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第三十二章 初めから失敗を繰り返して
魔王の誅殺
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時計塔の中で殺さなかったのなら血の跡が続くはず──なんて幼稚な考えは向こうも分かっているらしい。階段を三段降りると痕跡は綺麗に消えた。
魔力が見えず嗅覚も聴覚も特別鋭くはない僕に探す手段は無い。
『アル! アルっ、アルーっ!』
侵入者が三人で、捕らえたのは二人。それなら僕を炙り出すためにわざと痕跡を残したり街中を引きずり回していてもいいはずなのに、アルはどこにも見当たらない。
僕を捕らえる気はないのか? それなら何故その場で殺さなかったんだ? 疑問を募らせながら時計塔の天辺で叫んでも意味は無い。
『──ォオォォ……』
いや、意味はあった、何か聞こえた。途中で途切れてしまったが、今のは確かにアルの遠吠えだった。
『アル……!』
まだ生きている、遠吠えをする意識もある。
『どこだ……どこだ、どこに──』
声の元を探る僕の耳の横で耳障りな鳴き声が響く。時計塔の屋根に止まった鴉の群れの声だ。
『うるさいっ!』
鴉はピタリと鳴き止み、僕を見つめる。その額には一本の角があった。
『一角鴉…………ねぇ、君達……他に友達、居る?』
群れの中の一羽が大きく一声鳴いた。すると街の至る所から鳴き声が返ってくる。
『鴉共……視覚を寄越せ。アルを探せっ……!』
鴉の群れは一斉に飛び立ち、街に散開する。送り込まれる無数の視覚情報──ぐるぐると回って、急降下して、揺れて──
『ぅっ……』
吐き気なんて生易しいものではない、頭痛なんて言葉には収まらない。僕はその場で頭を抱えて蹲る。
目まぐるしく変わっていく無数の景色の中の一つに大きな黒翼が見えた。その視界に集中し、他の視界を切り捨てる。
柵に囲まれた広場、その中心の台の上にアルは居た。ぐったりと横たわっていた。
周りには槍を持った兵士が居る。呪術陣が描かれた盾を掲げている者も居た。時折に首を持ち上げては喉に槍が突き立てられる。先程の遠吠えが途切れた理由が分かった。
『……見つけた』
鴉達との感覚共有を切り、アルが捕えられた場所に──処刑場に急いだ。
柵で囲まれた血腥い広場には罪人を寝かせる台があった。そこに寝かされた銀狼は出血と痛みと魔封じの呪でもはや意識も朦朧としていた。
「おい、牛あと一頭まだか」
「昼寝中でなかなか……」
「おーい早く起こせー」
アルの四肢には縄が結ばれている、その縄のもう一端は牛に繋がっている。牛は三頭、もう一頭はまだ牛舎の中らしい。
「こんな魔獣なんか適当に処分すりゃいいのに……それより一緒に捕まえた女だろ」
「博士のお達しなんだよ、この魔獣が先だってな。昼時じゃ観衆も少ないのにわざわざここでやれってよ」
「その博士は来ないんだよな。すっごい美人なのに変な人だ……」
最後の牛がやって来て、左の後ろ足の縄も牛に繋がる。台のベルトに胴を固定され、アルはほとんど認識出来ないながらも目を開けた。
「よーし、じゃ、とっとと済ませようぜ。女の方やりてぇ」
「だな、久しぶりに梨使いたい」
「おーい、牛動かせー」
鼻輪を引かれ、牛達が脚を四方に進める──アルの四肢がびんと張って、槍に貫かれた傷が広がる。
「おい、ちゃんと切れ目いれたか?」
「槍刺したしいいだろ、って思って……」
「おーい、牛もっと引っ張らせろー」
裂けた皮膚を起点として肉がちぎれていき、骨がミシミシと音を立てる。その痛みにはいくら魔封じの呪で朦朧とした意識も覚醒して、アルは意味も無く声を上げた。
「……犬よりあの女の方がいいなぁー」
「犬の悲鳴聞いても仕方ねぇよな」
「おい、牛早く……ひっ、ぅわぁあぁっ!?」
談笑していた二人の兵士は牛を引く役に指示を出そうとした兵士の悲鳴に飛び上がる。
牛を引いていた兵士達は鼻輪に繋がる縄を持ったまま静止していた、その首は胴と繋がらず、足元に転がっていた。突然の血の匂いに怯えた牛の動きに逆に引っ張られ、首の無い身体は牛の方へばたりと倒れる。
「な、なっ……ぉ、おい! あれ、侵入した悪魔だよな!」
