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第二章 怪異変異編
13話目 過去編 幽愁暗根(四)
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◇
それから少し経ち、大人達はようやく鳥居の前に辿り着いたのだった。そして、彼らが向かうのはそこから更に奥地だ。
鬱蒼とした木々の中、昼間だというのにその地は薄暗い。そして何より、気の巡りが悪かった。少年の目には有象無象の霊魂、そして生霊、黒い靄が漂う光景が写っていた。
そんな中、この大人達は平然と進んでいく。幾度となく目にしたその光景に見慣れてしまったのか、はたまた元より淀みなど視えていないのか、想像の域は出ない。
(視えない奴は幸せだな)
少年は胸の内に、そんな皮肉を呟きながら従順な振りをする。――三つ目の烏の怪異を逃がしたことは、まだばれてはいない。どこまでもこの少年は聡く、強かだった。
道中、意図的なのか風化なのか不明であるが、首がない地蔵が数体並んでいた。少年の心臓が思わず跳ねた。それが何を意味しているのか分からない訳ではない。
その地蔵が祀られている地点から更に足を進めて行くとより一層、澱みが酷くなり、少年は気分が悪くなるのを耐えることしか出来なかった。
そして、一行が辿り着いたのは、これまた風化した祠だった。祠の目前に佇む、本家の男と運転手。そして、その背後に控える少年。
「あれを」
男に短く指示され、少年は反抗的な感情を押し殺す。少し頭を下げ、籠と道具を本家の男に渡した。
男は受け取った道具を運転手に持たせると、籠の札を無理やり剥す。――当然、その籠の中身は空だ。
それを目にした男は、わなわなと肩を震わせている。少年が心の内で嘲笑うのと同時か、男は運転手を怒鳴り散らした。
「贄はどこに行った!!!」
「私は知りませんよ!」
そこからは責任の擦り付け合いだ。責め立てる男と言い訳を重ねる運転手。少年は我関せずと無言を貫いた。その態度が運転手の目に留まったのだろう、なにやら男に入れ知恵をしている。
すると、男は道具箱から小さな刃物を取り出した。何をしようと言うのだろうか、と少年は訝しげに刃物を見つめていたのだが――――。
「いっ、!!??」
少年は突然に男に左腕を掴まれ、前腕を刃物で切られたのだった。少年の腕には数センチにも渡る傷が生まれ、そこから血が滲んでいる。次第に血が滴り始めた。どうやら傷は深い。
男は滴り始めた血を確認すると無理やり少年の腕を引き、祠に置かれている盆に血を注ぎ始めた。
従順な振りをしていた少年だが、あまりの暴挙を受け、声を荒げて抵抗しようとする。だが、所詮子どもの力だ。男の腕は振りほどけず、動かぬよう更に拘束を強められてしまった。
「く、そ野郎がっ!!!」
「責任は取るものだろう」
「はっ」
少年は浅く吐息を漏らす。切られた傷の痛みと、力任せに捕まれた腕の痛みで、金槌で打たれたような頭痛が襲う。それだけではない、血が失われる感覚で意識が朦朧とする。
それに加え――、少年は一層の淀みを感じ取り、視線を上げた。祠を呑み込むようにしなだれかかるのは、土地神や山神と呼ばれる類の怪異だろう。だが、「神」と言う名には程遠い姿を、少年の目に晒していた。
その姿は筆舌に尽くしがたく、惨憺たるものだった。動物や人を模った姿とは程遠く、皮膚は裂け、爛れている。淀みによって悪臭を放ち、無いはずの目に視線で射抜かれているような感覚が少年を襲う。
この地に祀っている存在に、こうして贄を捧げていたのかと、あの白い烏を連れてきたことに少年の中で合点がいったのだった。
白い烏というのは神聖な鳥であり、さらに三つ目ともなると神の使いにも等しい。そんな怪異を贄として捧げ、血を祠に吸わせるなど、良き神を悪神へと貶める行為だ。――いや、寧ろ、村の大人達であれば呪いの効果をより強力にするため、この愚行を良しとしているのかもしれない。
(まさに因習ってやつか……。この山神はもって一年程度。その前に牛鬼を連れてこの村を出ないと――、猶予はまだ、ある)
少年は痛みに耐えるように眉を寄せながらも、その頭は冷静だった。
不意に拘束されていた腕が解放される。振り切るように腕を引き、少年は男を睨み付ける。すると、男は呆れたように溜め息をつき、運転手に言づけて布を持って来させた。
「これで止血しておけ。荷台が汚れる」
「……」
「今日はこれくらいにしてやる。本来なら、その眼を贄とした方が喜ばれるだろうが……まだ早い」
