魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十四章 海面より浮上する理想郷

永遠に二人で眠ろう

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ここは山の麓、辺り一体に鬱蒼と並ぶ木々は地面に日光を届かせない。そう、辺り一体が影になっているのだ、木の葉の影も兄の影もクトゥルフの影も関係なく、僕の影と溶け合い一つになっている。

『……殺せ』

クトゥルフの背後、深淵と化した影から飛び出した禍々しい黒翼に命令する。

『仰せのままに……私の神様』

瞬きの間にクトゥルフの身体が真っ二つに裂ける。アルを引き裂いた時のように、頭を鷲掴み肩を握り、両手を広げて鮮血を浴びるルシフェル。その翼と光輪の禍々しい美は初めて僕に憎悪を湧かせなかった。

『……おいで』

掴んだ頭と肩をついでに握り潰し、血まみれの手で優しくクラールを掬い上げたルシフェルは十二枚の黒翼を揺らして僕の前にやってくると跪いて微笑んだ。

『どうぞ、私の神様』

クラールを受け取って無傷を確認し、震える小さな体に唇を触れさせる。震えが落ち着いたらアルの翼の中に隠れさせ、手を離す前に頭を撫でる。

『ルシフェル、お疲れ様』

鎖を揺らしただけで緊急事態に気付くなんて、鎖に流した魔力から命令を読み取るなんて、それを完璧に熟すなんて──流石は元天使長様。
まばらに赤く染まった長い金髪を整えるように髪を撫で、作り笑いで労う。そうするとルシフェルは嬉しそうに自分を抱き締め、赤い瞳を細めた。

『さ……て、どうしようかな。ルシフェル、不死身を殺す方法は』

『再生しようとも生存できない空間に放り出す……辺り、かなぁ?』

魚でなければ海底に沈めるだけでよかったのだが、魚だけなら乾いた地に縛り付けるだけでよかったのだが、そうはいかない。
脳を完全に破壊されているからか大した動きは見せていないが、横長の瞳孔は確かに僕を睨んでいる。

『弟、早く手を打たないと。こいつもうテレパシーを漏らしてる、こんな高出力抑えるの大変なんだよ』

魔法陣が肉塊と肉片の周囲に幾つも浮かんでいる。ヒビが入っては修復され、割れては新しいものが浮かんでいた。

『この星の外に放り出せば、どうかな……』

「ま、待ってよ……魔物使い君、りょーちゃんは? りょーちゃんはどうなるの?」

ツヅラをクトゥルフから剥がすのは不可能だ。血統で決まってしまっていることはどうにも出来ない。僕だってツヅラには好意的な感情を持っているが、それとこれとは話が別だ。
僕は零から目を逸らし、ツヅラでいて欲しかった肉塊に手を伸ばす──

「……りょーちゃんに触らないで!」

一瞬で肘から下の手が凍りつき、零に叩かれて砕け散る。

『ぐっ、ぅ…………れい……さん』

痛覚を消し直すのを忘れていた。砕ける際の振動が骨に響き、低温が断面を絞るような痛みを与え、凍った断面が再生を進ませない。

「ぁ……ご、ごめ…………ぇ?」

謝ろうとした零は自分の目と鼻から血が流れているのに気付いた。兄に目配せし、僕にかけようとしていた治癒魔法を零にかけさせる。しかし、零は治癒魔法を受けた直後に血を吐いた。

『……寿命だ、無茶苦茶やるからだよ』

その言葉にヘルメスが似た危機に陥っていたことを思い出す。

『え……そ、そんなっ……じゃあ僕が加護なんか渡したから……零さん、今すぐ使うのやめてください、えっと、解除、加護の解除ってどうやるんだっけ……』

慌てる僕の手を零が掴む。白目は真っ赤に染まり、顔も血で赤く染まっていた。そんな恩人の姿を見るのは耐えられなくて、掴まれた手が震え始めた。

「……解除なんてしないで。君のせいじゃない……零の寿命は、元々この辺りなんだぁ……加護を与えてくれる天使様が君に代わる前から……零の身体はボロボロだったからぁ」

する……と手が解け、零はツヅラの姿を取り戻しかけている肉塊の上に倒れ込む。

「りょーちゃん……やっと、覚悟できたよぉ。ごめんねぇ……待たせて」

再生途中の蠢く肉に顔を埋め、食いちぎり、飲み込んだ。

「……っ、は、意外と……美味しい、ねぇ……」

顔を覗き込めば血は止まっていて、白目の充血も治まっていた。

「…………魔物使い君。海水はテレパシーを遮断できるんだよねぇ、深海ならテレパシーは地上まで届かないんだよねぇ、海底ならりょーちゃんは君達には無害なんだよねぇ」

零の行動に度肝を抜かれた僕は何も答えられなかった。
零がツヅラを食った? ツヅラは人魚で……人魚の肉を食うと不死身になるから……零はもう不死身?
ぐるぐると考えているうちに零はツヅラを氷の中に閉じ込め、優しく抱き上げた。

