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第三章 夢の深淵編
26話目 悪友との邂逅、そして類が及ぶ(五)
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◇
そうして、どのくらい時間が経ったのか――。
斑鳩が席を外してからというもの、何も音沙汰がない。見藤に渡された氷嚢も、中身をすっかり水に変えている。
久保は精神的に疲れ果て、机にうつ伏せて眠っていた。時折、僅かに体を動かしている。
何か夢でもみているのだろうか、と思いながら見藤は物音を立てないようにそっと氷嚢を机においた。その際、パイプ椅子の軋む音が大きく響いた。慌てて久保を見やるが、起きる気配はない。
見藤はパイプ椅子に深く腰掛け、斑鳩の沙汰を待つ。流石に長時間拘束されているため、東雲が心配だ。どうしたものかと考えていた矢先、扉がノックされた。
その音に反応し、久保が目を覚ました。眠たげに体を起こし、椅子に座りなおす。
「悪い、待たせたな」
斑鳩だ。彼の言葉に、見藤はことの結果を急かす。
「……、で?」
斑鳩は扉にもたれかかると腕組み、大きく溜め息をついた。
「それがなぁ……」
斑鳩の話によると、例の暴漢は最近になり悪夢を見るようになったという。それも、夢か現実か分からないほどに。
彼は夢現の中、駅構内を彷徨い歩いている。夢は暴漢に襲われて絶命する。そんな悪夢を毎日みていたというのだ。
すると人間、結果が分かっているのであれば、それに対抗しようとするのが性だ。危害を加えられる前に、こちらから仕掛けてやろうというのだ。――そうして、彼は夢の中で刃物を持ち出した。
斑鳩が話終えると、見藤の眉間には深い皺が刻まれていた。隣には、それに似たような表情をする久保。
久保は斑鳩に物怖じすることなく、事実を言い放つ。
「虚偽ですね。僕らの中で一番力の弱い東雲を狙った時点で、被疑者の判断能力は機能しているじゃないですか」
「彼の言うとおりだ」
珍しく強い口調で物言いをする久保。いつも身に纏っている和やかな雰囲気はそこになく、斑鳩を睨みつけている。そのことに見藤は驚きながらも、彼の言っていることは正しいと頷いた。
そんな二人の様子に、斑鳩は少しばかり悩む仕草をしたが、すぐに口を開く。
「そうだが……、まぁ、いいだろう。他言無用にしてくれよ? これは公表していないんだが……。実のところ、最近……こう言った暴漢事件や小競り合いが増えている」
「それと、今回の件。何の関係が――?」
斑鳩の言葉に、首を傾げたのは見藤だ。見藤が取り押さえた暴漢と、他の傷害事件。なんらかの関係性は窺えない、と疑念に充ちた表情を浮かべる。
だが、斑鳩の中で既に答えはあるようだ。
「夢だ。夢と現実の狭間で移ろい、最悪の場合、現実社会で凶行に及ぶ。しかし、本人は夢の中で行動したことだと認識している。世間では夢遊病のような症状が取り沙汰されているだろう? その人間の隠し持っていた凶暴性が表に出た場合、今回のような事件に繋がるとみている」
斑鳩の言葉に、見藤の眉間の皺は更に深くなる。
少し前に事務所を訪れた、依頼人を思い出したのだ。彼女も夢と現実の区別がつかなくなった。次第に夢遊病のような症状を発症し、その容態から現在でも入院している。
――あれは、社会現象の発端にすぎなかったのだろうか。
斑鳩は言葉を続ける。
「近年、急速に普及しているSNSだが……。そこで夢に関する認知が莫大に広がっている。不自然なほどに、な。特に若い層に顕著なのは夢日記だ。それと伝播する夢だ」
そう言うと斑鳩はもたれかかっていた扉の前から離れ、目の前のパイプ椅子に勢いよく座った。パイプ椅子が軋み、悲鳴を上げる。
どうやら斑鳩も伝播する夢に関して、思うことがあったのだろう。
「斑鳩家でも認知を操作しようとやってはいるが、なんせ可笑しな程に情報の巡りが早すぎる。いつもなら、うちが遅れをとる訳がない」
斑鳩はそう言うと足を組み、乱雑に頭を掻いた。この件に関して相当な労力を費やしているようだ。
認知の操作、それが斑鳩の家が得意とすることだった。だからこそ、警官や検察となる者が多いのだろう。情報操作を表立って可能にすることも彼らの強みだ。
斑鳩は見藤を見やり、首を傾げながら尋ねる。
「見藤、お前の見立てはどうだ?」
「……そこまで不自然に事が大きくなったのなら、怪異関連である可能性が高い。だが――」
「そうだ、何も確証がない。集団ヒステリーの可能性だろ? 俺も一時期そう考えた」
見藤の言葉を斑鳩が引き継いだ。そして、その先へと言葉を続ける。
「だがな、共通している事があるんだよ。伝播する夢を見ている奴は、必ず同じ匂いを嗅いでいる。そして、深い夢に誘われるとき女の声を聞いたそうだ」
「……なんだ、それは。甘い匂い……、どこかで」
斑鳩の言葉を聞いた見藤には、思い当たることがあった。
――見藤が少し前に見た悪夢。
それは夢だというのに、鼻腔に甘い香りを残していた。そして、依頼人が事務所を後にしようと立ち上がった時、同じ香りがしたのだ。しかし、見藤は気付く。
(俺は夢日記を目にしていない)
見藤はSNSで夢日記を書いていなければ、見ることもしていない。そして、夢といっても、今では悪夢を見ることはなくなったのだ。それは伝播する夢、甘い香り、という条件から外れてしまっている。
(どういうことだ……?)
