【R18】女嫌いの医者と偽りのシークレット・ベビー

無憂

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【番外編】モーガン公爵夫人アイリス・ローレンソン

切望と後悔*

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 以前からのよしみもあって、ハミルトン先生はすぐに往診に応じてくださった。

「やっと自由になれましたわ、先生」

 黒い喪服を纏って、しかし晴れ晴れとした気分でそう口に出すと、先生は複雑な表情をなさった。

「そうですね。病人の世話は消耗するものです」
「わたくし、未亡人とやらにようやくなれたのですわ」
「……まだ、人生は長いですし、今までできなかったことを自由になさったらいい」

 わたくしは自分から先生の手を取った。

「わたくし、先生に出会って初めて恋を知ったのですわ」
「こ、恋……?」

 水色の瞳をまんまるに狼狽える先生は、やはりまだ若いのだ。

「僕にとって貴女は患者の一人で……」
「ええ、わかっております。だってわたくしもう、おばあちゃんですもの」
「おばあちゃん、ってことは、ないと、思いますが……」
「まだ、恋をするのに遅くないと思われます?」
「それは、もちろん!」

 頷いた先生の手を両手で包み込むように握り、わたくしは背の高い先生を仰ぐように見上げた。

「お慕いしています。先生」
「いや、その……」

 わたくしは勇気を振り絞り、先生に打ち明けた。

「恋も愛も、ずっと知らないまま死ぬのだと思っておりました。……でも、本音を言えば悔しくてならなかった。夫と、あの女の身勝手に引きずられて、わたくしの人生ってなんだったのかしらって……。たしかに、こんな年になって、わたくしはもう、醜いかもしれませんが――」
「醜いなんてことはありません! 貴女はお綺麗です! でも……」

 それでも先生はかなり迷っていらっしゃった。

「わたくしのことが醜くて我慢できないというのでなければ、お願いです、先生」
「僕はそういう理由で躊躇しているわけではありません……ただその……」

 ハミルトン先生は目を伏せ、首を振った。

「僕は貴女に同情はしていますが、愛しているわけではないので……」
「同情でも構いません。ただ……憐れと思ってくださるなら……」

 縋りつくわたくしの手を、先生はとうとう、振りほどくことはなく、わたくしをそっと寝台に誘った。 
 ――この人は、理不尽に虐げられた女性を見捨てることができない、優しい人なのだ――

「愛ではなくとも構わないと仰るのですか?」

 そう、正面から念を押されて、わたくしは頷いた。

「知りたいのです。わたくしにも、知る権利はありますよね?」

 先生はわたくしのドレスの背中のボタンを外し、そっと脱がせる。きつく締めたコルセットの紐を解き、下着シュミーズを剥ぎ取る。零れ出た二つの乳房は、若い時とは違い、やや垂れていたけれど、先生はそこに顔を埋め――

 初めての感覚に身体が熱くて溶けそうになる。すべてが、わたくしの知らなかったこと。知らなかった気持ち、知らなった快感。

 ゆっくりとわたくしの肌に余すところなく触れた後で、先生もまた衣服を脱いでいく。

 ウエストコートを脱ぎ捨て、ドレスシャツをはだけると、まだ若く瑞々しい身体があらわれる。
 わたくしは思わず、その滑らかな肌に手を伸ばした。

「……気に、なりますか?」
「だって、初めて見るのだもの……男の人はみな、こんな風に美しいの?」
「さあ……僕もあと二十年もすれば年相応になると思いますが……」

 すべてを先生の目に曝け出したのも初めてのことだった。先生の美しい身体と比べれば、二十も年上のわたくしは肌も衰え、緩んで醜かった。でも先生は一言も責めることなく、ただ、優しく愛してくださった。

 愚かなわたくしが、そこに心があると勘違いするほどに――

 破瓜の痛みとともに、先生がわたくしの中に入ってくる。一つになることがこれほどの痛みと熱を持つことだなんて、思いもかけなかった。わたくしはただ、彼にすべてを委ね、初めての淫夢に酔いしれた。
 ただ、この時が永遠に続いてほしいと――

 
 

 それからも、わたくしたちの情事は続いた。
 もちろん、メイドのエマはわたくしたちの関係に気づいていたが、何も言わなかった。

 ――エマは、二十年以上に及ぶ、夫のわたくしの仕打ちを知っていたから。

 往診にかこつけて訪れる先生に、わたくしが行為を強請れば、先生が断ることはなかった。
 わたくしの中を穿ちながら、切なげに歪む先生の表情もすべて美しくて、わたくしはいつしか、自分たちは愛し合っていると信じ込むようになる。

 この関係が続いた先に何があるとか、結婚したいとか、望んていたわけではない。
 さすがに、息子のベネディクトと同じ年の男性との結婚を夢見るほど、わたくしも愚かではない、つもりだった。

