紅焔の大悪魔

にのみや朱乃

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我こそ炎の大悪魔

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 その黒髪の少女と、鎧だけの騎士は、各地の魔女を無差別に殺していました。魔女を殺し、その有する魔を奪い取り、自らの糧としていました。
 少女は最早少女とは呼べぬ程の魔を有しながら、更なる力を求めていました。
 黒髪に一筋の紅い髪。けれどその特徴的な外見が噂になることはありません。
 標的になった魔女が逃げることはできず、皆等しく死ぬからです。

 弱き魔女は叫びます。嗚呼、誰か、誰か、助けてください。
 その魔女は肉さえも残らず黒炭と化しました。
 少女は言いました。まだ、足りないのですね。

 弱き魔女は願います。嗚呼、どうか、どうか、見逃してください。
 その魔女は骨さえも残らず焼き尽くされました。
 少女は言いました。まだ、足りないのですね。

 弱き魔女は乞います。嗚呼、どうか、どうか、配下に加えてください。
 烈しい炎を携えた少女は言いました。
 配下など要りません。わたしが欲しいのは、力。
 わたしは早く目醒めなければならないのです。それが求められている。それを求めている。
 だから、誰に何を言われようと、わたしは魔女を狩るのです。

 犠牲になりなさい。わたしのために。
 生贄になりなさい。わたしのために。
 わたしを肯定する者のために。わたしを肯定する者を守るために。

 わたしは、わたしを否定する全てのものを焼き尽くす、大悪魔。
 嗚呼、まだ足りないのですね。まだわたしは大悪魔に成れないのですね。

 紅い炎がその勢いを失うと、魔女に宿っていた魔が少女に集まります。
 ほんの僅かに力を得た少女は、傍らに控える黒鎧の騎士に問います。
 これで如何程の魔が戻ったのでしょうか。わたしはいつ大悪魔として目醒めることができるのでしょうか。

 騎士は答えます。まだ四半にも満たぬでしょう。一介の魔女如きでは、やはり力が足りぬようです。
 大悪魔様の御力は未だ僅かばかり。目醒めるには、未だ。

 騎士は焦っていました。
 力有る魔女に見つかる前に、その御力を取り戻さねばなりません。
 力有る魔女に悟られる前に、その御力を思い出さねばなりません。
 せめて、力有る魔女を殺せずとも、退けられる程度には。

 大悪魔は尋ねます。力有る魔女とは、どのような御方なのですか。

 騎士は語ります。力有る魔女とは、太古から生きる四人の魔女です。
 我々がこれまで狩り続けてきた一介の魔女とは異なる存在。同じ魔女と呼ぶには余りにも異質。
 その昔、貴女を封じたのは力有る魔女の一人、銀雪の魔女。他の三人の力有る魔女とさえ一線を画し、世界でさえ克することはできぬ魔女。
 力の象徴たる銀雪の魔女が相手では、かつての貴女でも対等でした。
 ならば、未だ目醒めぬ貴女では、生き延びることはできません。

 大悪魔はその魔女が如何に恐ろしい存在であるか悟りました。
 その名を聴いただけで、心臓が震え上がる思いがしました。自らは名さえも知らぬのに。
 大悪魔は思案します。これは、かつての大悪魔の恐怖なのでしょうか。
 やはりわたしは、大悪魔をこの身に宿しているのでしょうか。

 大悪魔は言いました。ならば、わたしが早く力を得ねばなりませんね。
 騎士は応えました。この身果てるとも、御身をお護りしましょう。
 大悪魔は命じます。果てるのは許しません。何があろうと必ず生き延びてください。
 貴方が居なくなれば、わたしはどうやって生きれば良いのですか。

 その命に、騎士は頭を垂れただけでした。



 その姿を空から烏が見つめていました。
 烏は疾風より速く飛び去ります。
 嗚呼、早く、早く、魔女様にお伝えしなければ。

 騎士は空を見上げます。何者かの視線を感じたのです。
 けれど、青空には一点の黒も無く、疑念だけが残りました。


   *

 生物の気配さえ感じられない廃屋だらけの村で、また一人、魔女が死に絶えました。
 少女は不安を抱いていました。目醒める予兆が何時までも無いのです。
 狩っても狩っても、魔女を狩り尽くしても、大悪魔が目醒めることは無いのではないか。自分の中に大悪魔は居ないのではないか。
 そうだとしたら、騎士は、友は、自分を否定するのではないか。