顎に手を当てて考え込む見藤を余所に。斑鳩は彼が伝播する夢を知っていたのであれば、話が早いと言わんばかりに頷いている。
「見藤、お前の方でも探ってみて欲しい。斑鳩家から正式に依頼はできないが、俺個人であれば話は別だろ?」
「……分かった。少し時間をくれ。……これ以上面倒な事にならないよう願うばかりだ」
「はは、違いない」
見藤と斑鳩の会話。久保は完全に蚊帳の外だった。
――夢と現実の狭間。そこで最悪の場合、身をもって体験してしまったあの凶行。
危険な事象の調査を見藤に依頼する斑鳩という男に、久保が抱くのは警戒心だ。到底納得できない、と言う表情している。
久保から向けられた視線に、見藤は困ったように眉を下げる。
「大丈夫だ、無茶はしない」
「…………。何かあれば霧子さんと東雲に告げ口しますからね」
「……それは勘弁して」
久保は見藤の弱みを熟知している。久保の容赦ない宣言に、見藤は項垂れた。
そうして、どのくらい時間が経ったのか――。
斑鳩が席を外してからというもの、何も音沙汰がない。見藤に渡された氷嚢も、中身をすっかり水に変えている。
久保は精神的に疲れ果て、机にうつ伏せて眠っていた。時折、僅かに体を動かしている。
何か夢でもみているのだろうか、と思いながら見藤は物音を立てないようにそっと氷嚢を机においた。その際、パイプ椅子の軋む音が大きく響いた。慌てて久保を見やるが、起きる気配はない。
見藤はパイプ椅子に深く腰掛け、斑鳩の沙汰を待つ。流石に長時間拘束されているため、東雲が心配だ。どうしたものかと考えていた矢先、扉がノックされた。
その音に反応し、久保が目を覚ました。眠たげに体を起こし、椅子に座りなおす。
「悪い、待たせたな」
斑鳩だ。彼の言葉に、見藤はことの結果を急かす。
「……、で?」
斑鳩は扉にもたれかかると腕組み、大きく溜め息をついた。
「それがなぁ……」
斑鳩の話によると、例の暴漢は最近になり悪夢を見るようになったという。それも、夢か現実か分からないほどに。
彼は夢現の中、駅構内を彷徨い歩いている。夢は暴漢に襲われて絶命する。そんな悪夢を毎日みていたというのだ。
すると人間、結果が分かっているのであれば、それに対抗しようとするのが性だ。危害を加えられる前に、こちらから仕掛けてやろうというのだ。――そうして、彼は夢の中で刃物を持ち出した。
斑鳩が話終えると、見藤の眉間には深い皺が刻まれていた。隣には、それに似たような表情をする久保。
久保は斑鳩に物怖じすることなく、事実を言い放つ。
「虚偽ですね。僕らの中で一番力の弱い東雲を狙った時点で、被疑者の判断能力は機能しているじゃないですか」
「彼の言うとおりだ」
珍しく強い口調で物言いをする久保。いつも身に纏っている和やかな雰囲気はそこになく、斑鳩を睨みつけている。そのことに見藤は驚きながらも、彼の言っていることは正しいと頷いた。
そんな二人の様子に、斑鳩は少しばかり悩む仕草をしたが、すぐに口を開く。
「そうだが……、まぁ、いいだろう。他言無用にしてくれよ? これは公表していないんだが……。実のところ、最近……こう言った暴漢事件や小競り合いが増えている」
「それと、今回の件。何の関係が――?」
斑鳩の言葉に、首を傾げたのは見藤だ。見藤が取り押さえた暴漢と、他の傷害事件。なんらかの関係性は窺えない、と疑念に充ちた表情を浮かべる。
だが、斑鳩の中で既に答えはあるようだ。