 ただ時折、先生がふと見せる表情に、わたくしの胸が騒ぐ。
 情事の後、浮かない表情でタイを結んでいる先生に、わたくしが寝台の中から尋ねる。

「先生……? 次は、来週の同じ日で?」
「あ、……いえ、来週は学会があって……」
「では、一週間お会いできませんのね?」 
 
 先生が意を決したようにわたくしを見た。

「その……いつまでもこんな不毛な関係を続けるおつもりですか?」
「……不毛……わたくしは……」
「もうそろそろ、清算すべきだと思うのですが」
「……先生は、この関係が不満なのですか? どなたか、他に好きな方が……」
 
 思わず声を震わせるわたくしに、先生は言った。

「最初から、こうすべきではなかったとは思っています」
「でも、わたくしは先生を――」
「僕は、そもそも愛していない。でも貴女が気の毒で……情がなかったわけではない。貴女を愛さなかった夫の代わりに僕を望みました。でも、僕ではやはり代わりにはなれない」

 先生のおっしゃる意味がわからなかった。

「どうしてそんなことをおっしゃるのです、先生。……わたくしが、年上で醜いから?」
「僕は貴女のことを醜いと思ったことはありません。でも、愛してはいない」
「わたくしを抱いたこと、後悔していらっしゃるの?」

 わたくしの問いかけに、先生は視線をそらした。

「後悔しているか、していないかと言えば、後悔しています。医師と、患者の矩を越えるべきでなかった……僕は、医師失格です」

 わたくしは、先生の苦悩に戸惑い、お願いだから捨てないでくれと泣いて、縋りついた。

 


 しかし、先生の往診は理由をつけて間遠になる。
 最初は学会や王都外への出張、そして、右手のケガを理由に一月ほど間が開いしまい、どうしても会いたくてたまらなくなったわたくしは、王立病院に問い合わせた。

「イライアス・ハミルトン医師は先週付けで医局を退職いたしました」

 信じられない言葉に、わたくしはその場に立ち尽くした。

「ハミルトン先生が? どうして? 何か、あったのです?」
「いえ、戦地で軍医が足りないと聞いて、その日の内には医局をやめて陸軍省に志願なさいました。ハンプトンの港から、南の大陸に向かうと――」

 植民地での列強同士の争いが、戦争に発展した。はるか南の――未開の大陸の戦争を、わたくしは遠い世界の話だとばかり思っていた。

「抱えていた患者さんについては、重症度の高い人については、それぞれ引継ぎをされていますが、モーガン夫人に関しては、かなり病状に改善がみられるので、特に引き継ぐにあたらないと」

 そう、言われてわたくしはショックを受ける。
 たしかに、先生に抱かれるようになってから、わたくしは気持ちが若返ったせいか、肌の張りもよく、不調もどこかに行ってしまった。
 ――それに今さら、他の医師からあの治療を受けるなんて、そんな気にはなれない。

 わたくしは突然、突きつけられた別れに戸惑い、打ちのめされる。
 でも、心のどこかで、こんな日がいつか来るのは覚悟していたのかもしれない。

 だってわたくしは、若い花の盛りのころにさえ、夫に一顧だにされなかったのだ。
 年老い、容色も衰えた今、若く美しい彼の心をとらえることなどあり得ない。
 これは仕方のないことなのだ。

 わたくしは恋人に捨てられた傷心を癒やすように、隣国ルーセンの南海岸の保養地に逃げた。
 そこでわたくしは体の不調を覚え――

 現地の医師から妊娠を告げられた。





 わたくしの耳には、天からの福音に聞こえた。そんな奇跡があるだろうか。

 わたくしはハミルトン先生しか知らない。彼は避妊にはとても気をつかって、絶対にゴムの避妊具なしでは交わらなかった。

『今からするのは治療ではなく、性行為です。当然、妊娠の可能性があります。それを避ける手段を講じるのは当然のことです』

 もう年だから妊娠などしない、と言うわたくしに彼は少しばかり語気を荒げたものだ。
 
『万一妊娠した場合、あなたは高齢の初産となります。とても、危険性が高い』

 もちろん、堕胎する選択肢もあるが、それは女性の身体にも、そして何より心に傷を負わせることになる、と。彼が憂えたのは、世間体ではなく、わたくしの身体のことだった。

『医師として、妊娠させないのが一番です。……だから、本来は行為はしない方がいい』

 そこまで言われても、わたくしは彼に抱かれることを望んだ。そうして、どういう奇跡でか、この子はわたくしの胎内に宿ってくれた。
 
 もし妊娠を伝えれば、彼はすべてをなげうっても責任を取ろうとするだろう。でもそれでは、まだ若いかれの人生を潰してしまう。わたくしはそれを望まない。

 ――彼に黙って、一人で産もう。

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