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第十三章 異界にて神々を讃えよ
残った希望
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太陽を忌避してきた白い肌に温度はない。毛先から白く変色していく途中の黒髪は柔らかく、抵抗なく指を通す。丸い瞼はまだ幼い瞳を隠したままで、小さな唇は言葉を紡がない。
呼吸による上下を失った薄い胸に頭を乗せて、アルはヘルの隣に横たわっていた。鼓動を求めた耳には何も届かない。
『アル、肉喰うか? クダンモドキって言うのの肉なんだけどよ、人の味がするんだよ。結構美味くて……あ、焼くか?』
皿に山盛りにした生肉を持って、ロキはアルの顔を覗き込む。
『……いらん』
『そっか、なら、フェンリルにやってくるかな』
バツが悪そうに部屋を出たロキを背中で見送り、アルはヘルの顔を舐めた。いつもならくすぐったそうに、嬉しそうにするのに、今は何の反応も見せない。
『貴方もこんな気分だったのか?』
あの堕天使に石を砕かれて、再びこの世に戻ってくるまでの間。ヘルはどうやって過ごしていたのだろうか、アルには見当もつかない。
『これは……辛いな』
大切な人が目を覚まさないというのは、こんなにも辛いものだったのか。
呼びかけに応えてくれないというのは、こんなにも孤独を感じるものだったのか。
過去のヘルと今のアル、違う点があるとすればアルにはヘルが戻ってくる希望がないということだろう。
賢者の石にデータを書き込めば再生出来るアルと違って、ただの人間であるヘルは一度死ねば終わりなのだから。
家だった瓦礫の山の裏手、ロキは息子達に餌をやっていた。
『よしよし、もう俺様を喰うなよ? また腹ぶっ叩かれたくないだろ』
眼前に開いた口に並んだ牙はロキの身長を優に越している。
狼はほぼ丸呑みで肉を食べながら、巨大な瞳を細めていた。そんな巨狼に負けず劣らずの大きさの蛇もより多くの肉を求めている。
『俺の子ってなんでこう大食いなのかね』
育ち盛りの息子達を眺めて楽しむ。その時、ロキはふとあることを思い出した。
『俺の子……俺の子? そうだ、娘!』
突然の父親の大声に驚き、巨狼は腕に噛み付いた。
『いってぇ! 離せばか! 噛むな、喰うな、離せ!』
穴の空いたお気に入りの服を名残惜しそうに見つめながら、ロキは残りの肉を全て投げた。
『ほら喰ってこい。ったく、意地汚ぇなぁ』
『ロキ、ここにいたか』
『トールじゃねぇか、俺様は今から忙しい、また後でな』
『待て、俺も急用だ』
ロキが空を駆けたとしてもトールは雷と化して追いかけるだろう。
トールから逃げ切るのは困難な上に面倒臭い、ロキは大人しく用件を聞くことにした。
『んだよ、早くしろ』
『あの狼、いつまで俺の家に置いておくつもりだ? ベッドを死体と獣に占領される俺の気持ちも考えろ』
『今から何とかするつもりだったんだよ、死体とか獣とか言うなハクジョーモン。そうだ! お前も手伝えよ、お前がいりゃあ大抵は何とかなるだろ。脳筋バカって強いからなぁ』
『……脳筋、バカ?』
『脳まで筋肉でできてんのかってくらい力で解決しようとする奴、すなわちバカ。お前のこと』
『なるほど』
理解したと頷き、ロキに歩み寄る。そして一切の予備動作なく槌を振るった。
『っぶねぇ! 絶対すると思ったぜ!』
『……で、何を手伝えばいい』
トールは当てるつもりで振るった槌を避けられて舌打ちをする、一切表情を変えずに。
『まぁそれは家で話す……ところでトール、お前表情筋って知ってる? 使い方とか』
軽く煽ってみるものの、トールは既に前を歩いている。家で話す、の部分だけを聞いたらしい。
再び煽るのも悪戯を仕掛けるのも馬鹿らしくなり、ロキは大人しく後を追うことにした。
トールの自宅、寝室にて。アルはベッドの下に寝転がっていた。ヘルが時々寝ぼけてベッドの上から手を伸ばすのを期待しながら、いつものように丸まって休んでいた。
『アールー、寝てんのか?』
