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第1章 異世界武者修行編

第83話 英雄転落(3)

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 「雫様……これは?」

 状況を把握しきれていないエージが戸惑いがちにも尋ねてくる。

「エージ、無事で良かった。
 見た通りよ。私達が出るまでもなくこの戦争自体終わりそうなのだけれど……」

「はあ、そのようで……」

 ゴブリンと北斗の戦闘に視線を向けつつも魂が抜かれたようにぼんやりと答えるエージ。無理もない。目の前には常識ではとても信じられないような光景が展開されていたのだから。


 勇者――如月北斗が終始圧倒されていた。
 北斗が縦横無尽に疾走しゴブ助の間合いに入り、聖剣を垂直に渾身の力で振り下ろす。

 ギイィン!

 ゴブ助は右手に持つ棍棒により軽々と聖剣を上に跳ね上げ、その岩のような左拳打を無防備となった北斗の顔面にお見舞いする。

 ドゴォ!

 ゴブ助の左拳は豪風を纏って右頬へと衝突する。北斗の身体は空中で数回回転し顔面から地面に叩き付けられる。

「ぐおおぉぉ!」

 痛みに慣れていない北斗は顔を抑えて地面を転がるだけで中々起き上がろうとしない。
 ようやく起き上がった北斗にゴブ助が突進して棍棒を横一文字に振り切ると聖剣で受けたはずの北斗の身体が後方に吹きとばされ、ゴロゴロと地面を無様に転がっていく。
 畳みかければ勝負は決するはずなのにゴブ助は棍棒を下げ北斗が起きるのを待つ。出来る限り互角の戦いを見せろとキャス女王に命令されているのかもしれない。
 

 この戦いの意味は大きい。
 世界の一般人の北斗に対する評価は勇者からゴブリンにすら敗れる力無き勇者へとその認識は変遷する。今まで北斗により抑圧されてきた帝国内の抵抗勢力も息を吹き返すだろう。近い内に確実に帝国内で大規模な内乱が起きる。
 もっともそれはあくまで一般人の認識だ。北斗の力を理解している世界の各組織の幹部達はまた違った認識を持つ。
 特にこの戦争を決断した聖常教会のトップは馬鹿でも愚かでもない。北斗の勇者としての強さを正確に把握している。その超人たる勇者北斗をここまで圧倒する力を有する魔物を獣魔国はペットにしているのだ。
 この映像が全世界に流れているなら、今頃戦争を即座に中止せよとの厳命が下されているはずだ。そして中止するための理由もブラドとかいう吸血鬼がご丁寧に提示してくれた。
 即ち北斗に全ての戦争責任を擦り付けるのだ。もう北斗は終わりだろう。
 そして帝国も同時に終わりだ。いくら帝国の皇女が北斗により籠絡されていたと分かっても、すでに帝国はエルフ国、獣人国に悪さをし過ぎた。今更、北斗が首謀者ですと言っても世界は聞き入れまい。他国民を殺し、奴隷化し、財を奪ったのは北斗だけではないのだから。
 聖常教会が帝国を当面の仮想敵国とみなせば、フリューン王国も帝国に敵対する決定をするだろう。
 そして今後確実に獣魔国ラビラは聖常教会にすり寄り、聖常教会の布教をラビラで認め、その剣となることを誓うはずだ。
 聖常教会は確かにヒューマンを最上のものとする排他的な組織ではあるがそれに固執して滅びを選ぶほど愚かな組織では断じてない。寧ろ教会に著しい利があれば簡単に教義さえも変えるそんな狡猾な組織だ。
 それに聖常教会の教えには序列がある。アルス神が神聖不可侵であることと、ヒューマンが最上の種族であることが全てであり、他の教義はすべて最近の付け足しだ。
 祖先が魔物だろうがアルス神を共に信仰し、ヒューマンを最上のものと認める限り今までの邪悪な種族というレッテルなどあっけなく取り払われる可能性が高い。
 結果獣魔国ラビラは帝国に変わり世界に覇を唱えることになるだろう。聖常教会が認めたならば世界の各国ももう今までのように獣魔国ラビラを無下にはできない。
 この時、世界は変貌を遂げたのだ。
 《妖精の森スピリットフォーレスト》……本当に恐ろしいギルドだ。空に巨大な船を浮かばせる超常的な科学力や、勇者を一撃で屠れるほどの戦力は勿論だが、それ以上に未来視にも匹敵するこの非常識な計画立案能力、計画遂行能力は脱帽するしかない。 
 王国にラビラに進軍の中止の勧告がなかったのも王国の意思ではなかった事を端から把握していた故だろう。おかげで雫達王国正規軍も面子が保てた。
 