「……零が連れていくから。ずっと一緒に居て、溶けないように見張るから。だからぁ……お願い、りょーちゃんに酷いことしないで……」

『な、何……言ってるんですか、連れてくって……』

「お兄さん、最後のお願いいいかなぁ。零とりょーちゃんを一番深いところに連れて行って欲しいんだぁ」

零は僕を無視して兄に話しかけ、兄は簡単に肯定の返事をした。

『待ってください僕も凍らせられます! にいさまも出来る! 零さんが一緒に海底になんて、そんなことする必要ない!』

「……魔物使い君の力で凍らせ続けるのは無理でしょ? 忙しいのに……海底に力を送り続けて集中し続けるなんて無理だよぉ。だから零が中継器になるんだよぉ」

『大丈夫ですやれます! にいさま……そうだ、にいさまは分裂できますから……!』

自己犠牲の優しい微笑みを浮かべていた零から笑顔が消える。疲れたようにため息をついて、冷たい水煙色スプレイグリーンの瞳を虚ろなまま僕に向けた。

「…………もういいから」

『え……?』

「……雪華も零の元には残らない、君も零の弟子には収まってくれない……零の兄弟でいてくれるのはりょーちゃんだけ、零にはりょーちゃんだけ、りょーちゃんだけでいい、もういい、もう疲れた、もう解放して、もういいから、もう生きたくないから」

分厚い氷越しにツヅラの頭を撫でながら、本当に僕の方を向いているのかも分からない目を僕に向け続ける。

「りょーちゃんは死ねないから、りょーちゃんと一緒に死ぬにはこれしかないんだぁ。ずっと前から考えてたんだぁ、誰にも邪魔されない静かな場所でりょーちゃんと眠りたいって……だからぁ、魔物使い君…………邪魔、しないで?」

『な、に……言ってるんですか? 零さん……』

僕に背を向けて兄に軽く頭を下げる零の腕を掴もうと伸ばした手は兄に止められた。

『理解したよ、君の願望。利害も一致してるし同情したからちゃんと叶える、僕しか知らない誰にも辿り着けない寒くて暗い海の底に送ってあげる』

「…………ありがとう」

零の足元に魔法陣が描かれ始めると同時に零が爪先から氷に覆われていく。自身も凍らせようというのか。どうしてそこまでできるんだ。

「……魔物使い君、最後に……教えてあげるね」

一瞬だけだったけれど僕は彼の弟子だったから、恩師の最期の言葉だから、聞き逃すまいと髪をどけて耳を出した。

「神様なんて居ないよ」

満面の笑みでそう言って、分厚い氷の下でその笑顔は永遠になった。声をかける暇もなく空間転移の魔法が発動し、零もツヅラもその場から消え、僕の足からは力が抜けた。

『…………おとーと』

『どうして。どうしてっ……なんでだよっ! なんで聞いたんだよ、止めろよっ! 他に方法あっただろ!? ツヅラさんは仕方ないとしても零さんはどうにでもなった!』

『……彼の願いは君には分からないの?』

友人のために不死身になるのも、友人のために悠久を海底で過ごすのも、友人のために自らを氷漬けにするのも、僕にはできない、理解もできない。

『零さんは僕の恩人なのに! 零さんが居なきゃアルに再会できなかったのに! どうしてっ……なんで…………やっぱりお前は変わってない、人の心なんかどうでもいいんだ。人の苦痛が、不幸が、何より嬉しいんだ……』

『………………おとーと、僕は』

『黙れ! 黙れっ……だま、れ……』

蹲って啜り泣くと兄は僕に話しかけるのを諦める。

『……ん? 耳鳴りが。治ったぞ。煩くない』

『あぁ……テレパシーの影響が消えたんだね』

二人の人間を寂しい海底に捨てたくせに平気で話している。そんなふうに思ってしまう自分が嫌いだ。零の願いを認められない自分が嫌いだ。嫌い、嫌い、大っ嫌い、こんな屑消えてしまえば──

『あ、アルちゃんも治った?』

『…………ヘル』

寒くて仕方なかった僕に温かい身体が寄り添う。

『どうした、何を泣いている……私のヘル、愛しい旦那様、顔を上げて』

この体温さえ傍にあればいいと寂しさも悲しみも捨ててしまう自分が嫌いだ。
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