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第1章 異世界武者修行編
第32話 ロイドの苦悩
しおりを挟む冒険者組合管理部部長――ロイド・バートラムは、部下のジキル・プート、受付嬢のシュリ・ライアーグラムと共に東区の行き付けの定食屋で好物の《大猪のステーキ》を頬張っていた。
ロイドにとって食欲は睡眠欲等の他の欲求とは比較にならないほど重要な位置を占める。
仮に眠れなくなっても食欲だけは落ちない。女日照りが続いても食欲だけは無くさない。金がなくても食だけは制限しない。
そのロイドもシクシク刺してくる胃の痛みで手に持つフォークの動きが止まっていた。
胃の痛みの理由はロイドの耳に引っ切り無しに飛び込んでくるあるギルドの噂。
「《スピリットフォーレスト》、ついに第9の試練突破って聞いたか?」
「このグラムにいて耳に入らねえわけねぇだろ! 他のギルドの奴らも含めてこの話題以外話してる奴などいやしねぇよ」
「だろうな。にしても1日1試練ってどんな攻略スピードだよ。
70年近く必死こいて第3の試練まで攻略するのがやっとだったんだぞ」
「ああ、その件でうちのギルマスや幹部達など終始ピリピリしてるし、えらい迷惑だ」
「それにあのキノコのような建物見たか?」
「東区の端にあるあの馬鹿でかいのか?
聖神アルスが建てた新しい遺跡だって噂だが?」
「あの建物、《妖精の森》の新しいギルドハウスらしいぞ」
「は? 馬鹿いうな? あんな巨大な建築物俺達に造れるはずが……おい、マジか……?」
「嘘言って如何するよ。《聖騎士》の連中が偵察に行って、ガーディアンにつまみ出されたらしい。
その件で《聖騎士》が御怒りだそうだ」
「アホか! 不法侵入したのはあいつ等の方だろ! あの糞ギルド! だから俺は嫌いなんだ!」
「同感だが、一ギルドがあんな建物を建てる技術を持っていること自体が問題だろうな。やっぱ……」
「それだよ……俺達のギルマス、何をトチ狂ったか、《聖騎士》と手を組んであの建物の接収に動く気らしい」
「じょ、冗談だろ? 相手は第9の試練の攻略ギルドだぞ? 確か冒険者組合が他の遺跡や塔の情報もふまえて推測した理想到達レベルは50以上だったはずだ」
冒険者達の喉がゴクリッと鳴る。
「レ、レベル50以上ってこのグラムにいる5人のSSSクラスの冒険者クラスってことか?」
「ああ、それか南地方フリューン王国の勇者――《シズク・ホムラ》、北地方帝国の勇者――《ホクト・キサラギ》。東地方ワ国の侍――《ムサシ》……」
「もういい! ギルマスぅ~、何考えてんだよ? あの頭お気楽野郎共と心中する気かぁ!?」
冒険者達は真っ青な顔で頭を抱えて呻っている。
ロイドの頭を悩ませている理由は全てのこの冒険者達の苦悩と一致する。
事の始まりは《妖精の森》による第5試練の攻略だった。二度続けての偉業をこの目にできたと冒険者組合は職員一同でお祭り騒ぎだった。
だがそれも初日だけ。第6の試練の攻略で皆から笑みが消え、第7の試練の攻略で頬を引き攣らせ、第8の試練の攻略で頭を抱えた。
そして《妖精の森》の第9の試練の攻略。この凶報によりグラムは未だ嘗て経験したこともない混沌の場と化した。
この未曾有の事態に急遽緊急会議が開かれ幹部達が一同に集められ対策を練ることになった。
議題は暴発するギルドをどう抑えるか。
《終焉の迷宮》はたった一つの試練の攻略でも宝がザクザク出る魔法の壺のようなものだ。
現に第1~3の試練の攻略者は所属ギルドとの契約で国宝級の紅石のほんの一部を得た。彼らはそのほんの一部を売り払っただけで今やこのアリウスでも有数の資産家となっている。
無論、紅石のたった一部で売り払っただけでそうなのだ。攻略者の所属ギルドは巨万の富を得て、今やグラムの最上位ギルドの一角となった。
