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第五章 VS相羽勝行
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一人で過ごす週末。どんなに家事をこなしても、ピアノに夢中になっていても、時間はちっとも過ぎていかない。永遠にひとりぼっちのような気さえする。それは両親を失い、自宅で孤独に生きていた中学二年生の時に戻ったような感覚だった。
自室でピアノを弾き続けていたけれど、寒気を感じた光はリビングに移動した。夜も更け、日付が変わる頃になっても勝行は帰ってこなかった。パソコンとアンプ、楽器が無造作に置いてある大きな作業デスクには誰もいない。ソファの上には、光の脱ぎ捨てた靴下と毛布が一枚横たわっているだけ。
どんなに強がっていても、しんと静まり返った空間に恐怖を感じてしまうのは治らない。だからと言って今その声と話をしたら、触れられないことが辛くてもっと心苦しくなるに違いない。
(……)
光は「勝行」と記された不在着信通知が何行も並んだスマホの待ち受け画面を見つめた。声を聴きたいくせに、話したくないなんて思う我儘な自分がとにかく面倒くさかった。
毛布に包まるとそれにイヤホンを繋いだ。プラグを差し込むだけで再生途中の音楽が流れ始める。ただ歌っているだけの声でいい。これさえ聴ければ不安はなくなる。病院のベッドで一人過ごす寂しい夜も、こうやって乗り越えてきたのだ、問題はない。
それでも。――初めてシェアルームマンションで迎えた勝行の居ない夜。
何故か震えが止まらなかった。
夜は確実に冷え込んでいく。窓から見えた月が異様に赤い。光は毛布を頭からかぶり、ベッドで丸まった。
こんな調子だったせいだろうか。日曜の昼間、様子見に来た晴樹に勝行と間違えて飛びついてしまった。駆け寄った玄関先で「すごい歓迎されちゃったけど、勝行くんじゃなくてごめんね?」と苦笑される。ちょっと考えればわかることだ。こんな時間に勝行が帰ってくるはずがない。
「ねっ……寝ぼけてただけだ! ほっとけ、忘れろ!」
ぶすっと拗ねた顔を見せると、それも可愛いと言って頭を撫でられる。
「あれ……お前だけか。保は?」
「保は今日は急に入った仕事で、他バンドの収録撮影。光くんの撮影もお休み。だから連絡がてらプライベートで遊びにきたよ」
「なんだ……電話くれるだけでいいのに」
「光くんの顔見たかったし。勝行くんがいなくて、死ぬほど暇してるだろうなあと思ってね」
「う……うっせえ邪魔。ピアノ練習してんだ、邪魔すんな」
「へえ本当に? スイッチ入ってないみたいだけど」
「い、今からやるとこだったんだ!」
吐き捨てるように宣言すると、光は慌てて自室に戻り電子キーボードのスイッチを入れた。
誰もいないリビングでは床に投げ捨てたままのスマホのバイブレーションが鳴り響いていた。気づいた晴樹がそれを拾った時にはもう切れていて、着信履歴だけが画面に映る。
「は……不在通知五十件以上て。ストーカーみたいだな、勝行くんの執念すご」
晴樹はぼそっと小声で呟くと、鍵盤を乱雑に叩き出す光の隣に椅子を持ち込んで座り込み、わざと目の前にそれを突き出した。
「なんで電話、出てあげないの? 気持ち悪いぐらいかかってくるから、ついに嫌いになったかな」
「……」
「寂しかったんだろ。向こうだって休憩中だろうに。電話エッチとかおねだりすればよかったのに」
「はあ? なんだそれ。どのみち勉強の邪魔になんだろ」
「無視ばっかされてたら、心配のあまり何が何でも駆けつけてきそうな感じなのにね」
僕の忠告がちょっとは効いてるのかな。
意味深な言葉をぽろりと零す晴樹の表情を上目遣いで伺うと、晴樹はにっこり笑顔で「今日は抜いておかなくて大丈夫?」とダイレクトに聞いてくる。ついでに腰周りをするりと撫でられ、浮ついていた意識が一気に下腹部へと集中してしまう。光は眉間にめいっぱい皺を寄せ舌打ちした。
「考えないようにしてるのに、なんでいちいち蒸し返してくんだよ! お前ホントは意地悪だろ」
「純粋に心配してるんだけどなあ。依存症ってそう簡単に治るはずないし」
「……そ……そうなの、か……?」
「誰もいなくて寂しくて泣いてたんじゃない? 僕の身体でよければいつでも貸すよ?」
そんな余計な優しさは要らない。そう言って跳ね退ければいいはずなのに。
光にはどうしても、それができなかった。
「保も心配していたよ。君は自分を過小評価しがちだから」
「……お前、保の恋人だろ。保は、俺とこんなことしてて怒らないのか……?」
「光くんの身体を慰めてあげるだけだし、怒ったりなんかしないさ。これは浮気じゃない。セックスの勉強会だ」
「勉強……」
「教えて欲しいって言ったのは君だろう? 怖がらなくても大丈夫。別に悪いことじゃないよ、セックスしたくなるのは生き物として当たり前の欲望。君は悪い人間に無理やり強姦されたせいで、怖い思いを植え付けられて心が悲しんでいるんだ。だから好きな人と正しい恋人セックスができるよう……僕が教えてあげる。そうすることで、自分の身は自分で護れるようになる」
「恋人……セックス……」
「もうその身体を虐めて道具のように扱う男に、騙されてはいけないよ」
――光くんは幸せにならないとね。
