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七竅
32、廉郡王の恋
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「そもそも、あの二人が魔物に憑依されているのは、一種の契約らしい」
「契約……」
厲蠻の民は陰陽を奉ずるに及んで蛇神への信仰を封印した。もともとチャーンバー家は蛇神の末裔で、王家の娘は巫女のような役割を担っていたらしい。
悪政と洪水で陰陽の和が乱れ、魔物である蛇神が発生した時、姉妹は蛇神と契約を結んでその身の内に蛇神を閉じ込め、厲蠻の者たちに被害が及ばないようにしたのだ。
「そのまま野放しにすると、人間を食ってどんどん増えていく、とヴィサンティは言ってた。ただし、蛇神を飼う以上、それなりの代償は必要だ。それが、貴種の持つ魔力だそうだ」
「……貴種の……それで、聖騎士を攫っていたのか」
この辺りには貴種がほとんどおらず、それで、毎年巡検の聖騎士を攫っていた。
「だから、ラクシュミはあの豚刺史と関係を持っていたらしい。ああ見えても、一応、十二貴嬪家だから、外見に目をつぶればまあ、喰えないわけじゃなかったらしい。豚刺史は馬鹿だから、まさか精を吸われて餌にされてるとは思わず、名家の美女とよろしくやっているつもりだったみたいだがな。……豚刺史と穴兄弟とか、正直、吐きそうだ」
「ヴィサンティもか?」
魔力のある精を得るためとはいえ、あの醜悪な豚刺史と寝れるとは、魔物憑きの女というのも因果なものだなと、恭親王は眉を顰める。
「ヴィサンティに憑依したのは最近で、ヴィサンティ自身はまだ未通だった。でも、豚刺史は姉だけじゃ飽き足らなくて、調子に乗ってヴィサンティに執着していたらしい」
名家の美女と関係を持ったことで気が大きくなったランダは、生娘のヴィサンティも手に入れたくなったらしい。ことあるごとに口説いていたが、相手にされないのでナンユー県令に命じて攫わせた。メイロン県令は刺史とラクシュミの関係に薄々感づいていたので、ヴィサンティのことにも口を出さなかったのだ。だが、その騒ぎでヴィサンティや、あの時県城の門のところまで出てきていたラクシュミが、皇子たちを目にしたわけだ。
「〈王気〉を視ちまうと、もう我慢が効かないらしい。とくに、ラクシュミの中の蛇は結構年を食ってるからか、魔力がたくさんいるんだそうだ。それで……」
両の掌を上に向け、廉郡王が肩を竦める。
「……ヴィサンティはどうして逃がしてくれたんだい?」
「なんか、お前がやらかしたんで、ラクシュミがひどく怒っていて、本気で俺を殺すつもりだからって。ユエリン、一体何をやったんだ?」
逆に聞き返され、恭親王は眉間に深い皺を寄せる。
「……厲蠻五千人大虐殺、かな?」
「ちょっ……マジかよ」
五千人とは大きく出たな、と廉郡王が目を丸くする。横で話を聞いていたゲルが、説明する。
「……ナンユー県とリンフー県で悪疫が発生したのですよ。黒死病です。……あの二県は叛乱軍の支配下にはいっていて、まともな対策も取られなくて、病気が蔓延する一方だったのです。それで……」
「だが、人の噂というのは、そういう部分は伝わらないんだよ。私は頭のおかしい殺人狂だと思われているよ」
疲れたように言う恭親王に、廉郡王は心配そうに尋ねる。
「……それで、悪疫の方はどうなったんだ?」
「今は、二県の周辺の鎮や小領で出てる患者を隔離して、少しずつ収束に向かっている。南岸全体で蔓延する悪夢だけは避けられたとは思うけれど……」
「そうか……騎士団に病気が持ち込まれるとヤバイからな」
軍隊内に疫病がはいり込むことは避けなければならなかった。
「つまり、ヴィサンティはグインの命を守るために逃がしてくれたってこと?」
「うん……俺が初めてだったらしいし……」
柄にもなく頬を染めた廉郡王を、恭親王は信じられない、といった表情でまじまじと見た。
「……あり得ないな、選りにもよって魔物憑きの女と……」
「うっせぇ、魔物魔物言うな!俺の初恋なんだから!」
「本気なの?!……まさか帝都に連れ帰るつもりじゃないだろうね?」
「それが無理だってことくらい、わーってる!」
そっぽを向いて喚く廉郡王を、恭親王は呆れたように見つめる。
「……偽番……あるいは逆番とも言うそうですが、そういうことが、稀にあるそうです」
ゲルが口を挟んだ。
「何それ」
恭親王の問いに、ゲルが答える。
「龍種というのは本来は番を作るのですよ。龍皇帝と西の始祖女王――月の精靈ディアーヌのように。ですが、世界を治めるために、陰陽の龍種は東と西に別れて暮らし、普段は関わることも禁じられています。強く、魅かれ合ってしまうからだそうです」
「……西の龍種ってのは、陰の〈王気〉を持つんだよね?」
