上 下
388 / 909
第二十三章 不定形との家族ごっこを人形の国で

同族嫌悪

しおりを挟む
兄の独り言を聞いていて、ふと兄の夢とやらが気になった。二つとも一気に叶うということは、当然二つあるということだ。

「にいさまの夢ってなんなの?」

『世界征服だね』

その言葉の響きは幼稚だが、兄が言うと洒落にならない。兄の統治は傍目には素晴らしいものだろうが、その実不幸なものだろう。

「……もう一つは?」

『秘密』

「え……何で?」

『叶ったら教えてあげるよ』

口の手前にに人差し指を立て、それ以上聞くなと視線で伝える。肉の最後の一切れを口に放り込むと、兄は暖炉の前の安楽椅子に戻った。
僕は不安を覚えながら空になった器を流し台に運んだ。

『……あ、僕が洗うから水入れて置いておいてくれればいいよ』

「え?  いや、自分で食べた分くらい自分で洗うよ」

『ダメ。君は暖炉の前でゴロゴロしてて。君にさせちゃ僕が怒られちゃう』

兄の方に目線をやる。兄の顔はこちらを向いてはいなかったが、こちらに意識を向けているとは分かった。
僕はフェルに軽い礼を言って、兄の隣に移動した。

『……おいで』

兄の膝の上に座る。安心出来る場所のはずなのに、僕の心は不安で埋め尽くされる。身体は熱いくらいなのに、心は凍りつく。

『…………ヘル。僕の弟……』

兄の腕が僕を包む。それは嬉しいはずなのに、恐ろしくて仕方ない。暖炉の前に居るのに背筋に冷たいものが流れた。
兄はその後うわ言のように何かを話していたが、身も心も硬直してしまった僕には認識出来なかった。僕が上の空で無くなったのはそれから数十分後、兄から解放され風呂場に行く途中だった。

『ヘル、考え事も良いが、根を詰め過ぎるなよ。後、湯から腕を出すな、肩まで浸かるんだ。分かったか?  貴方は人より身体が温まり難いんだからな──』

頭と身体を洗い終え、浴槽の縁に肘をついて泡まみれのアルを眺めていると、呆れながらの説教を頂いた。

「…………あぁ、ごめん」

風呂上がり。水分を飛ばすのに時間が掛かるアルを脱衣場に置いて、僕はダイニングルームでフェルが用意した氷菓子を食べながら彼と話す。

「にいさまは?」

『食料調達』

「……一日に何人くらい食べるの?」

『消費魔力とか食料が持つ魔力とかによるけど、基本は三日に一人。時々適当に捕まえては解体してそこの冷蔵庫に入れてる。君がにいさまを連れて旅をするなら、魔法を使わせたいなら、まぁ場合によるけど一日に五人は固いね』

「…………僕の魔力で代用出来ないかな」

『空腹は癒せても空腹感は無くならないと思うよ』

アルの魔力を酒呑やベルゼブブに移した時と同じように出来ないかと思ったが、どうやら咀嚼も重要らしい。

「……痛覚消してくれるなら食べられても良いんだけどな」

『消してあげようか?』

「…………出来るの?」

『一通りの魔法は使えるよ』

フェルが虚空に手を翳すとそこに魔法陣が現れ、魔法陣からはぽたぽたと水が滴り落ちた。

「…………それ、もしかして天候操作?」

『正解。雨だよ』

「……しょぼい」

『にいさまほどの出力は出ないよ。今のは無詠唱だから、これが全力って訳でもないけど』

痛覚消失の魔法は雑ではあるが消費魔力は少なく済む魔法のはずだ、彼でも効果は期待出来るだろう。僕はもしもの時は頼むと会話を切り上げ、兄に言われた部屋に入る。僕の部屋として用意された空っぽの部屋だ。

