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後編
レオン陛下視点①
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数名の部下のみを連れ、王宮を秘密裏に抜け出した俺は、早馬を乗り継ぎ翌日にはルザンヌ侯爵領に入ることが出来た。その数時間後には、侯爵邸の貴賓室に通された訳だが、あれから数時間、この部屋に当主が現れる気配はない。
端から歓迎されるとは思っていない。辺境の地とは云え、ティアナの現状が侯爵家へ伝わっていないとは考えにくい。娘がお飾り王妃と揶揄される立場に追いやられている原因を作った張本人を、その親が歓迎する筈はないのだ。こう待たされているのも、立場上、表立って敵意を向ける事が出来ない代わりの意趣返しと考えるのが妥当だろう。
自分が撒いた種とは云え、ルザンヌ侯爵と話をつけねばならない状況に胃がズシリと重くなる。しかも、ティアナの行方を聞いたところで、あの娘命の侯爵が素直に教えるとは思えない。
背後で控える部下に聞こえないように、そっとため息をこぼした時、扉を叩く音と共に現れた人物を見て、胃重がさらに強まる事となった。
「陛下、申し訳ありません。ただ今、夫は可及的速やかに解決せねばならぬ案件がございまして、手が離せないのです。お待たせするのも申し訳ありませんし、ここはお帰り下さるのがよろしいかと」
顔に笑みを貼りつけ、つっけんどんな物言いをするルザンヌ侯爵夫人の態度に、場がざわめく。本来であれば、夫人の態度は許されるものではない。王に対する不敬として罰せられても文句は言えないが、事を荒立てるつもりはない。
背後で緊張感を漂わせている護衛へ向かい手を挙げる。僅かな逡巡の後、一礼し部屋を立ち去る彼らを見送り、改めて夫人と向き合う事とした。
「ルザンヌ侯爵夫人、私は何時間でもここで待たせてもらいますよ」
「左様でございますか。何のお構いも出来ませんがご自由になさってください」
踵を返し、扉へと歩き出した夫人に向かい、一言告げる。
「ティアナを返して頂きたい」
ドアノブへとかけていた手が止まり、肩が震え出す。そして、振り向いた夫人の顔は怒りに染まっていた。
「――どの口が言いますの‼︎ 大切な娘を奪った挙句、蔑ろにした癖に。この外道が‼︎」
憤怒の表情で、こちらへと取って返した夫人に見下ろされ、振り上げられた手が頬へと落ちる寸前、夫人の名を呼ぶ声が部屋へと響いた。
「マリアンヌ、よしなさい。陛下、申し訳ありませんでした」
「いや、よい。この部屋で起こったことは、無いものと同じだ」
「ご配慮感謝致します」
深々と頭を下げたルザンヌ侯爵を見つめ、夫人へと仕掛けた罠ですら見抜かれていた事を悟る。あのまま、頬を打たれていたら、もう少しこちら側に有利に事を進められたかもしれないが。やはり、一筋縄ではいかない男だ。
侯爵に促され、怒りを涙に変え、くず折れた夫人が退室していく。静けさを取り戻した室内に、重厚な男の声が響く。
「陛下、御前失礼してよろしいでしょうか?」
「あぁ」
柔和な笑みを浮かべ、前の椅子へと座った男の心の内まではわからない。夫人へと使った単純な挑発に乗るような男ではない。
「陛下とお会いするのは数年ぶりでございましょうか? 確か、陛下と娘との婚姻の書類へと判を押した時以来でしょうか」
「そうだな、ルザンヌ侯爵。――いや、義父上」
「……ほぉ、私の事を義父と」
「えぇ。ティアナの父である貴方は、俺の義父でもある」
「なるほど。では貴方は、ルザンヌ侯爵領に、王としてではなく、ティアナの夫として来られたと判断してよろしいという事ですね」