「そうです。銀色の〈王気〉だそうですが……あの家は代々女児しか生まれませんし、諸侯を夫に迎えて国を統治しています」
はるかソリスティアの向こう、大河ドーレの対岸より西に広がる、女王の国。
「かつては、定期的に東の皇子と西の王女を〈聖婚〉させていたのですよ。陰陽の気を調和させるために。最近は、あちらの王女の数が減って、〈聖婚〉は行われていませんが。最後の〈聖婚〉が二百年前だと思います」
「つまり……それが、番ってこと?」
「東の皇子はとりわけ陰の〈王気〉に魅了されてしまうそうで、一人の王女を巡って殺し合うこともあったとか」
「怖っ」
恭親王が思わず眉を顰める。女を争って皇子同士で殺し合いとか、勘弁してほしい。
「それくらい、龍種は番を求める本能が強いのですが、敢えてその本能を封印し、陰陽の皇王家は互いに見えることのないよう過ごしてきたのですよ。……ですが、あまりに番に出会えないために、時々、龍種以外の魔族を番と認定してしまうことがあって……」
「それが、〈偽番〉?」
「はい。特に、魔蛇とか、魔蜥蜴といった、龍に近い者だと稀に……」
普通は異種と〈気〉を交えると不快に感じられるのだが、〈逆番〉にはそれがないという。ただし、同種ではないので〈気〉が完全に同化しないために、長く番っていると互いの命を損なうらしい。
「まあ、滅多にありませんので、どの程度、具体的に何年間なら問題ないとか、そういうのはわからないのですけれどね」
ゲルの説明を廉郡王が黙って聞いているところを見ると、どうも廉郡王はヴィサンティから説明を受けていたらしい。
「……だから、別に俺はヴィサンティと添い遂げたいとかは、思ってない。お互いに、どうしようもないしな」
廉郡王が言うのに、恭親王が何とも言い難い表情で、考え込んでしまう。
「でも……そんなに簡単に、思いきれるものなの?」
「わからない……けど……」
廉郡王の翳った苦い顔を見て、恭親王は驚く。
今まで、廉郡王はそんな表情をしたことがなかった。
彼にとって、女はヤりたいか、ヤりたくないか、耐性があるか、ないかの四つの区分しかないはずだった。
「もしかして……本気で、好きになったの?」
驚愕に目を見開いて尋ねる恭親王に、廉郡王が寂しげに頷いた。
「今頃になってようやく、アイリンの言った意味がわかった。……好きな女とすると違うって……」
でも、その彼女には魔物が憑いている。――陰陽の歪みから生まれた、蛇神が。
恭親王は、その意味するところに気づいて、ごくりと唾を飲み込んだ。
「契約……」
厲蠻の民は陰陽を奉ずるに及んで蛇神への信仰を封印した。もともとチャーンバー家は蛇神の末裔で、王家の娘は巫女のような役割を担っていたらしい。
悪政と洪水で陰陽の和が乱れ、魔物である蛇神が発生した時、姉妹は蛇神と契約を結んでその身の内に蛇神を閉じ込め、厲蠻の者たちに被害が及ばないようにしたのだ。
「そのまま野放しにすると、人間を食ってどんどん増えていく、とヴィサンティは言ってた。ただし、蛇神を飼う以上、それなりの代償は必要だ。それが、貴種の持つ魔力だそうだ」
「……貴種の……それで、聖騎士を攫っていたのか」
この辺りには貴種がほとんどおらず、それで、毎年巡検の聖騎士を攫っていた。
「だから、ラクシュミはあの豚刺史と関係を持っていたらしい。ああ見えても、一応、十二貴嬪家だから、外見に目をつぶればまあ、喰えないわけじゃなかったらしい。豚刺史は馬鹿だから、まさか精を吸われて餌にされてるとは思わず、名家の美女とよろしくやっているつもりだったみたいだがな。……豚刺史と穴兄弟とか、正直、吐きそうだ」
「ヴィサンティもか?」
魔力のある精を得るためとはいえ、あの醜悪な豚刺史と寝れるとは、魔物憑きの女というのも因果なものだなと、恭親王は眉を顰める。
「ヴィサンティに憑依したのは最近で、ヴィサンティ自身はまだ未通だった。でも、豚刺史は姉だけじゃ飽き足らなくて、調子に乗ってヴィサンティに執着していたらしい」
名家の美女と関係を持ったことで気が大きくなったランダは、生娘のヴィサンティも手に入れたくなったらしい。ことあるごとに口説いていたが、相手にされないのでナンユー県令に命じて攫わせた。メイロン県令は刺史とラクシュミの関係に薄々感づいていたので、ヴィサンティのことにも口を出さなかったのだ。だが、その騒ぎでヴィサンティや、あの時県城の門のところまで出てきていたラクシュミが、皇子たちを目にしたわけだ。
「〈王気〉を視ちまうと、もう我慢が効かないらしい。とくに、ラクシュミの中の蛇は結構年を食ってるからか、魔力がたくさんいるんだそうだ。それで……」
両の掌を上に向け、廉郡王が肩を竦める。
「……ヴィサンティはどうして逃がしてくれたんだい?」
