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12、ローズマリーの目覚め
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ローズマリーはよほど疲れていたのか、夜まで目を覚まさなかった。
目覚めて、自分の置かれた状況が理解できないうちに、僕は彼女を囲い込むことにする。
「妊娠してるね」
そう、断言してやるとこの世の終わりのような表情で、僕を見上げた。
女性にとって妊娠は大事だ。けして後戻りのできない、大きな転機になる。
ルーカスの言うとおりなら、ずっと体調の悪さを誤魔化してきたのだろう。
――あるいは、父親であるクソ医者のマコーレ―にも相談し、そして冷たくあしらわれているかもしれない。
賭けてもいいけど、あの手のクズ男は責任なんて取らない。
おそらくローズマリーを愛してもいなくて、従順で都合のよい女として扱っているはずだ。
妊娠に気づいたローズマリーは今、きっと絶望の中にいる。
そして妊娠を僕に指摘されて、さらに暗闇に突き落とされた気分に違いない。
――これは茶番だ。彼女の絶望につけ込んで、僕はローズマリーを手に入れる。
だが。彼女を追いこむ匙加減は難しい。下手をすれば、お腹の子の父親は僕でないことが暴露されて、あっさり終了だ。
なにがまずいって、その場合、寝てもいないのに自分の子だと言い張る、ヤバイ男が出来上がってしまう。普通にヤバイ。付き合ってもいないのに、お腹の子の父親は自分だと主張する男。ヤバすぎる。そんな男だとバレたら、僕のこの家での評判も終了する。我ながら、少々、危険すぎる賭けだったかもしれない。
だがもう乗りかかった船である。
彼女のお腹の子は僕の子。ローズマリーは僕の恋人。
その設定を頭の中で繰り返し、ローズマリーを馴れ馴れしく世話をする。
そこへ、ドーソン夫人がリゾットの皿を運んできた。恐縮するローズマリーに言う。
「旦那様からは大切なお方で、しかも妊娠中と伺いました。精一杯お世話させていただきますので、どうぞお寛ぎになって」
我が家の使用人たちは、お腹の子は僕の子だと勘違いしている。
ローズマリーも薄々それに気づいたけれど、彼女はすぐには否定できない。それが僕の読みだ。ルーカスの前で、そして見知らぬ貴族の屋敷で、迂闊なことは言えないからだ。
もし、ドーソン夫人の勘違いを否定すれば、じゃあ子供の父親は誰だ、と聞かれるだろう。彼女はそれが怖いはずだ。
一応、姦通罪も存在するこの国で、既婚者の子を孕んだなんて、軽々しく口にできるわけがない。
――まして、彼女は昔、主家の若様の子を孕んだと訴えて、貴族の屋敷を解雇されているのだから。
不安そうな彼女の目が、「何がどうなっているの」と訴えているので、僕はメイドを呼んでルーカスを隣室で休ませ、ドーソン夫人が皿を下げて、部屋に二人っきりになる。
気まずい沈黙を破るように、ローズマリーは助けてくれたことに礼を言い、またマクミラン侯爵である僕に対する、これまでの無礼を詫びた。
「アハハ、気にしないで」
僕は身分のことは軽く流し、むしろ医者としての態度を前面に出す。
「熱はないけど、しばらく安静が必要だね。あのまま、放置していたら、流産しかかっていたのかもしれない。いい? 安静って言うのは、ただ静かにするってことじゃないんだよ。お手洗いと食事以外はずっと立ち歩かずにベッドで寝る。これが安静。だからしばらく、この部屋に監禁ね」
「監禁?」
ローズマリーが紫色の目を剥いた。言葉は穏やかでないが、僕はかなり本気だった。
もう、ローズマリーをこのマクミラン邸から出す気はない。
