不可侵領域

千木

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「神父様のご両親は、いらっしゃらないのですか?」
「うん。俺は捨て子だからね」

 砂利を踏み、擦れる音が続く。街から少し外れた墓地への道は整備しきれておらず、コンクリートもレンガも敷き詰められてはいない。セイは捨て子、という言葉を聞いて眉を顰めた。残念なことに珍しいことではなく、だからこそ孤児院は必要とされているのだが、だからと言って許されることではない。しかしレンは淡々と話を続ける。まるで他人事のように。

「多分、目が見えないことが理由だとは思うけれど。物心ついた時には教会にいたし、両親のことはわからないから憶測になってしまうな」
「神父様って、施設生まれですか?」
「それもわからないけれど……わざわざ盲目の胎児を受け取ってから捨てるのはおかしいと思う。だからおそらく、番の間に生まれてはいるのかな……?」

 よく考えたことはなかった、とレンは言う。自分の出生について、曖昧なまま平然としていることがセイには不思議でならないが、そもそもレンは今まで自分のことに毛ほどの興味も無かったことは知っていたから、それについてはとやかく言わないでおいた。

「まぁ、障害を持つ子供を育てるのは大変だと思うしね。結果的には俺はちゃんと生きていて、君に会えているわけだから、別に良いかな」
「別に良い、とはならないと思いますけど……」
「どうであっても、過去は変わらないから。思いを馳せるほど長く生きてもいないし、今と未来を見ていたいと思うんだよ」
「まぁ、正論ではあります。思うところはありますが、貴方がそう言うならこれ以上私が言えることは無いですし」

 人気の無い道を進む。坂の向こうに古びた青い屋根が見えた。墓地の管理人小屋だ。そこの老人は優しいのだが少しズボラで、年齢の所為にして手入れを怠るような人間だと、セイは知っている。
 森の中とは違い、鬱蒼ともしていなければ険しい獣道でも無い。しかし慣れない場所では大変だろうと、セイはレンを気にしながら歩いていたが、本人はたいして不自由を感じている様子はなく、いたって普通に歩を進めていた。彼の持つ花束の香りが、時々鼻を掠める。

「毎回不思議なのですが、よく歩けますね。どうなっているのですか」
「うん?あぁ、慣れだよ」
「そればかりですね」
「そうとしか言いようがないんだけれど……。そうだな、《空気を読む》と言えば良いかな」
「……?」

 セイの返事が無いことに、苦笑を浮かべたレンは言葉の説明を付け加える。

「ものとものの間には空間……空気があって、その密度を肌で感じて、距離感を図ったりすることが多いんだ。あとは身体中の神経と、視覚以外の感覚を研ぎ澄ませれば、大抵はなんとかなるようになったんだよ」
「……そんなことが可能なのですか」
「実際そうやって生きているからね。最初は苦労したし、今もそれなりに疲れる。ずっと緊張状態、ということだから。だから出来ないことははっきり線引きをして、余計な力は抜くようにしているよ」

 そして、その生き方を教えてくれたのはあの主任なのだと、レンは言った。セイにとってはあまり良い印象の無い彼だが、幼い頃から教会に居たレンにとっては親のような存在なのだろう。だからこそ風習に辟易していても、逆らえずにいたのだろうし。
 けれど今はどうなのか。大丈夫なのだろうか。彼の立場もあるけれど、恩人を裏切っている後ろめたさを感じてはいないのだろうか。じっと彼の顔を見ると、すぐに気づかれ顔を向けられた。そして穏やかに微笑まれる。

「心配してくれているでしょう」
「!」
「大丈夫、俺は君といることを諦めたくない。何でも丸くおさまるような立場でも場所でもない。何かを捨てずには前に進めないからね」

 何も言っていないではないか、とセイは顔を背けた。おそらく先ほど説明された《空気を読む》感覚で、人の感情の機微も掴めるまでになっているのだろう。まったく理解しがたいが、今に始まったことではない。彼には何度も、言外の言葉を把握されているのだから。それでも自分には出来ないことに、セイは口を尖らせた。