「そう思ってもらって構わない。そのために、人払いもした」
「左様ですか。では、私も義父として対応致しましょう」
スッと立ち上がり、一気に間合いを詰めた侯爵に胸ぐらを掴まれ、気づいた時には地面に叩きつけられていた。頬に感じた鈍い痛みと、口内に広がる苦い鉄錆の味に、殴られた事を知る。地面に転がされた俺は、次の衝撃に備え、歯を食いしばるが、訪れる筈の衝撃は待てど来ない。うっすらと目を開け衝撃を受けた。
俺の胸ぐらを掴んだ侯爵は、拳を振り上げた格好のまま動かない。唇を噛み、必死に感情を耐えている侯爵の感情が、重くのし掛かる。
「――この一発は、妻の分だ」
感情を押し殺した声が、彼の中で荒れ狂う激情を如実に表していた。それだけの罪を犯してきた。殴られる事で、償うことが出来るのであれば――
「この程度で許されると思わないで頂きたい。今、感じている痛み以上の痛みをティアナも私達夫婦も感じてきた。これからも、苦しめばいい。自身が犯した罪を自覚し、生涯後悔し続ければいい」
侯爵の言葉に自分の浅はかさを知る。こんな事で赦される筈がない。ティアナとの結婚を半ば脅すような形で了承させたのは自分自身だ。当時のルザンヌ侯爵領の状況を逆手に取り、当主としての責任感と娘を想う親心を利用した。隣国との関係改善を条件に、ティアナを貰い受ける事を了承させたのだ。
『ティアナを幸せにする』
当時、侯爵へと啖呵を切った言葉が刃となり心に突き刺さる。ティアナを不幸にしているのは俺か……
項垂れ、膝をつき、唇を噛む。
「すまない、侯爵――」
「――くくくっ……夫婦そろって似た者同士と言うか……」
頭上から響いた含み笑いに、思わず顔を上げる。
「……侯爵。いったい……」
先ほどまで、怒りの表情を隠しもしなかった侯爵が、ニタリと笑う。想像外の事が起きると、人の脳は思考を停止するものらしい。
「少しは反省したか、小僧。まったく、お前は何をしているんだ。まだ、ティアナを嫁にくれと言った時のお前の方が、良い顔をしていたぞ」
端から歓迎されるとは思っていない。辺境の地とは云え、ティアナの現状が侯爵家へ伝わっていないとは考えにくい。娘がお飾り王妃と揶揄される立場に追いやられている原因を作った張本人を、その親が歓迎する筈はないのだ。こう待たされているのも、立場上、表立って敵意を向ける事が出来ない代わりの意趣返しと考えるのが妥当だろう。
自分が撒いた種とは云え、ルザンヌ侯爵と話をつけねばならない状況に胃がズシリと重くなる。しかも、ティアナの行方を聞いたところで、あの娘命の侯爵が素直に教えるとは思えない。
背後で控える部下に聞こえないように、そっとため息をこぼした時、扉を叩く音と共に現れた人物を見て、胃重がさらに強まる事となった。
「陛下、申し訳ありません。ただ今、夫は可及的速やかに解決せねばならぬ案件がございまして、手が離せないのです。お待たせするのも申し訳ありませんし、ここはお帰り下さるのがよろしいかと」
顔に笑みを貼りつけ、つっけんどんな物言いをするルザンヌ侯爵夫人の態度に、場がざわめく。本来であれば、夫人の態度は許されるものではない。王に対する不敬として罰せられても文句は言えないが、事を荒立てるつもりはない。
背後で緊張感を漂わせている護衛へ向かい手を挙げる。僅かな逡巡の後、一礼し部屋を立ち去る彼らを見送り、改めて夫人と向き合う事とした。
「ルザンヌ侯爵夫人、私は何時間でもここで待たせてもらいますよ」
「左様でございますか。何のお構いも出来ませんがご自由になさってください」
