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第三十四章 美麗なる妖狐は壮大な夢を見た
真実の追求
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マンモンを残し、僕達は酒色の国の元アシュ邸に戻った。ヴェーン邸は跡形もなく焼けてしまったし、兄が居ないので修復する術もない。
アスタロトが嘘を吐いたのかどうかも、兄の行方も、玉藻を捕らえることも、全てマンモンの鞄で解決してしまおうと思っていたのだが、彼らを引っ張り出した後の面倒臭さを想像して今日はもう休もうと結論を出した。
ベルゼブブは淫魔達と共に街の復旧を寝ずにやるとのことで、僕は何故か見覚えのあるアシュの部屋で休むことにした。アシュがどこに行ったのかも気になるけれど、今だけは忘れてしまおう。
『……ヘル、寝ないのか』
ベッドに腰掛けてとっくに乾いた髪を弄っていると翼と身体を乾かし終えたアルが隣に飛び乗ってきた。
『何を憂いているんだ?』
『憂う……なんて、そんな』
角も翼も、何もかも消して人間と同じ姿に戻った。アルはどちらの見た目が好みだろう。
『死が訪れないと言うのは辛い事だろう。けれど、私を置いて行く事も私に置いて行かれる事も無いんだ。私と永遠に共に在れる。嬉しいだろう? ヘル……貴方の大好きな私だぞ?』
僕を元気付けようとしているのか、アルは自信たっぷりな口調で僕に擦り寄る。それはアルの予想以上の効果があった。
『…………済まない、忘れてくれ』
すぐに恥ずかしくなって背けた顔も可愛らしくて、思わず笑みが零れた。
『……ヘル?』
頭から背にかけて撫でれば小首を傾げ、それから気持ち良さそうに目を閉じる。擦り寄る身体が愛おしくなって抱き締めた。
『ねぇ……アル、いい?』
『…………全て貴方の望むままに』
『ありがと、アル。大好き』
首飾りは僕の瞳と同じように淡い多色の輝きが交じって揺れている。精神状態は良好、目で分かるのは恥ずかしさもあるが便利さが勝る。
無意識にシーツを破る鋭い爪や、同じく無意識に足に絡められる尾に可愛らしさを感じながら、長い夜を越した。
早朝、何をするでもなく窓を開けて外を眺める。アルはまだ眠っているけれど、隣で眠る気にはなれなかった。人でなくなったからなのか、食欲も睡眠欲も大して湧かない。暇があれば眠っているアルやふと見れば何かを貪っているベルゼブブには尊敬すら覚える。する必要のないことをするなんて僕には出来ない。
『元々好きじゃないしなぁ……』
眠るのはそれ以外にやる事がないから、現実から逃げたいから、目覚めない未来が訪れてくれるかもしれないから。やる事はなくてもやるべき事はあるし、現実からは逃げ切れない、眠っている間に死ぬ希望は消えた。
食事をするのはしろと言われるから、お腹が空くから。舌が鈍くて美味しさを皆のように楽しめないし、殴られた時に吐く苦しさを考えれば胃は空っぽにしておきたい。
『…………にいさまのばーか』
どんな力を持とうと、人でなくなろうと、幼い頃に虐待された傷は癒えない。常に他人を疑って幸福を全身で享受出来ない。
『……アルー、ねぇ、アル……起きて』
独りで考えるのは良くない。気分が沈む。首飾りの石の色が鈍くなっていくのに気付いた僕はアルの腹に顔を埋め、癒しをねだった。
『ん……』
『……起きた?』
アルは僕を抱き寄せるように尾を緩く絡めた。
『…………ヘル、あぁ、おはよう。もう朝か……腰が重い……済まない、もう少し寝かせてくれ』
疲れなんてすぐに消えるくせに、眠気なんて本物ではないくせに、アルは再び目を閉じた。
『気分的なものでしょ、起きてよー……暇』
やるべき事は沢山あるけれど、気分じゃない。でも何をする気分なんだと聞かれても困る。今は何もしたくない。
『……暇、と言われてもな。子供のように走り回って遊びたい訳でも無し、話したいのならそのままそこで話すといい』
黒蛇が背中の上でうねって僕の背を撫でる。寝かしつけるような動きだ。