『……寝ている』
『起きてるな』
顔を体に埋めたまま、アルは耳だけをロキに向けた。尾の黒蛇は片目だけ開けている。
『いい話があるんだよ。上手くいくかは分かんねぇけど』
ロキがアルの前にしゃがみこむと、尖ったヒールの先が古い木の床を抉った。素人の手抜きで建っているのも奇跡、なんて言われるトールの家の床はささくれ立っている。だからと言ってヒールで歩かれるのは気に入らない、トールはロキの足を軽く蹴った。
『まぁ聞けよ、ここはアスガルドで普通なら人間の来れる場所じゃねぇ。ここの結界は世界とズラすタイプのもんだ』
鳥に壊された結界はその後すぐに修復された。
空は元の奇妙なパステルカラーに戻り、極彩色の雲が浮かんでいる。
『その根源はユグドラシルっつー馬鹿でけぇ木でな、九つの国が繋がってんだよ』
ロキは窓を開け、遠くに見える茶色の壁を示した。アレは木の幹なのだと。
『九つの国……まぁ色々ある、神族だとか妖精だとか、デカいの小さいの中くらいの、暑いの寒いの』
指を一本ずつ立てて、適当な説明を続ける。
『で、ここからが本題だ。お前らの世界では人間ってのは死ぬと魂が抜け出て地獄や天国に行くんだってな。例外的に魔界や天界に引っ張られる奴もいるらしいが……死んだ人間を管理するのは悪魔や天使だから、まぁ欲しいのがいたんだろうよ』
天国を管理するのは天使、地獄を管理するのは悪魔。案内の途中で気に入った者がいれば、自らの住む世界へ連れていく。
連れていかれる者は加護受者や契約者に多いと言われているが、死後のことは人間には分からない。
『順当に行けばそのお姫様もどっちかに行くはずだよな? だが、ここはアスガルド。こいつの生まれた世界とは少しズレた世界。ユグドラシルの結界からは魂も抜けられない、穴が空いたのはほんの一瞬だ。抜け出たとは俺は思わねぇ』
アルの顔を掴んで無理矢理上げさせ、ニヤリと笑う。
『ここで死んだんなら、ここの死者の国に行く。天国でも地獄でもない、まぁ環境的には地獄に近いだろうけどよ』
『……貴様が何を言いたいのか分からん』
『そう急くなよ。死者の国に行けば、そいつを取り返せるかもって話だ』
『ヘルが生き返る可能性がある、ということか?』
『まぁそーゆーこと、どうする?』
『……決まっているだろう』
ロキの手を払い、アルは力強く立ち上がる。
『案内しろ』
『はははっ、そうこなくっちゃ……っとと、仰せのままに。って言うとこだな、ここは』
悪戯っぽい笑みを浮かべて、ロキはトールの腕を引いて家を出る。トールはまた面倒事に巻き込まれるのか、とため息をついた。
呼吸による上下を失った薄い胸に頭を乗せて、アルはヘルの隣に横たわっていた。鼓動を求めた耳には何も届かない。
『アル、肉喰うか? クダンモドキって言うのの肉なんだけどよ、人の味がするんだよ。結構美味くて……あ、焼くか?』
皿に山盛りにした生肉を持って、ロキはアルの顔を覗き込む。
『……いらん』
『そっか、なら、フェンリルにやってくるかな』
バツが悪そうに部屋を出たロキを背中で見送り、アルはヘルの顔を舐めた。いつもならくすぐったそうに、嬉しそうにするのに、今は何の反応も見せない。
『貴方もこんな気分だったのか?』
あの堕天使に石を砕かれて、再びこの世に戻ってくるまでの間。ヘルはどうやって過ごしていたのだろうか、アルには見当もつかない。
『これは……辛いな』
大切な人が目を覚まさないというのは、こんなにも辛いものだったのか。
呼びかけに応えてくれないというのは、こんなにも孤独を感じるものだったのか。
過去のヘルと今のアル、違う点があるとすればアルにはヘルが戻ってくる希望がないということだろう。
賢者の石にデータを書き込めば再生出来るアルと違って、ただの人間であるヘルは一度死ねば終わりなのだから。
家だった瓦礫の山の裏手、ロキは息子達に餌をやっていた。
『よしよし、もう俺様を喰うなよ? また腹ぶっ叩かれたくないだろ』
眼前に開いた口に並んだ牙はロキの身長を優に越している。
