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第三章 夢の深淵編
30話目 夢の深淵(五)
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まず、流行の発端は単なる偶然だった。偶然をきっかけにして、捕縛された白沢の元を離れた獏は衰えた力を取り戻そうと画策するようになったらしい。
「それで?」と、見藤がその先を聞こうとした矢先――。凛とした声が部屋に響き、それは遮られた。
「おじさん」
「ん、来たか」
沙織だ。伝えた通り、早々に駆けつけてくれたようだ。
見藤が慌てて部屋へ押し入ったために、扉は開かれたままになっていた。その甲斐あって、あの甘い香りも鼻を掠めることはなくなっている。
沙織は眠る久保の脇にしゃがむ白沢を一瞥する。すると、「ふーん」と興味なさげに視線を見藤に戻した。そして、白沢が言っていた、覚の先祖返りについて訂正を入れる。
「別に、私は夢に介入できる訳じゃないよ。そんな都合のいい事、できる訳ない」
「……、どうすれば」
「記憶を呼び起こすだけ。だから、楽しい記憶を呼び起こすの。そうすれば悪夢はかき消されて、夢から出られる。そうよね、おじいちゃん?」
勝手に能力を明かされた仕返しなのだろうか。沙織は白沢をじとっと見やりながら、彼を「おじいちゃん」と呼んだ。
確かに、悠久の時を生きる白沢。沙織からしてみれば、そう呼んでも可笑しくはない。ただ、彼が模っている姿は久保の友人である男子学生、白沢だ。呼び名と姿が見事に噛み合わない。可愛らしい仕返しには丁度いいだろう。
「……その呼び方は止めてもろてええか?……お嬢ちゃん」
困ったように眉を下げた白沢の表情に、沙織は満足したようだ。鼻を鳴らすと、眠る久保を見やった。
「まぁ、やってみるよ」
沙織は強く頷いた。白沢と場所を交代するように久保の傍へ寄る。そして、久保の額に手を置いた。特に目に視えて変化はない。一瞬、眠る久保が眉を寄せたかと思うと、次には安らかな寝顔に変わった。
久保の額から手を離した沙織は、少し考えるような素振りを見せる。
「うーん、これで様子見かな……。あとは目覚めるのはお兄ちゃん次第なんだけど……」
「そうか……」
「どのくらいで目覚めるのかは分からない。悪夢に負ければ最悪このまま……」
「…………」
沙織の言う最悪の場合とは、斑鳩の報告にあった昏睡状態のことだろう。見藤は黙って、状況を受け入れる他なかった。
いくら健康体であったとしても、数日に渡り脱水と低栄養状態に陥れば、自ずと衰弱していくことは目に見えている。そして、昏睡状態というからには、脳にも少なからず影響が出始めるだろう。このまま様子を見ると言うのは得策ではない。
見藤はすぐさま医療機関へ連絡を取り始めたのだが――――。
「くそ……、ここまでとは」
彼の悪態に、沙織と白沢は心配そうに視線を送る。
社会現象にまで発展した疑似的な夢遊病。そして、それが行き着く先の昏睡状態。そうすれば、入院病床はすぐに満床となってしまうのは必然だ。
例にもよって、見藤が連絡を取った病院も満床。外来にて、点滴処置だけでも処置してもらえないだろうか、という要望すら聞き入れてもらえなかった。
「はぁ、こればかりは……。腹を括るか」
見藤はそう呟くと、再び電話をかけ始めた。
「あぁ、キヨさん? 突然すまない、あぁ、そうだ。少しばかり便宜を図って欲しいことが……。うっ、確かに今回は俺の力不足だが……そう言わんでくれ。……はい、スミマセン」
電話の相手はキヨだった。見藤は顔を顰めながら、どうにか事情と現状を説明する。
