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第八章 傾いた未来予想図
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正月を迎えた東京の空は快晴だ。
凛とした冷気に触れた光の手先はかじかんで硬くなっていた。まるでガチガチのアイスキャンディのようだ。長野で雪に触れた時よりも冷たく感じる。
片岡の運転する送迎車が、いつもより閑散としている街中を颯爽と走り抜けていく。以前、助手席でやきもきしながら見つめていた景色と同じ風景が目に映る。
後部座席の窓からそれを眺めていると、隣に座る勝行が何度も重いため息をついていた。
小綺麗な紺色のスリーピーススーツにプラチナのタイピン。ハンカチーフまでしっかり胸ポケットに入っていて、本当にお前は高校生かと問いたくなる姿だ。けれど中身はしっかり年相応の子どもだった。
「はー……家に帰りたくない」
「すっげー正直だな」
「今年の正月は特にな……」
よっぽど相羽本家に帰るのが嫌なのだろう。光も中途半端に家の事情を知ってしまった今、何といって慰めればいいかよくわからない。
「受験生なんだし、今年は挨拶だけで帰りますって宣言したら?」
「それができたら苦労しない」
ものすごくドスの効いた低い声で即否定され、光は「お、おう……」と思わずたじろいだ。我ながらいいアイデアを言ったと思ったのだが。
毎年正月になると三鷹の本家では親戚一同が集まり、日夜問わず宴会が繰り広げられている。相羽本家の嫡子である勝行は、どうしても顔を出さねばならない席がいくつもあって、母屋と客間を行ったり来たりしていた。
光は血縁者でもなんでもないただの養子だ。ましてや去年までは、勝行の家政夫として雇われの立場だったし、宴席に呼ばれたことなど一度もない。代わりに母屋は自由に使わせてもらえるので、勝行の個室か使用人たちの居る休憩室でただ彼の帰りを待つばかりだった。
先月は本家で事件があったばかり。一体何があったのか、父親と今どこまで険悪な状態なのか、光は未だ何も知らない。
「やっぱ……こないだ嫌なことされたからか」
「ん? ああ……違うよ。それとはまた別の話」
「じゃあ、バックレるか」
「簡単に言うけどさあ……」
ため息ばかりつく勝行の返答はいまいち歯切れが悪い。
だがいつまでも秘密にされたくなかった。また実家でもめ事に巻き込まれて命まで狙われては困るのだ。誤魔化されるぐらいなら片岡に訊いてみようと思い、運転席に向かって質問してみる。
「俺までスーツ着させられたけど、今日なんかあんのか?」
「今日は勝行さんのお祝いがあるのです」
「お祝い? まだ受験終わってないのに?」
「相羽家では、十八歳を成人扱いする私的な風習があるんです。満十八歳で迎える元旦、親戚一同の祝賀会で披露目の式を行います。そのあとは関係者や支援者、得意先などへ披露目を兼ねた挨拶回りに。全ては当主と共に行動される予定です」
「ふうん……じゃあ今年がそのお披露目ってやつ?」
「そうです。未成年の間は親戚筋へのご挨拶のみでしたが、今年からは外部の新年会すべてに参列します。勝行さんの社交界デビューと言いましょうか」
だから祝い事なのか。なぜかウキウキと楽しそうに語る片岡の声を聞きながら、光は隣の勝行をちらっと振り返った。彼はぶすっと唇を尖らせ、不機嫌そうな面持ちで「だからお前とは一ミリも一緒に居られない」と愚痴る。
どんなに綺麗なスーツを着ても、やはり自分は親戚の宴会には潜りこめないのだろう。傍にいてあげられないのは光自身も悔しい。けれど先日、相羽家でひと暴れしたばかりなので、ここは大人しくしていた方が勝行のためにもいい気がした。
「少しぐらい一緒に居られなくても、俺は我慢するぞ。いっつもそうだったし」
「ふうん、そう。俺にはそんな余裕、これっぽっちもないな。どうせ俺がいなくても片岡と一緒に居たら楽しいんだろ、お前は」
えっ。光は思わず眉をひそめてしまった。
あの飄々としていた勝行からは考えられない、捻くれた発言に何と返せばいいかわからない。
(兄貴やめるって言った途端、これ?)
