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第二章 怪異変異編
20話目 凶兆、現る(四)
しおりを挟む闇夜の空で繰り広げられる、火車と神獣の攻防戦。空から猫宮の苛立った声が響く。
「おい、見藤!!埒があかんぞ!!!」
猫宮の声を耳にした久保は、はっとして空を見上げた。流石の久保でも、火車と神獣では猫宮の分が悪い事は理解できている。それとも、白澤が友人、白沢であったことを捨てきれないのか――。両手を握り閉めて唇を噛んでいた。
猫宮が獅子の姿をした白澤と応戦するが、決定打とまでは持ち込めない。猫宮の篝火も、身軽に躱されてしまっている。
そのような状況、このまま行けば長期戦。若しくは、猫宮が押されるのは目に見えている。久保は眉を寄せ、さらに握った拳に力が籠った。すると、見藤が不意に口を開く。
「白澤には九つの眼がある」
「眼?」
「そうだ。それが千里眼と言われる所以だ。だから、猫宮の炎も簡単に躱される」
見藤は自身の額をとんとんと指で叩いた。そして視線は空を見上げる。
空を駆ける、月明りに照らされた白澤をよく見えれば、その額にはギョロギョロと動く第三の眼を開眼させている。それだけではない。獅子の体にも、残りの六つの眼が猫宮から放たれた篝火を視線で追っている。
見藤の言葉通り、これでは篝火を命中させるのも一苦労だろう。しかし、見藤は何か策があるようで――。
「まぁ、やり方がない訳ではないんだよな。これが」
見藤は軽い口調でそう言うと、不敵に笑った。そして、久保に自分の後ろへ回るように指示を出す。霧子は役目を終えたと言わんばかりに、人を模った姿に戻っていた。
「……流石にいいとこ見せないと、な!」
見藤は語気を強め、懐に忍ばせていた木簡を取り出す。そして、木簡を放射状に地面に投げ捨てると、蛇腹に広がった。木簡は蛇腹に繋げられた特殊な形をしており、その表面には様々な紋様が描かかれている。
すると、見藤は足を地に踏ん張り、手を叩く。
パン!
空気が振動する。そして、もう一度、叩く。
パン!!
今度は先程より大きく空気が揺れた。それを木簡の数だけ繰り返していくと、空気の振動はそれに連なり、徐々に大きくなっていく。それは、幾重になった空気の層が木簡に蓄えられているようだ。空気の層が大きさを増し、微細に肌を打つ。
「『行け』」
見藤がそう静かに呟くと、微細だった空気の振動は、大きなうねりを持った波となり、白澤を襲った。その波の大きさでは、千里眼を持つ神獣と言えど、避けようがないだろう。
白澤は空気で模られた波を見るや否や、地上に立つ見藤を睨みつけた。第三の眼が怒りで血走り、せわしなく動いている。そして、恨めしそうに言い放つ。
「たかが人間の分際で!」
「残念だったな」
――これしきの事できて当然。
そう不敵に笑う見藤は、どこか誇らしげに見えたのは霧子だけだろうか。
猫宮に気を取られていた白澤は、人間が神獣に対抗し得る策など持ちえないと侮っていたのだろう。その慢心によって見藤に生み出された空気の波を避けられず、その波は白澤の体を押し流し、地へと撃ち落とした――。
そして、僅かな隙を逃す猫宮ではない。猫宮はその喉元を目掛け、思い切り食らいついた。
「ガァっ!!!」
「ぐっ」
猫宮の鋭い牙が白澤の喉元に食い込んだ。
流石の神獣と言えど、多少なりとも打撃を受けたのだろう。くぐもった声を上げ、白澤は平衡感覚を失い、急降下する獣の姿。
すると、見藤は猫宮に何やら合図を送っている。そうしている間に、地面はすぐそこだ。猫宮が白澤を地面に叩きつけると、すぐさまそこを離れた。けたたましい音を立て、砂埃が辺りを舞う。
砂埃が晴れる。そこには不思議な模様と文字が幾重にも描かれた、微細に光る朱赤の匣に囚われた白澤の姿があった。首元には猫宮が噛みついた痕が痛々しく血を滲ませている。
首元の傷と落下の衝撃で、白澤は牛のような姿に戻ってしまっており、ぐったりと横たわっている。
見藤は朱赤の匣までゆったりと歩みを進め、口を開いた。――その匣が一体、何であるのか。それを神獣に知らしめるために。
「それは封印の匣だ。妖怪封じを神獣用に応用した特別仕様だぞ、喜べ。夜な夜な準備した甲斐があったな」
