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第四章 百物語編
33話目 件の如し(三)
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キヨが見藤にこの依頼を回した理由、件の隠滅。隠滅と言っても、殺してしまうことだけが手段ではない。
件に予言をさせようと狙う呪い師から文字通り姿を隠し、その目を欺くことができれば――。件は短い生を謳歌できるというものだ。
それは怪異に心を砕く見藤と、そんな彼の性分を理解するキヨの心遣いだ。そして、キヨは見藤であれば、それを可能にする才腕を持つことを知っている。
しかし、それは必然的に見藤が件という怪異を看取る、ということになる。妖怪として生まれたとしても、認知によって存在を左右される怪異として生まれたとしても、件はその生を三日で終える。それは覆せない掟なのだろう。
霧子は見藤を見つめながら、そっと口を開く。
「辛いなら、無理しなくても……」
「いや、俺がそうしたいんだ。我ながら、面倒くさいだろ?」
「そう……」
見藤は首を横に振ったと思えば、今度は自嘲するように笑った。表情はとても痛々しい。
霧子は思い出す。あの夏の出来事のことだ。見藤が見送ったと言っていた、目玉の怪異のこと。
怪異であっても最後の瞬間。たった一人であったとしても、認知されて見送られれば、存在に意味を見出すことができたと心が満たされ、心穏やかに消滅できるだろう。
誰であっても消えたくない、と悔恨を残しながら存在を終えるのは苦痛だ。見藤はそれをよく理解している。
怪異である霧子は見藤が堪らなく愛おしく思えた。その気持ちを示すように、彼の首に回していた腕に少し力を籠める。そして、抱き寄せ、額と額を付け合わせた。
いつかと同じように、彼の鼻先に擦り寄ったまではよかったのだが――。
「こら」
「む」
かさりと、書類が二人の口元に間に差し込まれてしまった。見藤が拒んだのだ。
霧子は拗ねた表情を浮かべて、眉をひそめた。口付けを交わそうとした事を慰めと受け取ってしまったのかと、不服と言わんばかりに鼻を鳴らす。
しかし、霧子を見つめる見藤は困ったように眉を寄せつつ。恥ずかしさから、その顔は年甲斐もなく赤く、耳までその色に染まっている。
霧子は見藤の表情にこみ上げてくるものがあった。思わず、ふふっと笑ってしまったのだった。
一方の見藤は顔に熱が集中するのを感じていた。
最近の霧子はとても積極的だと、強く感じていた。――もちろん、嫌ではない。嫌ではないのだが……。
寧ろ、霧子の方から触れ合いたい、という心情を行動で示してくれることには嬉しさを感じている。だが、これ以上の関係へと踏み込む心積もりができない、男として若干の情けなさを抱いているという複雑な心境だ。
集団認知による禍害に襲われたとき、奇しくも互いの距離は縮まった。その垣根を一度でも越えてしまえば、もっと欲しいと求めてしまうのは人も怪異も同じなのだ。
見藤を一人の男だと見初めた霧子に、肝心の見藤の心情が追いついていない。霧子は蜜月を過ごすことを望んでいる。だが、見藤の心の傷を慮った上で、愛情を育む触れ合いとしてならば、口付けは許容範囲。そう考えているのだが――、なかなか噛み合わないものだ。
すると、突如として、呑気な声が響く。
「お二人さんよ、俺がいる事を忘れちゃいねぇか」
「っ…………!!??」「~~~~っ!!?」
慌てて声がした方向を振り向くと、腰掛けるソファーの向かい側。小太りな猫が腹を掻きながら、大きな欠伸をしているのが目に入った。
猫宮だ。見藤はすっかり忘れていた。猫宮が食後の昼寝をしていた事を。そして、霧子も見藤との話に夢中になり、猫宮の存在を認識していなかった。