道具屋を営みつつ情報屋でもあるキヨの伝手を頼れば、協力者の手を借り、どうにか久保を入院させてもらえる医療機関を見つけられるのではないか、そう考えた。だが当然、キヨの厳しいお言葉を賜ることになってしまった。
その様子を見ていた白沢は恐れおののいていた。神獣をも封印してしまう術を持つ見藤でさえ、頭が上がらない存在。彼以上の強者が、人の世に存在するのか――、と冷や汗を垂らしていた。
見藤の表情は徐々に曇り、眉は下がって行く一方。更に、電話口から漏れて聞こえて来る、冷静な声音。それは、静かな怒りを含んでいた。
すると、通話はひと段落したようだ。
「礼は弾ませてもうらうから。……あぁ、頼みます」
そうして、見藤は電話を終えた。白沢は戸惑いながら尋ねる。
「ど、どない?」
「……明日には入院できそうな病院を知らせてくれるそうだ」
「そうかぁ……」
白沢は神獣らしからぬ、安堵した表情を浮かべた。――それは友の顔だ。
そして、見藤の返事に安堵の声を漏らした沙織。
「よかった……」
「あぁ」
見藤は力強く頷いた。仕事の早いキヨの事だ、明日になれば早いうちに連絡を寄こしてくれることだろう。――それだけでも、心持ちが違ってくる。
しかし、今日はこのまま帰る訳にもいかない。久保が夢現に誘われ、どこかへふらっと出掛けてしまうかもしれない。そうなれば、行方知れずとなってしまう可能性は否定できない。
見藤と白沢は、ここで夜を明かすことを決めた。見藤は事務所の固定電話に連絡をし、霧子にことの流れを伝える。もちろん、彼女も久保を心配していた。
猫宮が電話口に変わると、東雲は何事もないとの報告を受ける。見藤は安堵の溜め息をついたのだった。
見藤は沙織に、暗くなる前に帰るよう促して礼を述べる。すると、彼女は「いいってこと」と、可愛らしい笑みと共に軽く返事をして帰路についた。
◇
そうして、夜が来る。
神獣である白沢に休息は必要はない。だが、人である見藤は違う。簡単な食事を摂り、久保の様子を見守り、白沢と交代するように床に座って眠りにつく。
すると、やはりというべきか――。深夜になると、久保はその体を起こした。
「久保くん……?」
見藤が名を呼ぶ。しかし、返答はなく、彼の目は虚空を見つめている。それは夢遊病のような症状だ。
久保はベッドから起き出すと、ふらりと廊下に向かった。そのままうずくまり膝を抱える。すると、膝に顔をうずめるような体勢になると、静かに泣き始めた。それはまるで――、幼子のようだ。
見藤と白沢は何も言わず、ただ見守っていた。
そうして、朝を迎えた。
約束通りキヨから連絡を受けた見藤は医療機関に連絡を取り、なんとか久保の入院を取り付けたのだった。
大部屋の一角に設置されたベッド、そこに眠るのは久保だ。未だ、目は覚めない。できることはやった、あとは待つしかない。
見藤は久保に付き添う白沢にその場を後にすることを伝え、院内の通話スペースに移動した。
そして、見藤は久保が通う大学に連絡をとる。彼の両親に一報を取り付けてもらおうとした。しかし――、返答は耳を疑うものだった。
大学側が久保の両親に連絡を取った所までは良かったものの。両親は現在、海外赴任中であり一時帰国できず、彼の様子を見に来ることはない、という返答だった。
孤独――――、沙織の言葉を思い出す。両親から受けた愛情を、何不自由ない生活や注がれた金銭から感じるというのは、幼少期であれば難しいことだろう。
久保は孤独に耐え、その孤独をひた隠し、成長していたのだとすれば――。見藤は深い溜め息をつく。
「はぁ……」
久保はいつも人に囲まれていた。それは見藤にとって理解できないことだった。人の本質を見てきたから、というのも一理あるだろう。そもそも、見藤は孤独を感じたことはなかったのだ。
