ギフテッド

路地裏乃猫

文字の大きさ
上 下
57 / 68
2章

45話 逸脱

しおりを挟む
「……わからない?」

 そう瑠香が問うと、オペレーターの柏木は「え……ええ」と困惑顔で頷く。

「ええ。こうして地図を拡大すると、二つの反応は全く同じ座標から発しているんです。……おそらく、二人分のチョーカーを一人で嵌めているのかも」

 言いながら柏木は、モニターの一点を指先で示す。傍らの建物すらフレームアウトするほど拡大された道路のマップ。そこには確かに、反応を示す点は一つしか明滅していない。が、表示されるチョーカーのシリアルナンバーは確かに二つ分ある。余程、二人が抱き合うでもしなければこんな表示はありえない。

 ……抱き合う。

 一瞬、瑠香の脳裏をあの夜の光景がよぎる。海江田の背中に、縋るように抱き着く嶋野。二人して、まるでこの世界にこの人さえいればいいとでも言いたげな表情に、胸を掻き毟られたあの日。それを今の瑠香は、どこか冷めた気持ちで思い出している。

「へぇ……気付かないものなんですね」

「え、ええ……普段はその、ここまで拡大して監視することはないので……」

「そうなんですか。だとしても、こういうのって普通は個々人に固有のチョーカーを渡すものじゃないんですか? その方が、この番号は嶋野さん、みたいな照合もやりやすいでしょ?」

 すると柏木はなぜか言葉を濁し、気まずそうに俯く。

「それは……わ、私達もその、人間なので……番号を固定化すると、その……いざという時に何かと支障が……」

「支障? ……あ、そっか……」

 言われてみれば。確かに、この番号は誰それとわかっていると、例えば爆弾を作動させる際に躊躇が出る。仮にうまく作動させられたとして、自分があの人を殺した、という罪悪感はその後も残り続けるだろう。……つまり、この匿名システムは、職員に罪悪感を与えることなく逃亡ギフテッドを処分させるための。

 そう、これは処分なのだ――と瑠香は思う。いざとなれば、私たちはされる。名もなき逃亡者として。いや、厄介な危険物として……

 いや、何だそれ。

 ただギフテッドに生まれただけで人生を、生きる喜びを奪われて、挙句は人としての尊厳まで――

「舐めとっとかァ!」

 ほとんど無意識のうちに繰り出した手が、柏木の横面を張り飛ばす。柏木は椅子から転げ落ちると、たったいま殴られた右頬を押さえながら、怯えた目で瑠香を見上げた。……何だ、その目は。まるで自分こそが被害者とでもいわんばかりの。いざとなれば、入力一つでいつでも私達の命を刈り取ってしまえるくせに。

 物音に驚いた周りのオペレーターたちが、はっとこちらを振り返る。彼らは一瞬、こちらに駆け寄るそぶりを見せるも、躊躇のすえに結局はディスプレイに目を戻す。

 部屋の一方の壁を大型モニターが占めるその部屋では、五人のオペレーターがパソコンと睨み合いを続けている。その五人とも、今は瑠香の、ある意味支配下にあった。彼らは皆、4か5の高い審美眼の持ち主だ。少なくとも以前の瑠香では、どうあっても手が出せなかった――が、今は。

 とりあえず昂った心を深呼吸で収めると、瑠香は柏木の後頭部を一瞥する。彼女の長い髪を飾るのは、前回のフリマで瑠香が譲った髪留め――の、細部を微妙にブラッシュアップした精巧な複製。他のオペレーターたちも、同様に瑠香の過去作の複製を使うか身に着けるかしている。
 
 ギフトの変化に気づいたのは、あの晩から半月ほど経った頃だった。

 その頃、瑠香は何かを作ることが心底嫌になっていた。どうせ誰にも必要とされない。そんなアートに価値はあるのだろうか。そんな、泥沼の底を這い回るような日々の中で、なぜか指先だけは何かを作りたいと彫刻刀を握った。子供が死んだ後も垂れ続ける母乳のようだな、と自虐的な気分で彫り続けるうちに、それは生まれた。

 それまでの作品とは似て非なる、瑠香自身も慄くほどおぞましい何か。

 デザインは、いっそコピーかと思うほどよく似ている。が、それは確かに、ある種の禍々しさをそなえていた。絶妙に不快な曲線。手に馴染むようで馴染まないかたち。迂闊に触れるとちくりと刺される嫌な凹凸。まるで、ただ他人を不快にするためだけに生まれたような形状がそこにはあった。