少年は投げられた布を傷口に当てながらも、更に男を睨みつける。傷口は熱を持ち、鈍い痛みが続く。気分が悪い、淀みのせいか、傷口のせいか。はたまた、この村の因習を知ったためか。全てがごちゃ混ぜになり嘔気を催す。しかし今は耐えろ、と足を踏ん張る。
(どこまでも腐ってやがる……)
その悔しさと怒りを糧になんとか持ち堪えたのだった。
◇
そして、少年は足取り重く、離れ座敷に帰宅する。少年の腕の傷を目にした牛鬼は、まさに鬼のように怒りを露にしたのだった。少年はなだめるのに苦労した。――腕の傷は、痕に残るだろう。
「祟るな! 面倒なことになるから!」
「もう我慢ならんっ……!」
「俺は大丈夫だから!」
「むっ!」
「はぁ……」
牛鬼は手当てをしているときも鼻息荒く、村を祟ろうとしていた。これでは反対に、少年の方が冷静になるというものだ。
少年が素直に礼を口にすれば、牛鬼の怒りは少し落ち着いたようだ。少年の頭を優しく、労わるように撫でている。それは少しばかり、心がむずがゆい。少年は咄嗟に話題を変えようと牛鬼を見上げた。
「なぁ、牛鬼には名前はないのか? 種族の名だろ、牛鬼って」
「そうだな。妖怪や怪異は自ら正体を名乗らない。その分、個の名も持ち合わせていない」
「だったら――」
「ここには儂と坊主だけだからな、特別困っておらんだろう」
牛鬼にそう言われてしまえば、後に続く言葉はひっそりと少年の胸の内にしまわれる。
名は体を表す、少年は文字通り、牛鬼に贈りたい名があったのだが――。それはまたの機会に話すとしよう、と口を閉ざす。そして、その名を贈る頃にはこの忌々しい村を、牛鬼と共に出るのだと決意を胸に抱く。
(逃げ道の算段はもう少しでつくはずだ……)
牛鬼は満足するまで少年の頭を撫でた後しばらくして、薬箱を棚に戻そうと立ち上がる。その姿を見た少年は自身の計画を遂行するために密かに考えを巡らせるのだった。
しかし、流石に疲れたのか瞼が重く、少年はいつものように床に丸くなる。また牛鬼に小言を言われるだろうか、薄れゆく意識の中でそんなことを思いながら少年は眠りについた。
片膝から崩れ落ち、脇腹を押える牛鬼は、咄嗟に背を振り返った。眠っている少年を見ると安堵し、見られなくて助かったと、苦し気に息を吐く。
着物を少し開けさせ、痛む場所を見れば赤く血が溶けだすように滲んでいた。
「掟とは面倒なものよ……」
独り呟いた言葉は蝉の鳴き声にかき消された。
それから少し経ち、大人達はようやく鳥居の前に辿り着いたのだった。そして、彼らが向かうのはそこから更に奥地だ。
鬱蒼とした木々の中、昼間だというのにその地は薄暗い。そして何より、気の巡りが悪かった。少年の目には有象無象の霊魂、そして生霊、黒い靄が漂う光景が写っていた。
そんな中、この大人達は平然と進んでいく。幾度となく目にしたその光景に見慣れてしまったのか、はたまた元より淀みなど視えていないのか、想像の域は出ない。
(視えない奴は幸せだな)
少年は胸の内に、そんな皮肉を呟きながら従順な振りをする。――三つ目の烏の怪異を逃がしたことは、まだばれてはいない。どこまでもこの少年は聡く、強かだった。
道中、意図的なのか風化なのか不明であるが、首がない地蔵が数体並んでいた。少年の心臓が思わず跳ねた。それが何を意味しているのか分からない訳ではない。
その地蔵が祀られている地点から更に足を進めて行くとより一層、澱みが酷くなり、少年は気分が悪くなるのを耐えることしか出来なかった。
そして、一行が辿り着いたのは、これまた風化した祠だった。祠の目前に佇む、本家の男と運転手。そして、その背後に控える少年。
「あれを」
男に短く指示され、少年は反抗的な感情を押し殺す。少し頭を下げ、籠と道具を本家の男に渡した。
男は受け取った道具を運転手に持たせると、籠の札を無理やり剥す。――当然、その籠の中身は空だ。
それを目にした男は、わなわなと肩を震わせている。少年が心の内で嘲笑うのと同時か、男は運転手を怒鳴り散らした。
「贄はどこに行った!!!」
「私は知りませんよ!」
そこからは責任の擦り付け合いだ。責め立てる男と言い訳を重ねる運転手。少年は我関せずと無言を貫いた。その態度が運転手の目に留まったのだろう、なにやら男に入れ知恵をしている。
すると、男は道具箱から小さな刃物を取り出した。何をしようと言うのだろうか、と少年は訝しげに刃物を見つめていたのだが――――。
「いっ、!!??」
