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しおりを挟むホテルからの帰り。秘書の種田が運転する車の中で、ひびきはぼんやりと、流れる景色を眺めていた。
思い出していたのは父のこと。近頃、会うたびに父の顔が険しくなっているように見える。確実に世界は変わっているのに、父だけは相変わらずあの頃のまま、何かに追い立てられているように見えるのだ。
いや、あるいは・・・
これは、ただの投影だろうか。本当に追い詰められているのは父ではなく、実はひびき自身なのかも。では、何がひびきを追いつめているのか。わからない。わからないが・・・
眼帯に手をやり、そっと留め具を外す。
車窓に映る、もう一人のひびき。彼女の顔の左半分は、普段は大判の眼帯で覆われている。この顔を見せたことがあるのは、父と、秘書の種田の二人だけ。とりわけ学校では人目を避ける意味でも隠している。というのも。
「本当に・・・そっくり」
成長するにつれ、かつての母の面影を宿してゆく顔。右半分の傷がなければ本当に瓜二つだったかもしれない。事実、左半身だけを映した車窓は、まるであの頃の母が隣に座っているようにも見える。
綺麗だった。
間違いなく、美しかった。日本中の誰よりもキラキラと輝いていた。そんな母が、ひびきは大好きだった・・・憧れていた。
「ねぇママ。ママはどうしてアイドルになったの?」
幼稚園に入って間もないある日、ひびきは母に尋ねた。この頃、ひびきは連日のように同じ質問を友達に浴びせられていて、わからないと答え続けることにもいい加減、申し訳なさを感じていたのだ。
ところが母は、しばらく悩んだ後で、
「うーん、よくわかんないなぁ」
と、困ったように答えた。
「わかんないの?」
「うん。だって考えたこともなかったから。生まれた時からママはアイドルになるんだと思ってたし、他の生き方なんて考えたこともなかった。だから歌も踊りもうんと頑張って、ライブで何曲も歌えるように身体も鍛えて、で、いろんな事務所のオーディションを受けたの。どうして、だなんて考えたこともなかったなぁ」
「へー・・・」
母の言葉は、この頃のひびきには難しすぎてあまり理解はできなかった。が、それでも一つだけはっきりしたことがある。アイドルは、生まれた時からそう生きるよう定められているのだ。アイドルだった頃もそして今も母が輝いて見えるのは、彼女が、そもそもアイドルになるべく生まれたから。
しかし、そうなると浮上するもう一つの疑問。
「じゃあママは、どうしてアイドルをやめたの?」
すると母は、ひびきの丸くてやわらかな頬を両手でふんわりと包み、それから、むにむにと軽く押しつぶした。事件でひびきの顔が傷つけられる前、母はよくそんなふうにひびきの顔に触れた。
そんな母の無邪気で温かな手が、ひびきも好きだった。
「あのね、ひびき。アイドルはね、一人の人を愛しちゃいけないの」
「どうして?」
「アイドルはね、みんなのものなの。だからアイドルは、みんなを愛さなくちゃいけない。応援してくれる人、愛してくれる人みんなのためにキラキラしなきゃいけない。それができなくなったら、アイドルは、アイドルを辞めなきゃいけないの。ママは・・・できなくなっちゃった」
週刊誌が母の婚約を報じた後、世間ではバッシングの嵐が吹き荒れた。引退から間を置かない婚約が、現役時代からの交際を疑わせたからだった。
それでも母は父と結婚し、そしてひびきを産んだ。
アイドルとしてではなく、人として誰かを愛するために。
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