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2章
44話 こともなげに続く平穏の裏で
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「……は?」
漣は、死なない? それは一体、どういう意味だ。しかし、漣がその答えを得るよりも先に、渡良瀬が漣に声をかけてくる。
「君が、海江田漣くんか」
その笑みは、心なしか懐かしい友人に向けるそれにも見えた。だが、いくら記憶を探っても、こんな人間と知り合った覚えは漣にはない。
「初めまして。すでに凪から聞いているとは思うが、私が、前所長の渡良瀬淳也だ」
「前所長、ねぇ。……んで、今はテロリストやってますってか。つーか、俺らに何の用すか。言っときますけど、俺のギフトが目的なら、あんたのために絵を描く気はこれっっっぽっちもないんすけど」
すると渡良瀬は、何が面白いのかニヤリと口を歪め、くくく、と喉を鳴らす。
「なるほど、随分と詳しく私のことを聞かされているようだ。……確かに、我々の目的は君だ。ただ、これだけは言っておきたいのだが、私は断じて、君に無理やり描かせるつもりはない。あくまでも君の自主性に委ねるとも。……その上で予告しよう。君は必ず、私の目的のために絵筆を執りたくなる」
「は? いや、ありえねぇから。そんな、テロの片棒を担ぐみたいな――」
「テロではない。人類に新たなステージへの進歩を促す号砲だ」
「……号砲?」
「そう、号砲だとも。――なんだ、凪。こんな大事な話を伏せていたのか。仕方ない、少し講義といこう。そもそもギフトとは、アートによって与えられる高密度な情報を指す言葉だ。が、あまりにも高密度ゆえ、通常の人間の感性ではオーバーフローが起きてしまう。いわゆるギフトの影響とは、その副作用を指す言葉にすぎない。君もキュレーターなら、この程度の初歩的な話はさすがに押さえているだろう」
「は? ……え、ええ、まぁ……」
その話なら、昼間、嶋野の口から聞かせてもらった。
「よって現行の社会では、ギフトは単なる危険物として恐れられ、封じられている。だが私に言わせれば、こんな措置は愚行としか言いようがない。たかが副作用を恐れて何になる。ギフテッドがアートを通じてもたらす高密度な情報は、正しく紐解きさえすれば、新たな叡智と視座を人類にもたらすものだ。仮に、全ての人類が相応の審美眼を得たならば、人類はさらなる平穏と精神的な豊かさを手にできるだろう。――なのに、何故誰もそれを実行しない? いや、答えは簡単だ。人間とは、そもそも変化を恐れる生き物だ。既存のシステム、既存の社会に縋ってさえいれば、少なくとも今の日常を保つことはできる。それが、誰かの犠牲や忍耐、搾取を前提に成り立つ日常だとしても」
「犠牲……忍耐」
その言葉にふと漣が連想したのは、なぜか、田柄麻美のことで後悔を負う瑠香の涙だった。困っている人を放っておけない。だから手を差し伸べた。それは、人としてはごく当たり前の行為で、しかし協会は、そんな彼女の善意を否定した。
それは世界が、そう在るよう協会に望んだからだ。ギフテッドを恐れる世界は、無秩序なギフトの行使を彼らに許さない。本来なら誰かを救いうるギフトであっても。
そうしてギフテッドから自由を、生きる意義を奪い取る残酷な世界で、こともなげに続く平穏と日常。
「そうした日常を打ち壊すには、何よりも、人々に目覚めを促す号砲が必要なのだ。誰もがその音に気付くほど派手な号砲が。君のアートは、その意味ではまさにうってつけだとも。何せ、命を吸い取る絵だ。死にたくなければ、どうあっても人々の感性は進化せざるをえなくなる」
日常を打ち壊す。瑠香のようなギフテッドを否定することで成り立つ日常を――
そんな妄想に、一瞬にせよ確かな高揚を抱いた自分に漣は慌てる。それは、すでに嶋野との会話の中で否定された理想じゃないか。社会との垣根を強引に取り払うことで生じる犠牲や混乱。それは結果的にギフテッドを、ひいてはアート全体を憎悪の対象にしてしまう。だからこそ、然るべき線を引かなければいけない。その一線こそ、漣たちが属する藝術協会なのだ。
「じょ……冗談じゃない! そんなことをしても、待つのは無駄な混乱だ! 実際、俺のギフトが被害を出したときも、たくさんの人が不安な日々を過ごした。あんたが言うように、ギフテッドが無秩序にその力を振るうようになれば、多分、もっと大きな混乱が起きる。アートは恐怖され、排除される」
「そんなものは、人類史というマクロな視点からすれば些事にすぎない。何事も再生の前には、まず、既存の秩序を徹底的に破壊する必要がある」
「些事……だと?」
つまり、どれだけ犠牲が生じようがどうでもいい、ということか?