少年は突然に男に左腕を掴まれ、前腕を刃物で切られたのだった。少年の腕には数センチにも渡る傷が生まれ、そこから血が滲んでいる。次第に血が滴り始めた。どうやら傷は深い。
男は滴り始めた血を確認すると無理やり少年の腕を引き、祠に置かれている盆に血を注ぎ始めた。
従順な振りをしていた少年だが、あまりの暴挙を受け、声を荒げて抵抗しようとする。だが、所詮子どもの力だ。男の腕は振りほどけず、動かぬよう更に拘束を強められてしまった。
「く、そ野郎がっ!!!」
「責任は取るものだろう」
「はっ」
少年は浅く吐息を漏らす。切られた傷の痛みと、力任せに捕まれた腕の痛みで、金槌で打たれたような頭痛が襲う。それだけではない、血が失われる感覚で意識が朦朧とする。
それに加え――、少年は一層の淀みを感じ取り、視線を上げた。祠を呑み込むようにしなだれかかるのは、土地神や山神と呼ばれる類の怪異だろう。だが、「神」と言う名には程遠い姿を、少年の目に晒していた。
その姿は筆舌に尽くしがたく、惨憺たるものだった。動物や人を模った姿とは程遠く、皮膚は裂け、爛れている。淀みによって悪臭を放ち、無いはずの目に視線で射抜かれているような感覚が少年を襲う。
この地に祀っている存在に、こうして贄を捧げていたのかと、あの白い烏を連れてきたことに少年の中で合点がいったのだった。
白い烏というのは神聖な鳥であり、さらに三つ目ともなると神の使いにも等しい。そんな怪異を贄として捧げ、血を祠に吸わせるなど、良き神を悪神へと貶める行為だ。――いや、寧ろ、村の大人達であれば呪いの効果をより強力にするため、この愚行を良しとしているのかもしれない。
(まさに因習ってやつか……。この山神はもって一年程度。その前に牛鬼を連れてこの村を出ないと――、猶予はまだ、ある)
少年は痛みに耐えるように眉を寄せながらも、その頭は冷静だった。
不意に拘束されていた腕が解放される。振り切るように腕を引き、少年は男を睨み付ける。すると、男は呆れたように溜め息をつき、運転手に言づけて布を持って来させた。
「これで止血しておけ。荷台が汚れる」
「……」
「今日はこれくらいにしてやる。本来なら、その眼を贄とした方が喜ばれるだろうが……まだ早い」
少年は投げられた布を傷口に当てながらも、更に男を睨みつける。傷口は熱を持ち、鈍い痛みが続く。気分が悪い、淀みのせいか、傷口のせいか。はたまた、この村の因習を知ったためか。全てがごちゃ混ぜになり嘔気を催す。しかし今は耐えろ、と足を踏ん張る。
(どこまでも腐ってやがる……)
その悔しさと怒りを糧になんとか持ち堪えたのだった。
◇
そして、少年は足取り重く、離れ座敷に帰宅する。少年の腕の傷を目にした牛鬼は、まさに鬼のように怒りを露にしたのだった。少年はなだめるのに苦労した。――腕の傷は、痕に残るだろう。
「祟るな! 面倒なことになるから!」
「もう我慢ならんっ……!」
「俺は大丈夫だから!」
「むっ!」
「はぁ……」
牛鬼は手当てをしているときも鼻息荒く、村を祟ろうとしていた。これでは反対に、少年の方が冷静になるというものだ。
少年が素直に礼を口にすれば、牛鬼の怒りは少し落ち着いたようだ。少年の頭を優しく、労わるように撫でている。それは少しばかり、心がむずがゆい。少年は咄嗟に話題を変えようと牛鬼を見上げた。
「なぁ、牛鬼には名前はないのか? 種族の名だろ、牛鬼って」
「そうだな。妖怪や怪異は自ら正体を名乗らない。その分、個の名も持ち合わせていない」
「だったら――」
「ここには儂と坊主だけだからな、特別困っておらんだろう」
牛鬼にそう言われてしまえば、後に続く言葉はひっそりと少年の胸の内にしまわれる。
名は体を表す、少年は文字通り、牛鬼に贈りたい名があったのだが――。それはまたの機会に話すとしよう、と口を閉ざす。そして、その名を贈る頃にはこの忌々しい村を、牛鬼と共に出るのだと決意を胸に抱く。
(逃げ道の算段はもう少しでつくはずだ……)
牛鬼は満足するまで少年の頭を撫でた後しばらくして、薬箱を棚に戻そうと立ち上がる。その姿を見た少年は自身の計画を遂行するために密かに考えを巡らせるのだった。
しかし、流石に疲れたのか瞼が重く、少年はいつものように床に丸くなる。また牛鬼に小言を言われるだろうか、薄れゆく意識の中でそんなことを思いながら少年は眠りについた。
片膝から崩れ落ち、脇腹を押える牛鬼は、咄嗟に背を振り返った。眠っている少年を見ると安堵し、見られなくて助かったと、苦し気に息を吐く。
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