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この日、ベランジェールはちょうどサロンの会食があり、街へ出ていた。セバスチャンの迅速な行動により、ベランジェールはすでにヴァネッサがアランから追い出されたという速報を手にしていた。タイミングがよいと思った彼女はセバスチャンを遠目に控えさせ、ヴァネッサに話しかけた。


「ねえヴァネッサ……私が誰だかわかる?」


うつむいて静かに泣いていたヴァネッサは、自分の名前を呼ぶ人が隣に来てはっと顔を上げた。話しかけてきた人は見るからに高級貴族で、身なりや気品が別格であった。しかし、ベランジェールに会ったことのない彼女は、手の甲で涙を拭きながらぼんやり見つめるだけだった。


「私の名前は、ベランジェール。伯爵の妻よ。コルテオのパトロンをしている、と言ったほうがわかりやすいかしら?」


「……!」


ヴァネッサはぞっとした。自分の隣にいるのはコルテオの支援者。常識外れのモデル代を受け取ってきた自分を捕まえに来たのか、お金を返せと言われるのか、何を要求されるのか、ヴァネッサは恐怖に駆られた。

しかもベランジェールは伯爵領を治める実質的なナンバー2であり、機嫌を損ねると伯爵領で生きていけないことは明らかだった。ナンバー2どころか、ナンバー20を怒らせたって正気でいられないのだから、ヴァネッサは自分の身の危険に震えた。肩をすぼませ、思わずベランジェールから目線をそらした。

(わたしはこれから、コルテオを騙してきた報いを受けるんだわ。ああ、もうわたしの人生は終わった……。 つまらない男に惚れてしまったせいで! 自業自得よ!)

ヴァネッサは両まぶたを強く閉じて顔をゆがめていた。ベランジェールは、そんな彼女に微笑んだ。


「安心してちょうだい。別にあなたを責めに来たわけじゃないの。アランから追い出されたんでしょ? 事情は知っているわ」


「え?」


時がなだらかに過ぎていく、ものやわらかな夜だった。ベランジェールは広場に行き交う人々を眺めている。正面に見えるベランジェール美術館にはまだ明かりがついており、笑顔にあふれた家族連れが美術館を出入りしている。

ヴァネッサはようやく目を開けて、再びベランジェールを見た。


「コルテオのことは……申し訳ございませんでした。彼の気持ちをもてあそんで、傷つけてしまいました。必ずお金は返します。……」
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