彼はたったの一日で幼児退行でもしたのか。それとも、ケイと勝行はくっついて一人の人間に統合されてしまったのだろうか。どちらにせよ、まるでケイのような口調になった勝行は、落ち着かないのか手首を掻きむしったり、爪を齧ったりしている。
「何が社交界デビューだ。くだらない……。ただ神輿の上に座って人形みたいに笑ってるだけの子どもだと思って、好き勝手扱いやがって」
「……」
「子どもをバカにしてると思わないか。政治家の集まりに行ったって、結局は酔っぱらいの高尚な説教を笑顔で聞き流すだけの仕事なんだぜ。反論は許されないし、祝いだなんて思えない。相羽家の人間として生かすために、社会的なしがらみで縛り付けてくるんだ。俺は兄の成人の儀で一度付き合わされたから知ってる」
「そ、そうなのか」
「光に会ってなかったら、従順に大人の思い通りの子どもを演じてたと思う。今の俺は反抗期ってやつだなって父さんは笑っていたけど」
ぶつぶつと文句を吐く声が低くなっていく。齧る爪からも血が出てきそうな勢いだ。思わず光は勝行の手を奪い取る。特に文句は言わないけれど、勝行はまるで闇深い地獄にでも堕ちたかのように顔色を失っていた。
かける言葉も見つからず沈黙していると、車はガタンガタンと段差を乗り越え、駐車場の一角に停車した。
「お疲れ様です、お二人とも。着きましたよ」
「……っ」
光は咄嗟に勝行の腕を握ったまま、後部座席のドアを勢いよく開けて飛び出した。
「ちょっ、どうした光……!」
「ひ、光さん?」
なぜだろうか。
今、勝行を相羽家にどうしても連れて行きたくない。
光は目の前の家屋とは反対方向に向かって全力疾走で駆け出した。引っ張られながら走る勝行も、運転席から遅れて飛び出した片岡も何かを叫んでいたが、全部無視してひたすら走った。
凛とした冷気に触れた光の手先はかじかんで硬くなっていた。まるでガチガチのアイスキャンディのようだ。長野で雪に触れた時よりも冷たく感じる。
片岡の運転する送迎車が、いつもより閑散としている街中を颯爽と走り抜けていく。以前、助手席でやきもきしながら見つめていた景色と同じ風景が目に映る。
後部座席の窓からそれを眺めていると、隣に座る勝行が何度も重いため息をついていた。
小綺麗な紺色のスリーピーススーツにプラチナのタイピン。ハンカチーフまでしっかり胸ポケットに入っていて、本当にお前は高校生かと問いたくなる姿だ。けれど中身はしっかり年相応の子どもだった。
「はー……家に帰りたくない」
「すっげー正直だな」
「今年の正月は特にな……」
よっぽど相羽本家に帰るのが嫌なのだろう。光も中途半端に家の事情を知ってしまった今、何といって慰めればいいかよくわからない。
「受験生なんだし、今年は挨拶だけで帰りますって宣言したら?」
「それができたら苦労しない」
ものすごくドスの効いた低い声で即否定され、光は「お、おう……」と思わずたじろいだ。我ながらいいアイデアを言ったと思ったのだが。
毎年正月になると三鷹の本家では親戚一同が集まり、日夜問わず宴会が繰り広げられている。相羽本家の嫡子である勝行は、どうしても顔を出さねばならない席がいくつもあって、母屋と客間を行ったり来たりしていた。
光は血縁者でもなんでもないただの養子だ。ましてや去年までは、勝行の家政夫として雇われの立場だったし、宴席に呼ばれたことなど一度もない。代わりに母屋は自由に使わせてもらえるので、勝行の個室か使用人たちの居る休憩室でただ彼の帰りを待つばかりだった。
先月は本家で事件があったばかり。一体何があったのか、父親と今どこまで険悪な状態なのか、光は未だ何も知らない。
「やっぱ……こないだ嫌なことされたからか」
「ん? ああ……違うよ。それとはまた別の話」
「じゃあ、バックレるか」
「簡単に言うけどさあ……」