それは共にいた牛鬼や、今もこうして連れ合っている霧子の存在が大きい。
人は人の中でしか生きられない――、まるで久保はその言葉を体現しているようだ、と思う。見藤は人知れず、白い天井を見上げたのであった。
「それで?」と、見藤がその先を聞こうとした矢先――。凛とした声が部屋に響き、それは遮られた。
「おじさん」
「ん、来たか」
沙織だ。伝えた通り、早々に駆けつけてくれたようだ。
見藤が慌てて部屋へ押し入ったために、扉は開かれたままになっていた。その甲斐あって、あの甘い香りも鼻を掠めることはなくなっている。
沙織は眠る久保の脇にしゃがむ白沢を一瞥する。すると、「ふーん」と興味なさげに視線を見藤に戻した。そして、白沢が言っていた、覚の先祖返りについて訂正を入れる。
「別に、私は夢に介入できる訳じゃないよ。そんな都合のいい事、できる訳ない」
「……、どうすれば」
「記憶を呼び起こすだけ。だから、楽しい記憶を呼び起こすの。そうすれば悪夢はかき消されて、夢から出られる。そうよね、おじいちゃん?」
勝手に能力を明かされた仕返しなのだろうか。沙織は白沢をじとっと見やりながら、彼を「おじいちゃん」と呼んだ。
確かに、悠久の時を生きる白沢。沙織からしてみれば、そう呼んでも可笑しくはない。ただ、彼が模っている姿は久保の友人である男子学生、白沢だ。呼び名と姿が見事に噛み合わない。可愛らしい仕返しには丁度いいだろう。
「……その呼び方は止めてもろてええか?……お嬢ちゃん」
困ったように眉を下げた白沢の表情に、沙織は満足したようだ。鼻を鳴らすと、眠る久保を見やった。
「まぁ、やってみるよ」
沙織は強く頷いた。白沢と場所を交代するように久保の傍へ寄る。そして、久保の額に手を置いた。特に目に視えて変化はない。一瞬、眠る久保が眉を寄せたかと思うと、次には安らかな寝顔に変わった。
久保の額から手を離した沙織は、少し考えるような素振りを見せる。
「うーん、これで様子見かな……。あとは目覚めるのはお兄ちゃん次第なんだけど……」
「そうか……」
「どのくらいで目覚めるのかは分からない。悪夢に負ければ最悪このまま……」
「…………」
沙織の言う最悪の場合とは、斑鳩の報告にあった昏睡状態のことだろう。見藤は黙って、状況を受け入れる他なかった。
いくら健康体であったとしても、数日に渡り脱水と低栄養状態に陥れば、自ずと衰弱していくことは目に見えている。そして、昏睡状態というからには、脳にも少なからず影響が出始めるだろう。このまま様子を見ると言うのは得策ではない。
見藤はすぐさま医療機関へ連絡を取り始めたのだが――――。
「くそ……、ここまでとは」
彼の悪態に、沙織と白沢は心配そうに視線を送る。
社会現象にまで発展した疑似的な夢遊病。そして、それが行き着く先の昏睡状態。そうすれば、入院病床はすぐに満床となってしまうのは必然だ。
例にもよって、見藤が連絡を取った病院も満床。外来にて、点滴処置だけでも処置してもらえないだろうか、という要望すら聞き入れてもらえなかった。
「はぁ、こればかりは……。腹を括るか」
見藤はそう呟くと、再び電話をかけ始めた。
「あぁ、キヨさん? 突然すまない、あぁ、そうだ。少しばかり便宜を図って欲しいことが……。うっ、確かに今回は俺の力不足だが……そう言わんでくれ。……はい、スミマセン」
電話の相手はキヨだった。見藤は顔を顰めながら、どうにか事情と現状を説明する。
道具屋を営みつつ情報屋でもあるキヨの伝手を頼れば、協力者の手を借り、どうにか久保を入院させてもらえる医療機関を見つけられるのではないか、そう考えた。だが当然、キヨの厳しいお言葉を賜ることになってしまった。