「なんか、お前がやらかしたんで、ラクシュミがひどく怒っていて、本気で俺を殺すつもりだからって。ユエリン、一体何をやったんだ?」
逆に聞き返され、恭親王は眉間に深い皺を寄せる。
「……厲蠻五千人大虐殺、かな?」
「ちょっ……マジかよ」
五千人とは大きく出たな、と廉郡王が目を丸くする。横で話を聞いていたゲルが、説明する。
「……ナンユー県とリンフー県で悪疫が発生したのですよ。黒死病です。……あの二県は叛乱軍の支配下にはいっていて、まともな対策も取られなくて、病気が蔓延する一方だったのです。それで……」
「だが、人の噂というのは、そういう部分は伝わらないんだよ。私は頭のおかしい殺人狂だと思われているよ」
疲れたように言う恭親王に、廉郡王は心配そうに尋ねる。
「……それで、悪疫の方はどうなったんだ?」
「今は、二県の周辺の鎮や小領で出てる患者を隔離して、少しずつ収束に向かっている。南岸全体で蔓延する悪夢だけは避けられたとは思うけれど……」
「そうか……騎士団に病気が持ち込まれるとヤバイからな」
軍隊内に疫病がはいり込むことは避けなければならなかった。
「つまり、ヴィサンティはグインの命を守るために逃がしてくれたってこと?」
「うん……俺が初めてだったらしいし……」
柄にもなく頬を染めた廉郡王を、恭親王は信じられない、といった表情でまじまじと見た。
「……あり得ないな、選りにもよって魔物憑きの女と……」
「うっせぇ、魔物魔物言うな!俺の初恋なんだから!」
「本気なの?!……まさか帝都に連れ帰るつもりじゃないだろうね?」
「それが無理だってことくらい、わーってる!」
そっぽを向いて喚く廉郡王を、恭親王は呆れたように見つめる。
「……偽番……あるいは逆番とも言うそうですが、そういうことが、稀にあるそうです」
ゲルが口を挟んだ。
「何それ」
恭親王の問いに、ゲルが答える。
「龍種というのは本来は番を作るのですよ。龍皇帝と西の始祖女王――月の精靈ディアーヌのように。ですが、世界を治めるために、陰陽の龍種は東と西に別れて暮らし、普段は関わることも禁じられています。強く、魅かれ合ってしまうからだそうです」
「……西の龍種ってのは、陰の〈王気〉を持つんだよね?」
「そうです。銀色の〈王気〉だそうですが……あの家は代々女児しか生まれませんし、諸侯を夫に迎えて国を統治しています」
はるかソリスティアの向こう、大河ドーレの対岸より西に広がる、女王の国。
「かつては、定期的に東の皇子と西の王女を〈聖婚〉させていたのですよ。陰陽の気を調和させるために。最近は、あちらの王女の数が減って、〈聖婚〉は行われていませんが。最後の〈聖婚〉が二百年前だと思います」
「つまり……それが、番ってこと?」
「東の皇子はとりわけ陰の〈王気〉に魅了されてしまうそうで、一人の王女を巡って殺し合うこともあったとか」
「怖っ」
恭親王が思わず眉を顰める。女を争って皇子同士で殺し合いとか、勘弁してほしい。
「それくらい、龍種は番を求める本能が強いのですが、敢えてその本能を封印し、陰陽の皇王家は互いに見えることのないよう過ごしてきたのですよ。……ですが、あまりに番に出会えないために、時々、龍種以外の魔族を番と認定してしまうことがあって……」
「それが、〈偽番〉?」
「はい。特に、魔蛇とか、魔蜥蜴といった、龍に近い者だと稀に……」
普通は異種と〈気〉を交えると不快に感じられるのだが、〈逆番〉にはそれがないという。ただし、同種ではないので〈気〉が完全に同化しないために、長く番っていると互いの命を損なうらしい。
「まあ、滅多にありませんので、どの程度、具体的に何年間なら問題ないとか、そういうのはわからないのですけれどね」
ゲルの説明を廉郡王が黙って聞いているところを見ると、どうも廉郡王はヴィサンティから説明を受けていたらしい。
「……だから、別に俺はヴィサンティと添い遂げたいとかは、思ってない。お互いに、どうしようもないしな」
廉郡王が言うのに、恭親王が何とも言い難い表情で、考え込んでしまう。
「でも……そんなに簡単に、思いきれるものなの?」
「わからない……けど……」
廉郡王の翳った苦い顔を見て、恭親王は驚く。
今まで、廉郡王はそんな表情をしたことがなかった。
彼にとって、女はヤりたいか、ヤりたくないか、耐性があるか、ないかの四つの区分しかないはずだった。
「もしかして……本気で、好きになったの?」
驚愕に目を見開いて尋ねる恭親王に、廉郡王が寂しげに頷いた。
「今頃になってようやく、アイリンの言った意味がわかった。……好きな女とすると違うって……」
でも、その彼女には魔物が憑いている。――陰陽の歪みから生まれた、蛇神が。
恭親王は、その意味するところに気づいて、ごくりと唾を飲み込んだ。
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