二人を見やる猫宮は呆れたように溜め息をつきながら、やれやれと仕草をして口を開く。
「見藤、それはヘタレという奴だぞ。しっかし大概、姐さんも大胆だなァ。くははっ!!」
「こんのっ……クソ猫又!!」
からかうような猫宮の言葉。見藤は思わず、手にしていた書類を振りかぶった。だが、それはあっさりと躱されてしまった。腹回りが太いわりに俊敏な動きをするものだ。
猫宮の頭上を掠めた書類は無情にも見藤によって更に強い力で握られ、くしゃりとその姿を変えてしまった。
「まぁ、しょうがねぇなァ。その怪異、俺が迎えに行ってやるとするか。半刻もあれば帰るぞ」
「おまっ、……にやにやするな!!」
華麗な着地を披露した猫宮はそう言うと、いつものように篝火をわずかに残して姿を消してしまった。
思わせぶりな猫宮の言葉とにやけた顔は、見藤の羞恥心と怒りを煽ることになり、握られた書類はさらにその姿を悲惨なものへと変えたのであった。
そして、猫宮からの茶々に応戦していた見藤は大きな溜め息をつくと、先ほどから声を発していない霧子を心配して振り返った。
(まぁ……そうだよな……)
見藤はそう心の中で呟く。振り返り目にした霧子は彼と同様、猫宮の茶々に動揺したのか反射的にソファーから立ち上がったものの、そのまま立ち尽くしていたようだ。
そうして、立ち尽くしたまま。羞恥心と怒りで、わなわなと震えていたのだろう。心なしか、目には薄っすらと涙が溜められている。「ふん!」と憤慨したような掛け声とともに、霧子はどかっとソファーへ座り直す。おもむろに足を組んだのだった。
見藤は気まずそうに頬を掻いた。そして、同じようにソファーへと戻ると霧子との距離を詰めてゆく。そっと、遠慮がちに彼女の手を取った。
そして、霧子の怒りを宥めるように、頬に口付けをする。空いた片手で、彼女の顔周りにかかった艶やかな髪を梳いたのだった。
すると、霧子は口を尖らせて一言。
「……そういう事は平然とやってのけるくせに。女たらしね」
「…………どうしてそうなる」
猫宮のお陰で、なんとも言えない雰囲気が二人を包んでいた。
件に予言をさせようと狙う呪い師から文字通り姿を隠し、その目を欺くことができれば――。件は短い生を謳歌できるというものだ。
それは怪異に心を砕く見藤と、そんな彼の性分を理解するキヨの心遣いだ。そして、キヨは見藤であれば、それを可能にする才腕を持つことを知っている。
しかし、それは必然的に見藤が件という怪異を看取る、ということになる。妖怪として生まれたとしても、認知によって存在を左右される怪異として生まれたとしても、件はその生を三日で終える。それは覆せない掟なのだろう。
霧子は見藤を見つめながら、そっと口を開く。
「辛いなら、無理しなくても……」
「いや、俺がそうしたいんだ。我ながら、面倒くさいだろ?」
「そう……」
見藤は首を横に振ったと思えば、今度は自嘲するように笑った。表情はとても痛々しい。
霧子は思い出す。あの夏の出来事のことだ。見藤が見送ったと言っていた、目玉の怪異のこと。
怪異であっても最後の瞬間。たった一人であったとしても、認知されて見送られれば、存在に意味を見出すことができたと心が満たされ、心穏やかに消滅できるだろう。
誰であっても消えたくない、と悔恨を残しながら存在を終えるのは苦痛だ。見藤はそれをよく理解している。
怪異である霧子は見藤が堪らなく愛おしく思えた。その気持ちを示すように、彼の首に回していた腕に少し力を籠める。そして、抱き寄せ、額と額を付け合わせた。
いつかと同じように、彼の鼻先に擦り寄ったまではよかったのだが――。
「こら」
「む」
かさりと、書類が二人の口元に間に差し込まれてしまった。見藤が拒んだのだ。
霧子は拗ねた表情を浮かべて、眉をひそめた。口付けを交わそうとした事を慰めと受け取ってしまったのかと、不服と言わんばかりに鼻を鳴らす。
