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第二十三章 不定形との家族ごっこを人形の国で

尊き時間

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机に座ってしばらく、僕の要望である芋煮が大皿に盛られて机に置かれる。それにトウモロコシのスープと、サイコロの形に切り分けられた肉も。

『アル君にはこれね』

兄はアルに大きな紙の包を渡す。その中身は牛の生肉。アルはにわかに目を輝かせ、それを咥えて机の下に潜り込んだ。

『エア。下の。お前らのはこっちだ』

トールは木製の冷蔵庫の中から生肉を取り出し、素手で割って二人に配る。兄はそれを手のひらに現した火で溶かして食べている。

『下の。ほら、鍋』

『……どうも』

机に木の板を置き、その上に熱湯が入った鍋を置く。フェルはその鍋に凍った肉を入れて溶かしてから食べるらしい。

『上の。ほら、スプーンとフォーク』

「ぁ……どうも」

僕は兄が美味しそうに食べている肉の正体を知りたくなくて、取り分けられた芋煮だけに視線を注ぐ。
食器の擦れる音だけが聞こえる食事の時間は苦痛に近い。冷えた空気に耐え切れなかった僕は覚悟も無しに顔を上げ、会話を試みた。

「えっ……と、あの、トールさんは料理好きなんですか?」

『嫌いだ』

目線も寄越さず、吐き捨てた。

「ぁ……そうですか、すいません。やってもらって」

それきり誰からも発言は無い。
フェルや兄に話しかけたくはない、その肉の話は聞きたくない。アルは机の下に居て話しかけ難い。
となれば相手はトールだけなのだが、何でも端的に済ましてしまう彼との会話は至難の業だ。

「……こ、このお芋、美味しいです」

『濃いだろう』

「い、いえ!  すごく、その、なんて言うか……良い意味で!  ちょうどいいです」

『俺には味見させたやつが丁度良かった』

そうだった。この芋煮は僕が味を変えさせたものだった。だが、トウモロコシのスープの方は味が薄くてよく分からない。肉の方も味付けがしてあるのかどうかさえ分からない。トールは随分と薄味が好きなようだ。