「そう、些事なんだよ!」
そう声を張り上げたのは、渡良瀬の隣に立つ若い男。年齢は漣と同じぐらいだろうか。ただ、顔つきにどうも子供じみた幼さがある。怒鳴る声も何だかチワワのようだ。
「渡良瀬さんの理想が叶えば、そうした恐怖も相互不信もすべて消え失せる。ギフトによって人々は、真の意味での相互理解と尊重とを学ぶのだ。ギフテッドは人類に新たな視座を示す存在として社会に受け入れられ、尊重される。お前も、渡良瀬さんのもとで学べばいずれ理解できるだろう。――まぁ、学んだ結果、離反した愚かなギフテッドもいるにはいるが」
そして男は、ちらりと嶋野を一瞥する。侮蔑を含んだ眼差しは、少なくとも、相互理解や尊重とは程遠い。要するに――彼らはただ、自分たちの力を社会に認めさせたいだけなのだ。が、それは、今の漣に言わせればひどく子供じみた欲求にすぎない。
彼らは、まだ知らないのだ。その理想とやらで刈り取られるものの重さを。
「……言いたいことは、大体わかりましたよ。けど、どっちにせよ俺を生かして捕らえるのは無理なんすよ。仮にも元所長ならわかるでしょ。俺らがつけてる首輪の役目を」
「ああ」
こともなげに、渡良瀬は頷く。その、何を今さらと言いたげな反応に、漣は嫌な予感を覚える。まさか――と、漣が口を開いた矢先、嶋野がそれを一足先に言語化する。
「協会内部に協力者がいるんですね」
漣は、死なない? それは一体、どういう意味だ。しかし、漣がその答えを得るよりも先に、渡良瀬が漣に声をかけてくる。
「君が、海江田漣くんか」
その笑みは、心なしか懐かしい友人に向けるそれにも見えた。だが、いくら記憶を探っても、こんな人間と知り合った覚えは漣にはない。
「初めまして。すでに凪から聞いているとは思うが、私が、前所長の渡良瀬淳也だ」
「前所長、ねぇ。……んで、今はテロリストやってますってか。つーか、俺らに何の用すか。言っときますけど、俺のギフトが目的なら、あんたのために絵を描く気はこれっっっぽっちもないんすけど」
すると渡良瀬は、何が面白いのかニヤリと口を歪め、くくく、と喉を鳴らす。
「なるほど、随分と詳しく私のことを聞かされているようだ。……確かに、我々の目的は君だ。ただ、これだけは言っておきたいのだが、私は断じて、君に無理やり描かせるつもりはない。あくまでも君の自主性に委ねるとも。……その上で予告しよう。君は必ず、私の目的のために絵筆を執りたくなる」
「は? いや、ありえねぇから。そんな、テロの片棒を担ぐみたいな――」
「テロではない。人類に新たなステージへの進歩を促す号砲だ」
「……号砲?」
「そう、号砲だとも。――なんだ、凪。こんな大事な話を伏せていたのか。仕方ない、少し講義といこう。そもそもギフトとは、アートによって与えられる高密度な情報を指す言葉だ。が、あまりにも高密度ゆえ、通常の人間の感性ではオーバーフローが起きてしまう。いわゆるギフトの影響とは、その副作用を指す言葉にすぎない。君もキュレーターなら、この程度の初歩的な話はさすがに押さえているだろう」
「は? ……え、ええ、まぁ……」
その話なら、昼間、嶋野の口から聞かせてもらった。
「よって現行の社会では、ギフトは単なる危険物として恐れられ、封じられている。だが私に言わせれば、こんな措置は愚行としか言いようがない。たかが副作用を恐れて何になる。ギフテッドがアートを通じてもたらす高密度な情報は、正しく紐解きさえすれば、新たな叡智と視座を人類にもたらすものだ。仮に、全ての人類が相応の審美眼を得たならば、人類はさらなる平穏と精神的な豊かさを手にできるだろう。――なのに、何故誰もそれを実行しない? いや、答えは簡単だ。人間とは、そもそも変化を恐れる生き物だ。既存のシステム、既存の社会に縋ってさえいれば、少なくとも今の日常を保つことはできる。それが、誰かの犠牲や忍耐、搾取を前提に成り立つ日常だとしても」
