天地狭間の虚ろ

碧井永

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第二章(2/3)

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第二景

 殿中監でんちゅうかん美信びしんが連れてきたのは一人の少女だった。
 与えられただだっ広い殿舎の中で、丹緋たんひは紹介される少女をぼんやりと見つめている。
「これは環豈華かんがいか。今日から貴女あなた付きの侍女とします」
 え、と口を開けたが声にはならない。
 美信に言われて、丹緋は混乱するだけだ。なんとか強張る舌を動かして質問する。
「あのっ……、采女さいじょみんなに殿舎が与えられたんですか? 侍女って……」
 しどろもどろに問う丹緋に、美信が大きく溜め息をついた。格下の侍女相手にそんなに動揺してどうするといった落胆がありありと見てとれた。
「殿舎が与えられたのは二十七人の采女の中でも貴女だけ。これは陛下の特別のはからいですよ。侍女も、陛下のご意向によるもの。聖恩せいおんを賜ったのですからね」
「そ、そんな……わたしはまだ、後宮での教育も受けていないのに」
「ここでの教育は受けていなくとも、貴女は天延てんえんでも有数の商家の娘です。それなりに教養はあるでしょう。顔を上げ、背筋を伸ばす。仕種はたおやかに。しっかりなさい」
 美信愛用の煙管きせる身体からだに突きつけられて、丹緋の肩がぴくっと揺れた。
 二日前に出逢った、階段を踏みはずした男が皇帝であることはもう知っている。話しかけてくる口調は穏やかで、まさかてい国を支配する男だとは思いもしなかったけれど。なんで自分を呼びつけたのが皇帝なのか、未だに丹緋は理由を聞かされていないのだ。
(聞きたいことがあると言っていたような気がしないでもないけれど……)
 謎だ。
 だけでなく、事情を知らされないまま日常をかえられてしまえば、不安も更に倍、膨れあがるというもの。
 しかも自分は采女として召し出された。迂闊にも丹緋は、自分が皇帝の所有物となったことを失念していたのだった。であれば、皇帝が生涯の伴侶である。丹緋の地位は低いために形式上ではあるものの――
 結婚したのだ。
「ああ、そう、言い忘れるところでした。この豈華、過日、重大な失敗を犯したのです。ですからわたくしが罰を与えました」
「罰、というと……?」
「わたくしの煙管で舌を焼き、ひっこぬいてやったのです。ですから豈華はしゃべれませんよ、なにしろ舌がないのですからね」
 残酷なことをさらっと口にする、美信。
 衝撃のせいか、丹緋が処罰の内容を理解するまでに数拍数秒かかった。
 途端、丹緋の顔からさあっと音がするほどに血の気が引いていく。確かに美信には冷たい印象があったが、まさかそこまで冷酷とは……。改めて後宮の厳しさと恐ろしさを知る。
 蒼褪める丹緋をちらと眺め、豈華をおいて美信は殿舎を出ていった。

 非情な仕打ちの衝撃から立ちなおるのに、少しの時間が必要だった。
 それでも不幸なのは舌を抜かれた豈華であり、自分ではない。
 可哀想というのは、相手の不幸な状態に同情する気持ちを言い表すものだろう。でも、相手が〝哀れ〟と思っているかどうかは別の問題だ。かえって、厭味いやみになってしまう可能性も含んでいる。
 話下手な丹緋はこんなとき、どう声をかけてよいのか迷ってしまう。そもそも彼女は答える術をもたない。(どうやって意思疎通をはかったらいいの?)と丹緋がうろうろしていれば、丹緋の感情を的確に読みとったらしい豈華が、携帯していた紙と筆を取り出した。
「ああ、そっか。わたしは普通に話しかけて、豈華さんが答えを紙に書いてくれればいいのよね。ごめんなさい、わたし、人と接するのが……」
 苦手で、とは情けなくて続けられず、小心者の丹緋が口唇くちびるを噛み締めていると。
 にこっと豈華が微笑んだ。笑みには邪心がなく、気づかいが溢れている。
 豈華の歳は十九だという。丹緋は同世代の娘と比べても背が低い、それは殺伐とした家庭環境のせいでまともに食べ物が与えられなかったせいでもあった。いらない子供だったから、食事を抜かれることが多かったのだ。忘れたまま、邸の中で放置されていた。栄養不足な丹緋と比べてもわずかに背が高いだけなので、豈華も小柄だといえよう。
「あ、豈華さんって。姓はかんなのよね? 環ってあの?」
 ゆっくりと丹緋が問えば、さらさらと紙に豈華の答えが返る。
 環家は、護三家ごさんけの一つである。
 護三家とは、八十年前に太祖を支えた三家のことだ。
 三家はそれぞれの異能力を用いて太祖を護った。ゆえに、【護三家】。三家の姓は、りゅう、環、ようであるが、当時は異なっていた。これらの姓は、黎王朝が成立してから使われはじめたもので、太祖が与えたもの。
 もともと【玉】という字は【王】と書かれていた。三つの玉を積み重ね、紐をとおして一つにした形から生まれた文字である。太祖は忠誠を尽くした三家に褒美として姓を与えることで、永久不滅の〝玉〟を与えたのだ。
「じゃあ豈華さんも異能力があるの?」
 環家には鬼を見る能力があった。
 とはすべての怪しいもののことで、

