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2、帰還
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デニスの死から数か月。
戦争がようやく終わって、僕は無事、帰還を果たした。
相変わらずの繁栄を見せる王都の賑わいは、戦場の悲惨さとあまりに違っていて、なんだか現実感がなく、僕はどこかふわふわとしていた。
「イライアス、無事に帰ってきてよかったわ。……ライラの夫は戦死だと聞いて、お前、彼とは同じ部隊だったのでしょう? 心配したのよ」
母に言われて、僕はデニスの死を思い出す。――最後の、遺言とともに。
「部隊は違いますよ。師団が同じでしたが。……デニスは、たまたま僕のいた野戦病院に担ぎ込まれて、僕が最期を看取りました」
「まあ……」
母の姪・ライラはヘンダーソン侯爵の令嬢だったが、十八で王国西部の街アーリングベリのリントン伯爵家に嫁いだ。それが五年前で、伯爵家嫡男で陸軍士官の夫、デニスは一年も経たずに戦地に向かい、そして戦死してしまった。もちろん、子供はない。
「リントン伯爵家は跡継ぎはどうするのかな?」
横で聞いていた兄アシュリーが、綺麗に調えた口ひげを撫でながら言えば、母は首を振った。
「さあ……デニス卿は一人息子と言っていたから、爵位は親族に移るのかしら?」
我が国は限嗣相続と言って、爵位も財産も、長男総取りが原則だ。
「他人事ではないね。我がマクミラン侯爵家もまだ、子供がいない。――うちは、イライアスが戻ってくれたからよかったが……」
兄に言われて、僕はなんとなく肩を竦める。
「僕が戦争に行っている間に、とっくに跡継ぎも生まれていると思っていましたのに」
「こればかりは天の配剤だからね。……時に、お前はこれからどうするんだ? また医局に勤めるのか?」
「いやもう、あの仕事はちょっと……」
僕は言葉を濁す。
侯爵家の次男である僕は、法的には爵位も財産も相続できずに家を追い出される定めにある。政治家になったり、事業を起こしたりする甲斐性もないので、とりあえず食いっぱぐれなさそうな職業として医者を選んだ。開業のための資金を貯めるのと、医師として経験を積むために、王都の王立病院の医局に勤めたのだけど――
僕はどうにもあの仕事が苦手で――厳密に言えば女の患者が苦手だった。だから、ちょうど戦争が起きて軍医を募集していると聞き、女の患者が少なそう、というかなり後ろ向きな理由で志願した。
戦争から戻っても、正直、元の仕事をする気にはならない。
「いろいろ、悲惨な現場も目にして疲れたし、ひとまず恩給もあるのでしばらくはブラブラしようかと――」
僕のやる気のない様子に、兄などは眉を顰めたけれど、母はおっとりと賛成した。
「そうね、まずはゆっくり休んで……お前もそろそろお嫁さんを見つけないと」
「無職では嫁探しもままならないと思いますが……」
兄が言い、僕はふと思いついて言った。
「実はライラのところを訪問しようと思うのです。デニスのこともあるし――」
「それがいいわ。ライラも気落ちしているようだし、慰めてあげてちょうだい」
母に言われて、僕はアーリングベリのリントン伯爵家に訪問を申し入れた。
デニスの遺体や遺品は、先に彼の家に戻り、すでに葬儀も済んでいた。
アーリングベリは王都から汽車で一日の距離にある、西の海に面した港街だ。リントン伯爵家を訪ねるのは、ライラとデニスの結婚式以来となる。
「イライアス兄さま! よく来てくだすったわ!」
リントン伯爵家の玄関ポーチで、黒い喪服に身を包んだライラの出迎えを受け、僕はデニスの死を再び実感する。
戦場において、士官の死は「数」だ。でも、故郷では一人の、夫であり、息子の死なのだ。
「イライアス兄さまが最期を看取ったと聞いて、わたくし――」
「ああ、偶然というか――運び込まれた患者がデニスだった。できる限りの処置はしたけれど、力及ばず申し訳ない」
「そんなこと――とても丁寧に遺品まで送ってくださって、最期に友人に看取られて幸せだったわ」
「……手紙にも書いたけど、ライラに最期の言葉を伝えてくれと言われたから」
僕は自分が帰還できない可能性も見越して、手紙にデニスの言葉を記して告げていた。
「でもやはり、直接、伝えるべきと思ってね。君を愛している、と言っていたよ」