 北斗の悲鳴により雫は思考の世界から現実へ引き戻される。どうやらそろそろ勝敗が決するようだ。

 今までの消極的な態度とは打って変わってゴブ助は北斗に猛攻を仕掛けている。
 ゴブ助の棍棒が北斗の聖剣を吹き飛ばす。間髪入れずに無防備となった北斗に暴風を纏った棍棒が北斗の腹部に深くめり込む。そのままゴブ助はまるで野球のボールのように北斗の身体を振り抜く。

 ドゴオオオォォォ!!

 大砲のような衝撃音を響かせて北斗は弾丸の様な速度で一直線に吹き飛んでいく。更に、地面を蹴ったゴブ助は棍棒を上段に構えて未だに空中にある北斗に肉薄しその頭部に棍棒を叩き付ける。

 ドンッ!

 北斗の顔が地面に叩き付けられ何度もバウンドする。さらに追い打ちをかけるべく猛進するゴブ助。

「こ、これどうしたの?」

 どうでもいいが、ゴブ助、変わり過ぎだ! 気のせいか額に太い青筋が立っているように思える。
 それにブラドが頭を抱えている事からもこの事態は想定外なのだろう。

「……北斗があのゴブリンを買収しようとしたら、ああなりまして」

 エージが何とも言えない複雑な表情で答える。

「はあ? ゴブリンを買収? 意味が分からないんだけど」

 ゴブリンを買収? 阿保か! どこまで彼奴は救えないんだ! 

「キョウヤ・クスノキなんていう雑魚マスターにつくより僕につく方がいい思いできる。その発言で豹変してあんな感じです」

 状況から言ってゴブ助が《妖精の森スピリットフォーレスト》のギルドマスターを侮辱されブチ切れたのは一目瞭然だ。
 とするとどういうことだ? あのゴブリン――ゴブ助には忠誠心がある? 忠誠心は極めて高度な精神活動。高い知能が無ければ不可能だ。
 とすると、あのゴブ助はペットなどではなく……。

「ゆるじてぐだざい~」

 泣きながら額を地面にこすりつけゴブリンであるゴブ助に許しを請う北斗。
 北斗のあまりの情けない姿にやっと冷静さを取り戻したゴブ助はすまなそうに肩を落としていた。それはまるで叱られるのを待つ子供のようだ。

 この北斗の恥知らずな姿を視界に入れ神経が張り裂けそうになる。こんな奴に間都場は殺されたのか。
 間都場は雫に冷たくされても決して離れなかった。いつも一緒にいてくれた。あの運命の日、雫を押し倒そうとした北斗を命懸けで止めてくれた。逃がしてくれた。帝国に追われ傷つきながらも最後まで雫を励ましてくれた。
 でも馬鹿な雫は間都場を最後まで罵倒していた。あのとき間都場が傷つき一歩も動けなくなり、雫が勇者の力に目覚めるまでずっと……。

「勝敗はゴブ助殿! まさかの帝国最強の勇者の情けない敗北。ゴブ助殿ご苦労様。
 それでは皆様、今日は御視聴どうもありがとうございました」

 ブラドが会釈すると同時に結界が解かれる。
 いつの間にか北斗の前には二人の男性が立っていた。二人とも顔は背中越しで見えないが一人は黒色のスーツを着た黒髪の男。もう一人は黒のズボンに黒のジャケットを着用した黒髪の男。
 この者達が《妖精の森スピリットフォーレスト》のギルドマスター――キョウヤ・クスノキとブラド達の会話に頻繁に出てきたオモイカネだろうか。

「オモイカネ。此奴の赤魔術の才能を消せる?」

(っ!!? この声……?)

