魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第二十二章 鬼の義肢と襲いくる災難

穏やかな船旅

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縦笛の先端、咥える為に平たくなったそこに、ラズベリーのような赤黒いものがこびり付いている。僕は無言でそれをアルの鼻先に持っていった。

『……人だな』

「血、だよねやっぱり。なんで笛に……」

『もう少し近く…………ふむ、これは眼球だな。目玉をこの笛の先で抉ったのだろう』

そういえば怪奇事件の内容は「大勢の人々が自分の目玉を抉った」だったか。それも日蝕の時に。
この笛もその時にあったものだろうか、未だに残っているなんて、ここの民は街に関心がないと見える。

『なぁ、ヘル。これは魔法陣では無いか?  書きかけのようだが……』

建物の影、人が寄り付かないであろう場所に魔法陣が描かれていた。半分程度しか書けていないようだけれど。

「え?  あー、この文字は……うん、魔法陣だね」

見覚えのある文字だ、幼い頃兄に教わった。確か古代魔法で扱われている文字で、発音までは分からない、なんとなく意味が分かる程度だ。

「炎……んー?  掠れちゃってて読めないなぁ」

『読んでいいものなのか?  陣に描かれた文字は詠唱に似通ったものも多い、危険な術が発動するかも知れんぞ』

「大丈夫だって、僕魔法使えないし。えっと……なになに、偉大なる……あぁ、何か讃えてる感じっぽい」

『よく有る文言だな。精霊の力を借りる類のものか?  それとも召喚か?』

「……魔法の詠唱は力を借りる為のものじゃなくて、魔力に属性とかを付与する式なんだよ、魔法陣もね。でも、この魔法陣は何か違う。召喚……みたい、僕にはよく分からないけど。えっと……この炎は…………生きている、この炎は……この国を救い……全てを、ええっと、何これ。アル読める?」

そもそも魔法に召喚なんてあるのだろうか。精霊信仰も悪魔崇拝もない魔法の国の民が何を召喚すると言うのだろう。
他国や天使への体裁として召喚と名の付いた魔法もあるにはあるが、あれも自分の力だけで使うものだ。

『いや、生憎と術には疎い』

本当の魔法だとしたら僕と兄以外にも生き残りが居る、もしくは兄がここに来たという事になる。しかし扱っている文字が同じと言うだけで、魔法陣の模様は僕が知っているものとは異なっている。
この魔法陣は「魔法陣」ですらないのではないか?

「……ま、いいか。そろそろ船来るし、行こ」

『ああ、船酔いに気を付けろよ』

「酔わないよ。船には何回か乗ったけど一度も酔ってなかったでしょ」

これを描いた者もどうせ目を抉って死んでいるのだろう。書きかけなら放っておいても問題無いし、直ぐに風化する。
僕はそう判断し、船着場に戻った。


船の揺れはアルの背の上と同じく、僕を眠らせようとする。
今日は生憎と陽射しが強い、眠気覚ましでも甲板に出るのはよした方が良さそうだ。
僕は肌が弱い。魔法の国の者は大体がそうなのだが、引きこもっていたからか僕は特別弱い。兄も肌が弱く、刺青を入れてからは更に酷くなった。魔法はともかく刺青に関しては素人。適当に目に入った針や刃物で肌を傷つけ、身体への影響よりも魔法効果を重視した毒液を流し込む。普通なら皮膚が爛れてしまうところだが、兄は自分に回復魔法をかけ続け皮膚を良好に保った。
僕は兄のそういうところも苦手だった。
魔法で痛覚を消し、治せるからと自分の身体をぞんざいに扱う。僕の代わりに魔物になったのだって、僕の魔力を視る為に視力を失ったのだってそうだ。
僕の為に自分を犠牲にしてくれた、そう悦んでしまう僕も嫌いだ。

『ヘル、ヘル、酔ったのか?』

「ん……あ、あぁ、酔ってはないよ。ちょっと考え事してて」

『考え事か……そうだな、数時間で着くんだ、彼奴等の角をどうにかせねばならん』

「あぁ……そうだね、どうにかしなきゃ」

髪を結い上げたり布を被ったりで国連加盟国の入国審査を通れるとは思えない。
頭に何かを乗せていたら取れと言われるだろうし、魔力反応だって調べられるだろう。
魔力反応を調べられるのなら僕も危ない。天使に探されていたのだから、国連加盟国には僕の特徴が知れ渡っているかもしれない。なら僕もこの特徴的な髪や右眼をどうにかしなければ──あぁ、面倒臭い。
面倒な審査なんてなければいいのに。