しかし、霧子を見つめる見藤は困ったように眉を寄せつつ。恥ずかしさから、その顔は年甲斐もなく赤く、耳までその色に染まっている。
霧子は見藤の表情にこみ上げてくるものがあった。思わず、ふふっと笑ってしまったのだった。
一方の見藤は顔に熱が集中するのを感じていた。
最近の霧子はとても積極的だと、強く感じていた。――もちろん、嫌ではない。嫌ではないのだが……。
寧ろ、霧子の方から触れ合いたい、という心情を行動で示してくれることには嬉しさを感じている。だが、これ以上の関係へと踏み込む心積もりができない、男として若干の情けなさを抱いているという複雑な心境だ。
集団認知による禍害に襲われたとき、奇しくも互いの距離は縮まった。その垣根を一度でも越えてしまえば、もっと欲しいと求めてしまうのは人も怪異も同じなのだ。
見藤を一人の男だと見初めた霧子に、肝心の見藤の心情が追いついていない。霧子は蜜月を過ごすことを望んでいる。だが、見藤の心の傷を慮った上で、愛情を育む触れ合いとしてならば、口付けは許容範囲。そう考えているのだが――、なかなか噛み合わないものだ。
すると、突如として、呑気な声が響く。
「お二人さんよ、俺がいる事を忘れちゃいねぇか」
「っ…………!!??」「~~~~っ!!?」
慌てて声がした方向を振り向くと、腰掛けるソファーの向かい側。小太りな猫が腹を掻きながら、大きな欠伸をしているのが目に入った。
猫宮だ。見藤はすっかり忘れていた。猫宮が食後の昼寝をしていた事を。そして、霧子も見藤との話に夢中になり、猫宮の存在を認識していなかった。
二人を見やる猫宮は呆れたように溜め息をつきながら、やれやれと仕草をして口を開く。
「見藤、それはヘタレという奴だぞ。しっかし大概、姐さんも大胆だなァ。くははっ!!」
「こんのっ……クソ猫又!!」
からかうような猫宮の言葉。見藤は思わず、手にしていた書類を振りかぶった。だが、それはあっさりと躱されてしまった。腹回りが太いわりに俊敏な動きをするものだ。
猫宮の頭上を掠めた書類は無情にも見藤によって更に強い力で握られ、くしゃりとその姿を変えてしまった。
「まぁ、しょうがねぇなァ。その怪異、俺が迎えに行ってやるとするか。半刻もあれば帰るぞ」
「おまっ、……にやにやするな!!」
華麗な着地を披露した猫宮はそう言うと、いつものように篝火をわずかに残して姿を消してしまった。
思わせぶりな猫宮の言葉とにやけた顔は、見藤の羞恥心と怒りを煽ることになり、握られた書類はさらにその姿を悲惨なものへと変えたのであった。
そして、猫宮からの茶々に応戦していた見藤は大きな溜め息をつくと、先ほどから声を発していない霧子を心配して振り返った。
(まぁ……そうだよな……)
見藤はそう心の中で呟く。振り返り目にした霧子は彼と同様、猫宮の茶々に動揺したのか反射的にソファーから立ち上がったものの、そのまま立ち尽くしていたようだ。
そうして、立ち尽くしたまま。羞恥心と怒りで、わなわなと震えていたのだろう。心なしか、目には薄っすらと涙が溜められている。「ふん!」と憤慨したような掛け声とともに、霧子はどかっとソファーへ座り直す。おもむろに足を組んだのだった。
見藤は気まずそうに頬を掻いた。そして、同じようにソファーへと戻ると霧子との距離を詰めてゆく。そっと、遠慮がちに彼女の手を取った。
そして、霧子の怒りを宥めるように、頬に口付けをする。空いた片手で、彼女の顔周りにかかった艶やかな髪を梳いたのだった。
すると、霧子は口を尖らせて一言。
「……そういう事は平然とやってのけるくせに。女たらしね」
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