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絵を描くために必要なものは
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瞼を閉じても明るさは分かる。手で覆って光を完全に遮っても闇の中で蠢く何かが見える、もやもやとした言いようのない何か……毛布の裏側のような顕微鏡を覗いた先のような物が見える。
サンには何か見えているのだろうか。前述の通り、俺には目を閉じても何かが見える。瞼の裏を見ているのだろう。そもそも視力がないサンの景色を再現出来ているとは思えない。
サンはどんな夢を見るのだろう。夢にもやはり光はないのだろうか、絵を描く彼には風景を思い描くことなんて容易なのだろうか。もし風景を思い描いているのなら、それはどんな世界だろう。空は青いのか? 俺の知っている青とサンの脳内の青は同じ色なのか?
(絵のモデルと言いましても、脱いだり何時間も同じポーズ取ったりする訳ではないので、あんまりモデルやってる感ありませんなぁ)
サンが絵の具を紙に置いていく姿をぼうっと眺める。俺が今座っている位置からでは、どんな絵がどんな風に作られていくのかなどは全く分からない。けれど俺はサンの背後に回って絵を覗き込んだりするつもりはない、俺が見たいのはサンの絵ではなく絵を描くサンの顔だ。
「退屈?」
「へっ?」
「吐息の感じが退屈そうだったよ。別にボクは今のアンタを描き写してる訳じゃないから、ネットサーフィンでもゲームでも好きにしてていいよ」
「……サンの綺麗な顔眺めてたから別に退屈じゃなかったよ」
「そう? じゃあさっきのはうっとりな吐息だったのかな」
「ちょっと移動していい?」
「いいよ」
何かを持つ手というのはセクシーなものだ。重い荷物なら筋が浮かび、筆のように軽く小さく繊細な扱いを求められる物なら普段見ることない指の曲がりが見られる。
「…………あはっ、今のは分かりやすかった。ボクに見とれてた感じの吐息だったよ」
「全部お見通しなの恥ずかしいなぁ……でもそれなら俺がサンにどれだけ本気かも分かるよね? 付き合って欲しいんだけど……」
「やーだ」
くすくすと無邪気に笑いながらの返事にちくりと胸が痛む。交際を真剣に考えさせることも出来ていない自分が不甲斐ない。
「…………退屈でしょ? 並行作業得意だから返事くらいはしてあげられるよ?」
「分かった、頑張って口説く」
邪魔にならないようにと黙っていたけれど、サンの方からそう言ってくれるのなら遠慮はいらない。
「サンは俺の顔気に入ってるんだろ?」
「すごくイイ造形だと思うよ、自然の産物に適わないことを見せつけられるのは表現者として悔しいけれど光栄だね」
「俺の顔好きなら俺と付き合ってよ」
「あはっ、二点」
それはまさか口説き文句の採点か? 手厳しい。
(うむむ……今までの彼氏はどう口説きましたっけ? 超絶美形なのであんまりわたくしからグイグイ行かなくてもコロッと落ちてきてくれたような)
十一人も彼氏が居るのにサンの琴線に触れる言葉の一つも思い付かない。俺は顔に甘え過ぎだ。今居る彼氏をより惚れさせるためにももっと人間的な魅力を磨かなければ。
「…………サンさぁ、好きなタイプとかある?」
「合わせる気? 悪いけど、ボク誰かを好きになったこととかないんだよね」
「そっかぁ……でも前俺に勃ったじゃん、さっきもムラムラしたって言ってたし……これはもう付き合うべきじゃないかな!?」
「性欲と恋愛は別でしょ。ボク絵のモデルかペッティングしたい時以外でアンタ思い出すことないし」
心が折れそう。
「そもそも恋人って何すんの? 男同士じゃ結婚出来る訳でも子供作れる訳でもないのに……まぁボクは種なしだから女の子相手でも無駄なんだけどさ」
「結婚や子作りだけ目的にする恋愛なんかないよ! もっとこう、好きって……会いたいって、知りたいって、そういう感情……? だと思う」
「…………悪かったよ、反省する」
何を? と聞くまでもなくサンは静かに語り始めた。
「絵のモデルだけ依頼すればよかったね、ちょっとムラついたからって手ぇ出してごめん。そんな本気になると思わなかった、ガキ舐めてたよ」
俺はからかわれていると気付けず本気になった間抜けなガキなのか? 粘り強く口説けば応えてもらえるなんて、俺の勝手な思い込みに過ぎないのか?
「…………水月?」
突然黙ってしまった俺を不審に思ったのか、滲んだ視界の中で彼が筆を置くのが見えた。
「水月……」
鼻を啜ったらバレてしまうと手で目や鼻を静かに擦ったが、間に合わなかった。サンの大きな手が俺の顔包んだ。
「泣いちゃうなんて…………ごめんね?」
「泣い、てっ……ないっ」
「せっかくのスベスベほっぺが濡れてるよ、声も……泣いてる。見えてなくてもそれくらい分かるよ」
「泣いてないっ……!」
絵の具がついた指にむにむにと頬を揉み撫でられる。
「……なんだろ、この感覚……心臓がキュってなってる、なんか痛い……走った時とは違う、なんだろ……初めてだこんなの。病気とかじゃないよね」
ぶつぶつと言いながらサンは俺の頬から手を離し、自身の胸元をぎゅっと掴んだ。
「………………いい絵が描けそうな気がする」
俺のことが頭から抜けてしまったらしいサンは再び筆を持った、極彩色の手の跡が白っぽいタートルネックに残っていた。
サンには何か見えているのだろうか。前述の通り、俺には目を閉じても何かが見える。瞼の裏を見ているのだろう。そもそも視力がないサンの景色を再現出来ているとは思えない。
サンはどんな夢を見るのだろう。夢にもやはり光はないのだろうか、絵を描く彼には風景を思い描くことなんて容易なのだろうか。もし風景を思い描いているのなら、それはどんな世界だろう。空は青いのか? 俺の知っている青とサンの脳内の青は同じ色なのか?