「……デニス……」
ライラの青い瞳に見る見る涙が溜まり、あふれ出す。
僕はデニスの両親――リントン伯爵と夫人にもお悔やみを申し上げ、ライラの案内で真新しいデニスの墓に花を手向ける。
「イライアス兄さま、あのね……」
ライラが俯きがちに言った。黒いボンネットを被っているから、表情はよく見えない。
「デニスが出征してすぐに、わたくし、妊娠に気づいたの。……でも……」
「そうだったの……」
「デニスはすぐに戻るって言っていたのに、結局、四年――戦死の報せが入ったときは信じたくなかった。わたくしがせめてあの子をちゃんと産めていれば――」
僕は震えるライラの肩をそっと抱いて、宥めるように言った。
「医者として言うけれど、早期の流産の原因は、母体のせいではないんだよ。自分を責めちゃいけない」
「ありがとう、兄さま……でも、子供がいないから、跡継ぎはどうしたらいいのかって、お義父様が……」
僕はさきほど挨拶した、すっかり意気消沈したリントン伯爵の姿を思い浮かべる。貴族にとって、跡継ぎを失うことは自身の存在意義を失うに等しい。あるいは、流産したことで、ライラは義理の家族に詰られるようなこともあったかもしれない。
そして今回、わざわざ足を運んだ一番の目的をも思い出す。
ローズマリー・オルコット。
デニスの子を孕んだと主張し、それを否定されて追い出されたメイド。
もし、彼女が本当にデニスの子を孕んでいて、そして無事に出産していれば――それはデニスの忘れ形見となる。
僕はまだ、ローズマリー・オルコットの捜索を開始していなかった。
デニスの告白だけでは、ローズマリーを探す材料が少なすぎるのだ。
正確な年齢も容姿も不明だし、実家から姿を消した状況も曖昧だ。デニスが彼女と関係があったのは確かだろうが、本当に妊娠していたかどうかすら、定かでない。
僕はライラに気づかれないように、リントン伯爵にそっと耳打ちする。
「実は――デニスに最期に頼まれたことがあるのです。ライラには内緒で」
伯爵の、落ちくぼんだ眼窩の奥の、青い目が見開かれる。
「それは……」
「デニスの名誉にもかかわりますので、内密の話になるかと思います。お時間を取っていただけますか?」
「では、夕食後にわしの書斎に……」
そうして、僕は伯爵と二人きりになって、デニスの告白について告げた。
戦争がようやく終わって、僕は無事、帰還を果たした。
相変わらずの繁栄を見せる王都の賑わいは、戦場の悲惨さとあまりに違っていて、なんだか現実感がなく、僕はどこかふわふわとしていた。
「イライアス、無事に帰ってきてよかったわ。……ライラの夫は戦死だと聞いて、お前、彼とは同じ部隊だったのでしょう? 心配したのよ」
母に言われて、僕はデニスの死を思い出す。――最後の、遺言とともに。
「部隊は違いますよ。師団が同じでしたが。……デニスは、たまたま僕のいた野戦病院に担ぎ込まれて、僕が最期を看取りました」
「まあ……」
母の姪・ライラはヘンダーソン侯爵の令嬢だったが、十八で王国西部の街アーリングベリのリントン伯爵家に嫁いだ。それが五年前で、伯爵家嫡男で陸軍士官の夫、デニスは一年も経たずに戦地に向かい、そして戦死してしまった。もちろん、子供はない。
「リントン伯爵家は跡継ぎはどうするのかな?」
横で聞いていた兄アシュリーが、綺麗に調えた口ひげを撫でながら言えば、母は首を振った。
「さあ……デニス卿は一人息子と言っていたから、爵位は親族に移るのかしら?」
我が国は限嗣相続と言って、爵位も財産も、長男総取りが原則だ。
「他人事ではないね。我がマクミラン侯爵家もまだ、子供がいない。――うちは、イライアスが戻ってくれたからよかったが……」
兄に言われて、僕はなんとなく肩を竦める。
「僕が戦争に行っている間に、とっくに跡継ぎも生まれていると思っていましたのに」
「こればかりは天の配剤だからね。……時に、お前はこれからどうするんだ? また医局に勤めるのか?」
「いやもう、あの仕事はちょっと……」
僕は言葉を濁す。
侯爵家の次男である僕は、法的には爵位も財産も相続できずに家を追い出される定めにある。政治家になったり、事業を起こしたりする甲斐性もないので、とりあえず食いっぱぐれなさそうな職業として医者を選んだ。開業のための資金を貯めるのと、医師として経験を積むために、王都の王立病院の医局に勤めたのだけど――