踵を返し、扉へと歩き出した夫人に向かい、一言告げる。
「ティアナを返して頂きたい」
ドアノブへとかけていた手が止まり、肩が震え出す。そして、振り向いた夫人の顔は怒りに染まっていた。
「――どの口が言いますの‼︎ 大切な娘を奪った挙句、蔑ろにした癖に。この外道が‼︎」
憤怒の表情で、こちらへと取って返した夫人に見下ろされ、振り上げられた手が頬へと落ちる寸前、夫人の名を呼ぶ声が部屋へと響いた。
「マリアンヌ、よしなさい。陛下、申し訳ありませんでした」
「いや、よい。この部屋で起こったことは、無いものと同じだ」
「ご配慮感謝致します」
深々と頭を下げたルザンヌ侯爵を見つめ、夫人へと仕掛けた罠ですら見抜かれていた事を悟る。あのまま、頬を打たれていたら、もう少しこちら側に有利に事を進められたかもしれないが。やはり、一筋縄ではいかない男だ。
侯爵に促され、怒りを涙に変え、くず折れた夫人が退室していく。静けさを取り戻した室内に、重厚な男の声が響く。
「陛下、御前失礼してよろしいでしょうか?」
「あぁ」
柔和な笑みを浮かべ、前の椅子へと座った男の心の内まではわからない。夫人へと使った単純な挑発に乗るような男ではない。
「陛下とお会いするのは数年ぶりでございましょうか? 確か、陛下と娘との婚姻の書類へと判を押した時以来でしょうか」
「そうだな、ルザンヌ侯爵。――いや、義父上」
「……ほぉ、私の事を義父と」
「えぇ。ティアナの父である貴方は、俺の義父でもある」
「なるほど。では貴方は、ルザンヌ侯爵領に、王としてではなく、ティアナの夫として来られたと判断してよろしいという事ですね」
「そう思ってもらって構わない。そのために、人払いもした」
「左様ですか。では、私も義父として対応致しましょう」
スッと立ち上がり、一気に間合いを詰めた侯爵に胸ぐらを掴まれ、気づいた時には地面に叩きつけられていた。頬に感じた鈍い痛みと、口内に広がる苦い鉄錆の味に、殴られた事を知る。地面に転がされた俺は、次の衝撃に備え、歯を食いしばるが、訪れる筈の衝撃は待てど来ない。うっすらと目を開け衝撃を受けた。
俺の胸ぐらを掴んだ侯爵は、拳を振り上げた格好のまま動かない。唇を噛み、必死に感情を耐えている侯爵の感情が、重くのし掛かる。
「――この一発は、妻の分だ」
感情を押し殺した声が、彼の中で荒れ狂う激情を如実に表していた。それだけの罪を犯してきた。殴られる事で、償うことが出来るのであれば――
「この程度で許されると思わないで頂きたい。今、感じている痛み以上の痛みをティアナも私達夫婦も感じてきた。これからも、苦しめばいい。自身が犯した罪を自覚し、生涯後悔し続ければいい」
侯爵の言葉に自分の浅はかさを知る。こんな事で赦される筈がない。ティアナとの結婚を半ば脅すような形で了承させたのは自分自身だ。当時のルザンヌ侯爵領の状況を逆手に取り、当主としての責任感と娘を想う親心を利用した。隣国との関係改善を条件に、ティアナを貰い受ける事を了承させたのだ。
『ティアナを幸せにする』
当時、侯爵へと啖呵を切った言葉が刃となり心に突き刺さる。ティアナを不幸にしているのは俺か……
項垂れ、膝をつき、唇を噛む。
「すまない、侯爵――」
「――くくくっ……夫婦そろって似た者同士と言うか……」
頭上から響いた含み笑いに、思わず顔を上げる。
「……侯爵。いったい……」
先ほどまで、怒りの表情を隠しもしなかった侯爵が、ニタリと笑う。想像外の事が起きると、人の脳は思考を停止するものらしい。
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