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第十章 死の病 10-1 POV:ミスト

第195話:黒い男

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◇◆◇

 ──息苦しくて目が覚めた。

 何かに圧し潰されそうになっていた。
 どうにか押しのけて外に出ると、辺りは一面深い霧に覆われていて濃い鉄の匂いがした。

 私に覆いかぶさっていたのが母だと分かった。
 すぐ近くに父と妹がいた。
 隣の家のおばさんとおじさん。
 それから、三軒隣の家に住んでいた叔父がいた。

 全員死んでいた。

 「あそこに幼い子が」と、誰かが遠くで言った。
 辺りは真っ白で何も見えない。でも、男の声だった。

 私も殺されるのだろうか。
 怖いけれど、別にいいか、とも思った。
 異様な状況で、自分の考えもおかしくなっていたのだと思う。

 地面を踏みしめる音が近づいてきて、真っ黒な大男が現れた。
 長いフード付きの外套に黒い服。ブーツも黒。身に着けている何もかもが黒かった。
 髪だけが金色に輝いていた。

「お前の両親か」

 黒い男が言った。
 頷いた。

「名は何という」
「わかんない」
「ここが何という町か分かるか」
「……ううん」
「もともと知らなかったのか?」
「知ってた。名前もあった。……と思う」
「思い出せないか」

 頷いた。
 自分でも信じられなかったが、両親の名も自分の名も、可愛がってくれていた叔父の名も覚えていなかった。初めのうちはボンヤリ分かっていたけれど、まるで川に流されたかのように消えていった。

「俺も肉親を殺された。お前の親を殺した奴の親玉にやられた」

 黒い男はしゃがんで私と視線を合わせた。
 そして少し声を小さくして、「俺も何もかも忘れてしまいたい」と言った。

「お前はどうしたい? 悪い奴から逃げるか、悪い奴と戦うか、それとも何もしないか。それに良い場所へ連れていってやる」
「戦う」
「……あのな、お前くらい小さな子どもは普通『逃げる』とか『わかんない』と言うのだぞ? 『怖いのはヤダ』とかな」
「でも戦う」
「わかった。もし途中で嫌になったら俺に言え」
「うん。オジサンは誰?」

 黒い男は声を押し殺して笑った。
 そして「まだ『お兄さん』だぞ?」と言うと、また笑った。

「カールだ。何も思い出せないのでは不便だろう。まずは食事をしながら一緒に良い名前を考えよう」
「うん」
「しとやかで可愛い名前とカッコイイ名前、どっちがいい?」
「カッコイイ名前」
「……そうか、分かったよ」

 いつものくせで、母に「行ってきます」と言いそうになった。
 振り返ろうとすると、黒いカールに制止された。

「振り返るな。お前の後ろには悪夢しかない。何も覚えていないのなら、ここから先は前だけを見て生きろ」
「……オジサンはカタキを討つの?」
「難しい言葉を知っているな。幼い子どもに話すようなことではないぞ」

 黒いカールは少し考えていた。

「しかし、民の質問にはすべて答える主義だ。……俺は何十年かかろうと仇を討つ」
「そのときは教えてくれるの?」
「いいだろう。そのときは教える。一緒に戦いたいと思ったら一緒に来ればいい」
「うん」
「それまではたくさん勉強しろ。戦う以外の生き方も学べ。仲間を作り、楽しいことも経験しろ」

 黒いカールは私を抱き上げ、別のオジサンに「随分と肝の据わった子どもだ。最近の子は皆こうなのか?」と言った。

 彼は私にミストという名を与え、食事と安心して寝られる場所を与え、服を与え、教育と仕事を与えてくれた。
 時々会うと、「息災か?」と聞いてきた。
 私が「うん」と答えると、最近何を学んだかを聞かれた。
 あれとこれと……と説明すると、相槌を打ちながら私の話を全部聞いた。

「何が一番好きだ?」
「算術。でも、女子は授業の数が少ない」
「もっと勉強したいか?」
「うん」
「苦手なのはどれだ?」
「お行儀」
「嫌いな理由は?」
「教わってないから分からないだけなのに、先生がいきなり叱ってくるから意味が分からない」
「正論だ。いきなり叱らない別の先生だったら嫌ではないのか?」
「うん」
「放課後に別の先生が寮まで来て、授業よりも先に軽く教えてくれると言ったら?」
「嬉しい。授業で分からなかったことも聞きたい」
「よし。ではそうしよう」

 王都立の平民しかいない学校だった。
 寮に入っている子の中で、家庭教師がついている生徒なんて私ぐらいしかいない。
 黒いカールのおかげで私は恵まれていた。

 王都特務師団のウラ部隊に入り、数少ない特級特務師になった。
 黒いカールが王兄殿下だと知ったのは入団のときだ。

 今、黒いカールは、上司の上司の上司の……そのまた上司の上司くらいのところにいる。
 金髪は白いところが増え、黒くない服を着ている。最近見かけるときは眉を吊り上げて誰かを叱っていることが多い。


 「──ちょぉ、ミストぉ、聞いてぇー?」と、同僚のイヴが気の抜けた声を出した。

「こっちまでやる気なくすような声を出すな」
「なんかさぁー、また騎士様が来るらしいんだよぉ」
「そうなんだ」
「もうさぁー、やめとけっつーの……こっちは毎回教え損じゃんねえ?」
「教えるのはいいけど、いばり散らされるのが嫌いだ。意味が分からないし」

 特務師の訓練に騎士が参加するのは珍しいことではない。
 私たちは騎士とは違って諜報活動が主な任務。剣のように目立つ武器は携帯できないことがほとんどだ。
 情報を持って帰るところまでが任務だから、極力戦闘は避けるのだけれど、万が一やるとなったら小さな武器での接近戦か、飛び道具を使って剣や槍よりも長い間合いで戦うのが主流だ。

 ウラの特務師が接近戦で使う武術『クーラム』を習いたがる騎士は多い。
 だいたいが護衛をしているような人達で、敵が特務師だった場合を想定して対抗する術を身に着けたくて来ているようだ。
 ところが、単純に職務経歴書に箔を付ける目的で来る輩も多く、訓練所内での態度にもおおいに問題があった。
 王都を守るご立派な職業であるにも関わらず、騎士様は、この訓練所では歓迎されざる者だった。
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