「犠牲……忍耐」
その言葉にふと漣が連想したのは、なぜか、田柄麻美のことで後悔を負う瑠香の涙だった。困っている人を放っておけない。だから手を差し伸べた。それは、人としてはごく当たり前の行為で、しかし協会は、そんな彼女の善意を否定した。
それは世界が、そう在るよう協会に望んだからだ。ギフテッドを恐れる世界は、無秩序なギフトの行使を彼らに許さない。本来なら誰かを救いうるギフトであっても。
そうしてギフテッドから自由を、生きる意義を奪い取る残酷な世界で、こともなげに続く平穏と日常。
「そうした日常を打ち壊すには、何よりも、人々に目覚めを促す号砲が必要なのだ。誰もがその音に気付くほど派手な号砲が。君のアートは、その意味ではまさにうってつけだとも。何せ、命を吸い取る絵だ。死にたくなければ、どうあっても人々の感性は進化せざるをえなくなる」
日常を打ち壊す。瑠香のようなギフテッドを否定することで成り立つ日常を――
そんな妄想に、一瞬にせよ確かな高揚を抱いた自分に漣は慌てる。それは、すでに嶋野との会話の中で否定された理想じゃないか。社会との垣根を強引に取り払うことで生じる犠牲や混乱。それは結果的にギフテッドを、ひいてはアート全体を憎悪の対象にしてしまう。だからこそ、然るべき線を引かなければいけない。その一線こそ、漣たちが属する藝術協会なのだ。
「じょ……冗談じゃない! そんなことをしても、待つのは無駄な混乱だ! 実際、俺のギフトが被害を出したときも、たくさんの人が不安な日々を過ごした。あんたが言うように、ギフテッドが無秩序にその力を振るうようになれば、多分、もっと大きな混乱が起きる。アートは恐怖され、排除される」
「そんなものは、人類史というマクロな視点からすれば些事にすぎない。何事も再生の前には、まず、既存の秩序を徹底的に破壊する必要がある」
「些事……だと?」
つまり、どれだけ犠牲が生じようがどうでもいい、ということか?
「そう、些事なんだよ!」
そう声を張り上げたのは、渡良瀬の隣に立つ若い男。年齢は漣と同じぐらいだろうか。ただ、顔つきにどうも子供じみた幼さがある。怒鳴る声も何だかチワワのようだ。
「渡良瀬さんの理想が叶えば、そうした恐怖も相互不信もすべて消え失せる。ギフトによって人々は、真の意味での相互理解と尊重とを学ぶのだ。ギフテッドは人類に新たな視座を示す存在として社会に受け入れられ、尊重される。お前も、渡良瀬さんのもとで学べばいずれ理解できるだろう。――まぁ、学んだ結果、離反した愚かなギフテッドもいるにはいるが」
そして男は、ちらりと嶋野を一瞥する。侮蔑を含んだ眼差しは、少なくとも、相互理解や尊重とは程遠い。要するに――彼らはただ、自分たちの力を社会に認めさせたいだけなのだ。が、それは、今の漣に言わせればひどく子供じみた欲求にすぎない。
彼らは、まだ知らないのだ。その理想とやらで刈り取られるものの重さを。
「……言いたいことは、大体わかりましたよ。けど、どっちにせよ俺を生かして捕らえるのは無理なんすよ。仮にも元所長ならわかるでしょ。俺らがつけてる首輪の役目を」
「ああ」
こともなげに、渡良瀬は頷く。その、何を今さらと言いたげな反応に、漣は嫌な予感を覚える。まさか――と、漣が口を開いた矢先、嶋野がそれを一足先に言語化する。
「協会内部に協力者がいるんですね」
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