「勿論でございます」

 いやそんなはずはない。彼奴は……彼は死んだはずだ。雫の腕の中で冷たくなっていったんだ。

「じゃあ、赤魔術の才能だけ消して帝国に引き渡して。
 その際帝国の軍人共に『北斗の従者だった女性を全て置いて本国に直ちに帰れ! 素直に従えば追わない』と伝えて」

(でも……似ている。この優しい声にあの後姿……)

「イエス・マイマスター、やはり恐ろしい御方だ。貴方はこの似非勇者に――」

「そういう君もそうするつもりだったんでしょ? 僕だけを危険生物に指定しないでよ」

 間違いない。間違えるはずはない。だって大好きだったんだから。いや違う。今も大好きなんだから。

「ま、間都場ぁぁ!! 貴様生きていたのか!?」

 そしてそれは北斗の言葉で現実となる。
 凍り付いていた心に火が灯り、ゆっくり、ゆっくりと雫の絶望を溶かしていく。
 これが幻でもいい。夢でも構わない。もう一度会いたい。会って謝りたい。会ってお礼を言いたい。そして――会ってずっと好きだったと伝えたい。

「此奴、とうとう錯乱し始めたよ。
 僕も女性達にかけられた赤魔術を解かなければならない。さっさと此奴捨ててきて」

 涙が溢れてくる。もう視界はグシャグシャだ。

「イエス・マイマスター」
 
 オモイカネは一礼すると踵を返し、北斗の後ろ襟首を持ちズルズルと引きずって行く。

「間都場、貴様こんなこと僕にしてどうなるかわかってん――うげ!」

 オモイカネが北斗の髪を持ちその顔を地面に叩きつける。数回繰り返すと北斗は大人しくなった。あまりに手慣れすぎている。この人は絶対にインテリヤ〇ザだ。
 黒ジャケットの男はクルリと振り返り雫達のところへと歩いてくる。
 それは懐かしい愛しい人の顔。

「雫様?」

 エージが雫の涙で濡れた顔を見て心配そうに尋ねてくる。
 間都場は雫の傍に寝かされているマリア、ミーラの近くに来ると、懐から透明の液体が入った瓶を取り出し、蓋を開けて一人ずつそれを口に含ませる。

「ブラドさん。薬の経過を見たい。彼女達を《黒豹ブラックパンサー》に連れて行ってもらえる?」

「イエス・マイマスター」

 ブラドは間都場に右腕を胸に当てて恭しく頭を下げると、パチンと指を鳴らす。すると、数人の赤色のローブを着用した男女が現れミーラ達を抱きかかえて、黒船の真下へ行くと煙のように姿を消す。

「お、おい、ミーラを――」

「あ~、大丈夫。北斗とかいう雑魚勇者にかけられた術を解く薬を飲ませただけだから。解術できたと判断したら君らに返すよ」

「しかし――」

 間都場は現在獣魔国ラビラについている。つまり聖常教会の使者が到着するまでは雫達の敵だ。エージの警戒は当然と言えば当然だ。

「そんなに心配なら君らが彼女の傍についていてやりなよ。
 ブラドさん、彼らも案内してあげて。僕は他の女性にもこの薬を飲ませる。
ヘンゼル、グレーテル君らは僕の手伝い。
 マティアさんはステラ達に状況説明をお願い。でもまだマリアさんの存在はステラとアリスには教えないで」

「「「は!」」」「了解!」

 ブラドは雫達について来るように顎で合図をすると歩き出す。
 間都場と話をしたかったが、その醸し出す雰囲気が後にしろと全力で言っていた。
 黒い船の真下に出現した階段を上りその内部へ移動する。
 黒船の中には白衣を着た男性やナース服を着た女性が走り回っている。十中八九、北斗に手籠めにされた女性達の治療のためだろう。
 加えて会議室らしき場所から出てくる多数の貴族らしき者達がいた。口から見える牙から吸血鬼という奴か。
 彼らを解析してみたが……恐ろしくなって途中で止めた。何せ解析した全員が雫よりも強いのだ。彼らがその気になれば雫達など一瞬でひき肉だろう。
 エージもそのことを肌で感じているらしく借りてきた猫のように大人しかった。
 ブラドに個室に案内される。ナース服を着た看護師がミーラから滝のように出る汗を拭いていた。
 この看護師の姿を見てエージもブラド達への敵意は完全に解きブラドと看護師に頭を下げた。
 ブラドと看護師の女性は雫達に気を使って部屋を出ていく。

「雫様はあの男を知っておいでなのですか?」

「ええ、多分」

 だけどあの人の目に映っていた雫は全くの他人だった。忘れてしまったのだろうか。それとも他人の空似? でも外見は兎も角、中身まで似ることなどあるのだろうか。
 雫はミーラの手を握りながら深い思考の海に沈んで行く。

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