「すぐ見抜いてくるの、あまり好きではないです」
「そう?ごめんね。でも君、結構わかりやすいよ」
「言われたことがありませんけど」
「凄く優しいし、結構心配性だから、それが滲み出ているんだと思うよ」
「……」
「どうして君が、自分のそういう部分をやたらと否定するのかわからないけれど」
「…………」
「あ、もしかして照れ屋、」
「もういいです。行きますよ」

 レンの手を握って、セイは歩き出す。少しだけ大股で、レンの少し前を行く。言葉を遮られたレンは手を引っ張られながら、気づかれないように笑った。

「(そういうところだよ。可愛いんだから)」

 レンを置いて行かないところも、手を繋いで導いてくれるところも、レンを焦らせるような速さで歩かないところも。すべてが愛おしいが、これ以上彼女の臍が曲がっては大変だから。言葉を胸にしまって、黙って導きに従う。
 こつりと爪先に小石が当たって、跳ねる音がした。

ーー。

 整然と並ぶ墓石の中の二つ。その墓前には枯れた花すら添えられてはおらず、そればかりか表面に苔さえ生えてしまっていて、セイは顔を顰めた。

「さすがに親不孝でしたね……。ごめんなさい、お父さん、お母さん」

 行き際に管理人に借りて来た掃除道具で、墓石を洗い出す。手伝おうとしたレンを制して、ゆっくりと丁寧に。それほどしつこくない苔は簡単に剥がれ、すぐに刻まれた文字が浮かび上がった。両親の名前を指でなぞり、セイは少しだけ寂しそうに微笑む。

「……ご両親は、どうして亡くなったの?」

 レンの問い掛けに、セイは立ち上がって振り向いた。

「火事です。私だけが助かりました。というか、両親が私を助けてくれたんです」
「……」
「当時はだいぶ苦しかったです。大切な二人は亡くなって、私だけが生き残ったこと。父方の祖父母にあたる人たちが番を重んじるタイプで、番でなかった両親は駆け落ち同然で一緒になったから、もちろん私を引き取ってくれるわけもなくて」
「……そう」
「だから墓参りに来る人も私以外にいないんです。もっと定期的に来なくては……」

 汲んできた水を掛け、しっかりと磨く。それから掃除用具を片付け終えると、レンに声を掛けた。レンは徐に膝をついて、持っていた花束を二人の墓前に供え、十字架を切った。それにセイも続く。
 静寂に風が吹き、白い花たちが揺れた。

「凄く、失礼かもしれないけれど……セイを助けてくれたことに、俺は感謝しなくてはいけない。君が今生きていることを、幸せに思うよ」

 広く視界の開けた墓地に、他に人の姿はない。丈の低い草がそよそよと靡いて、足元を擽る。レンの言葉に、目をゆっくりと開いてから、セイは笑いかけた。

「失礼なものですか。とても嬉しいですし、私もそう思っています。両親もきっとうかばれますよ」
「なら良かった。……大切な娘さんは、きっと幸せにしてみせます。だから……」
「……神父様、」
「なんてね。意味の無いことだ。けれど、どうしても言いたかったんだよ」
「はい。私も伝えたかったから、貴方と来られて良かったです」

 目の前に在るのは、ただの石だ。そこに魂は無い。それでも、生きている間には伝えることが叶わなかった報告だ。きっと生きていたら、喜んでくれただろうか。ぼんやりとした記憶の中で、少しだけ顔が見えた気がした。

「でも、こうまでしたら貴方は私をそう簡単には捨てられなくなりましたよ?心変わりは人の常ですが、言質はいただきましたから」
「おや、まだ疑われていたとは思わなかったな。残念ながら、俺は好きなものには執着する性格でね。離すつもりは無いから安心して?」
「ふふ、怖い怖い。肝に銘じておきましょう」

 二人で笑ってから、立ち上がる。とても静かだ。二人の立てる音も声も、風に攫われ高い空に消えていく。それでも確かに言葉はあって、心に残っていた。肝に銘じるまでもなく、ほどよく疑って、たいそう信じていれば良いのだ。そして愛し愛されていれば、きっとそれで良い。
 真っ直ぐ墓石に向き直る。それから十分に笑って、優しい声音で、言葉を紡いだ。

「また来ますね。お父さん、お母さん」
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