「ぁ、あぁっ、多分……魔封じの呪……たっ、盾! 盾盾盾!」
「ひぃぃいぃいっ! く、来るなっ、来ないで!」
兵士達の視線の先に立つのは白い翼を広げ、眩く輝く光輪を浮かべ、赤い角を真っ白の髪をかき分けて生やした、血に濡れた刀を持った腕を垂らす虹色の瞳の天使──らしきモノ。
『……アル』
魔封じの呪に怯むことなく、振り下ろされ突貫された槍を透過して、ゆるゆると刀を持ち上げ惑う兵士の鎧の隙間に突き刺した。三人の兵士は殺すことなく、手足を切りつけて行動不能に陥らせるとアルの四肢に繋がる縄を切った。
『アル、アル、アル……』
壊れた蓄音機のように同じ音を繰り返しながらボロボロの銀狼の身体を揺らす。
刀を影の中に落とし、アルを揺り起こす。地面に落ちた盾の呪術陣は輝きを失っており、アルの傷はゆっくりとだが再生している。
しかし、その遅さには不安を煽られる。いくら本物の賢者の石でないと言っても再生が遅過ぎる。
『……アル、アル……』
名前を呼ぶ度ぴくぴくと耳が動く。
僕は再び影から刀を抜き、自分の手首を切り落とした。
『…………アル』
僕から離れた僕の手をアルの口に咥えさせ、断面から溢れる血を傷口を中心に身体にかける。美しい銀色の身体が僕の血で穢れていく。
『……へ、る? ぅ……一体、何、が……』
ちぎれかけた前足が綺麗に治って、アルは台の上で上半身を捻って首を持ち上げる。
『……ヘルっ! どうした、その手は……』
僕を見て叫んだアルはせっかくあげた肉を口から落としてしまった。刀を再び影の中に落とし、その手で僕の手だった肉をアルの口に押し付ける。
『食べて』
『…………分かった』
予想外にもアルは従順に肉を呑み込み、再生が終わった身体を起こし、僕の説明を待った。
『アル……大丈夫? 痛かったよね』
『……まぁ。それで、何があったんだ?』
『聞きたいのはこっちだよ。時計塔で何があったの?』
アルは時計塔でレヴィアタンと世間話をして僕を待っていたところ、兵士達がやって来たことを話した。数人は返り討ちにしたが、魔封じの呪に敗れて袋に詰められて運ばれて──その先の記憶は曖昧だと。
『アルを見つけて……魔封じの呪が解けてるのに傷の治りが遅いから、僕の血をあげようと思って』
『……魔力を殆ど失ったからだな。貴方の血肉を賜って今は以前より調子が良いが…………なぁ、ヘル。そこの者は貴方が殺したのか?』
そこの者? 誰のことだろうと辺りを見回し、呻き声を上げているものを見つけた。
『…………あぁ、えっと……一角鴉! おいで、ご馳走だよ!』
処刑場の周囲で僕を見つめていた鴉達が一斉に兵士達に向かう。呻き声は悲鳴に変わったが、それは次第にゴボゴボという水音に変わって、しばらくすると聞こえなくなった。
人の形に黒い翼が寄り集まって羽ばたいているのは少し面白い。思わず笑みが零れた。
『……ヘル? ヘル、どうしたんだ、そんな……』
『何? アル。アルも食べたい? いいよ、はい』
アルの頭を抱き締め、大きな口を首元に誘導する。
『……アルは僕しか食べちゃダメ。アルの体内に僕以外の奴が入るなんて耐えられない。僕が一番美味しいんだから不満は無いよね? ほら、食べてよ』
『い、いや……腹一杯だ。貴方の血肉は栄養価が高過ぎる、胃もたれする……』
『………………そう』
アルの頭を胸の前に誘導し、額に唇を触れさせる。鉄錆と獣臭の混ざり合った匂い──僕とアルの匂いだ。
『ふふっ……アル、愛してるよ』
『私もだ、ヘル。その……聞きたいことがある』
『うん、なぁに? 僕に答えられることなら、何でも』
『…………貴方はそんなに人を殺すのに躊躇いの無い人間だったのか?』
人を殺すのに躊躇いが無い人間なんてそう居ないし、僕はそんな人間ではない。人を殺すような度胸は無い──そう答えた。
『それなら、そこの者達は──ぁ、いや、別に貴方の行為を咎めている訳ではない。私を助けに来てくれたのはとても嬉しいし、魔獣の私は殺人なんて気にしないぞ』
『……僕、誰も殺してないよ』
僕のせいで死んだ──という意味なら居るけれど、こちらの時空ではまだ誰も直接は殺していない。
『……ヘル? それなら、そこの者達は……』
『アルさっきから何言ってるの? ここには人間は居ないよ、一人もね』
僕ももう人間ではなくなってしまった。