『…………ん?』

「どうかした?」

『いや、今一瞬寒気が……』

「ふぅん?  酔った?」

船酔いで寒気がするのかは知らないが、この暖かく穏やかな海で寒気の原因はそれしか思いつかなかった。

『うぅん……まぁ、気にするな。一瞬だった』

「体調悪いならちゃんと言ってね」

『平気だ。賢者の石をコアとする私に体調不良など存在しない』

そっか、と生返事をし、備え付けの椅子に深く腰掛ける。背もたれに体を預け、鬼達はどこに行ったのだろうとぼうっと考える。
他人に迷惑をかけていたら困るな、責任を取らされるのはきっと僕だ、あぁ面倒臭い。考えていると眠くなってきた。駄目だ、考えなくてはいけない事がある。
いや、少し眠って頭を明瞭な状態に保つのも大切だ。軽く、十分程度眠ろう。


僕には未来を予測する頭脳と、学習能力と、睡魔に対抗する気概が無い。皆無だ。
整備された港に降ろされ、自分を責める。

『うっ…………あかん、吐く』

酒呑は船酔いをしたようだ。鬼の頑強さは三半規管までにはないらしい。

『吐くんやったら向こうで吐いてきてください。全く……鬼の頭領ともあろうもんが情けないわぁ。魔物の頭領は余裕たっぷりにぐーすか寝てはったんに』

「…………寝過ぎて頭痛い」

『移動中はずぅっと寝はるんやねぇ』

宿、アルの背の上、カヤの背の上、どこででも眠る。
僕は常に立っていた方がいいのかもしれない。

「入国審査前に角をなんとかする方法考えないとね……」

『いや、その必要は無さそうだ』

入国審査は船から降りてしばらく歩き、科学の国の玄関口とも呼べる建物で行う。
だが、その建物が無い。以前来た時は堂々とそびえ立っていたビルは跡形もなく消えていた。

「…………ナイ君かな」

『場所と方向からして…………ふむ、そうだな。恐らくそうだ』

「でも入国審査は無くならないよね?」

『緩くはなっているかもしれん』

あんな事件があった後なら厳しくなっていそうだ、僕はそう思ったが、アルや鬼達は反対の意見らしい。
慎重派の僕は多数決に負け、僕達は無策で仮の入国審査施設に入場した。

「お荷物調べさせていただきますねー」

にこやかに高い声を作った職員が僕の鞄を調べる。
別の職員が奇妙な棒状の機械を僕に向ける。

「……それは?」

「魔力検査機器と言いまして、あなたの魔力をスキャンさせていただきますねー」

「前からありました?」

「…………少し前に大事故がありまして、その後に開発されたものですねー。危ないものは入れないようにしていますねー。でも人間なら大丈夫ですねー」

危惧していた事が起きた、魔力を調べられては誤魔化しようがない。もう角を折る手は通用しない。

「はい、人間でしたねー。そちらは合成魔獣?  この国の製品で……おや、改造したみたいですねー、でも刻印があるので大丈夫ですねー」

職員はアルにもスキャナーを翳し、その結果に一瞬目を丸くした。けれどもすぐに元の笑顔に戻り、僕に首輪を渡した。

「事故から新たに首輪の装着が義務付けられました、大小問わず魔獣には首輪を付けてくださいとのことですねー。違反すると罰金で、外国人の場合は今後国連加盟国入国禁止になるかもしれませんのでお気を付けてくださいねー」

アルの兄弟の魔獣達も首輪を付けているのだろうか、プライドの高い二人がすんなりと従うとは思えない、リンは苦労しているだろうな。
アルは少し不機嫌になりながらも顎を上げ、首輪を付けさせてくれた。
……あぁ、何だろう。この首輪というものは、何故か僕を高ぶらせる。
アルの首に輪をかけて、それに紐を結んで引っ張るなんて、とても酷い行為なのに、どうして僕は悦んでいるのだろう。
きっと窮屈だ、引っ張れば首が絞まるだろう、アルは嫌がるだろう、嫌がっても紐を引けば着いてくるのだろう。

「ふ……ふふっ、ふふふふっ……」

『…………ヘル?  どうかしたか?』

小首を傾げ、僕の顔を覗き込む。アルは分かっているのだろうか、その仕草が僕の異常性を引き出すことになると。
僕は思い切り紐を引きたくなる衝動を抑え、紐をたるませ、アルの背に手を添えて、ゲートを越えた。

「はーいじゃあ次はあなたですねー」

次に検査を受けるのは酒呑だ。彼は布の位置を修正してから職員の誘導に従った。従順にしたところで彼らは入国出来ないだろう。
僕は彼らと他人のフリをして僕とアルだけ入国し、後から不法入国の手引きをしようと心を決めた。
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