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第二章 怪異変異編
13話目 過去編 幽愁暗根(三)
しおりを挟む少年と牛鬼は食事を終えると、一服。少年は古びた湯呑を手に、浅い吐息をひとつ。――こうして温かい茶を啜ると、自然とほっとした気持ちを抱くのは何故なのだろうかと、満たされた腹と共に考える。
すると、牛鬼は考える素振りをしながらゆっくり口を開いた。それは少年が先程、言い淀んだ言葉の先を考えたのだろう。
「少し昔の話をしよう」
◇
人と妖怪が本当の意味で共存していた時代。まだ文明などと呼ぶには拙い時代だ。
人々を導く者にその特徴は現れた。それは眼に特徴的な『色』を宿していた。その色は翡翠、藍、深紫。
その眼を持つ者は呪いで正確に未来を占うことができた。また、別の時代では宗教の祖とされる者がその瞳を宿していた。彼の眼は過去を視ることができた。その者たちが興した国や宗教は大いに繁栄し、その結果大地に恵みをもたらした、とされている。
そして、その眼は決まって妖怪に好まれた。妖怪がその眼を喰らえば、計り知れない力が手に入るという伝承があったからだ。――その眼は決まって人の子に宿る。それがいけなかった。
人と妖怪の共存関係は壊れ、いつからか追い、追われるようになった。人が妖怪に喰われることもあれば、人が妖怪を狩ることもあった。
――時代が移り変わり、人の認知によって生まれ出でる「怪異」と妖怪の境は曖昧になり、数を減らした。そうして、人は妖怪や怪異を視ることはなくなっていった。
「よって、その眼は本来であれば、そのような呪いに使われていいものではないのだ。まぁ、もちろん。怪異がその眼を食えば、というのは間違いだ。食ったとしても、力など得られない」
牛鬼はそこで言葉を区切り、茶を啜った。一息ついて、さらに言葉を続ける。
「そして、本来の呪いとは神への祈りの言葉だ。それがいつしか、人が人の不幸を願う、呪いの言葉となってしまった。呪いと呪いは表裏一体。自分の願いが、相手にとっては不幸となるやもしれん」
話し終えた牛鬼はどこか昔を懐かしむような表情を浮かべていた。小さな破裂音を響かせ、火が燃える音が屋内に響く。
少年は牛鬼を見やり、首を傾げた。
「どうして、そんな話を俺に?」
「君の眼は、まさにそれだからだ」
牛鬼の柔らかな翡翠の瞳が少年を見つめる。それが恥ずかしくなり、少年は視線を逸らした。
「そんな訳ないだろ、俺は未来も過去も見えない」
「それは時代と共に必要ではなくなったからだ」
「……よく分からん」
「今はそれでいい」
少年の言葉に牛鬼は軽く首を横に振った。長き時を生き抜いてきた牛鬼にしか分からないことがあるのだろう、と少年は己を納得させる。
そして、少年は昔話にあった人と妖怪の共存に思いを馳せる。
「まぁ、でも共存か……。こんな作り物じゃなくて、……ん」
「眠るか?」
「うん。少し、疲れた……」
少年が木の床に体を横たえると、牛鬼は「畳の間へ行きなさい」と優しくも少し困ったように声を掛ける。だが、少年の睡魔はすぐそこまで来ていたようで、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。
それを目にした牛鬼は奥の畳の間から綿の薄い掛け布団を手に、少年の元へ戻る。――まだまだ春先だ、少し肌寒い。
少年は牛鬼のそんな優しさが、くすぐったく思えたのか。布団を受け取ると身を丸くしたのだった。
「全く……坊主はいつになっても、坊主のままだ」
「ははは」
牛鬼は呆れたように呟くが少しだけ笑っていて、少年はその様子を目にして、はにかむ。――それは十分に幸せと呼べる時間だった。
そうしていると、少年はそのまま眠りについてしまった。その姿を確かめると牛鬼は少年を抱きかかえ、畳の間へ連れて行き布団に寝かせる。その様子はまるで本当の親子のようだった。
「視えすぎると負担が大きいのかもしれんな……」
少年を心配する牛鬼の言葉は囲炉裏の火が跳ねる音と共に消えた。
* * *
そうして、季節はしばらく経ち、夏。
その日。少年は軽トラックの荷台に揺られながら、景色を眺めていた。山ばかりの同じ光景が続く。少年は暇だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
運転手は何やら声を荒げ、無線を片手にしている。少年はその運転手を一瞥する。
最近、村に足を踏み入れてしまった怪異の話によれば、この村は四半世紀ほど機械化が遅れていて、一定の時代で止まっているらしい。だが、少年はその話を聞いても到底、理解が及ばなかった。
一度も村を出たことにない少年にとってはこの村で見た物、ある物が全てだった。
そうして、車は山道付近で停車する。すると助手席から男が降り立ち、少年も降りるように指示を受ける。
この男は本家の人間だ。歳は三十代半ばくらいだろうか、陰湿そうな顔をしており、少年の身なりとは打って変わり上等な服装をしている。
男は手には紋様が描かれた札を貼った籠を携えている。その籠は天蓋に覆われ、中身を見ることはできない。そして、運転手の男の手にも、呪いに使うであろう道具が入った木箱を提げている。
男は冷たい目で少年を見るや否や、手に持っていた籠を差し出し一言。
「これを」
「…………」
要するに荷物持ちだ。少年は仏頂面のまま、籠を受け取る。それに便乗して、運転手の男も木箱を持つように言いつけた。――分家の人間として幼い頃より、付き人としての教育を施された少年には、沈黙が反抗的な意思を示す唯一の手段だった。
そして三人は山道を徒歩で登り始めた。山道は急斜面が続き、悪路だ。それを登り終えると、遠目に巨大な鳥居が見えて来る。すると今度は急斜面に設けられた、とてつもなく長い石階段が姿を見せた。先頭を行く少年は息を少しも切らさず、依然として足取りは軽い。
少年が振り返ると、息は絶え絶え、額に汗を浮かべた大人二人が足取り重く階段を上っていた。その様子を目にした少年は気付かれないよう、鼻で笑う。普段から山を駆けている少年にとって、この程度の山道など朝飯前なのだ。
◇
そうして、少年は一番に鳥居に辿り着いた。すると、籠の中から「ぴぃ」と鳥のような鳴き声がしたのだ。天蓋に覆われた籠と怪しげな札。どう考えても、怪異が封じられているだろう。
少年はもう一度、後ろを振り返った。あの大人達は随分と離れている。
(今ならまだ間に合うか……?)
そう思い至り、すぐさま地面に籠と道具を置く。急いで必要な道具を取り出し、札を書き換える。そうすると、その効力が書き換わったのか、かちゃり、と小さな音を立てて籠の鍵が開いた。
すると中から出てきたのは、三つの目を持つ白い烏だ。
「……こいつを一体どうしようとしてたんだ、あいつら。白い烏なんて神聖な……」
――今は考えても仕方ない、と首を横振る。
少年はもう一度、後ろを確認する。まだ十分に距離はある、と猶予を確認する。――幸いなことに、ここは村外の山だ。怪異を囲う、呪いの効力はない。
少年は烏に向き直り、小声で伝える。
「今なら行ける、飛び立て」
少年の言葉に返事をするように、烏は小さく鳴くと、その白い翼をはためかせ空へ飛び立った。――それはあまりに優雅で、自由だった。
その光景が少年には少し、羨ましく映ったのは必然だろう。烏を見送った少年は、すぐさま証拠を隠滅する。札を再び書き換え、道具を元に戻すのだ。
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