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第2章 地球活動編
第91話 家族の試験
しおりを挟む「ば、馬鹿な――こんなものが独房なものかっ! 皇帝、あんたは一体何に魂を売ったんだ!?」
人間の子供だったものを視界にいれ酸っぱいものが喉までせり上がり、床に膝をつき胃の中のものを全て吐き出す。
いくつかはっきりしたことがある。この地下三階の主は皇帝などではない。
確かに、吸血種にとって人間は食料だ。より正確に言えば、一般の吸血種にとって『人間の血液』が食料足りえるのだ。人間の肉など他の食糧と同様、毒でしかない。生まれながらに吸血種ではなかったジャジャ皇太子は兎も角、少し前まで吸血種だった皇帝にこの悪趣味な部屋を造る発想はない。あの銀髪隻眼の吸血種とやらが関与しているのは間違いない。
ならば既に皇帝は――。
(だとすると、ルイズ様は――)
認識が甘かった。まさか皇帝が吸血種を止めているなどとは夢にも思わなかった。既に吸血種でないなら他の二王家の動向など今更気にすらしまい。
怒涛のような不安がドルパの全身を貫いていく。その激烈な不安に急き立てられるようにただ足を動かす。
前方の部屋に人盛りがある。衣服からして《妖精の森》の兵隊だろう。
ここの部屋に足を踏み入れるまでは奴らに事情を話せばルイズ様の命だけは助かるかもしれないという甘い期待があった。その砂糖よりも甘いドルパの希望もあの惨状を奴らが目にしたとすれば簡単に打ち砕かれる。
仮にドルパが《妖精の森》の兵隊だったとしても、あの胸糞の悪い外道行為を行った国の国民の言など信じはしないだろう。もはや吸血種にすらカテゴライズしてもらえまい。捕まれば邪悪な生物として殺されるのがおちだ。
背中に白色の翼を生やす青年がドルパに気付くも武器を構えすらしない。
取るに足らない存在としてドルパを舐めているのだろうか? ならば寧ろ好都合。ただでさえ、奴らとドルパの間の力にはどんな海溝よりも深い溝が横たわっているのだ。多少舐めてもらわなければ割に合わない。
床を這うように奴らの傍を疾走し、部屋内へ文字通り転がり込む。
そこには《妖精の森》の兵隊に抱きかかえられているルイズ様がいた。
以前の美しかった闇色の黒髪は真っ白となり、すっかり痩せ細っている御姿にドルパの胸はきつく締め付けられる。
もうまっぴらだ。皇帝も、《妖精の森》も、銀髪隻眼の吸血種もなぜ、この御方を放っておいてくれない。
「ルイズ様を離せぇ!」
脚に有りっ丈の魔力を籠めて、ルイズ様を抱きかかえている長い黒髪をお団子型にした黒髪の女へ疾走する。
ドンッ!!
次の瞬間、胸部にビキ、ベキという骨が粉々に砕ける嫌な感触と共にドルパの身体は後方へ吹き飛ばされ、背中から壁に叩きつけられる。
あまりの衝撃で肺から空気が強制的に吐き出され、同時に気が狂わんばかりの激痛に襲われる。
ルイズ様とドルパの間には大剣を持つ金髪の幼女が遮るかのように立っていた。
口から絶え間なく吐き出される血液。
ドルパは確かに最高位吸血種だ。だが最高位吸血種は別に不死身と言う訳ではない。単に他の種族よりも多少治りが速いに過ぎない。つまり、致命傷を受ければ容易に死ぬということ。
口から絶えず血液がコポコポと零れて落ちる事から察するに、内臓にでも障害を負ったのだろう。所謂致命傷という奴だ。
理不尽なものだ。今のたった一発の攻撃で勝敗が決してしまった。だが構わない。この道を選んだ時から死ぬ覚悟くらいできていた。勝負はくれてやるさ。代わりに惚れた女くらい守って見せる!
