魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十四章 美麗なる妖狐は壮大な夢を見た

繋ぎ止める幾つかの術

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ベッドから降りようと足を動かすと、アルの尾が両足首を巻いて引っ張り、僕はベッドに仰向けにさせられた。二の腕に前足を置かれ、後ろ足に太腿を踏まれ、顔を舐められる。

『…………何処にも行かせない。封印を解かせたりしない。貴方は私の旦那様だ……絶対に離れたりしない』

言動全てが愛おしくて、けれど腕を押さえられて抱き締めることは出来なくて、ただただ緩み切った笑みを見せた。

『ヘル……! 嬉しいんだな? 貴方も私を愛しているんだ、同じ気持ちなんだ、何故離れようとするんだ! 私も、貴方も、互いを自分より大切に思っている。それなら互いの為に自分を最低限大切にすべきだ、未来永劫愛し合うべきなんだ!』

「…………耳元で叫ばないでよ」

『貴方はどうして自分から幸福を遠ざけるんだ! 貴方が私の幸せを第一に願ってくれているように、私は貴方の幸福を求めているのにっ……どうして。私を好いてくれているんだろう? なら、こうして……私と居るのは幸せだろう?』

四本の足から力が抜けて銀毛に覆われた身体が僕の上に落ちる。息苦しさを感じながら前足の下から腕を引き抜き、アルの首を抱き締めた。

「幸せだよ、でも……僕は僕が大っっ嫌いだから。ねぇアル、アルは嫌いな人が幸せになるって分かってて、それを邪魔できるって分かってたら、邪魔しない?」

『私の好きな人を……嫌いだなんて言わないで』

「ごめんね、でも…………六歳の時から、ずっと……自分が何より嫌いだったから。絶対好きになれないし、誤魔化せない」

耳元でビリビリと音が聞こえる。アルの爪がシーツを破いているのだ。

『…………分かった、ヘル。貴方が魔物使いの力を使って私の記憶を消したとしても、必ず残る貴方の証拠を孕んでやる』

アルは何かを決心したように立ち上がった。

『ヘル……父親の顔も思い出せず子供を育てる私が幸せだと思うか? 子供に父親の名前すら伝えられない私が幸せになれると思うか? 貴方は私を幸せにしてくれるんだろう? そうしたいなら……私の子をその腕に抱いてくれ』

「アル……? や、やめて、待って、アルっ! やめろ!」

服を噛もうとした口に腕を突っ込んで嘔吐かせ、怯んだアルの下から抜け出した。枕を身体の前にして抱き、ゆっくりとベッドを降りる。

『…………酷いな、ヘル』

「そっ、そうだよ、酷いんだよ僕は……だから、僕なんてやめておきなよ」

『……夢の中ではあんなに執拗に抱いてくれたのに』

「…………知らないよ、ただの夢だろ」

『ヘル……そう警戒するな。私に生殖機能は無い。済まなかった……』

ベッドの上で丸まったアルは酷く小さく見えた。僕はその隣に腰掛け、アルの背を撫でる──そうしているうちに未練が湧く。
アルの記憶を消したとしても僕の記憶は残る。きっと、そのうち、またアルを求める。その繰り返しだ、双方を疲れさせるだけの無駄な行為だ。

「謝るのは僕の方だよ、ごめんね、アル。もうあんなこと言わない、絶対しないから、ずっと一緒に居よ?」

垂れていた耳がピクンと跳ねる。しかし、身体は動かない。

「……ねぇ、アル。魔物使いの力ってさ、魔物に対しては万能なんだよ」

手を尾の生え際まで伸ばすと後ろ足がぴくぴくと動く。

「セネカさんとか、種族も見た目もかなり変わったよね? 僕が作り替えたんだよ。ねぇアル、本当に……できないと思う?」

『済まなかった、から……そのっ、もう……この話はやめにしよう』

尾の黒蛇を腕に巻き付かせ、ようやく顔を上げて僕の膝の上に乗せた。

「……じゃあ、何話す?」

『…………楽しい話をしよう。天使や悪魔の諍いに巻き込まれる事が無くなる未来を話そう』

「………………子供、何人欲しい?」

『ヘルぅっ!』

「ごめんごめん……冗談、って訳じゃないけどさ、もう言わないから」

『じ、冗談じゃないのか? ぅぅ……そっ、それは……まぁ、嬉しいが……今は、この話はやめよう』

ここまで照れるのは珍しい。もう少し楽しみたいところだが、あまり執拗くしても拗ねてしまうだけだ。とりあえず僕への執着心は照れに覆い隠された、僕がさっきのように死にたいだとか記憶を消してやるだとか言わない限り、アルからは話してこないだろう。
そうすればこの封印が解かれるのは早まる。アルはロキに譲ろう、彼の狼好きは本物だ。アルを渡してすぐにこの世界を壊してしまえば悪戯なんて出来ない、人界に来る意味は消える。僕に会わせようなどと余計なお節介……もとい悪戯心は湧かないはずだ。
完璧な計画だ。

