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第十八章 美食家な地獄の帝王
悪意無き民衆
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先程、僕が兄の前世だという女に向けられた感情、殺意。
今のそれはメルに向けられたもの、自分に向けられたものでなくとも肌が痛いくらいに感じ取れる。
大勢で気を大きくした、一人だけではやる気はない、誰かがやれと叫ぶ集団の殺意。
いや、民意と呼ぶべきか。
『嘘……待ってよ、そんな……ワタシ、今まで』
涙を溢れさせながらの弁解に意味などない、誰も聞いていない。聞きたくないことなんて誰も聞かない。
『…………魅了』
メルが羽を広げて呟くと、民衆は勢いを失いぼうっとメルを見つめだす。メルの足元の豪奢な絨毯にぽたぽたと涙が落ちる。
『……魔術のせいってだけじゃなくて、本当に愛されてるって、思ってたのになぁ』
「メル……あの」
『いいの、分かってた。ワタシはどうせ悪魔なんだから』
部屋の外からはまだまだ大勢の足音が聞こえる。メルは魅了を使っているからと羽や角を晒してきたのだろう、だから民は今回の惨劇はメルが元凶だと決めつけ、それを事実として押し寄せる。
「……何で来たんだろ。メルは術解いてないよね?」
『そんなに強力なものじゃないもの、前にだーりんが来た時はワンコの足止めのために強化したけど……いつもアレじゃ暮らしていけないから、好意的に思うくらいに留めてるのよ』
「そっか……じゃあ、強めたら?」
『…………無理矢理やっても、きっとダメよ。皆ワタシが悪いって思ってるもの』
「そう、なのかな」
『魅了なんて、好意を膨らませるだけで、不信感は消えないし記憶も消えない。長く同じ術に曝されていれば耐性もできる。そうなったら、ワタシ……は』
『殺される、と』
メルが言うのを躊躇った言葉をベルゼブブは簡単に吐き捨てる。ベルゼブブの視線には同情も何もなく、口は事実だけを述べる。
『リリムは人間寄りの悪魔ですからねぇ、脆いし弱いし、首を落とせば簡単に死ぬ。ここって処刑器具ありますか?』
『い、いえ。働かなくても食べてはいけるので、犯罪率も低いですし、そんなものは……ありません』
木も岩も川も全てお菓子、生きるために盗む必要はない。食欲が煽り立てられれば他の欲求は自然と下火になる。
皮肉にもお菓子の国は『暴食の呪』のおかげで平和だった。ベルゼブブの翅、髑髏の模様が嫌に目に付く。
「どうするの?」
『殺されたくはないわ、でも、逃げたって……どこも変わらない。人間の中にも悪魔の中にも入れないのよ、ワタシは』
人間は悪魔を受け入れない。人間寄りの弱い悪魔は実力主義の悪魔の世界では生きていけない。
「……酒色の国は? ほら、セネカさんも居たし、大丈夫じゃないかな」
『お話の途中申し訳ございませんが、そろそろ抑えられないのでは? 長く術に曝されてきた国民はある程度の耐性を持っていますし、好意があればあるほど憎悪も大きくなりますよ』
『迷ってる暇は、ないのね。宛もなく逃げるか、王女として死ぬか……どっちも嫌ね』
「逃げようよ! 死んじゃダメだよ!」
『でも、夢が叶わないのなら、生きていたって……』
メルの表情から希望が消えていく。アルに会う直前の僕と同じ、アルが死んだ直後の僕と同じ、生きていながら心を殺された者の顔。やはり、メルはどこか僕に似ている。
「な、なら僕が叶えるから! 僕がやる! だからお願い。死ぬなんて言わないで!」
『……もう、だーりんったら。仕方ないわね、じゃあ、もう少しだけ…………夢を見ているわ』
メルは僕を抱き締め、目を閉じた。それと同時に民衆の魅了の術は解け、怒りで我を失った彼らがなだれ込む。
『任せるわ、だーりん』
