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第3章
前世の記憶
しおりを挟む「やっぱり、夜会には参加しないとダメかしら?」
鏡の前で丁寧にアイシャの髪を結っていた侍女の目が、みるみると吊り上がっていく。
「当たり前です。今夜はノア王太子殿下とリンゼン侯爵家のアナベル様の婚約披露のパーティーですよ。王族主宰の夜会である限り、貴族が出席するのは義務です」
「でも、両親さえ出席すればリンベル伯爵家としては義務を果たしているわ。わたくしが出席しなくても、なにも問題ないじゃない」
「何を仰っているのですか! アイシャ様はノア王太子殿下から直々に招待状を受け取っている身ですよ。それをすっぽかそうだなんて、有り得ません」
一年前に教育係兼侍女としてアイシャにつけられた侍女アマンダは、淑女とは程遠い行動を起こそうとするアイシャを強制的に連れ戻す役割りを担っている。始めは、専属侍女をつけられたことに反感を覚えていたアイシャだったが、何か問題を起こす度に親身になり、己を諭してくれるアマンダに、今では絶大な信頼を寄せている。
「アイシャ様のお気持ちもわかります。社交界で流れている噂を考えると、私だって貴方様を針のムシロの中に放り込みたくはありません。しかし、いつまでも逃げてばかりでは、本当に家から一歩も出られなくなってしまいます」
リアムに捨てられて以降、部屋に引きこもり、外との交流を絶ってしまったアイシャを側で励まし、支え続けてくれたアマンダの言葉は正しい。今を逃せば、アマンダの言う通り、社交界に戻るのは難しくなる。しかし、怖いものは、怖いのだ。胸を迫り上がってくる恐怖感を拭い去ることが出来ない。
それに、王族主催の夜会であれば、高位貴族の出席は義務だ。きっとリアムも出席する。別の女と腕を組み、自分の前に現れるリアムの姿が脳裏に浮かび、胸が嫌な音をたて軋む。
手が震え出し、それに気づいたアマンダが落ち着かせるように、アイシャの手を掴み、優しく撫でる。
「アイシャ様、落ち着いて。今夜はナイトレイ侯爵家のキース様もいらっしゃいます。きっとアイシャ様を守って下さいますから大丈夫です」
そうだ……、今夜はキースがエスコートをしてくれる。
先日キースから届けられた手紙と、大量のプレゼントの箱を思い出し、アイシャの心がわずかに軽くなる。
「それに、今夜のために素敵な贈り物もして下さいました。ブルーサファイアのネックレスにイアリングだなんて、キース様のお髪の色と同じですわね。アイシャ様のコバルトブルーの瞳の色とも合いますし、この水色のドレスとも相性がいい。とてもお似合いですよ」
アマンダが、ブルーサファイアのネックレスとイヤリングを箱から取り出し、付けてくれる。
「きれい……」
「色も形も申し分ありませんわ。流石、国で一、二を争う名家。ナイトレイ侯爵家からの贈り物ですね。まぁ! もう、こんな時間!! もうすぐキース様がお迎えに来ますわ。アイシャ様、エントランスでお出迎え致しませんと」
夜会へ行くことを最後まで渋っていたアイシャだったが、アマンダに急かされエントランスへと向かう。すると、ちょうどその時、キースが馬車から降り、エントランスホールへと入って来る所だった。
エントランスに佇むキースは、いつも見る騎士服ではなく、夜会用の燕尾服を着ている。黒の燕尾服は銀糸の刺繍が施され、とても華やかな印象だ。いつもは降ろしている前髪を後ろに流しているせいか、精悍な顔立ちが露わになり、色気がダダ漏れになっている。
(イケメンは何を着ても、様になるのねぇ。カッコイイかも……)
いつもとは違う色気を放つキースを見て、アイシャの心臓がドキドキと高鳴りだす。熱に浮かされたようにキースを眺めていたアイシャの熱視線に気づいたキースが、わずかに視線を上げる。バチっと合った目に、アイシャの心臓がドキンっと大きく跳ねた。
「やぁ! アイシャ、準備は出来ているみたいだね。俺の贈ったプレゼントも、よく似合っている。とても、綺麗だ、アイシャ」
「あっ、ありがとうございます」
甘い言葉もサラッと言えてしまうキースの言動に振り回され、アイシャは恥ずかしさで憤死寸前だ。
「お手をどうぞ、お姫さま」
お姫さまって………、ヤバイ鼻血出そう。
爽やかな笑顔つきで手を差し出すキースは、前世やっていた乙女ゲームの中のナイトのようにも見える。
(――――うん?? この光景どこかで見たことあるような? まさかね……、引き篭り中にやることがなさ過ぎて、前世の記憶を思い出していた影響かしら)
昔は不鮮明だった前世の記憶が、最近になりよく思い出すようになったのだ。理由は分からない。しかも、前世で親友に勧められて一時ハマった乙女ゲームの内容ばかりを。そして、手招きする白い女性の夢を見る頻度も増えている。未だにその夢が意味することは分からないが、前世の乙女ゲームの記憶と何か関係があるのかもしれないとは思っている。
そう……、最近、ここが何処の世界なのか分かってきた気がするのだ。
この世界は、前世でやっていた乙女ゲーム『囚われの白き魔女は蜜夜に溺れる』の世界にとても似ている。
ノア王太子殿下、ウェスト侯爵家のリアム、そしてナイトレイ侯爵家のキース、彼ら三人は同じ容姿に同じ立ち位置で、ヒロインの攻略対象者として、あの乙女ゲームに出てくる。それだけではない、クレア王女はノア王太子殿下ルートでは、ヒロインとの仲を邪魔する悪役王女として。アナベルは、全ての攻略対象者とのルートで必ずヒロインの邪魔をする悪役令嬢として登場する。
そして社交界で時の人となった『白き魔女』こと、グレイス・ドンファン伯爵令嬢。彼女こそ、あの乙女ゲームのヒロインと同じ名前で、しかも白き魔女の力を有していると噂されている人物なのだ。
あまりにも似ている。似過ぎているのだ。
アイシャという存在以外は、あの乙女ゲームに登場する人物達。この世界が、前世の乙女ゲームの世界と確信するのには充分な符号の一致だった。
しかし、この世界には、あの乙女ゲームには名前すら出て来ない『アイシャ・リンベル』という存在がいる。
乙女ゲームにはいなかった『アイシャ』という存在はいったい何なのか?
何度も、何度も、そのことについて考えた。しかし、答えは出なかった。
(きっとコンピュータのバグみたいな存在なのよ。モブでもない、物語にも出てこない誰か……)
そんなコンピュータのバグみたいな存在が、物語のヒロインたる白き魔女に勝てるわけがないのだ。リアムがグレイスと結ばれるのは順当なことなのだろう。
(だってグレイスは、白き魔女の片翼であるウェスト侯爵家のリアムが守るべき『白き魔女』なのだから)
「アイシャ、泣きそうな顔をしている」
優しく重ねられた手をキースに強く握られ、引き寄せられる。
「大丈夫、俺が必ずアイシャを守るから」
耳元でささやかれたキースの言葉が心に響き泣きそうになる。アイシャは、キースの胸に顔を埋め、溢れそうになる涙を堪えることしか出来なかった。
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