『私も普通の生き物のような睡眠は取れない、貴方が話す限り返事が出来なくなる事は無いさ。さぁ、好きなことを話せ』
『…………昨日のことなんだけど』
『あぁ、何だ?』
腹の上に横向きに顔を置いても鼻や口に銀色の柔らかい毛が入り、擽られる。
『華陽……とかいう玉藻の化けた奴さ、好みだった?』
『何を言うかと思えば』
『アレやっぱり玉藻だったよ、尻尾減らして見せただけ。女の人に化けた姿、玉藻のだったもん』
『玉藻とやらは知らん』
黒い翼の先端が頭を撫ぜる。僕も翼を現し、背を撫でていた黒蛇を包んだ。
『アルやけに気に入ってたよね、この浮気者……』
自分を棚に上げてアルの腹の毛を引っ張る。
『そんな気は一切無い。惚れたと言われはしたが私は貴方一筋だ。揺らぎもしていない』
『ならなんであんなに殺すの嫌がってたのさ』
『殺す必要は無いだろうと言っていただけだ。嫌がるとかではない』
『……殺す必要あるでしょ? だってアルが好きなんだよ? まぁそれは嘘みたいだけどさぁ、玉藻なら玉藻で殺さなきゃならないし……僕井戸に落とされたんだよ?』
自分の恨みだけで他者を害したいと思うことは少ないけれど、アルを騙したのなら仕方ない、自分の恨みも追加して罰さなければならない。
『玉藻とやらは知らんが貴方に行った所業を聞けば確かに殺して然るべきかもしれん。だが、あの時の貴方は私に惚れたというただそれだけで殺そうとしていたな?』
『……何か変? だってアルは僕のお嫁さんでしょ?』
『私を好いただけだぞ? 騙しはしたが何もしてこなかった』
『何言ってるのアル……何かしたとかしてないとかじゃなくて、アルのことが好きになったなら消しておかなきゃいけないよね? だってアルは僕のお嫁さんなんだからさ』
今までアルが僕以外の者に触れられるのが嫌でたまらなかった。それを押し付ける権利は無いからと我慢していたけれど、夫という立場なら言える。
『私の台詞だ、何を言っているんだ貴方は』
『アルは僕のことが好きでしょ? 僕はアルのことが好きでしょ? アルは僕のお嫁さんでしょ? なら僕でもないのにアルのこと好きな奴は消さなきゃでしょ?』
他人のものに勝手に恋慕を寄せるような奴、生かしてはおけない。
『…………ヘル、それは異常だ。私に手を出したり、私がその者を受け入れたのならまだしも、好意を抱いただけで、そんな……』
『……当たり前のことじゃないの?』
『違う、そんな当たり前があればあちこちで殺し合いが起きる』
『…………そう』
異常、か。意味が分からない。けれどアルが異常と呼んで気味悪がることならアルの前では出さないように気を付けなければ。
『……なぁヘル、私もな、貴方に色目を使う売女が居れば殺したくなるだろう。けれど……それをすれば貴方は私を嫌うだろう? 野蛮で嫉妬深い獣だと軽蔑するだろう?』
『…………嬉しいよ? だって、それって、アルが僕のこと好きだって証明になるよね。嫉妬してくれたら嬉しいよ、嬉しくってたまんない』
『……そう、貴方は、そうなのか』
『ぁ、でも……メルとかさ、仲間とか友達とかとは喧嘩しないでよ? 皆あくまでも友達で、向こうもそういう好きじゃないからさ』
恋愛と友愛と家族愛の区別くらい付く。でなければカルコスだとかと争っている。
『…………ヘル、私は貴方が優しい人だと思っているよ。何があったとしても、どんな激情に駆られたとしても、他者を害せば貴方は必ず後悔する』
人間や魔獣に対してならそうかもしれないけれど、アルに手を出すようなモノは塵じゃないか。殺人には良心の呵責が伴うけれど、掃除はむしろスッキリとした気分になるじゃないか。そう言おうとしてやめた。きっとこの思考がアルが気味悪がっている『異常』とやらなのだろう。
『私は貴方に傷付いて欲しくない。だから、私の為にそんなに怒らないで欲しいんだ。私は貴方の傍に居るから、私が貴方でない者を愛する事などないのだから、怒る必要なんて無いんだ。他人なんて放っておけ、私達の間に入り込む事など不可能だ、そうだろう?』
自分が『普通』とズレていることは分かっていたけれど、アルにまで異常者扱いされるなんて思わなかった。とても傷付くことだ、けれどそれを悟られてはいけない。