「あの家は、明日、僕とルーカスが行って必要なものだけ持ち出したら、引き払ってマコーレーのクソ医者に返しておくから」
「……クソ医者?」
「僕が何も知らないとでも思っていたの? 金を使えばなんだって調べられるんだよ?」
僕に町医者マコーレーとの関係まで知られていると知って、ローズマリーは今度こそ、本当に死にそうな表情をする。暮らしのためにやむを得ずとはいえ、既婚者との関係に、彼女は罪の意識を抱いていたのかもしれない。
彼女が悪いのではない。彼女の弱みにつけ込み、神の許さない関係を強いた既婚者のクズが悪いのだ。
デニスも、そしてマコーレーも、男たちはか弱い彼女の尊厳を奪い、踏みにじり、そして子供ができれば無情にも放り出す。
子供を孕んで棄てられる彼女の弱みにつけ込んで、ローズマリーを手に入れようとしている僕も、ズルさで言えば大した違いはない。ただ、独身の僕の方が少しはマシのはず。
同じ医者なんだから、マコーレーがよくて僕が嫌とか言わせないからな――
僕は不安で凍りつくローズマリーの顎に手をかけ、顔を寄せて唇を奪おうとした。しかしそのタイミングでドーソン夫人が再び部屋に入ってきて、僕は慌てて飛び退いた。
「亡くなった若奥様のでございますが、よろしければお着換えを――」
ドーソン夫人の手には、レースとフリルでいっぱいのナイトドレスがあった。
「あ、ああ! 義姉上の! まだ残っていたんだ!」
キスの直前に乱入されて、僕は動揺してわざとらしい大声になってしまう。ドーソン夫人はさすがの面の皮の厚さで、ずかずかと入ってきて、ナイトドレスを広げて見せる。
「ええ……実は、注文していたものが、亡くなられてから届いたのでございますよ。ですから新品なのです」
「兄夫婦は飛行船の事故で亡くなったんだ。ちょっと前にニュースになった、大爆発したやつ」
まだ硬直しているローズマリーに、僕は言い訳のように早口でまくしたてた。
「ああ! ゴルトベルグ号の? あれで? ……まあ、大変……」
兄夫婦が亡くなった飛行船の事故は、新聞が号外を出すほどの大事故で、ローズマリーも知っていた。
「大奥様が、仕立て屋は明日にも呼ぶけど、今日はこれでとおっしゃって――」
「仕立て屋?」
母が早速、ローズマリーのためにドレスを仕立てる。これは母からの援護射撃だ。ローズマリーの逃げ道を塞ぐつもりだな。――間抜けな僕が女に逃げられないように、母も必死だ。
「母上も先走るね」
「そりゃあもう、女嫌いで有名な旦那様が、初めて連れていらした方でございますし」
話が読めず、ローズマリーが眉を顰めているし、タイミングも悪すぎる。もう少しでキスしそうになった男が「女嫌いで有名」って、なんの冗談だと思うじゃないか。
「女嫌いなわけじゃないよ。……得意じゃないだけだ」
ヒステリーの治療は得意だが、女の患者は苦手だ。僕は否定したが、ドーソンは笑って相手にしない。
「同じでございますよ。もう、二十八におなりになるのに、女っ気のカケラもなくて、どれだけ大奥様が心配なさったことか。この際身分などは気にしないと仰いますし、お子様がいるならいっそ好都合とまで――」
「いったい、何のお話――」
ルーカスの服もたくさん見立てる予定と聞いて、ローズマリーの顔色が再び青ざめる。そのままぐらりと傾いでしまった彼女の細い身体を僕は慌てて抱き留めた。
使用人だけでなく、僕の母までも、ローズマリーのお腹の子の父親は僕だと信じている。
寝台の中から見上げる目が、「どういうことなのか、説明しろ」と言っている。
だが、ドーソン夫人の前で説明できるわけない。
妻子ある男の子を妊娠してしまった、ローズマリーの弱みにつけこんで、自分のものにするつもりだなんて。
だから僕はにっこり微笑んで、彼女に言った。