「任せるってそんな! 僕に何をしろって……」
なだれ込んできたのが魔獣ならともかく、人間なら僕にはどうすることも出来ない。大口を叩いておきながら、情けない。そんな事をしている暇はないのに、また自己嫌悪を始めた。
『ふむ……間食ならこの程度でも構いませんよ』
ベルゼブブが指を鳴らすと、無数の虫が壁となって民衆を文字通りに食い止めた。
『さてヘルシャフト様、このまま私がいただいても?』
「食べるってこと? ならダメだよ!」
正義を盾に暴走していようと、彼らは善良な民衆なのだ。無差別に理不尽に殺戮するなんて許されない。
『そうですか……残念です』
散開する虫、皮膚が一部剥がれた民衆。幻想的なお菓子の国は小さな地獄へと姿を変えていた。地獄の帝王が地下から這い上がってきたのだから、丁度良いといえばそうなのだろう。
『ならどうするのですか?』
「今考えてる!」
『そんな暇などありませんよ』
感情を入れずに事実だけを伝えてくるのは、状況を理解するのには役立つが理解している今は鬱陶しい以外の何物でもない。
「分かってる!」
『……私を使い魔にしますか?』
考え込む僕の顔を覗き込む、悪戯っ子のような微笑み。
「…………へ?」
『契約、しちゃいます? まぁ差がありすぎますからね。仮も仮、一時的ですけど』
使い魔の契約、それをしてどうなる。ベルゼブブに民衆を落ち着かせることができるのか? 喰いつくせなんて命令を出す気はない。
どうする、どうなる、どうすれば──ダメだ、迷っている暇なんて無い。
「分かった、契約する! じゃあ……今すぐ僕らを、僕とメルとにいさまとセネカさんを、メルとセネカさんが平穏に暮らせるところへ連れていけ!」
『……承知』
そう言ったベルゼブブの顔はどんな悪魔よりも悪魔らしい、とびきり邪悪な笑みだった。だけれどその笑みは僕には美しく思えた。
ベルゼブブが指を鳴らす、無数の虫が視界を閉ざし、一瞬の浮遊感に胸を締め付けられる。ゆっくりと目を開けると、そこは見たこともない豪華絢爛な部屋だった。
今のそれはメルに向けられたもの、自分に向けられたものでなくとも肌が痛いくらいに感じ取れる。
大勢で気を大きくした、一人だけではやる気はない、誰かがやれと叫ぶ集団の殺意。
いや、民意と呼ぶべきか。
『嘘……待ってよ、そんな……ワタシ、今まで』
涙を溢れさせながらの弁解に意味などない、誰も聞いていない。聞きたくないことなんて誰も聞かない。
『…………魅了』
メルが羽を広げて呟くと、民衆は勢いを失いぼうっとメルを見つめだす。メルの足元の豪奢な絨毯にぽたぽたと涙が落ちる。
『……魔術のせいってだけじゃなくて、本当に愛されてるって、思ってたのになぁ』
「メル……あの」
『いいの、分かってた。ワタシはどうせ悪魔なんだから』
部屋の外からはまだまだ大勢の足音が聞こえる。メルは魅了を使っているからと羽や角を晒してきたのだろう、だから民は今回の惨劇はメルが元凶だと決めつけ、それを事実として押し寄せる。
「……何で来たんだろ。メルは術解いてないよね?」
『そんなに強力なものじゃないもの、前にだーりんが来た時はワンコの足止めのために強化したけど……いつもアレじゃ暮らしていけないから、好意的に思うくらいに留めてるのよ』
「そっか……じゃあ、強めたら?」
『…………無理矢理やっても、きっとダメよ。皆ワタシが悪いって思ってるもの』
「そう、なのかな」
『魅了なんて、好意を膨らませるだけで、不信感は消えないし記憶も消えない。長く同じ術に曝されていれば耐性もできる。そうなったら、ワタシ……は』
『殺される、と』
メルが言うのを躊躇った言葉をベルゼブブは簡単に吐き捨てる。ベルゼブブの視線には同情も何もなく、口は事実だけを述べる。
『リリムは人間寄りの悪魔ですからねぇ、脆いし弱いし、首を落とせば簡単に死ぬ。ここって処刑器具ありますか?』
