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ゴードン男爵の学習成果を知らないカチェリーナは、「あらあら、それは困りましたね。物覚えが悪くなったのかしら? まあもともと良いほうではないのですが」と笑いを交えつつ、続けた。深刻な事態になってほしくないという願いがまだあったからである。


「夫はレッスン中、どんな様子なのですか?」


レッスンは書斎でマンツーマンのため、カチェリーナにはその様子がわかっていなかった。エレオノーラについてはしっかりとした人間なので不要な心配はしていなかったし(夫なんて男性として相手にされるはずがない)、任せきりでいた。子どもの家庭教師ではないのだからそれでいいと思っていたのだが、なんとなく嫌な気配を感じつつあったのも事実である。



エレオノーラはゴードン男爵の様子を正直に伝えた。

アルファベットすら覚えていないのに、学習法を頻繁に変えること。
雑談が多く、気のせいかもしれないが自分を見つめている時間が多いような気がすること。

エレオノーラはこのようなネガティブな報告をカチェリーナにするのは気が引けたが、逆に黙っているほうが疑いを生むと判断していた。色目を使われているとまでは言えないが、オブラートにそれを伝えた。

当然だが、エレオノーラにとってゴードン男爵はまったく男性として見ることができなかった。でっぷりとしたお腹、脂ぎっしゅな顔、きつい口臭……本当は一時間隣にいるだけでも辛いのだが、さすがにそれは奥様の前で言えるはずがない。言う必要もない。人にはそれぞれ自分には見えていない姿が他人には映っているものなのだから……。



カチェリーナはがっかりした。エレオノーラに迷惑をかけていることも申し訳なかったし、自分の夫がそれ相応の歳を重ねているにもかかわらず、若い女に夢中になっているのも情けなかった。


「先生。うちの夫に代わって私が謝罪します……」と言い、カチェリーナは頭を下げた。


エレオノーラは「お顔をお上げください!」と急いでカチェリーナの肩に触れて、起こすようにした。


「奥様……申し訳ございません、わたしの力不足で……」


「そんなことないわ。先生はきっとよく指導してくださっているに違いありません。お願いがあるのですが、次のレッスンのとき、私にも様子を見させてもらえませんか?」


「もちろんです! ゴードン様の励みにもなると思います!」


カチェリーナは首を横に振った。


「違うの。私は陰からあの人を見ることにするわ。書斎の中には扉のない小部屋が一つあるでしょう?」


「はい、ありますね。あそこに身を潜めるおつもりですか?」


「ええ。あの人は先生が到着したという報告が入ると、まずはお手洗いを済まして髪を整えるの。その間に、私は書斎に忍び込んでおくわ」


「……かしこまりましたが……大丈夫でしょうか?」


「心配いらないわ。もしあの人が先生にイヤらしい態度を取ったときには、私が出ていくわ。そして『先生、今日のところは帰ってください!』と怒った調子で言うの。でもそれは芝居だから気にしないでね。先生が帰った後、私はあの人に説教する。場合によっては今後の受講をやめさせるから」


こうしてカチェリーナはいったん今までのお詫びとして銀貨10枚をエレオノーラの手に握らせた。貴重なへそくりだったが、事が大きくなる前に対処しておかねばならないと思った。エレオノーラは受け取りを拒否したが、カチェリーナの強い要望に折れて持ち帰った。

そして、作戦を実行する翌週のレッスン日がやってきた。
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