それはまるで催眠誘導のように、優しい言葉で。気づけばまた、晴樹と大人の上品な口づけを幾重も交わしていた。
一人で過ごす週末。どんなに家事をこなしても、ピアノに夢中になっていても、時間はちっとも過ぎていかない。永遠にひとりぼっちのような気さえする。それは両親を失い、自宅で孤独に生きていた中学二年生の時に戻ったような感覚だった。
自室でピアノを弾き続けていたけれど、寒気を感じた光はリビングに移動した。夜も更け、日付が変わる頃になっても勝行は帰ってこなかった。パソコンとアンプ、楽器が無造作に置いてある大きな作業デスクには誰もいない。ソファの上には、光の脱ぎ捨てた靴下と毛布が一枚横たわっているだけ。
どんなに強がっていても、しんと静まり返った空間に恐怖を感じてしまうのは治らない。だからと言って今その声と話をしたら、触れられないことが辛くてもっと心苦しくなるに違いない。
(……)
光は「勝行」と記された不在着信通知が何行も並んだスマホの待ち受け画面を見つめた。声を聴きたいくせに、話したくないなんて思う我儘な自分がとにかく面倒くさかった。
毛布に包まるとそれにイヤホンを繋いだ。プラグを差し込むだけで再生途中の音楽が流れ始める。ただ歌っているだけの声でいい。これさえ聴ければ不安はなくなる。病院のベッドで一人過ごす寂しい夜も、こうやって乗り越えてきたのだ、問題はない。
それでも。――初めてシェアルームマンションで迎えた勝行の居ない夜。
何故か震えが止まらなかった。
夜は確実に冷え込んでいく。窓から見えた月が異様に赤い。光は毛布を頭からかぶり、ベッドで丸まった。
こんな調子だったせいだろうか。日曜の昼間、様子見に来た晴樹に勝行と間違えて飛びついてしまった。駆け寄った玄関先で「すごい歓迎されちゃったけど、勝行くんじゃなくてごめんね?」と苦笑される。ちょっと考えればわかることだ。こんな時間に勝行が帰ってくるはずがない。
「ねっ……寝ぼけてただけだ! ほっとけ、忘れろ!」
ぶすっと拗ねた顔を見せると、それも可愛いと言って頭を撫でられる。
「あれ……お前だけか。保は?」
「保は今日は急に入った仕事で、他バンドの収録撮影。光くんの撮影もお休み。だから連絡がてらプライベートで遊びにきたよ」
「なんだ……電話くれるだけでいいのに」
「光くんの顔見たかったし。勝行くんがいなくて、死ぬほど暇してるだろうなあと思ってね」
「う……うっせえ邪魔。ピアノ練習してんだ、邪魔すんな」
「へえ本当に? スイッチ入ってないみたいだけど」
「い、今からやるとこだったんだ!」
吐き捨てるように宣言すると、光は慌てて自室に戻り電子キーボードのスイッチを入れた。
誰もいないリビングでは床に投げ捨てたままのスマホのバイブレーションが鳴り響いていた。気づいた晴樹がそれを拾った時にはもう切れていて、着信履歴だけが画面に映る。
「は……不在通知五十件以上て。ストーカーみたいだな、勝行くんの執念すご」
晴樹はぼそっと小声で呟くと、鍵盤を乱雑に叩き出す光の隣に椅子を持ち込んで座り込み、わざと目の前にそれを突き出した。
「なんで電話、出てあげないの? 気持ち悪いぐらいかかってくるから、ついに嫌いになったかな」
「……」
「寂しかったんだろ。向こうだって休憩中だろうに。電話エッチとかおねだりすればよかったのに」
「はあ? なんだそれ。どのみち勉強の邪魔になんだろ」
「無視ばっかされてたら、心配のあまり何が何でも駆けつけてきそうな感じなのにね」
僕の忠告がちょっとは効いてるのかな。
意味深な言葉をぽろりと零す晴樹の表情を上目遣いで伺うと、晴樹はにっこり笑顔で「今日は抜いておかなくて大丈夫?」とダイレクトに聞いてくる。ついでに腰周りをするりと撫でられ、浮ついていた意識が一気に下腹部へと集中してしまう。光は眉間にめいっぱい皺を寄せ舌打ちした。
「考えないようにしてるのに、なんでいちいち蒸し返してくんだよ! お前ホントは意地悪だろ」
「純粋に心配してるんだけどなあ。依存症ってそう簡単に治るはずないし」
「……そ……そうなの、か……?」
「誰もいなくて寂しくて泣いてたんじゃない? 僕の身体でよければいつでも貸すよ?」
そんな余計な優しさは要らない。そう言って跳ね退ければいいはずなのに。
光にはどうしても、それができなかった。
「保も心配していたよ。君は自分を過小評価しがちだから」
「……お前、保の恋人だろ。保は、俺とこんなことしてて怒らないのか……?」
「光くんの身体を慰めてあげるだけだし、怒ったりなんかしないさ。これは浮気じゃない。セックスの勉強会だ」
「勉強……」
「教えて欲しいって言ったのは君だろう? 怖がらなくても大丈夫。別に悪いことじゃないよ、セックスしたくなるのは生き物として当たり前の欲望。君は悪い人間に無理やり強姦されたせいで、怖い思いを植え付けられて心が悲しんでいるんだ。だから好きな人と正しい恋人セックスができるよう……僕が教えてあげる。そうすることで、自分の身は自分で護れるようになる」
「恋人……セックス……」
「もうその身体を虐めて道具のように扱う男に、騙されてはいけないよ」
――光くんは幸せにならないとね。
それはまるで催眠誘導のように、優しい言葉で。気づけばまた、晴樹と大人の上品な口づけを幾重も交わしていた。
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