『…………ヘ、ル……?』
アルの声は震えている。怯えているように思える。
『……大丈夫だよ、アル。痛かったよね、怖かったよね、大丈夫……』
僕は先程の痛みに怯えているらしいアルを抱き締め、背を擦って落ち着かせようと試みた。
魔力が見えず嗅覚も聴覚も特別鋭くはない僕に探す手段は無い。
『アル! アルっ、アルーっ!』
侵入者が三人で、捕らえたのは二人。それなら僕を炙り出すためにわざと痕跡を残したり街中を引きずり回していてもいいはずなのに、アルはどこにも見当たらない。
僕を捕らえる気はないのか? それなら何故その場で殺さなかったんだ? 疑問を募らせながら時計塔の天辺で叫んでも意味は無い。
『──ォオォォ……』
いや、意味はあった、何か聞こえた。途中で途切れてしまったが、今のは確かにアルの遠吠えだった。
『アル……!』
まだ生きている、遠吠えをする意識もある。
『どこだ……どこだ、どこに──』
声の元を探る僕の耳の横で耳障りな鳴き声が響く。時計塔の屋根に止まった鴉の群れの声だ。
『うるさいっ!』
鴉はピタリと鳴き止み、僕を見つめる。その額には一本の角があった。
『一角鴉…………ねぇ、君達……他に友達、居る?』
群れの中の一羽が大きく一声鳴いた。すると街の至る所から鳴き声が返ってくる。
『鴉共……視覚を寄越せ。アルを探せっ……!』
鴉の群れは一斉に飛び立ち、街に散開する。送り込まれる無数の視覚情報──ぐるぐると回って、急降下して、揺れて──
『ぅっ……』
吐き気なんて生易しいものではない、頭痛なんて言葉には収まらない。僕はその場で頭を抱えて蹲る。
目まぐるしく変わっていく無数の景色の中の一つに大きな黒翼が見えた。その視界に集中し、他の視界を切り捨てる。
柵に囲まれた広場、その中心の台の上にアルは居た。ぐったりと横たわっていた。
周りには槍を持った兵士が居る。呪術陣が描かれた盾を掲げている者も居た。時折に首を持ち上げては喉に槍が突き立てられる。先程の遠吠えが途切れた理由が分かった。
『……見つけた』
鴉達との感覚共有を切り、アルが捕えられた場所に──処刑場に急いだ。
柵で囲まれた血腥い広場には罪人を寝かせる台があった。そこに寝かされた銀狼は出血と痛みと魔封じの呪でもはや意識も朦朧としていた。
「おい、牛あと一頭まだか」
「昼寝中でなかなか……」
「おーい早く起こせー」
アルの四肢には縄が結ばれている、その縄のもう一端は牛に繋がっている。牛は三頭、もう一頭はまだ牛舎の中らしい。
「こんな魔獣なんか適当に処分すりゃいいのに……それより一緒に捕まえた女だろ」
「博士のお達しなんだよ、この魔獣が先だってな。昼時じゃ観衆も少ないのにわざわざここでやれってよ」
「その博士は来ないんだよな。すっごい美人なのに変な人だ……」
最後の牛がやって来て、左の後ろ足の縄も牛に繋がる。台のベルトに胴を固定され、アルはほとんど認識出来ないながらも目を開けた。
「よーし、じゃ、とっとと済ませようぜ。女の方やりてぇ」
「だな、久しぶりに梨使いたい」
「おーい、牛動かせー」
鼻輪を引かれ、牛達が脚を四方に進める──アルの四肢がびんと張って、槍に貫かれた傷が広がる。
「おい、ちゃんと切れ目いれたか?」
「槍刺したしいいだろ、って思って……」
「おーい、牛もっと引っ張らせろー」
裂けた皮膚を起点として肉がちぎれていき、骨がミシミシと音を立てる。その痛みにはいくら魔封じの呪で朦朧とした意識も覚醒して、アルは意味も無く声を上げた。
「……犬よりあの女の方がいいなぁー」
「犬の悲鳴聞いても仕方ねぇよな」
「おい、牛早く……ひっ、ぅわぁあぁっ!?」
談笑していた二人の兵士は牛を引く役に指示を出そうとした兵士の悲鳴に飛び上がる。
牛を引いていた兵士達は鼻輪に繋がる縄を持ったまま静止していた、その首は胴と繋がらず、足元に転がっていた。突然の血の匂いに怯えた牛の動きに逆に引っ張られ、首の無い身体は牛の方へばたりと倒れる。
「な、なっ……ぉ、おい! あれ、侵入した悪魔だよな!」
「ぁ、あぁっ、多分……魔封じの呪……たっ、盾! 盾盾盾!」
「ひぃぃいぃいっ! く、来るなっ、来ないで!」
兵士達の視線の先に立つのは白い翼を広げ、眩く輝く光輪を浮かべ、赤い角を真っ白の髪をかき分けて生やした、血に濡れた刀を持った腕を垂らす虹色の瞳の天使──らしきモノ。