 瑠香以外で最初に表現の変化に気づいたのは桜子だ。同時に瑠香は、ギフトの変化にも気づくことになる。というのも、久しぶりに新作を披露したその場で、桜子は、まさにその新作のナイフで瑠香に斬りつけてきたからだ。彼女は、そんなつもりはなかったと泣いて詫びたが、むしろ瑠香は桜子に感謝したいぐらいだった。絶対に瑠香を傷つけるはずのない桜子が、そんな真似を働いたということは、つまり、これはギフトの力に違いない――

 その後、何度かの実験を経て、瑠香は新しいギフトの力を密かに割り出す。

 その力に瑠香は、〝逸脱〟、と自ら名付けた。持ち主が望まない行動をあえて取らせるギフト。しかも、どうやら鑑賞レベルは以前の〝克服〟よりもさらに高いらしい。なぜそのような変化が生じたのかは、正直、瑠香自身にもわからない。ただ……何にせよ瑠香は、それを何かの巡り合わせだと受け止めた。この、生きる価値のない世界から逸脱せよという、何か、大いなる存在の意思。

 その頃ちょうど、ロイド=カーペンターがあの人の使者として瑠香に接触してきたのも、そんな瑠香の考えを裏付けた。表向きは、日本の気候を気に入って帰化したと公言していた彼だが、その実、前所長の渡良瀬に共感して日本支部の施設に入所したらしい。三年前に渡良瀬が施設を出ると、スパイとしてここに留まったのだそうだ。ただ、彼のギフトは工作員としてはいまいち使い勝手が悪い。そこで自分は連絡役に徹し、住人の中から工作に便利なギフテッドを用心深く探していたのだそう。

 そして今、瑠香は、渡良瀬のためだけに生きている。

 ディスプレイに目を戻す。直接連絡を取ることができないので詳しくはわからないが、事前の予定によれば、すでに渡良瀬は二人を襲撃しているはずだ。そこで海江田の拉致に成功すれば、そちらの反応だけが予定外の動きを見せるから、そこで当該チョーカーの電源を切ればいい。……と、考えていたのだけど。

 ――俺も、嶋野さんに出会えて、よかったです。

 二つの番号を選択し、爆破のコマンドを呼び出す。指先でマウスのボタンをゆるゆると撫でながら、違う、と瑠香は思う。

 あの晩、二人だけで完成する世界を遠目に見せつけられて、確かに悔しかったし惨めだった。ただ、あれが失恋だったのかと問われると、やはり、違うのだ。

 瑠香はただ、海江田の役に立ちたかっただけ。誰かのために生きたかっただけ。

 その事実を瑠香は、渡良瀬に求められてはじめて思い知らされた。瑠香はただ、自分の居場所が欲しかったのだ。自分という唯一無二のピースを求めてくれる場所。瑠香が瑠香のままぴたりと嵌ることのできる場所。

 相変わらず二つの反応が動くそぶりはない。予定ルートを外れて動けば装着者は海江田だとわかるが、こうも動きが見られないと、これが確保前の海江田なのか、置き去りにされた嶋野なのか、瑠香には確認のしようがない。何より……瑠香とて、そう長くここに留まれるわけではない。もし誰かに異変を悟られた場合、せっかく準備した逃走手段がパアになる。

「……しょうがないな」

 溜息まじりにぼやくと、瑠香は爆破コマンドを閉じ、代わりに二つのチョーカーの電源を落とす。

 これが失恋なら、間違いなく二人まとめて殺していただろう。もとより嶋野は死んでも惜しくないし、たとえ海江田を殺すことになったとして、嶋野から引き剥がして瑠香のものにできるならそれでいい。だが、そんな醜い執着すら、今の瑠香には持ち合わせがなかった。そこにあるのは、渡良瀬という、まだ見ぬ理想家への忠誠のみ。誰にも顧みられず、必要とされなかった瑠香を、唯一、必要としてくれた存在への感謝、それだけだ。

 やはり……最初から恋ではなかったのだ。むしろそのことを、瑠香は惨めに思う。せめて、人並みに恋をできる世界で生きたかった。ありふれた幸せを噛み締めながら。

 でも、世界は瑠香を否定した。
 
 ならば次は、瑠香がこの世界を否定する。

「すみません、あと、このリストに並んだギフテッドのIDを、非ギフテッドに書き換えてもらえません?」

 言いながら瑠香は、ポケットから取り出したメモ書きを柏木に差し出す。相変わらず柏木は、何が何だかわからない、という顔で呆然と瑠香を見上げている。理性では断りたいのに、本能がそれを許さない。そんな二律背反に混乱しているのだろう。

 そんな柏木の鼻先にメモ書きを押しつけながら、瑠香は続ける。

「ええと、こっちも急いでいるので、できるだけ早くお願いします。あ、あと――あとですね、あたしたちギフテッドも、一応、人間なんですよ。覚えておいてください」
しおりを挟む

処理中です...