとミス・リーンが何を考えているか気づいてギョッとした。
ロベルトもミス・リーンも、俺が愛人候補の女をこれから口説くつもりなのだと、思っているのだ。
俺はエルシーと結婚するつもりだから、愛人にするつもりなんてない。反論しようとしたが、エルシー本人は意味を理解できずに首を傾げているし、ここで「愛人にするつもりはない」なんて言おうものなら、エルシーが怯えて逃げてしまう。
俺は、ロベルトに余計なことを言うな、と釘を刺すつもりで片眼をつぶってみせた。
「わかってる。デザートはまた今度」
この結果、ロベルトとミス・リーンの誤解はずっと続くことになるのだが、俺はエルシーと食事ができることに浮かれて、深く考えていなかった。
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