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婚姻届
【9】
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「あまねくん!」
嫌な予感がして慌てて声をかける。
「……俺じゃない」
私を抱き締める彼は、静かにそう言った。少し体を離し、顔を見合わせる。ほとんど同時に勢いよく雅臣の方を振り返れば、彼はそのままその場に崩れ落ちた。
何が起きたのか理解できずにいると、前のめりに倒れた雅臣の影から、女性の姿が現れた。
髪は乱れ、絡まっている。頭皮から15cm程までは黒く、それ以降は金色に近い。おそらく長い間染めずにいて、地毛が伸びてきたのだろう。
肌は荒れていて、頬骨の辺りは赤らんで出来物がいくつもあった。眉毛は剃ってあるのか、抜いてしまっているのか、あったであろう影はあるが、毛量はほとんどないに等しい。
目の下にはくっきりと隈があり、夏だというのに唇は荒れ、ところどころ血が滲んでいた。
薄汚れたロングTシャツとモコモコとした素材のパンツは真夏らしくない。
「やっと会えた……。まぁくん、ずっと待ってたよ……」
彼女は倒れ込んだ雅臣の耳元に顔を寄せてそう言った。幸の薄そうなその顔は、めいいっぱい嬉しそうに口角を上げた。
「はっ……ぐ、誰っだ……」
雅臣は苦しそうに顔を歪めて、声を振り絞る。
「誰って、まゆだよ。まぁくんのことずっと待ってたんだよ。何回も面会に行ったのに、全然会わせてもらえないから」
優しい菩薩のような柔らかい声で彼女は言う。しかし、彼女の名前を聞いて、私は心臓を撃ち抜かれたかと思う程の衝撃を受けた。
全く見たことのない女性だと思っていたけれど、私が知っているまゆという女と同一人物だとするなら、それは雅臣の浮気相手だ。
そして、私はこの女性と雅臣との浮気現場を写真に収めたことでこんなにも憎まれているのだ。
「ま……ゆ? なん……で……ぐっ」
雅臣は、一瞬動きを止めた後、大きくえずき、その刹那大量の血を吐き出した。
「っ……」
残虐的な光景に思わず目を背ける。
「まどかさん、見ちゃだめだ。誰か、助けを呼べる?」
「む、無理……足が、動かない」
「そうか……」
あまねくんは、少し考えるような素振りを見せた後、スマホを取り出してどこかへ電話をかけ始めた。
血を吐いた瞬間にちらっと見えたのは、雅臣の背部に刺さったナイフのようなもの。あのまゆという女が背後から襲ったのだろう。
雅臣は、私達に気をとられていて気付かなかったのだ。私だって、自分のことで精一杯で、雅臣の後ろにまで目を向けていなかった。
「結婚しようねって言ってくれたじゃん。まゆが1番だよって言ってくれたよね? まゆ、まぁくんのこと信じてたから、記者の人にもまゆが本命だって言ったんだよ? 議員の娘と付き合ってたなんて嘘だよね? まぁくんはまゆだけだもんね」
雅臣の執着は異常だと感じていたが、ここにも同じくらい異常な精神状態の人間が存在した。
こんな緊迫した状況なのに、つくつくぼうしは呑気にリズムを刻んでいる。
「う……ぐ……」
「まぁくんが刑務所から出てくるの待ってたら、まゆはおばさんになっちゃうんだよ。……もっとたくさん会いたいし、結婚式だって挙げたいよ。
だからね、警察になんか行かないで、ずっとまゆの傍にいて。まゆはね、まぁくんのこと愛してるの。だから、全部全部まぁくんにあげるの。
まぁくんも、まゆのこと愛してるでしょ? だから、全部まゆにちょうだい。まぁくんの最後に残るのは、まゆじゃなきゃ嫌なの」
悲痛な彼女の声が聞こえた。切なそうに、愛しそうに、雅臣に訴えかけている。
私の隣では、あまねくんが「すぐに来て下さい。男性が刃物で背中を刺されています。大量に血も吐いていて、危険な状態です」とスマホを耳にあてながらそう話していた。