「……と、ところで。さっきの……上の、って僕の事ですよね?」

『ああ』

「フェルには下って言ってましたけど……どういう意味なんです?」

『双子の上と下』

「あぁ……」

そういえばトールには双子だと思われていた。自分で「僕が兄だ」と言っておきながら、緊張のあまり忘れてしまっていた。

『…………ねぇヘル。なんでさっきからバっ……神様にばっかり話しかけてるの?  お兄ちゃんとはお話してくれないの?』

『バ?  バ……と言ったかエア。バ、何だ?』

『ばっかりが先行しただけだよ』

『ならいい』

兄に話しかけなかったのは肉の正体を聞いてしまわない為だったが、その結果兄の機嫌を損ねてしまった。
何をやってもどれを選択しても上手くいかない、不運な人生だ。

「お、同じもの食べてたから、作ってくれたのトールさんだし……それだけ!  にいさまとも話したいよ」

『……ふふ、だよね?  何話す?』

「え?  えっと……」

『…………話したいってのは嘘なのかな』

「違うよ!  えっと、ほら、その……ほら」

何も思い浮かばないことを隠す為に、言いたいことはあるが言葉が出てこない演技をする。いつもの兄なら既に僕を殴っているだろうが、今の兄は僕を睨むだけに留めている。

「…………家具、揃ってないって言ってたけど、何がないの?」

机や椅子、冷蔵庫など、この部屋には家具が完璧に揃っているように思えた。まるで本の挿絵を見ているような色調と配置で。

『えーっと、ヘル用のだよ、僕のはある。ヘルの部屋はまだ空っぽなんだ』

「…………そっか」

当然のように僕の部屋は用意されている。兄特有の薄気味悪さを感じるが、同時に嬉しくもある。僕は緩んだ顔のまま、家についての話を広げた。

「お風呂とかってどうなってるの?」

『この国は水周りの設備が不十分だからね。魔法で補助して温泉の国くらいにはしてるよ。ヘル、浴槽好きでしょ』

湯に浸かって微睡むのは好きだ。無いと機嫌が悪くなるという程でもないけれど。

「ここ、冬の気候みたいだけど……いつ頃暖かくなるの?」

『それがねぇ、ここあんまり変わらないんだよ。ずっと冬。これからもっと寒くなるよ、来週あたりは雪が降るかもね』

寒いのは嫌いだ。けれど、暖かい室内で毛布に包まって惰眠を貪るのは大好きだ。兄がこの国に家を買ったのは僕を外に出さないようにする為かもしれない。

「…………にいさまは、僕にここに住んで欲しいんだよね?」

『住んで欲しいって……何言ってるのヘル。住むんだよ?』

「僕がここに住むとしたら、アルはどうなるのかな」

『…………一匹くらいならペットも許可してあげる』

兄の声が次第に低くなり、目つきも鋭くなっていく。機嫌が悪くなっているのも、衝動を抑えようとしているのも、僕には分かる。

「……フェルは?」

『処分しようと思ってたけど……ヘルがいいならこのまま置いておくよ』

「…………トールさんは?」

『追い出したいね。でもどうすればいいのか分かんない。何でいるのかも分かんないし……』

フェルの処分が延期になったのは喜ばしいことだ。面と向かって話をすると腹が立つし気持ち悪いし鬱陶しいけれど、だからと言って死んで欲しいとまでは思わない。それに何より、彼にはもう情が移ってしまった。

「……じゃあ、この五人で住む気なの?」

『手狭になるよね。二人で住む気だったからさ。となると……やっぱり体格のいいおじさんには出ていって欲しいなぁ』

兄はそう言いながらトールを見る。だが、彼は自分のことを言われたとは思っていないらしく何の反応も示さない。

『ここに住むの、嫌じゃないよね?』

「嫌じゃないよ。でも、やりたいことがあるんだ」

魔物使いとして力を振るわなければ。そうでなければ僕の存在意義が無くなってしまう。何の意味も無く怠惰に暮らすなんて、それはそれは素晴らしいことだけれど、開き直れるほど強い心は持っていない。

『……さっき言ってたこと?』

「うん。それが全部終わったら…………言いなりになるから、協力してくれないかな」

先程話した時も「協力する」とは言ってくれたけれど、あれは本心ではない。本心でなければ意味が無い、命を懸ける覚悟でなければ僕に協力してくれなんて言えない。
だから、命に見合う報酬を用意しなければ。兄が求めるものを与えなければ。

『僕の……言いなりに?  ヘルが?』

「…………条件はあるけど、魔物使いの力も使わせていいよ」

兄が僕に執着するのは兄が魔物使いの力を持っていないからだ。この世で唯一習得できない術だからだ。
僕はそう考えている、兄が僕を愛しているはずはないと、兄にそんな感情はないと、優しさは全て罠だと。

『条件って?』

「遊びで生き物を殺したり、とか……酷いこと、しないなら」

『……分かった。夢を叶えたらヘルは僕の言いなりになるんだね?  その力、僕にくれるんだね?』

「…………うん」

足に柔らかい毛の感触があって、机の下を覗くとアルが足に擦り寄っていた。アルは不安そうな目で僕を見上げている。

「……アルには優しくしてね」

『分かったよ。分かってる、大丈夫…………ふふっ』

兄は生返事を繰り返し、笑みを零した。僕が夢を叶えた後の世界、魔物を統べる快感を思い描いて陶酔している。

『なぁ、ヘル。良いのか?  そんな約束をして……』

「良いよ別に。夢を叶えた後なら、僕に意味は無いから」

魔物と人間の共存の道を示したら僕はもうこの世界に必要無い、邪魔なだけだ。なら、必要とされる人に必要とされるままに生きなければ。そうでなくては僕に存在価値が完全に無くなってしまう。

『…………まぁ、貴方に甘くなったようだから……私は、反対はしないが…………肯定も出来んぞ』

アルは本当に兄が僕に甘くなったと思っている。あの態度は僕を手に入れる為のもので、僕が手に入ると確約されればあんな演技は必要無い。だから兄は元に戻る。僕はそう考えているのに。

『ふ、ふふふっ、ねぇ、それってすごいことじゃない?  ヘルの夢を叶えるにはさ、天使や神を退けて悪魔を率いる必要があるんだよ?  その後ってことは、世界はヘルのものになってるってことだ。そのヘルが僕の人形なら、世界は僕のものじゃないか!  僕の夢が両方一気に叶うんだ……!  ふふ、あははっ、あっはははははっ!』

早口で独り言を呟いていたかと思えば、突然笑い出す。
僕は兄の奇行を「いつものことだ」と思いながらも、未来を思い描いて憂鬱になった。
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