その様子を見ていた白沢は恐れおののいていた。神獣をも封印してしまう術を持つ見藤でさえ、頭が上がらない存在。彼以上の強者が、人の世に存在するのか――、と冷や汗を垂らしていた。
見藤の表情は徐々に曇り、眉は下がって行く一方。更に、電話口から漏れて聞こえて来る、冷静な声音。それは、静かな怒りを含んでいた。
すると、通話はひと段落したようだ。
「礼は弾ませてもうらうから。……あぁ、頼みます」
そうして、見藤は電話を終えた。白沢は戸惑いながら尋ねる。
「ど、どない?」
「……明日には入院できそうな病院を知らせてくれるそうだ」
「そうかぁ……」
白沢は神獣らしからぬ、安堵した表情を浮かべた。――それは友の顔だ。
そして、見藤の返事に安堵の声を漏らした沙織。
「よかった……」
「あぁ」
見藤は力強く頷いた。仕事の早いキヨの事だ、明日になれば早いうちに連絡を寄こしてくれることだろう。――それだけでも、心持ちが違ってくる。
しかし、今日はこのまま帰る訳にもいかない。久保が夢現に誘われ、どこかへふらっと出掛けてしまうかもしれない。そうなれば、行方知れずとなってしまう可能性は否定できない。
見藤と白沢は、ここで夜を明かすことを決めた。見藤は事務所の固定電話に連絡をし、霧子にことの流れを伝える。もちろん、彼女も久保を心配していた。
猫宮が電話口に変わると、東雲は何事もないとの報告を受ける。見藤は安堵の溜め息をついたのだった。
見藤は沙織に、暗くなる前に帰るよう促して礼を述べる。すると、彼女は「いいってこと」と、可愛らしい笑みと共に軽く返事をして帰路についた。
◇
そうして、夜が来る。
神獣である白沢に休息は必要はない。だが、人である見藤は違う。簡単な食事を摂り、久保の様子を見守り、白沢と交代するように床に座って眠りにつく。
すると、やはりというべきか――。深夜になると、久保はその体を起こした。
「久保くん……?」
見藤が名を呼ぶ。しかし、返答はなく、彼の目は虚空を見つめている。それは夢遊病のような症状だ。
久保はベッドから起き出すと、ふらりと廊下に向かった。そのままうずくまり膝を抱える。すると、膝に顔をうずめるような体勢になると、静かに泣き始めた。それはまるで――、幼子のようだ。
見藤と白沢は何も言わず、ただ見守っていた。
そうして、朝を迎えた。
約束通りキヨから連絡を受けた見藤は医療機関に連絡を取り、なんとか久保の入院を取り付けたのだった。
大部屋の一角に設置されたベッド、そこに眠るのは久保だ。未だ、目は覚めない。できることはやった、あとは待つしかない。
見藤は久保に付き添う白沢にその場を後にすることを伝え、院内の通話スペースに移動した。
そして、見藤は久保が通う大学に連絡をとる。彼の両親に一報を取り付けてもらおうとした。しかし――、返答は耳を疑うものだった。
大学側が久保の両親に連絡を取った所までは良かったものの。両親は現在、海外赴任中であり一時帰国できず、彼の様子を見に来ることはない、という返答だった。
孤独――――、沙織の言葉を思い出す。両親から受けた愛情を、何不自由ない生活や注がれた金銭から感じるというのは、幼少期であれば難しいことだろう。
久保は孤独に耐え、その孤独をひた隠し、成長していたのだとすれば――。見藤は深い溜め息をつく。
「はぁ……」
久保はいつも人に囲まれていた。それは見藤にとって理解できないことだった。人の本質を見てきたから、というのも一理あるだろう。そもそも、見藤は孤独を感じたことはなかったのだ。
それは共にいた牛鬼や、今もこうして連れ合っている霧子の存在が大きい。
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