嫌な予感がして慌てて声をかける。
「……俺じゃない」
私を抱き締める彼は、静かにそう言った。少し体を離し、顔を見合わせる。ほとんど同時に勢いよく雅臣の方を振り返れば、彼はそのままその場に崩れ落ちた。
何が起きたのか理解できずにいると、前のめりに倒れた雅臣の影から、女性の姿が現れた。
髪は乱れ、絡まっている。頭皮から15cm程までは黒く、それ以降は金色に近い。おそらく長い間染めずにいて、地毛が伸びてきたのだろう。
肌は荒れていて、頬骨の辺りは赤らんで出来物がいくつもあった。眉毛は剃ってあるのか、抜いてしまっているのか、あったであろう影はあるが、毛量はほとんどないに等しい。
目の下にはくっきりと隈があり、夏だというのに唇は荒れ、ところどころ血が滲んでいた。
薄汚れたロングTシャツとモコモコとした素材のパンツは真夏らしくない。
「やっと会えた……。まぁくん、ずっと待ってたよ……」
彼女は倒れ込んだ雅臣の耳元に顔を寄せてそう言った。幸の薄そうなその顔は、めいいっぱい嬉しそうに口角を上げた。
「はっ……ぐ、誰っだ……」
雅臣は苦しそうに顔を歪めて、声を振り絞る。
「誰って、まゆだよ。まぁくんのことずっと待ってたんだよ。何回も面会に行ったのに、全然会わせてもらえないから」
優しい菩薩のような柔らかい声で彼女は言う。しかし、彼女の名前を聞いて、私は心臓を撃ち抜かれたかと思う程の衝撃を受けた。
全く見たことのない女性だと思っていたけれど、私が知っているまゆという女と同一人物だとするなら、それは雅臣の浮気相手だ。
そして、私はこの女性と雅臣との浮気現場を写真に収めたことでこんなにも憎まれているのだ。
「ま……ゆ? なん……で……ぐっ」
雅臣は、一瞬動きを止めた後、大きくえずき、その刹那大量の血を吐き出した。
「っ……」
残虐的な光景に思わず目を背ける。
「まどかさん、見ちゃだめだ。誰か、助けを呼べる?」
「む、無理……足が、動かない」
「そうか……」
あまねくんは、少し考えるような素振りを見せた後、スマホを取り出してどこかへ電話をかけ始めた。
血を吐いた瞬間にちらっと見えたのは、雅臣の背部に刺さったナイフのようなもの。あのまゆという女が背後から襲ったのだろう。
雅臣は、私達に気をとられていて気付かなかったのだ。私だって、自分のことで精一杯で、雅臣の後ろにまで目を向けていなかった。
「結婚しようねって言ってくれたじゃん。まゆが1番だよって言ってくれたよね? まゆ、まぁくんのこと信じてたから、記者の人にもまゆが本命だって言ったんだよ? 議員の娘と付き合ってたなんて嘘だよね? まぁくんはまゆだけだもんね」
雅臣の執着は異常だと感じていたが、ここにも同じくらい異常な精神状態の人間が存在した。
こんな緊迫した状況なのに、つくつくぼうしは呑気にリズムを刻んでいる。
「う……ぐ……」
「まぁくんが刑務所から出てくるの待ってたら、まゆはおばさんになっちゃうんだよ。……もっとたくさん会いたいし、結婚式だって挙げたいよ。
だからね、警察になんか行かないで、ずっとまゆの傍にいて。まゆはね、まぁくんのこと愛してるの。だから、全部全部まぁくんにあげるの。
まぁくんも、まゆのこと愛してるでしょ? だから、全部まゆにちょうだい。まぁくんの最後に残るのは、まゆじゃなきゃ嫌なの」
悲痛な彼女の声が聞こえた。切なそうに、愛しそうに、雅臣に訴えかけている。
私の隣では、あまねくんが「すぐに来て下さい。男性が刃物で背中を刺されています。大量に血も吐いていて、危険な状態です」とスマホを耳にあてながらそう話していた。
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