「今夜は失礼するよ、明日、ゆっくり診察する。――おやすみ」
そして、恋人同士に見えるように、硬直したまま声も出せないローズマリーの頬に、そっとキスをした。
目覚めて、自分の置かれた状況が理解できないうちに、僕は彼女を囲い込むことにする。
「妊娠してるね」
そう、断言してやるとこの世の終わりのような表情で、僕を見上げた。
女性にとって妊娠は大事だ。けして後戻りのできない、大きな転機になる。
ルーカスの言うとおりなら、ずっと体調の悪さを誤魔化してきたのだろう。
――あるいは、父親であるクソ医者のマコーレ―にも相談し、そして冷たくあしらわれているかもしれない。
賭けてもいいけど、あの手のクズ男は責任なんて取らない。
おそらくローズマリーを愛してもいなくて、従順で都合のよい女として扱っているはずだ。
妊娠に気づいたローズマリーは今、きっと絶望の中にいる。
そして妊娠を僕に指摘されて、さらに暗闇に突き落とされた気分に違いない。
――これは茶番だ。彼女の絶望につけ込んで、僕はローズマリーを手に入れる。
だが。彼女を追いこむ匙加減は難しい。下手をすれば、お腹の子の父親は僕でないことが暴露されて、あっさり終了だ。
なにがまずいって、その場合、寝てもいないのに自分の子だと言い張る、ヤバイ男が出来上がってしまう。普通にヤバイ。付き合ってもいないのに、お腹の子の父親は自分だと主張する男。ヤバすぎる。そんな男だとバレたら、僕のこの家での評判も終了する。我ながら、少々、危険すぎる賭けだったかもしれない。
だがもう乗りかかった船である。
彼女のお腹の子は僕の子。ローズマリーは僕の恋人。
その設定を頭の中で繰り返し、ローズマリーを馴れ馴れしく世話をする。
そこへ、ドーソン夫人がリゾットの皿を運んできた。恐縮するローズマリーに言う。
「旦那様からは大切なお方で、しかも妊娠中と伺いました。精一杯お世話させていただきますので、どうぞお寛ぎになって」
我が家の使用人たちは、お腹の子は僕の子だと勘違いしている。
ローズマリーも薄々それに気づいたけれど、彼女はすぐには否定できない。それが僕の読みだ。ルーカスの前で、そして見知らぬ貴族の屋敷で、迂闊なことは言えないからだ。
もし、ドーソン夫人の勘違いを否定すれば、じゃあ子供の父親は誰だ、と聞かれるだろう。彼女はそれが怖いはずだ。
一応、姦通罪も存在するこの国で、既婚者の子を孕んだなんて、軽々しく口にできるわけがない。
――まして、彼女は昔、主家の若様の子を孕んだと訴えて、貴族の屋敷を解雇されているのだから。
不安そうな彼女の目が、「何がどうなっているの」と訴えているので、僕はメイドを呼んでルーカスを隣室で休ませ、ドーソン夫人が皿を下げて、部屋に二人っきりになる。
気まずい沈黙を破るように、ローズマリーは助けてくれたことに礼を言い、またマクミラン侯爵である僕に対する、これまでの無礼を詫びた。
「アハハ、気にしないで」
僕は身分のことは軽く流し、むしろ医者としての態度を前面に出す。
「熱はないけど、しばらく安静が必要だね。あのまま、放置していたら、流産しかかっていたのかもしれない。いい? 安静って言うのは、ただ静かにするってことじゃないんだよ。お手洗いと食事以外はずっと立ち歩かずにベッドで寝る。これが安静。だからしばらく、この部屋に監禁ね」
「監禁?」
ローズマリーが紫色の目を剥いた。言葉は穏やかでないが、僕はかなり本気だった。
もう、ローズマリーをこのマクミラン邸から出す気はない。
「あの家は、明日、僕とルーカスが行って必要なものだけ持ち出したら、引き払ってマコーレーのクソ医者に返しておくから」
「……クソ医者?」