『い、いえ。働かなくても食べてはいけるので、犯罪率も低いですし、そんなものは……ありません』
木も岩も川も全てお菓子、生きるために盗む必要はない。食欲が煽り立てられれば他の欲求は自然と下火になる。
皮肉にもお菓子の国は『暴食の呪』のおかげで平和だった。ベルゼブブの翅、髑髏の模様が嫌に目に付く。
「どうするの?」
『殺されたくはないわ、でも、逃げたって……どこも変わらない。人間の中にも悪魔の中にも入れないのよ、ワタシは』
人間は悪魔を受け入れない。人間寄りの弱い悪魔は実力主義の悪魔の世界では生きていけない。
「……酒色の国は? ほら、セネカさんも居たし、大丈夫じゃないかな」
『お話の途中申し訳ございませんが、そろそろ抑えられないのでは? 長く術に曝されてきた国民はある程度の耐性を持っていますし、好意があればあるほど憎悪も大きくなりますよ』
『迷ってる暇は、ないのね。宛もなく逃げるか、王女として死ぬか……どっちも嫌ね』
「逃げようよ! 死んじゃダメだよ!」
『でも、夢が叶わないのなら、生きていたって……』
メルの表情から希望が消えていく。アルに会う直前の僕と同じ、アルが死んだ直後の僕と同じ、生きていながら心を殺された者の顔。やはり、メルはどこか僕に似ている。
「な、なら僕が叶えるから! 僕がやる! だからお願い。死ぬなんて言わないで!」
『……もう、だーりんったら。仕方ないわね、じゃあ、もう少しだけ…………夢を見ているわ』
メルは僕を抱き締め、目を閉じた。それと同時に民衆の魅了の術は解け、怒りで我を失った彼らがなだれ込む。
『任せるわ、だーりん』
「任せるってそんな! 僕に何をしろって……」
なだれ込んできたのが魔獣ならともかく、人間なら僕にはどうすることも出来ない。大口を叩いておきながら、情けない。そんな事をしている暇はないのに、また自己嫌悪を始めた。
『ふむ……間食ならこの程度でも構いませんよ』
ベルゼブブが指を鳴らすと、無数の虫が壁となって民衆を文字通りに食い止めた。
『さてヘルシャフト様、このまま私がいただいても?』
「食べるってこと? ならダメだよ!」
正義を盾に暴走していようと、彼らは善良な民衆なのだ。無差別に理不尽に殺戮するなんて許されない。
『そうですか……残念です』
散開する虫、皮膚が一部剥がれた民衆。幻想的なお菓子の国は小さな地獄へと姿を変えていた。地獄の帝王が地下から這い上がってきたのだから、丁度良いといえばそうなのだろう。
『ならどうするのですか?』
「今考えてる!」
『そんな暇などありませんよ』
感情を入れずに事実だけを伝えてくるのは、状況を理解するのには役立つが理解している今は鬱陶しい以外の何物でもない。
「分かってる!」
『……私を使い魔にしますか?』
考え込む僕の顔を覗き込む、悪戯っ子のような微笑み。
「…………へ?」
『契約、しちゃいます? まぁ差がありすぎますからね。仮も仮、一時的ですけど』
使い魔の契約、それをしてどうなる。ベルゼブブに民衆を落ち着かせることができるのか? 喰いつくせなんて命令を出す気はない。
どうする、どうなる、どうすれば──ダメだ、迷っている暇なんて無い。
「分かった、契約する! じゃあ……今すぐ僕らを、僕とメルとにいさまとセネカさんを、メルとセネカさんが平穏に暮らせるところへ連れていけ!」
『……承知』
そう言ったベルゼブブの顔はどんな悪魔よりも悪魔らしい、とびきり邪悪な笑みだった。だけれどその笑みは僕には美しく思えた。
ベルゼブブが指を鳴らす、無数の虫が視界を閉ざし、一瞬の浮遊感に胸を締め付けられる。ゆっくりと目を開けると、そこは見たこともない豪華絢爛な部屋だった。
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