「お前の望みはその女だろう? チャンスをやる。私に傷を負わせてみせよ。仮に掠り傷一つでも私が受ければお前の勝ちだ。お前の望み通りこの女は無事に解放してやる」
金髪の幼女は大剣を床に突き立てると身を屈める。
「カリス副隊長。御戯れも度が過ぎますよ。今はこんなことをしている場合じゃ!」
「五月蠅い! これはケジメであり、試験だ。口を出すな」
金髪の幼女の言葉に黒髪の女性は心底呆れたかのように首を数回振る。
その澄んだ瞳が何処となくルイズ様に似ていたからだろうか。それともその澄んだ黄金の魔力が師であるギネス中佐に似ていたからだろうか。金髪の幼女の言葉には嘘はない。そう確信できてしまった。
ドルパが持つ奥の手のスキルは筋力を一瞬最大三倍にまで上昇させる能力。ここで注意が必要なのはあくまで一瞬最大三倍化するのは筋力だけという事実。つまり骨や血液、神経はまったく強化されない。だから一度使用するだけで骨はホキボキと粉々になり、神経は焼き切れる。
過去に一度使用した際には筋力を1.5倍化しただけで足の骨にヒビが入った。
眼前にいる金髪の幼女は強い。1.5倍化した程度では傷一つ与えられまい。どうせ死ぬのだ。有りっ丈の力を次の一撃に掛けてやる。
スキル《超力》を発動し、体の中にある魔力を全て注いで行く。
1.5倍化しただけで、全身の骨がミシリと軋み悲鳴を上げる。
2倍化。全身の血管が腫大し皮膚には亀裂が入り、血液が噴水のように噴き出す。
2.5倍化。全身の血液がボコボコと沸騰し、気を抜けば意識を失う激痛が全身を駆けまわる。
3倍化。もはや痛みすら感じない。
逆に、頭は真っ白で妙にクリアだ。蜘蛛のように這いつくばり、右手を引き絞る。
チャンスは一度。肉体が砕け散ろうと構わない。ドルパの勘が正しければ幼女は嘘をつけるような者ではないから。
そう。この一撃でいいのだ。
噛み合わせた奥歯を食いしばり、右足で床を蹴る。
ボンッと右足が爆発し、左腕もその衝撃で千切れ飛ぶ。これでいい。無駄なものがなくなりより空気抵抗がなくなった。
ドルパの身体は一つの弾丸と化し、幼女との距離を食らいつくし、目を大きく見開く金髪の幼女の顔面に向けて右拳を叩きつけた。
◆
◆
◆
カリスは自身の砕かれた右手に視線を向けていた。相手の魔力のあり得ないほどの上昇から掠り傷くらい覚悟はしていた。しかしまさか防いだ右手を砕かれるとは予想だにしなかった。
「届かなかったか……」
(バカを言うな!)
吸血種の勇者の言葉に思わず悪態をつく。
本来の力ではなかったとはいえ、カリスのレベルは512。いかなるスキルを用いたとしてもたかが、二百台後半のものに傷一つつけられるはずはないのだ。
今回は単に我ら《妖精の森》の家族になる資格があるかの試験にすぎなかった。
確かにルイズの人間の子供達に注ぐ深い愛情を鑑みれば彼女達があの悪逆行為をしたとはとても思えない。
だがカリスは根っからの武人だ。拳を交えなければ信用などできない。
仮にこのボロボロの姿で横たわる吸血種がカリスに武人の矜持を僅かでも示せたならば、それを以てあの糞ったれな行為は闇帝国の国民によるものではなく、皇帝という屑個人の行為と見做そうとしたのである。
矜持さえ示すことができれば現に傷を負わなくても、何か適当な理由をつけて認めようとは思っていた。
それがこの吸血種の勇者は本来砕けるはずのない壁をあっさり完膚なきまでに破壊してしまった。主への恋慕というただ一つの想いを以て。
同じく主に恋い焦がれるものとしてこの勇者の強さはカリスにとってとても羨ましく、そして妬ましかった。
兎も角、カリスはこの男を勇者と認めてしまった。決して非道を手に染めない正道を歩む者だと本能で理解してしまった。
指輪からレベル14のHP回復薬を取り出し、頭から振りかける。仰向けになっている吸血種の勇者の千切れた脚と腕が高速再生する。
右手を男に差し出す。いつまでも地べたに這いつくばっているなど、それは我ら誇りある《妖精の森》にはふさわしくないから。
「へ?」
吸血種の勇者は暫し自身の千切れ飛んだはずの身体に一瞬視線を向け、目を大きく見開いていたが、直ぐに間抜けな顔でカリスを見上げてくる。
「行くぞ! いつまでもボサッと寝ているな! 私達には子供達とルイズを地上へ無事送り届けるという使命がある」
ポカーンと阿呆のように口を半開きにしていた口を閉じて直ぐにカリスの右手を握り返してくる。
「カリス副隊長、お疲れっス! 話しはまとまったようっスね」
背後から声を掛けられる。肩越しに振り返ると、マティアの副官――ウルだった。戦闘中だったとはいえ、カリスにさえ気配を気取らせないとは相変わらず、奴の隠密技術は一級品だ。
普段ヘラヘラしているウルの声色がいつになく真剣なのは無論、あの子供達の解体現場を目にしたこともあろう。
ウルはこう見えても一番隊で最も責任感が強い。それが仮にも隊長のマティアを離れて単独行動をするなど通常なら考えられない。
つまり、それを許容している以上、通常とはかけ離れた事態が現在進行中ということだろう。【神帝軍化】の通信手段が使用不可となっていることも気になる。
いずれにしても一刻も早く地上へ戻る必要がある。
「お前ら、地上へ戻るぞ!!」
カリスの言葉を契機に一番隊は地上へ向けて疾走を開始する。
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