ナッツに恋するナツの虫

珈琲きの子

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オメガの代わり

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「うげ! なんじゃこりゃ!」

 熱も下がり、無事動けるようになった俺はシャワーを浴びることにした。
 だがしかしだ、浴室の鏡に映る自分の体を見て、ただ愕然とすることになった。そのあまりに酷い状態に。
 体のありとあらゆる場所に手形やら引っ掻き傷やらが付いているのだ。しかも極めつけには肩から首へかけての歯型。全身が痛かった理由が今更ながら分かった。発熱だけで痛むわけがない。

「あんにゃろ……」

 栗栖は俺の熱が下がったのを確認すると早々に栗栖邸から出ていったから、風呂から上がっても文句を言う相手はいない。
 ちょっと選ばれて嬉しいとか思ってた自分を殴りたいぐらいだ。
 ぐぐっと怒り拳を握って、栗栖の顔を思い浮かべる。でも、思い浮かぶのは栗栖の笑顔ばかりで、胸がキュンってなってしまう俺はかなり重症だ。しっかりしろよ、俺の心。
 ただ、栗栖に痕を残されるというのは、存外悪くない…。求められたことが嘘じゃないっていえるから。
 押さえつけられて、中を掻き回されて、途方もない気持ちよさだったし、あの瞬間だけでも『栗栖のモノ』になったような感覚を得られた。

「ったく、俺まじでマゾかよ……」

 呟きながらも、思い出してしまう。自分の体を栗栖の手と舌と、そして唇が這ったことを。その事実に甘く脳を満たされて、どこかうっとりとした気持ちになる。

「ああ! 俺やっぱりおかしい!」

 首を振って得体のしれない気持ちを振り払い、首筋の歯型を撫でれば、ピリっと痛みが走った。皮膚はめくれてはいなかったけど、かなり執拗に噛まれたようで、神経が若干敏感になっている。

「…ほんと、なんなんだよ」

 と考えて、ふと思い当たることがあった。
 アルファの項を噛む習性だ。ベータの俺にだって、アルファがオメガの首を噛んで番にすることぐらい知っている。 
 結局はオメガを抱いているつもりで俺と体を繋げていると言うことなんだろう。ベータの項をいくら噛んだとしても番になんてならないし、ベータを使うのが最適なんだ。そんなの分かってる。最初から分かっている。知っているから傷つかなくて済む。
 
「それにしても、あいつなんであんな状態に……」
 
 こればかりはアルファやオメガ性について知識の乏しいベータには理解できないことだった。

 体を清めて、誰もいないリビングに足を踏み入れると、栗栖と俺がセックスに及んだ残骸は欠片もなく、いつも通りの無機質な空間が広がっていた。
 部屋の中心を陣取るローテーブルの上には俺の鞄と畳まれた洋服が置いてある。服を手に取れば、俺が来た時に着ていたものとよく似ているものの、確実に質が違うものだとわかった。
 
「買って来たのかよ……」

 全く以て分からない。
 栗栖の考えをベータの俺に分かれという方が間違っている。あいつの友達はみんな分かってるのか?
 今日も朝から栗栖の行動に一喜一憂させられ、俺は脱力感を感じながらも、破かれた記憶のある服の代わりに、ありがたく頂くことにして、俺には不釣り合いな服に袖を通した。
 この部屋を出れば、栗栖を眺め、たまに呼び出される日常へと戻るのだ。


「辻井」

 大学の構内を歩いていた俺を呼び止めたのは、栗栖と関係を持つきっかけとなった藤本だった。

「おう、どうかした?」
「……栗栖に呼び出されたって本当か?」
「え? ま、まあ」

 なんで藤本がそんなことを知っているんだろうと思いながらも、藤本の真面目な様子だったこともあって、肯定を匂わせた。
 俺の返事を聞いて、藤本がずいっと体を寄せてくる。

「な、どういう用事だった?」 

 その声色は先ほどまでの真面目な雰囲気とは打って変わって、茶化すようなものになる。けれど、興味や好奇心からの軽いノリではない。それはどことなく、少し強引な問いかけにも聞こえた。
 なんだ? 藤本ってこんなだったっけ?

「別に特に大したことじゃないって」
「いいだろ、ちょっと教えろよ」
「何にもないって」
「ホントかよ? ま、いいけどな、あんまり深入りすんなよ。栗栖サマのファンはそこら中にいるんだから、ちゃんと覚えとけよ?」

 藤本はにぃといつもの調子のいい笑みを浮かべて、俺の背中をどんと一つ叩くと、ひらひらと手を振りながら去って行ってしまった。
 
「なんなんだよ、全く」

 栗栖との関係がバレても特に問題ない。白昼堂々と栗栖は誘ってくるし、ベータとセックスに励んでいることも特に隠していないようなのだ。何度か栗栖の家でアルファと行き違いになったけれど、全く意に介せずといった様子だった。反対に空気を読んで帰って行くぐらいだ。
 ただ、今は栗栖のことを分かっていそうな藤本に対して胸がモヤモヤとして、どうも素直に答える気にならなかった。
 あいつみたいに栗栖と友人関係でいれたらよかったのに、って。何回かセックスしてるのに、まともに言葉を交わしたこともない。今回のことだって、俺は確実に被害者なのに、理由を知らされないなんて、酷いと思う。
 
「俺だって……」

 そんな呟きが漏れて、俺は慌てて口を噤んだ。
 俺は栗栖と約束したんだ。未練がましくしないって。それが、栗栖の傍に一秒でも長く居る方法。
 そう、美術品として栗栖のことを眺められたらいいだけ。そう。それだけ。
 
 俺は気付きかけた気持ちにふたを閉めた。


 
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