『うん……そうだね』
アルに気味悪がられるなんて嫌だ。正常だと思われなければ、いつの日か嫌われてしまう。
現状に甘えてはいけない。常に相手の理想になれるように努力しなければならないのだ。そうしていれば永遠の時だって退屈せずに済む。
アスタロトが嘘を吐いたのかどうかも、兄の行方も、玉藻を捕らえることも、全てマンモンの鞄で解決してしまおうと思っていたのだが、彼らを引っ張り出した後の面倒臭さを想像して今日はもう休もうと結論を出した。
ベルゼブブは淫魔達と共に街の復旧を寝ずにやるとのことで、僕は何故か見覚えのあるアシュの部屋で休むことにした。アシュがどこに行ったのかも気になるけれど、今だけは忘れてしまおう。
『……ヘル、寝ないのか』
ベッドに腰掛けてとっくに乾いた髪を弄っていると翼と身体を乾かし終えたアルが隣に飛び乗ってきた。
『何を憂いているんだ?』
『憂う……なんて、そんな』
角も翼も、何もかも消して人間と同じ姿に戻った。アルはどちらの見た目が好みだろう。
『死が訪れないと言うのは辛い事だろう。けれど、私を置いて行く事も私に置いて行かれる事も無いんだ。私と永遠に共に在れる。嬉しいだろう? ヘル……貴方の大好きな私だぞ?』
僕を元気付けようとしているのか、アルは自信たっぷりな口調で僕に擦り寄る。それはアルの予想以上の効果があった。
『…………済まない、忘れてくれ』
すぐに恥ずかしくなって背けた顔も可愛らしくて、思わず笑みが零れた。
『……ヘル?』
頭から背にかけて撫でれば小首を傾げ、それから気持ち良さそうに目を閉じる。擦り寄る身体が愛おしくなって抱き締めた。
『ねぇ……アル、いい?』
『…………全て貴方の望むままに』
『ありがと、アル。大好き』
首飾りは僕の瞳と同じように淡い多色の輝きが交じって揺れている。精神状態は良好、目で分かるのは恥ずかしさもあるが便利さが勝る。
無意識にシーツを破る鋭い爪や、同じく無意識に足に絡められる尾に可愛らしさを感じながら、長い夜を越した。
早朝、何をするでもなく窓を開けて外を眺める。アルはまだ眠っているけれど、隣で眠る気にはなれなかった。人でなくなったからなのか、食欲も睡眠欲も大して湧かない。暇があれば眠っているアルやふと見れば何かを貪っているベルゼブブには尊敬すら覚える。する必要のないことをするなんて僕には出来ない。
『元々好きじゃないしなぁ……』
眠るのはそれ以外にやる事がないから、現実から逃げたいから、目覚めない未来が訪れてくれるかもしれないから。やる事はなくてもやるべき事はあるし、現実からは逃げ切れない、眠っている間に死ぬ希望は消えた。
食事をするのはしろと言われるから、お腹が空くから。舌が鈍くて美味しさを皆のように楽しめないし、殴られた時に吐く苦しさを考えれば胃は空っぽにしておきたい。
『…………にいさまのばーか』
どんな力を持とうと、人でなくなろうと、幼い頃に虐待された傷は癒えない。常に他人を疑って幸福を全身で享受出来ない。
『……アルー、ねぇ、アル……起きて』
独りで考えるのは良くない。気分が沈む。首飾りの石の色が鈍くなっていくのに気付いた僕はアルの腹に顔を埋め、癒しをねだった。
『ん……』
『……起きた?』
アルは僕を抱き寄せるように尾を緩く絡めた。
『…………ヘル、あぁ、おはよう。もう朝か……腰が重い……済まない、もう少し寝かせてくれ』
疲れなんてすぐに消えるくせに、眠気なんて本物ではないくせに、アルは再び目を閉じた。
『気分的なものでしょ、起きてよー……暇』
やるべき事は沢山あるけれど、気分じゃない。でも何をする気分なんだと聞かれても困る。今は何もしたくない。
『……暇、と言われてもな。子供のように走り回って遊びたい訳でも無し、話したいのならそのままそこで話すといい』
黒蛇が背中の上でうねって僕の背を撫でる。寝かしつけるような動きだ。
『私も普通の生き物のような睡眠は取れない、貴方が話す限り返事が出来なくなる事は無いさ。さぁ、好きなことを話せ』
『…………昨日のことなんだけど』
『あぁ、何だ?』