それがたった1つの、しかも3人で構成されるギルドが5つの試練を連日で攻略してしまった。他のギルドの嫉妬は想像を絶する。
予想通り上位~中位ギルドが連名で《妖精の森》が利益を独占しているとして、宝物の一部解放と得た紅石の分配を要求してきた。
冒険者組合は盗賊集団ではない。こんな要求、組合の面子にかけても認めるわけにはいかない。
だが一方でこれ以上《妖精の森》と他のギルドの関係が悪化するのもマズイ。水面下で調整を取ろうとしていたところ悪夢が起きる。
事もあろうか、この各ギルドの主張をクラリス・アルクインが耳にしてしまったのだ。
クラリスは今の冒険者組合の創設者の一人であり、冒険者の母の様な方だ。
故に冒険者への愛は想像を絶する。現に聖常教会からの奴隷の冒険者登録の拒否の要求でさえも、教会の脅威から冒険者達を守るため自身の信念を曲げて受け入れた。まあ組合はクラリスの意思を理解し、基本黙認しているわけだが。
兎も角、クラリスはその冒険者への絶大な愛故に、その冒険者の精神を侮辱する行為は決して許さない。当然のごとくクラリスは大激怒する。
クラリスは冒険者組合長であり、組合のカリスマ。SSSランクの冒険者達を弟子に持ち、一部の冒険者達からは信仰の対象ですらある。
その彼女の怒りに異を唱えるものが冒険者組合にいるはずもなく、連名ギルドにギルドの称号剥奪の勧告が発令される。
ほとんどのギルドがこれで鎮静化したものの、翌日グラムの東区の城門付近にキノコ型の巨大な建築物が多数建つ。
当初第9の試練を攻略した褒美として聖神アルスが新たな建造物を建ててくださったと噂が流れたが、この建物も《妖精の森》の所有物であることが判明する。
それからはもう阿鼻叫喚だった。
一ギルドが、次々に《終焉の迷宮》の各試練を攻略し、神のごとき建物を建てた。この事実に再度、沈静化したはずの連名ギルドの不満は再燃する。
遂に《聖騎士》の馬鹿どもが、偵察と称して《妖精の森》の敷地に許可なく侵入し、《妖精の森》が設置していたガーディアンにつまみ出された。
《聖騎士》はガーディアンのこのつまみ出した行為を利用し、再び連盟で同様の主張を冒険者組合に提出した。
クラリスは二度目がない事で有名だ。
当然のごとくクラリスは連名に乗っかった12のギルドの称号剥奪の発令書にサインしてしまう。
と言っても12のギルドがこのグラムから一度に消えれば混乱必至だ。クラリスに幹部全員で地面に額を擦り付けて撤回を求め、ようやっとペナルティーだけで済ませてもらった。
単に連盟に同意した阿呆なギルドは兎も角、他のギルドの敷地に勝手に侵入した《聖騎士》には厳罰が下される事はすでに決定している。
冒険者達の話しはこの途中経過というわけだ。
ここまでなら万時解決とロイドもほっと胸を撫で下ろしているところだ。だがそうは問屋が卸さなかった。
ギルドの称号の剥奪を宣告された《聖騎士》とペナルティーを受けたことを不服とする2つのギルドが近々、《妖精の森》にギルドゲームを申し込むとの噂が上がっている。
《ギルドゲーム》――冒険者組合に事前に届け出て組合の職員の正当な監視の下行われる組合が認める唯一のギルド間の抗争。
勝者のギルドは敗者のギルドからギルドメンバー、財物を奪うことができる。
《聖騎士》のギルド称号剥奪の命が出るまで後10日はかかる。その間にギルドゲームは組合に提出されるだろう。
しかしギルドゲームには両者の同意が必要なところ、巨万の富を現に得ている《妖精の森》がこれを受ける確率はないに等しい。
少なくとも、ロイドは《聖騎士》のギルドメンバーなど欲しいとは微塵も思わないし、《聖騎士》達零細ギルドが持つはした金など欲しくはない。
だがおそらくそんなことは《聖騎士》も理解している。何か手を打ってくるのは間違いない。
その手段があの《妖精の森》のギルドマスターの逆鱗に触れたら。
そう考えると胃がキリキリと痛くなるのだ。