「夢だ。夢と現実の狭間で移ろい、最悪の場合、現実社会で凶行に及ぶ。しかし、本人は夢の中で行動したことだと認識している。世間では夢遊病のような症状が取り沙汰されているだろう? その人間の隠し持っていた凶暴性が表に出た場合、今回のような事件に繋がるとみている」
斑鳩の言葉に、見藤の眉間の皺は更に深くなる。
少し前に事務所を訪れた、依頼人を思い出したのだ。彼女も夢と現実の区別がつかなくなった。次第に夢遊病のような症状を発症し、その容態から現在でも入院している。
――あれは、社会現象の発端にすぎなかったのだろうか。
斑鳩は言葉を続ける。
「近年、急速に普及しているSNSだが……。そこで夢に関する認知が莫大に広がっている。不自然なほどに、な。特に若い層に顕著なのは夢日記だ。それと伝播する夢だ」
そう言うと斑鳩はもたれかかっていた扉の前から離れ、目の前のパイプ椅子に勢いよく座った。パイプ椅子が軋み、悲鳴を上げる。
どうやら斑鳩も伝播する夢に関して、思うことがあったのだろう。
「斑鳩家でも認知を操作しようとやってはいるが、なんせ可笑しな程に情報の巡りが早すぎる。いつもなら、うちが遅れをとる訳がない」
斑鳩はそう言うと足を組み、乱雑に頭を掻いた。この件に関して相当な労力を費やしているようだ。
認知の操作、それが斑鳩の家が得意とすることだった。だからこそ、警官や検察となる者が多いのだろう。情報操作を表立って可能にすることも彼らの強みだ。
斑鳩は見藤を見やり、首を傾げながら尋ねる。
「見藤、お前の見立てはどうだ?」
「……そこまで不自然に事が大きくなったのなら、怪異関連である可能性が高い。だが――」
「そうだ、何も確証がない。集団ヒステリーの可能性だろ? 俺も一時期そう考えた」
見藤の言葉を斑鳩が引き継いだ。そして、その先へと言葉を続ける。
「だがな、共通している事があるんだよ。伝播する夢を見ている奴は、必ず同じ匂いを嗅いでいる。そして、深い夢に誘われるとき女の声を聞いたそうだ」
「……なんだ、それは。甘い匂い……、どこかで」
斑鳩の言葉を聞いた見藤には、思い当たることがあった。
――見藤が少し前に見た悪夢。
それは夢だというのに、鼻腔に甘い香りを残していた。そして、依頼人が事務所を後にしようと立ち上がった時、同じ香りがしたのだ。しかし、見藤は気付く。
(俺は夢日記を目にしていない)
見藤はSNSで夢日記を書いていなければ、見ることもしていない。そして、夢といっても、今では悪夢を見ることはなくなったのだ。それは伝播する夢、甘い香り、という条件から外れてしまっている。
(どういうことだ……?)
顎に手を当てて考え込む見藤を余所に。斑鳩は彼が伝播する夢を知っていたのであれば、話が早いと言わんばかりに頷いている。
「見藤、お前の方でも探ってみて欲しい。斑鳩家から正式に依頼はできないが、俺個人であれば話は別だろ?」
「……分かった。少し時間をくれ。……これ以上面倒な事にならないよう願うばかりだ」
「はは、違いない」
見藤と斑鳩の会話。久保は完全に蚊帳の外だった。
――夢と現実の狭間。そこで最悪の場合、身をもって体験してしまったあの凶行。
危険な事象の調査を見藤に依頼する斑鳩という男に、久保が抱くのは警戒心だ。到底納得できない、と言う表情している。
久保から向けられた視線に、見藤は困ったように眉を下げる。
「大丈夫だ、無茶はしない」
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