『……アル』
魔封じの呪に怯むことなく、振り下ろされ突貫された槍を透過して、ゆるゆると刀を持ち上げ惑う兵士の鎧の隙間に突き刺した。三人の兵士は殺すことなく、手足を切りつけて行動不能に陥らせるとアルの四肢に繋がる縄を切った。
『アル、アル、アル……』
壊れた蓄音機のように同じ音を繰り返しながらボロボロの銀狼の身体を揺らす。
刀を影の中に落とし、アルを揺り起こす。地面に落ちた盾の呪術陣は輝きを失っており、アルの傷はゆっくりとだが再生している。
しかし、その遅さには不安を煽られる。いくら本物の賢者の石でないと言っても再生が遅過ぎる。
『……アル、アル……』
名前を呼ぶ度ぴくぴくと耳が動く。
僕は再び影から刀を抜き、自分の手首を切り落とした。
『…………アル』
僕から離れた僕の手をアルの口に咥えさせ、断面から溢れる血を傷口を中心に身体にかける。美しい銀色の身体が僕の血で穢れていく。
『……へ、る? ぅ……一体、何、が……』
ちぎれかけた前足が綺麗に治って、アルは台の上で上半身を捻って首を持ち上げる。
『……ヘルっ! どうした、その手は……』
僕を見て叫んだアルはせっかくあげた肉を口から落としてしまった。刀を再び影の中に落とし、その手で僕の手だった肉をアルの口に押し付ける。
『食べて』
『…………分かった』
予想外にもアルは従順に肉を呑み込み、再生が終わった身体を起こし、僕の説明を待った。
『アル……大丈夫? 痛かったよね』
『……まぁ。それで、何があったんだ?』
『聞きたいのはこっちだよ。時計塔で何があったの?』
アルは時計塔でレヴィアタンと世間話をして僕を待っていたところ、兵士達がやって来たことを話した。数人は返り討ちにしたが、魔封じの呪に敗れて袋に詰められて運ばれて──その先の記憶は曖昧だと。
『アルを見つけて……魔封じの呪が解けてるのに傷の治りが遅いから、僕の血をあげようと思って』
『……魔力を殆ど失ったからだな。貴方の血肉を賜って今は以前より調子が良いが…………なぁ、ヘル。そこの者は貴方が殺したのか?』
そこの者? 誰のことだろうと辺りを見回し、呻き声を上げているものを見つけた。
『…………あぁ、えっと……一角鴉! おいで、ご馳走だよ!』
処刑場の周囲で僕を見つめていた鴉達が一斉に兵士達に向かう。呻き声は悲鳴に変わったが、それは次第にゴボゴボという水音に変わって、しばらくすると聞こえなくなった。
人の形に黒い翼が寄り集まって羽ばたいているのは少し面白い。思わず笑みが零れた。
『……ヘル? ヘル、どうしたんだ、そんな……』
『何? アル。アルも食べたい? いいよ、はい』
アルの頭を抱き締め、大きな口を首元に誘導する。
『……アルは僕しか食べちゃダメ。アルの体内に僕以外の奴が入るなんて耐えられない。僕が一番美味しいんだから不満は無いよね? ほら、食べてよ』
『い、いや……腹一杯だ。貴方の血肉は栄養価が高過ぎる、胃もたれする……』
『………………そう』
アルの頭を胸の前に誘導し、額に唇を触れさせる。鉄錆と獣臭の混ざり合った匂い──僕とアルの匂いだ。
『ふふっ……アル、愛してるよ』
『私もだ、ヘル。その……聞きたいことがある』
『うん、なぁに? 僕に答えられることなら、何でも』
『…………貴方はそんなに人を殺すのに躊躇いの無い人間だったのか?』
人を殺すのに躊躇いが無い人間なんてそう居ないし、僕はそんな人間ではない。人を殺すような度胸は無い──そう答えた。
『それなら、そこの者達は──ぁ、いや、別に貴方の行為を咎めている訳ではない。私を助けに来てくれたのはとても嬉しいし、魔獣の私は殺人なんて気にしないぞ』
『……僕、誰も殺してないよ』
僕のせいで死んだ──という意味なら居るけれど、こちらの時空ではまだ誰も直接は殺していない。
『……ヘル? それなら、そこの者達は……』
『アルさっきから何言ってるの? ここには人間は居ないよ、一人もね』
僕ももう人間ではなくなってしまった。
『…………ヘ、ル……?』
アルの声は震えている。怯えているように思える。
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