「……大好きだよ、アル。色々……本当にごめんね」

その心の痛みをもうすぐ消してあげるから、それが僕に出来る最後の愛情表現だから、どうか受け取って欲しい。

『思い直してくれたなら良かった。私は……貴方の傍に居る事が唯一無二の幸福なんだ』

唯一無二……それなら僕の存在をアルの中から消してしまうのではなく、僕をロキに置き換えてしまった方がいいのだろうか。アルがロキに甘える様子を思うと苛立って仕方がないけれど、それならアルは幸せを得られる。

「ねぇ、顎の下と首、背中、お腹、腰、どこが一番好き?」

『む……意地の悪い質問だな』

僕の不器用な撫で方でも心地好さそうに顔を蕩けさせるのだ。狼好きのロキなら今僕に向けている愛情も相まって腰砕けに出来るだろう。

『決められん。全部……は駄目か?』

「欲張りだなぁ。そんな悪い子なアルは……」

『悪い……私は?』

「全身ブラッシングの刑に処す!」

『今直ぐに執行してくれ!』

黒蛇が乱暴に棚を漁り、引き出しを棚から落としてブラシを咥える。

「……いや、全身ブラッシングの刑じゃ生温い。シャンプーそしてマッサージも付けよう」

『そんなっ……そんな事をされたら、私は……!』

「問答無用! さ、おいで」

アルは全身で僕に擦り寄ってくる。その全力の愛情表現がたまらなく可愛くて、嬉しくて、手放したくなくなる。

「まずは水責め、あえてちょうどいい温度!」

『……全身が重い』

シャワーを止めた後、首を振って水を飛ばすのが可愛らしい。

「次に泡責め、生え際からしっかり念入りに揉み込んでやる!」

『はぁぁ……もう少し右、そう……そこ、もう少し強めに』

「個人的な理由多めで肉球をぷにぷにする」

『擽ったい……爪に気を付けろよ』

全身を洗い終わる頃には疲労で指の感覚が薄くなる、そんな分厚い毛皮と大きな体躯が可愛らしい。

「また水責め」

『むー……』

毛がぺたっとしていつもよりみすぼらしく見えるのが可愛らしい。目を閉じて耳を垂らしてシャワーを受けているのも可愛らしい。

「タオル責めからの温風責めー」

『匂いはどうだ?』

「すー……はー…………はぁっ……最高。えっとね、石鹸水に濡れた獣って感じ」

『良いのか悪いのか分からんな』

乾いた直後のふわふわとした毛の手触りはたまらない、それを誇るのが可愛らしい。

「……では、マッサージに移る! 正直手が痛い!」

『無理にしなくてもいいぞ?』

「執行官は罪人の誘惑には乗らない、このもっふもふの誘惑に乗る!」

翼があるせいかアルは常に肩こり気味だ、それを解してやった時の気持ち良さそうな反応が可愛らしい。

「……じゃ、次、ブラッシングの刑ね」

『ヘル……疲れてはいないか?』

「いっぱい抜けるね……ふふ、またぬいぐるみ作ってもらおう……」

『勝手に抜け毛を使わないでくれないか。同種族で考えてみろ、相当の変態だぞ』

「アルだって脱いだ服に顔突っ込んだりするじゃん。人で考えたら相当の変態だよ、下着はやめて欲しい」

僅かにカールしている部分もあるのに指通りのいい毛並みとブラッシングされて緩む顔が可愛らしい。

「ふぅ……疲れた。昼寝しよ……」

これでようやく謎の刑罰おふざけも終わりだ。自分から始めたのだが全く意味が分からない。

『こんな日の高い時間から眠る悪い子のヘルには……抱き枕の刑だ!』

「わっ! ふふ……もふもふ、あったかい……」

横たわったアルの前足を枕に特にもふもふ豊かな首元に顔を埋め、腕と足を胴に回す。尾が足に緩く絡み、翼が被さり、僕は白昼堂々深い眠りに落ちていった。
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