僕はどうにもあの仕事が苦手で――厳密に言えば女の患者が苦手だった。だから、ちょうど戦争が起きて軍医を募集していると聞き、女の患者が少なそう、というかなり後ろ向きな理由で志願した。
戦争から戻っても、正直、元の仕事をする気にはならない。
「いろいろ、悲惨な現場も目にして疲れたし、ひとまず恩給もあるのでしばらくはブラブラしようかと――」
僕のやる気のない様子に、兄などは眉を顰めたけれど、母はおっとりと賛成した。
「そうね、まずはゆっくり休んで……お前もそろそろお嫁さんを見つけないと」
「無職では嫁探しもままならないと思いますが……」
兄が言い、僕はふと思いついて言った。
「実はライラのところを訪問しようと思うのです。デニスのこともあるし――」
「それがいいわ。ライラも気落ちしているようだし、慰めてあげてちょうだい」
母に言われて、僕はアーリングベリのリントン伯爵家に訪問を申し入れた。
デニスの遺体や遺品は、先に彼の家に戻り、すでに葬儀も済んでいた。
アーリングベリは王都から汽車で一日の距離にある、西の海に面した港街だ。リントン伯爵家を訪ねるのは、ライラとデニスの結婚式以来となる。
「イライアス兄さま! よく来てくだすったわ!」
リントン伯爵家の玄関ポーチで、黒い喪服に身を包んだライラの出迎えを受け、僕はデニスの死を再び実感する。
戦場において、士官の死は「数」だ。でも、故郷では一人の、夫であり、息子の死なのだ。
「イライアス兄さまが最期を看取ったと聞いて、わたくし――」
「ああ、偶然というか――運び込まれた患者がデニスだった。できる限りの処置はしたけれど、力及ばず申し訳ない」
「そんなこと――とても丁寧に遺品まで送ってくださって、最期に友人に看取られて幸せだったわ」
「……手紙にも書いたけど、ライラに最期の言葉を伝えてくれと言われたから」
僕は自分が帰還できない可能性も見越して、手紙にデニスの言葉を記して告げていた。
「でもやはり、直接、伝えるべきと思ってね。君を愛している、と言っていたよ」
「……デニス……」
ライラの青い瞳に見る見る涙が溜まり、あふれ出す。
僕はデニスの両親――リントン伯爵と夫人にもお悔やみを申し上げ、ライラの案内で真新しいデニスの墓に花を手向ける。
「イライアス兄さま、あのね……」
ライラが俯きがちに言った。黒いボンネットを被っているから、表情はよく見えない。
「デニスが出征してすぐに、わたくし、妊娠に気づいたの。……でも……」
「そうだったの……」
「デニスはすぐに戻るって言っていたのに、結局、四年――戦死の報せが入ったときは信じたくなかった。わたくしがせめてあの子をちゃんと産めていれば――」
僕は震えるライラの肩をそっと抱いて、宥めるように言った。
「医者として言うけれど、早期の流産の原因は、母体のせいではないんだよ。自分を責めちゃいけない」
「ありがとう、兄さま……でも、子供がいないから、跡継ぎはどうしたらいいのかって、お義父様が……」
僕はさきほど挨拶した、すっかり意気消沈したリントン伯爵の姿を思い浮かべる。貴族にとって、跡継ぎを失うことは自身の存在意義を失うに等しい。あるいは、流産したことで、ライラは義理の家族に詰られるようなこともあったかもしれない。
そして今回、わざわざ足を運んだ一番の目的をも思い出す。
ローズマリー・オルコット。
デニスの子を孕んだと主張し、それを否定されて追い出されたメイド。
もし、彼女が本当にデニスの子を孕んでいて、そして無事に出産していれば――それはデニスの忘れ形見となる。
僕はまだ、ローズマリー・オルコットの捜索を開始していなかった。
デニスの告白だけでは、ローズマリーを探す材料が少なすぎるのだ。
正確な年齢も容姿も不明だし、実家から姿を消した状況も曖昧だ。デニスが彼女と関係があったのは確かだろうが、本当に妊娠していたかどうかすら、定かでない。
僕はライラに気づかれないように、リントン伯爵にそっと耳打ちする。
「実は――デニスに最期に頼まれたことがあるのです。ライラには内緒で」
伯爵の、落ちくぼんだ眼窩の奥の、青い目が見開かれる。
「それは……」
「デニスの名誉にもかかわりますので、内密の話になるかと思います。お時間を取っていただけますか?」
「では、夕食後にわしの書斎に……」
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