腹の上に横向きに顔を置いても鼻や口に銀色の柔らかい毛が入り、擽られる。
『華陽……とかいう玉藻の化けた奴さ、好みだった?』
『何を言うかと思えば』
『アレやっぱり玉藻だったよ、尻尾減らして見せただけ。女の人に化けた姿、玉藻のだったもん』
『玉藻とやらは知らん』
黒い翼の先端が頭を撫ぜる。僕も翼を現し、背を撫でていた黒蛇を包んだ。
『アルやけに気に入ってたよね、この浮気者……』
自分を棚に上げてアルの腹の毛を引っ張る。
『そんな気は一切無い。惚れたと言われはしたが私は貴方一筋だ。揺らぎもしていない』
『ならなんであんなに殺すの嫌がってたのさ』
『殺す必要は無いだろうと言っていただけだ。嫌がるとかではない』
『……殺す必要あるでしょ? だってアルが好きなんだよ? まぁそれは嘘みたいだけどさぁ、玉藻なら玉藻で殺さなきゃならないし……僕井戸に落とされたんだよ?』
自分の恨みだけで他者を害したいと思うことは少ないけれど、アルを騙したのなら仕方ない、自分の恨みも追加して罰さなければならない。
『玉藻とやらは知らんが貴方に行った所業を聞けば確かに殺して然るべきかもしれん。だが、あの時の貴方は私に惚れたというただそれだけで殺そうとしていたな?』
『……何か変? だってアルは僕のお嫁さんでしょ?』
『私を好いただけだぞ? 騙しはしたが何もしてこなかった』
『何言ってるのアル……何かしたとかしてないとかじゃなくて、アルのことが好きになったなら消しておかなきゃいけないよね? だってアルは僕のお嫁さんなんだからさ』
今までアルが僕以外の者に触れられるのが嫌でたまらなかった。それを押し付ける権利は無いからと我慢していたけれど、夫という立場なら言える。
『私の台詞だ、何を言っているんだ貴方は』
『アルは僕のことが好きでしょ? 僕はアルのことが好きでしょ? アルは僕のお嫁さんでしょ? なら僕でもないのにアルのこと好きな奴は消さなきゃでしょ?』
他人のものに勝手に恋慕を寄せるような奴、生かしてはおけない。
『…………ヘル、それは異常だ。私に手を出したり、私がその者を受け入れたのならまだしも、好意を抱いただけで、そんな……』
『……当たり前のことじゃないの?』
『違う、そんな当たり前があればあちこちで殺し合いが起きる』
『…………そう』
異常、か。意味が分からない。けれどアルが異常と呼んで気味悪がることならアルの前では出さないように気を付けなければ。
『……なぁヘル、私もな、貴方に色目を使う売女が居れば殺したくなるだろう。けれど……それをすれば貴方は私を嫌うだろう? 野蛮で嫉妬深い獣だと軽蔑するだろう?』
『…………嬉しいよ? だって、それって、アルが僕のこと好きだって証明になるよね。嫉妬してくれたら嬉しいよ、嬉しくってたまんない』
『……そう、貴方は、そうなのか』
『ぁ、でも……メルとかさ、仲間とか友達とかとは喧嘩しないでよ? 皆あくまでも友達で、向こうもそういう好きじゃないからさ』
恋愛と友愛と家族愛の区別くらい付く。でなければカルコスだとかと争っている。
『…………ヘル、私は貴方が優しい人だと思っているよ。何があったとしても、どんな激情に駆られたとしても、他者を害せば貴方は必ず後悔する』
人間や魔獣に対してならそうかもしれないけれど、アルに手を出すようなモノは塵じゃないか。殺人には良心の呵責が伴うけれど、掃除はむしろスッキリとした気分になるじゃないか。そう言おうとしてやめた。きっとこの思考がアルが気味悪がっている『異常』とやらなのだろう。
『私は貴方に傷付いて欲しくない。だから、私の為にそんなに怒らないで欲しいんだ。私は貴方の傍に居るから、私が貴方でない者を愛する事などないのだから、怒る必要なんて無いんだ。他人なんて放っておけ、私達の間に入り込む事など不可能だ、そうだろう?』
自分が『普通』とズレていることは分かっていたけれど、アルにまで異常者扱いされるなんて思わなかった。とても傷付くことだ、けれどそれを悟られてはいけない。
『うん……そうだね』
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