『中々の広さだ。良かったな、ヘル』

扉を開けて立ち止まっていると、すっかり乾いた毛皮を擦り付けられる。

「アルはここに住む気あるの?」

『貴方が住むのなら何処にでも』

敷かれていた布団に寝転び、横に腰を下ろしたアルに手を伸ばす。表面は乾いているが、中の方はまだ湿っている気がした。

『……本当に、良かった。貴方の兄が改心してくれて』

「…………アルはそう思えるんだね」

『貴方が疑う気持ちも理解出来る』

僕の胸の上に顎を置いて、アルはゆっくりと目を閉じる。

『貴方には家族が必要だと常々思っていた。だから今日、貴方の兄が兄をやる気になってくれて、貴方が自分の複製を双子と扱ってくれて、嬉しかったんだ』

「…………家族」

『まだ欲しいだろう?  兄と弟だけでは足りんな?  何が欲しい?』

家族の定義はよく分からないし、僕には必要無いと思い込むようにしていた。今でも手に入ったとは思わないように自分を戒めている。

『妻を持つか?  子が欲しいか?  どんな女が良い、私が見繕ってやる』

「…………まだ、そんな気にはならないよ」

『そうか?  ならいい』

その後も他愛ない話を繰り返し、アルは僕を枕にしたまま眠ってしまった。動かせば起きてしまうだろうかと寝返りも打てずにいると、扉が開き部屋に光が差し込む。

「…………誰?」

『あれ、まだ起きてるの?  僕だよ僕』

「フェル……?」

光はフェルが持った杖の先に灯っていた。松明などではない、柔らかなオレンジ色の光はどこか懐かしさを感じる。

「それ灯魔法?  ちゃんと使えるんだ」

『杖があれば大抵のものはね。出力は弱いけど』

「ふーん……いいなぁ」

僕も魔法が使えれば幸せに暮らせていただろうに。
魔法を扱うフェルを見ていると、自分が魔法を使っているところを鏡に移しているようで、虚しい喜びが手に入った。

「何か用?」

『居場所がないんだ。床でいいから寝させてよ』

「…………布団入っていいよ」

『言うと思った。じゃ、遠慮して……』

フェルは毛布に片足と片手を入れ、身体と頭をもう片方の手足を床に置いた。

「もうちょっと遠慮しなくいていいよ」

『あ……ちょっとはしなきゃダメなんだ、そんな気はしてた』

「…………君とひっついて寝たくない、気持ち悪い」

『分かるよ。言うとは思わなかったけど。君結構遠慮ないよね?』

フェルは僕を押しながら布団に潜り込み、アルの翼を引っ張り暖を求めた。

「……君もないよね?」

『君に遠慮する必要ないでしょ?』

「してよ。今日会ったばかりなんだから」

『十五年間一緒の生き物だったのに』

「…………にいさまが勝手に複製しただけだろ」

僕自身が分裂したような言い方はやめてもらいたい。一緒の生き物だったと言うなら兄の方が正しいだろう。

『そうだよ、僕生まれたてだよ?  赤ちゃんだよ、優しくしてよ。それでなくても毎日虐められてるんだから、もっと同情して欲しいね』

「僕も十年くらいは虐められてた。君こそ僕にもっと気を遣いなよ、僕がにいさまに君の悪口言ったら処分されちゃうんだからね?」

『嫌な脅し方してくるね君。そんなだから人に好かれないんだ』

「あぁ悪かったねひねくれてて!」

今が夜だということも忘れて、アルが上で寝ているということも忘れて、大声を上げた。

『君がそんなにひねくれてなきゃ僕ももっと良い奴だったんだよ!』

「僕のせいみたいに言うなよ!  君が鬱陶しいのは君のせいだろ!」

『はぁ!?  僕の性格は九割九分九厘君から来てるんだよ!』

フェルも僕に釣られて声量を上げていく。これで兄がうるさがって部屋に来たら──なんて怯えは二人ともにあるはずなのに、今はどちらも気が付いていない。

「何でもかんでも人のせいにするなよ!  僕みたいな奴だな!」

『僕は君の複製だからね!  君みたいで当然だよ!』

「うるさい!」

『うるさいのは君だよバカ!』

「バカって言う方がバカなんだよ!  このバカぁ!」

『僕にバカって言うのは自分にバカって言ってるってことなんだよバーカ!』

『喧しい!  何時だと思っている!  全く……頭の悪そうな争いは止めろ』

あまりの騒がしさにアルが飛び起き、僕達を叱る。けれど昂った僕達は少し叱られただけでは止まれない。

「アルも僕がバカだって言うの!?  酷いよはっきり言うなんて!」

『事実を包み隠さず言うと人は傷付くんだ、今のはよくなかったよ!』

「謝れ!」

『そして慰めろ!』

「撫でさせろ!」

『甘やかせ!』

僕とフェルは団結してアルに対抗する。アルは僕達二人の腹に飛び乗り、僕達はその衝撃で黙り込む。

『…………寝ろ。いいな』

「重い……」

『寝たら退いてやる』

『無理……』

二人で押してもアルはビクともしない。僕達は目配せし合って、同じ抑揚同じ音程で謝罪を述べた。アルはようやく僕達の上から僕達の間に移動し、僕達はアルを抱き枕に静かに眠ることにした。
アルが再び寝息を立て始めた頃、扉が開いた。

『…………夜中に騒いでる悪い子はどこ……?』

ヒタヒタと足音が近付いてくる。足音は枕元で止まり、視線を感じて体が強ばる。フェルも同じようで、アルの上に乗せた腕に力が入っていた。

『…………寝てるの?  おかしいな……』

足音が去っていく。

『……あの筋肉バカか……?』

そんな不敬な言葉を残し、扉は閉まる。
僕とフェルは同時に深い安堵のため息を吐き、言葉を交わさないで夜は静かにすることを誓い合った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

無限に進化を続けて最強に至る

お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。 ※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。 改稿したので、しばらくしたら消します

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

いきなり異世界って理不尽だ!

みーか
ファンタジー
 三田 陽菜25歳。会社に行こうと家を出たら、足元が消えて、気付けば異世界へ。   自称神様の作った機械のシステムエラーで地球には帰れない。地球の物は何でも魔力と交換できるようにしてもらい、異世界で居心地良く暮らしていきます!

Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!

仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。 しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。 そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。 一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった! これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

処理中です...