(絵のモデルと言いましても、脱いだり何時間も同じポーズ取ったりする訳ではないので、あんまりモデルやってる感ありませんなぁ)
サンが絵の具を紙に置いていく姿をぼうっと眺める。俺が今座っている位置からでは、どんな絵がどんな風に作られていくのかなどは全く分からない。けれど俺はサンの背後に回って絵を覗き込んだりするつもりはない、俺が見たいのはサンの絵ではなく絵を描くサンの顔だ。
「退屈?」
「へっ?」
「吐息の感じが退屈そうだったよ。別にボクは今のアンタを描き写してる訳じゃないから、ネットサーフィンでもゲームでも好きにしてていいよ」
「……サンの綺麗な顔眺めてたから別に退屈じゃなかったよ」
「そう? じゃあさっきのはうっとりな吐息だったのかな」
「ちょっと移動していい?」
「いいよ」
何かを持つ手というのはセクシーなものだ。重い荷物なら筋が浮かび、筆のように軽く小さく繊細な扱いを求められる物なら普段見ることない指の曲がりが見られる。
「…………あはっ、今のは分かりやすかった。ボクに見とれてた感じの吐息だったよ」
「全部お見通しなの恥ずかしいなぁ……でもそれなら俺がサンにどれだけ本気かも分かるよね? 付き合って欲しいんだけど……」
「やーだ」
くすくすと無邪気に笑いながらの返事にちくりと胸が痛む。交際を真剣に考えさせることも出来ていない自分が不甲斐ない。
「…………退屈でしょ? 並行作業得意だから返事くらいはしてあげられるよ?」
「分かった、頑張って口説く」
邪魔にならないようにと黙っていたけれど、サンの方からそう言ってくれるのなら遠慮はいらない。
「サンは俺の顔気に入ってるんだろ?」
「すごくイイ造形だと思うよ、自然の産物に適わないことを見せつけられるのは表現者として悔しいけれど光栄だね」
「俺の顔好きなら俺と付き合ってよ」
「あはっ、二点」
それはまさか口説き文句の採点か? 手厳しい。
(うむむ……今までの彼氏はどう口説きましたっけ? 超絶美形なのであんまりわたくしからグイグイ行かなくてもコロッと落ちてきてくれたような)
十一人も彼氏が居るのにサンの琴線に触れる言葉の一つも思い付かない。俺は顔に甘え過ぎだ。今居る彼氏をより惚れさせるためにももっと人間的な魅力を磨かなければ。
「…………サンさぁ、好きなタイプとかある?」
「合わせる気? 悪いけど、ボク誰かを好きになったこととかないんだよね」
「そっかぁ……でも前俺に勃ったじゃん、さっきもムラムラしたって言ってたし……これはもう付き合うべきじゃないかな!?」
「性欲と恋愛は別でしょ。ボク絵のモデルかペッティングしたい時以外でアンタ思い出すことないし」
心が折れそう。
「そもそも恋人って何すんの? 男同士じゃ結婚出来る訳でも子供作れる訳でもないのに……まぁボクは種なしだから女の子相手でも無駄なんだけどさ」
「結婚や子作りだけ目的にする恋愛なんかないよ! もっとこう、好きって……会いたいって、知りたいって、そういう感情……? だと思う」
「…………悪かったよ、反省する」
何を? と聞くまでもなくサンは静かに語り始めた。
「絵のモデルだけ依頼すればよかったね、ちょっとムラついたからって手ぇ出してごめん。そんな本気になると思わなかった、ガキ舐めてたよ」
俺はからかわれていると気付けず本気になった間抜けなガキなのか? 粘り強く口説けば応えてもらえるなんて、俺の勝手な思い込みに過ぎないのか?
「…………水月?」
突然黙ってしまった俺を不審に思ったのか、滲んだ視界の中で彼が筆を置くのが見えた。
「水月……」
鼻を啜ったらバレてしまうと手で目や鼻を静かに擦ったが、間に合わなかった。サンの大きな手が俺の顔包んだ。
「泣いちゃうなんて…………ごめんね?」
「泣い、てっ……ないっ」
「せっかくのスベスベほっぺが濡れてるよ、声も……泣いてる。見えてなくてもそれくらい分かるよ」
「泣いてないっ……!」
絵の具がついた指にむにむにと頬を揉み撫でられる。
「……なんだろ、この感覚……心臓がキュってなってる、なんか痛い……走った時とは違う、なんだろ……初めてだこんなの。病気とかじゃないよね」
ぶつぶつと言いながらサンは俺の頬から手を離し、自身の胸元をぎゅっと掴んだ。
「………………いい絵が描けそうな気がする」
俺のことが頭から抜けてしまったらしいサンは再び筆を持った、極彩色の手の跡が白っぽいタートルネックに残っていた。
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