ため息ばかりつく勝行の返答はいまいち歯切れが悪い。
だがいつまでも秘密にされたくなかった。また実家でもめ事に巻き込まれて命まで狙われては困るのだ。誤魔化されるぐらいなら片岡に訊いてみようと思い、運転席に向かって質問してみる。
「俺までスーツ着させられたけど、今日なんかあんのか?」
「今日は勝行さんのお祝いがあるのです」
「お祝い? まだ受験終わってないのに?」
「相羽家では、十八歳を成人扱いする私的な風習があるんです。満十八歳で迎える元旦、親戚一同の祝賀会で披露目の式を行います。そのあとは関係者や支援者、得意先などへ披露目を兼ねた挨拶回りに。全ては当主と共に行動される予定です」
「ふうん……じゃあ今年がそのお披露目ってやつ?」
「そうです。未成年の間は親戚筋へのご挨拶のみでしたが、今年からは外部の新年会すべてに参列します。勝行さんの社交界デビューと言いましょうか」
だから祝い事なのか。なぜかウキウキと楽しそうに語る片岡の声を聞きながら、光は隣の勝行をちらっと振り返った。彼はぶすっと唇を尖らせ、不機嫌そうな面持ちで「だからお前とは一ミリも一緒に居られない」と愚痴る。
どんなに綺麗なスーツを着ても、やはり自分は親戚の宴会には潜りこめないのだろう。傍にいてあげられないのは光自身も悔しい。けれど先日、相羽家でひと暴れしたばかりなので、ここは大人しくしていた方が勝行のためにもいい気がした。
「少しぐらい一緒に居られなくても、俺は我慢するぞ。いっつもそうだったし」
「ふうん、そう。俺にはそんな余裕、これっぽっちもないな。どうせ俺がいなくても片岡と一緒に居たら楽しいんだろ、お前は」
えっ。光は思わず眉をひそめてしまった。
あの飄々としていた勝行からは考えられない、捻くれた発言に何と返せばいいかわからない。
(兄貴やめるって言った途端、これ?)
彼はたったの一日で幼児退行でもしたのか。それとも、ケイと勝行はくっついて一人の人間に統合されてしまったのだろうか。どちらにせよ、まるでケイのような口調になった勝行は、落ち着かないのか手首を掻きむしったり、爪を齧ったりしている。
「何が社交界デビューだ。くだらない……。ただ神輿の上に座って人形みたいに笑ってるだけの子どもだと思って、好き勝手扱いやがって」
「……」
「子どもをバカにしてると思わないか。政治家の集まりに行ったって、結局は酔っぱらいの高尚な説教を笑顔で聞き流すだけの仕事なんだぜ。反論は許されないし、祝いだなんて思えない。相羽家の人間として生かすために、社会的なしがらみで縛り付けてくるんだ。俺は兄の成人の儀で一度付き合わされたから知ってる」
「そ、そうなのか」
「光に会ってなかったら、従順に大人の思い通りの子どもを演じてたと思う。今の俺は反抗期ってやつだなって父さんは笑っていたけど」
ぶつぶつと文句を吐く声が低くなっていく。齧る爪からも血が出てきそうな勢いだ。思わず光は勝行の手を奪い取る。特に文句は言わないけれど、勝行はまるで闇深い地獄にでも堕ちたかのように顔色を失っていた。
かける言葉も見つからず沈黙していると、車はガタンガタンと段差を乗り越え、駐車場の一角に停車した。
「お疲れ様です、お二人とも。着きましたよ」
「……っ」
光は咄嗟に勝行の腕を握ったまま、後部座席のドアを勢いよく開けて飛び出した。
「ちょっ、どうした光……!」
「ひ、光さん?」
なぜだろうか。
今、勝行を相羽家にどうしても連れて行きたくない。
光は目の前の家屋とは反対方向に向かって全力疾走で駆け出した。引っ張られながら走る勝行も、運転席から遅れて飛び出した片岡も何かを叫んでいたが、全部無視してひたすら走った。
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