そう言い放ち、白澤を見下ろす見藤。それを恨めしそうに見上げる白澤。
白澤は人間に敗北した事実を認めたのか、項垂れるように力なく呟いた。
「お前……、なんで、そんな事ができる。……おかしいやろ」
「俺の師は、妖怪だからな」
「……聞いた俺が阿呆やった」
見藤の答えに、白澤は目を見開いた。知識があるだけでは、役に立たないことなど十分に白澤は知っているのだ。例え、見藤が言うように師が妖怪であっても、崇高な師に教えを説いてもらったとしても。
神の一端である神獣 白澤が、ここまで追い込まれるなど有り得ないのだ。それを可能にしているのは、やはりこの男が持っていた例の眼による力の影響か――、と白澤は己を無理やり納得させた。
白澤の思考などお構いなしに、見藤は朱赤の匣の前にしゃがむと白澤の傷の様子を見た。
「深くはないな」
「はん! 敵の心配しとる場合か」
「別に俺は敵だと思っちゃいない」
そう話す見藤の目には敵意はない。その傍ら、後ろで見藤の言葉に頭を抱える霧子と猫宮。――見藤は怪異に対してどこまでも甘かった。
彼は白澤がこれまで行ってきた蛮行を追求するつもりはないらしい。それにはやはり、怪異――ましてや、神獣のすることに人間というちっぽけな存在がもの申すことはできないからであろうか。
見藤は白澤に向かって、静かに言葉を据える。
「摂理を引っ掻き回すな。悪い事はするな」
「……」
「おい」
「お、お前の問いに応えてしもたら、この妙な制約に縛られるやろう!? この匣の術に妙なもん組み込みやがって、こんなん見たことないわ!」
「お、ばれたか。まぁ、いい。で、どうする? このまま匣の中で見世物か、一言応えるだけで自由になるのか」
「……、くそ、分かった。……分かった言うとるやろ! あぁもう、首輪でも付けられた気分や……!」
観念したと言わんばかりに首をもたげ喚く白澤。すると、匣は形を変え、白澤の首元に短く切られた赤いしめ縄のような印を作った。
その一連の光景を見ていた、煙谷と猫宮はぼそっと呟いたのだった。
「……あいつは敵に回したくないね」
「同感」
そして――。
「いでっ!!! 何すんねや!!!」
「これでどうだ??」
「なにが」
「まだ、自分の姿が分からないか?久保くん、こいつの名前を呼んでやれ」
横たわる白澤の第三の眼を見藤がデコピンで軽く弾き飛ばした。
―― かと思うと、痛みに悶える白澤の姿はするするとまた別の牛の姿へと変化した。その姿はまさに神聖という言葉が似あうほど、神々しい。
そして、突然見藤に名前を呼ばれた久保は戸惑っていた。
「え……?し、白沢……?」
久保が遠慮がちに友人としての名を呼ぶと、今度は大学生の友人の姿へと変化したのだ。
あまりの出来事に白沢も戸惑いを隠せない。そして自分の中に渦巻いていた怒りや怨嗟の念が不思議と落ち着いているのが分かる。
「なんや、これ」
「ま、認知の書き換えだ。これで、見てくれは治っただろ?」
「お前……、規格外すぎるわ。その師匠とやらは、やらかしてくれたなぁ」
見藤は昔、霧子にしたことを白澤にやってのけたのだ。それは現状、白澤と縁深い久保が名を呼ぶことで、見藤の呪いによって増長されたその認知が、これまでの白澤の姿をも書き換えたのだ。
そのことに白沢は気付くと、呆れたような笑みを浮かべながら見藤を見た。
「……お前の眼は、あらゆる本質を見抜くんやな」
「さぁな。だが、その渦巻いている妙なものまでは治せん」
「…………ここまでしてもろたら、これは俺が上手く付き合って行くしかないやろ……」
恐らく見藤が言う何か、とは人の欲にあてられたことによって生まれた、白澤が抱く数多の欲だ。
――そうだ、人は自分の欲と上手く付き合って生きているではないか。本来の姿を取り戻し、自身の役割を思い出しただけでも十分だ。と、冷静な思考を取り戻した白澤は目を伏せる。
「ま、俺はもう制約に縛られて、今後はあほなことはできんしなぁ」
「そういう事だ」
そう言って笑った白沢の表情は、久保がよく知る彼のものだった。その様子に久保は少し安心したように胸を撫で下ろす。
――が、背後から投げかけられた言葉に、白沢は身を強張らせたのであった。
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