・ 人鬼――人の霊魂
・ 妖怪――動物が化けたもの、動物の霊
・ 物精――無生物の精、植物の精

 おおむねこの三種類に分けられるという。
 これらの鬼は、人が目に映すことはできない。見るためには見鬼けんきの能力が必要である。この能力は生まれつきのものであり、修行したからといって習得できるものではない。鬼の姿を見る――これを見鬼術といい、見鬼術を扱える見鬼師けんきしは古来より貴重であった。
 環家には見鬼の能力をもつ者が多く生まれるらしいのだ。
 ほかの二家でいえば、琉家は巫祝ふしゅくという摩訶不思議の方術ほうじゅつを扱える術師を多く輩出している。瑶家は謎の残る一族であり、今代では貴族を率いる貴族院の長官を務めていた。
 黎王朝では二省六部を、史館しかんと貴族院の一館一院が支える政治体制をとっている。
 そんな知識があったばかりに丹緋は、豈華にも見鬼の能力があると思い込んだのだ。
 しかし、返ってきた答えは「いいえ」。
「いいえ、って。どうして……?」
 紙に書かれている文字はお手本のごとく整っている。文字と文字の間隔も絶妙で読みやすく、豈華の性格を表しているようだった。字に視線を落としたまま動かない丹緋に、
「私は、環家の出であっても見鬼の能力はありません。無能だから家のためになる使い道もありませんし、能力にかわるこれといった特技もありませんでした。いらない身の上だったので、後宮に侍女として差し出されました」
「……あ」
 文字を追っていくうち、丹緋は小さく声をあげてしまった。
「後宮でもあまり役に立てなくて。美信様には叱られてばかりです」
 そうか、と丹緋は納得した。
 仮にも豈華は環家の姫である。にもかかわらず、後宮の中で侍女として使われているのだ。それは無能だからだろう。家になんの利益ももたらさないからと、家族に見捨てられた。能力をもたずに生まれたのは自分のせいではない、彼女にこれっぽっちも非はないのに。
 それはあまりにも無情な扱いだった。
 ただでさえ後宮に押し込められて心が傷ついているのに、美信には舌を抜かれて身体を傷つけられた。どんな失敗をしたのかはわからないけれど、豈華は一生、しゃべれない。声を失ったまま、奪われ欠けたものと向き合って、これから生きていかねばならない。
 彼女の気持ちを思えば、丹緋の胸はちくんと痛んで顔が上げられなくなってしまう。
(わたしは、なんてことを……)
 家族に疎外そがいされてきた丹緋には、つらさがわかる。
 手にとるように。
(なにも知らないからといって、わたしは、豈華さんに酷いことを訊いてしまった)
 袖をぎゅっと握る丹緋の手に、豈華の手が遠慮ぎみにそっと重ねられた。
 再び筆が走る。
「いいのです、丹緋様」
「そんな、わたし、失礼を。……本当にごめんなさい」
 詫びる言葉は、ときとして傲慢だ。いくら謝っても償いきれず、相手の想いと願いをおき去りにしてしまう。わかってはいても、過ちを認めることしか丹緋にはできない。
 相手を無視した一方的な判断は、相手を瞬時に奈落の底へと突き落とす。
 余計なことを訊いてしまったのは、自分。
 とんでもないことをしたと後悔したが、吐いた言葉は取り消せない。せめて言葉がひとり歩きする前に、なんとかしたかった。
 これも自業自得というべきか。閉じこもっていた丹緋には、しかし、なんとかする術が浮かばない。友人と呼べる友人をつくらずにきたために、人付き合いという経験が決定的に不足しているのだ。
「丹緋様は、人の心の痛みがわかる方。お会いできて嬉しいです。精一杯、お世話させてもらいます。私、懸命に尽くしますから」
 そう紙に記してから、豈華は微笑んだ。女人にしては大切ななにかが欠落したような笑みにも感じられたが、可愛らしい笑顔を眺めていれば、気のせいにも思えてくる。
(慎重に。言葉は選ばなくちゃ)
 自分が似たような境遇に育ったからこそ、丹緋には通じるものがある。
 人付き合いに慣れていないことも豈華には理解してもらえるかもしれない。
(たとえうまくおしゃべりできなくても、豈華さんとは仲よくしてもらいたい)
 正直なところ、初対面であっても豈華にはホッと気を許せる部分があった。
 彼女は口をきけないから、言葉で攻撃される心配はない。口数が少なくても誤解されなくて済む。女の子同士の会話は速度が速くて追いつけないけれど、紙に書いてくれるという間ができる分、豈華とは素直に向き合っていけそうな……。
 そういった自分本位の想いももちろんあったろう。
 身勝手な自覚もあった。
(でも、……きっと。飾らなくていいから、お話ししていても気おくれしないんだわ)
 違う場所で、同じような境遇に育ってきた。交わるはずのなかった人生が、ここで交わった。苦しかったのは自分だけじゃない、助かったという安堵の想いも芽生えていた。
 そうして、たった数日のうちに。丹緋と豈華の心の距離はぐっと近づいたのだった。



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