狼はほぼ丸呑みで肉を食べながら、巨大な瞳を細めていた。そんな巨狼に負けず劣らずの大きさの蛇もより多くの肉を求めている。
『俺の子ってなんでこう大食いなのかね』
育ち盛りの息子達を眺めて楽しむ。その時、ロキはふとあることを思い出した。
『俺の子……俺の子? そうだ、娘!』
突然の父親の大声に驚き、巨狼は腕に噛み付いた。
『いってぇ! 離せばか! 噛むな、喰うな、離せ!』
穴の空いたお気に入りの服を名残惜しそうに見つめながら、ロキは残りの肉を全て投げた。
『ほら喰ってこい。ったく、意地汚ぇなぁ』
『ロキ、ここにいたか』
『トールじゃねぇか、俺様は今から忙しい、また後でな』
『待て、俺も急用だ』
ロキが空を駆けたとしてもトールは雷と化して追いかけるだろう。
トールから逃げ切るのは困難な上に面倒臭い、ロキは大人しく用件を聞くことにした。
『んだよ、早くしろ』
『あの狼、いつまで俺の家に置いておくつもりだ? ベッドを死体と獣に占領される俺の気持ちも考えろ』
『今から何とかするつもりだったんだよ、死体とか獣とか言うなハクジョーモン。そうだ! お前も手伝えよ、お前がいりゃあ大抵は何とかなるだろ。脳筋バカって強いからなぁ』
『……脳筋、バカ?』
『脳まで筋肉でできてんのかってくらい力で解決しようとする奴、すなわちバカ。お前のこと』
『なるほど』
理解したと頷き、ロキに歩み寄る。そして一切の予備動作なく槌を振るった。
『っぶねぇ! 絶対すると思ったぜ!』
『……で、何を手伝えばいい』
トールは当てるつもりで振るった槌を避けられて舌打ちをする、一切表情を変えずに。
『まぁそれは家で話す……ところでトール、お前表情筋って知ってる? 使い方とか』
軽く煽ってみるものの、トールは既に前を歩いている。家で話す、の部分だけを聞いたらしい。
再び煽るのも悪戯を仕掛けるのも馬鹿らしくなり、ロキは大人しく後を追うことにした。
トールの自宅、寝室にて。アルはベッドの下に寝転がっていた。ヘルが時々寝ぼけてベッドの上から手を伸ばすのを期待しながら、いつものように丸まって休んでいた。
『アールー、寝てんのか?』
『……寝ている』
『起きてるな』
顔を体に埋めたまま、アルは耳だけをロキに向けた。尾の黒蛇は片目だけ開けている。
『いい話があるんだよ。上手くいくかは分かんねぇけど』
ロキがアルの前にしゃがみこむと、尖ったヒールの先が古い木の床を抉った。素人の手抜きで建っているのも奇跡、なんて言われるトールの家の床はささくれ立っている。だからと言ってヒールで歩かれるのは気に入らない、トールはロキの足を軽く蹴った。
『まぁ聞けよ、ここはアスガルドで普通なら人間の来れる場所じゃねぇ。ここの結界は世界とズラすタイプのもんだ』
鳥に壊された結界はその後すぐに修復された。
空は元の奇妙なパステルカラーに戻り、極彩色の雲が浮かんでいる。
『その根源はユグドラシルっつー馬鹿でけぇ木でな、九つの国が繋がってんだよ』
ロキは窓を開け、遠くに見える茶色の壁を示した。アレは木の幹なのだと。
『九つの国……まぁ色々ある、神族だとか妖精だとか、デカいの小さいの中くらいの、暑いの寒いの』
指を一本ずつ立てて、適当な説明を続ける。
『で、ここからが本題だ。お前らの世界では人間ってのは死ぬと魂が抜け出て地獄や天国に行くんだってな。例外的に魔界や天界に引っ張られる奴もいるらしいが……死んだ人間を管理するのは悪魔や天使だから、まぁ欲しいのがいたんだろうよ』
天国を管理するのは天使、地獄を管理するのは悪魔。案内の途中で気に入った者がいれば、自らの住む世界へ連れていく。
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『……貴様が何を言いたいのか分からん』
『そう急くなよ。死者の国に行けば、そいつを取り返せるかもって話だ』
『ヘルが生き返る可能性がある、ということか?』
『まぁそーゆーこと、どうする?』
『……決まっているだろう』
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