「僕が何も知らないとでも思っていたの? 金を使えばなんだって調べられるんだよ?」
僕に町医者マコーレーとの関係まで知られていると知って、ローズマリーは今度こそ、本当に死にそうな表情をする。暮らしのためにやむを得ずとはいえ、既婚者との関係に、彼女は罪の意識を抱いていたのかもしれない。
彼女が悪いのではない。彼女の弱みにつけ込み、神の許さない関係を強いた既婚者のクズが悪いのだ。
デニスも、そしてマコーレーも、男たちはか弱い彼女の尊厳を奪い、踏みにじり、そして子供ができれば無情にも放り出す。
子供を孕んで棄てられる彼女の弱みにつけ込んで、ローズマリーを手に入れようとしている僕も、ズルさで言えば大した違いはない。ただ、独身の僕の方が少しはマシのはず。
同じ医者なんだから、マコーレーがよくて僕が嫌とか言わせないからな――
僕は不安で凍りつくローズマリーの顎に手をかけ、顔を寄せて唇を奪おうとした。しかしそのタイミングでドーソン夫人が再び部屋に入ってきて、僕は慌てて飛び退いた。
「亡くなった若奥様のでございますが、よろしければお着換えを――」
ドーソン夫人の手には、レースとフリルでいっぱいのナイトドレスがあった。
「あ、ああ! 義姉上の! まだ残っていたんだ!」
キスの直前に乱入されて、僕は動揺してわざとらしい大声になってしまう。ドーソン夫人はさすがの面の皮の厚さで、ずかずかと入ってきて、ナイトドレスを広げて見せる。
「ええ……実は、注文していたものが、亡くなられてから届いたのでございますよ。ですから新品なのです」
「兄夫婦は飛行船の事故で亡くなったんだ。ちょっと前にニュースになった、大爆発したやつ」
まだ硬直しているローズマリーに、僕は言い訳のように早口でまくしたてた。
「ああ! ゴルトベルグ号の? あれで? ……まあ、大変……」
兄夫婦が亡くなった飛行船の事故は、新聞が号外を出すほどの大事故で、ローズマリーも知っていた。
「大奥様が、仕立て屋は明日にも呼ぶけど、今日はこれでとおっしゃって――」
「仕立て屋?」
母が早速、ローズマリーのためにドレスを仕立てる。これは母からの援護射撃だ。ローズマリーの逃げ道を塞ぐつもりだな。――間抜けな僕が女に逃げられないように、母も必死だ。
「母上も先走るね」
「そりゃあもう、女嫌いで有名な旦那様が、初めて連れていらした方でございますし」
話が読めず、ローズマリーが眉を顰めているし、タイミングも悪すぎる。もう少しでキスしそうになった男が「女嫌いで有名」って、なんの冗談だと思うじゃないか。
「女嫌いなわけじゃないよ。……得意じゃないだけだ」
ヒステリーの治療は得意だが、女の患者は苦手だ。僕は否定したが、ドーソンは笑って相手にしない。
「同じでございますよ。もう、二十八におなりになるのに、女っ気のカケラもなくて、どれだけ大奥様が心配なさったことか。この際身分などは気にしないと仰いますし、お子様がいるならいっそ好都合とまで――」
「いったい、何のお話――」
ルーカスの服もたくさん見立てる予定と聞いて、ローズマリーの顔色が再び青ざめる。そのままぐらりと傾いでしまった彼女の細い身体を僕は慌てて抱き留めた。
使用人だけでなく、僕の母までも、ローズマリーのお腹の子の父親は僕だと信じている。
寝台の中から見上げる目が、「どういうことなのか、説明しろ」と言っている。
だが、ドーソン夫人の前で説明できるわけない。
妻子ある男の子を妊娠してしまった、ローズマリーの弱みにつけこんで、自分のものにするつもりだなんて。
だから僕はにっこり微笑んで、彼女に言った。
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