《聖騎士》はギルドマスター――キョウヤ・クスノキをただの能無しだと断定している。
しかしあのギルドマスターが最も危険なのだ。なぜならあのギルドマスターからはロイドが尊敬してやまないクラリスと同じ匂いがするから。
普段温和で人畜無害に見えるのはただの演技。その実は爪を研ぐ猛獣。猛獣を調教するのは調教師の仕事だが、いかんせん、ロイドは調教師ではない。
《聖騎士》が逆鱗の餌食になるのは構わない。自業自得だからだ。しかし、それが他の無関係なギルドや冒険者組合にまで波及するだけは何としても避けたい。
だから部下達に《聖騎士》の動向を観察するように命じている。
「ロイドさん。グラムの街は一体どうなっちゃうんでしょうか?」
ロイドの食が一向に進まないのが不安を誘ったのかシェリが躊躇いがちにも尋ねてくる。内容からしてギルドゲームの件だろう。
「どうもなりはしねぇさ。俺達は俺達のできることをするだけだ」
「そうですね。私達冒険者組合は調停役。それ以上でも以下でもない。
その仕事を全うしている限り、恐れる必要はありませんよ」
骸骨のようなジキル・プートがすかさずロイドに同意する。
「そう……ですね。
それはそうと、キョウヤさん達、また凄まじい数の紅石を換金しにくるんでしょうかね?」
シェリはいつもの天真爛漫な様子に戻りロイドに向けて話始める。
「だろうな。今回は第5~9の試練で集めた紅石だ。想像を絶するだろうぜ」
紅石は砕いて武器に混ぜるだけで各種の魔法武具や魔法道具と早変わりとする。
冒険者組合の活動資金はこの紅石を契約している武具店や魔法道具店へ卸すこと。卸し方も一定以上の個数を競売にかける形式をとる。
《妖精の森》が持ってきた紅石はその大部分が良質であり武具店や魔法道具店は我先にと高額で競り落としていった。
結果、冒険者組合は未だ嘗てない利益を上げ、会計官は終始満面の笑みを浮かべていたわけだ。
この事実こそが、冒険者組合の幹部達が《妖精の森》の逆鱗に触れられたくはないと考えている理由だ。
先週、幹部達は《妖精の森》のギルドマスターと会談し、彼が冒険者組合と敵対しても職員達に危害を加えるような人物でない事を把握した。だから《妖精の森》の逆鱗に触れても職員たちの安全が害されるとは誰も思っていない。
しかし同時に紅石を冒険者組合に売らなくなる等の制裁は平然と加える人物だとも判断したらしい。
《妖精の森》は基本冒険者組合の言い値で紅石を売ってくれる。
これが、他のギルドなら暴利とも思えるジェリーをふっかけられて、何度もの交渉を経てやっと売買契約を締結する運びになる。職員も心身共にへとへととなるのだ。
交渉手間が省けて、なおかつ、良質の紅石を安く売ってもらえる取引相手はこのグラムでは《妖精の森》だけ。
それに《妖精の森》以外、迷宮の下層の魔物を倒せるとは思えない。
《妖精の森》に臍を曲げられるのは冒険者組合に取って百害あって一利なしなのである。
特に5~9階層で得た紅石は下手をすれば冒険者組合の総利益の数倍に届く可能性すらある。
その件でエイミス以下冒険者組合の幹部達はロイドに《聖騎士》等、不穏な動きをするギルドへの監督の強化を命じている。
ロイドが部下に《聖騎士》の監視を命じた理由にはこうした理由もあるのだ。
「うあ~、紅石の競売のための整理と書類の作成、確実に夜明けまでかかりますよね? また徹夜かな~。徹夜はお肌に悪いんですよ~」
「まあそういうな。俺とジキルも手伝う」
「仕方ありませんね。お手伝いいたしますよ」
「マジっすか? 流石、ロイドさん。ジキルさんですぅ!」
現金な部下に肩を竦めながらも、重い手を動かし、ステーキを口に運ぶ。
能天気なシェリのおかげかもう胃は痛くなくなっていた。
応援ありがとうございます!
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