 少女は尋ねます。本当にわたしは大悪魔なのでしょうか。
 騎士は答えます。焦る必要は有りません。貴女の器は未だ満たされていないのです。
 大悪魔様の御力が満たされるまで、目醒めることは無いでしょう。

 少女は尋ねます。それは何時のことでしょう。
 騎士は応えません。足を止め、押し黙ってしまいます。
 兜の奥には闇が広がるばかりで、少女には騎士が何を思うのか判りませんでした。

 少女は尋ねます。如何されましたか。
 騎士は応えました。大悪魔様、此方へ。
 兜の奥から読み取れたのは、空気を刺すような殺気と、緊張感。

 冷たい風が吹きました。
 頬を凍らせるような、痛い程に冷たい突風。
 思わず少女は目を瞑りました。騎士がその身で風を遮りました。

 声が聞こえました。
 現世に舞い戻ったか、大悪魔よ。私の封が甘かったようだが、未だ目醒めぬようだな。

 少女は驚いて目を見開きます。そこには、魔女が居ました。
 長い銀色の髪にさえ圧倒的な魔を纏わせ、大悪魔を畏れず悠然と歩く美しい魔女。草木さえその存在に慄く、覇者たる魔女。
 騎士は絶望すら孕む声でその名を呼びます。


 銀雪の魔女、と。


 力有る魔女は言いました。まさか力無き少女に身を隠し、この私さえも欺くとは。
 騎士は尋ねました。此処に来たのは偶然ではないな。
 魔女は答えました。烏が見つけたのだ。人の身では御し切れぬはずの魔を有する娘。私も、それが大悪魔の繭とは思わなかった。

 魔女は言いました。古の災厄を再び起こすわけにはいかぬ。力有る魔女の責務として、大悪魔の再臨は防がねばならぬ。
 大悪魔は尋ねます。何故、魔女は大悪魔を忌み嫌うのですか。
 魔女は答えました。自らを狩る天敵を忌み嫌わぬ者が居るか。
 お前に罪は無い。お前に力は無い。されど、お前が目醒めるというのなら、私は狩らねばならぬ。罪無き弱者であれど狩らねばならぬのだ。

 騎士は大悪魔を庇います。直ちにお逃げください。時は稼げましょう。
 大悪魔は拒みます。敵わぬ相手と知りながら、何故独り残ると言うのですか。
 騎士は諫めます。この身果てるともお護りすると申し上げたでしょう。貴女を喪うことは赦されません。

 大悪魔は知りました。騎士がその身を盾にして魔女を止めるのだと。
 大悪魔は察しました。騎士をこの場に残せば魔女に殺されると。
 けれど足は動きません。それは自らの意志か、あるいは眼前の恐怖からか、大悪魔には判りませんでした。
 
 魔女はその凍える魔で氷剣を創り出します。
 騎士は抜剣し、魔女に相対します。その剣先に恐れは有りません。
 魔女は尋ねました。剣を下げるのならお前は見逃そう、悪魔の騎士よ。
 目醒めるかも判らぬ主君のために、その命を捨てることもあるまい。

 騎士は応えました。愚かな問いだ。それで剣を下げるのなら、端から抜く必要は無い。
 魔女は笑いました。愚かな騎士だ。ここで忠を示したとして、寝惚けた主君から何を得られるのだ。
 騎士は応えました。愚かな騎士と笑われようと、この身は主君の為に在る。この剣は主君の為に在る。この命など、主君の為ならば惜しくない。

 騎士は言いました。大悪魔様、お逃げください。
 魔女は言いました。大悪魔よ、逃げるのなら私は追わぬ。この忠臣を喪えば、今のお前が目醒めることは無いだろう。
 大悪魔は応えました。できません。何故、友の死を受け容れなければならないのですか。

 魔女は声を上げて笑います。長年の惰眠で愚者と化したのか、大悪魔よ。
 大悪魔は震えながら応えます。友の死を厭うことが愚かならば、わたしは永遠に賢者には至らぬでしょう。
 魔女の笑い声が響きます。まさか、その口から友などと聞くとは。

 大悪魔は声を失いました。銀雪の魔女の瞳が、纏う空気が、突如として殺意に満ち溢れたのです。
 魔女は告げました。ならば、共に氷雪に埋まると良い。

 大悪魔は剣戟の音を聞きました。
 即ち、何も見えませんでした。僅かな時の後には、騎士が魔女の氷剣を防いでいたのです。
 魔女が下がったのは、騎士が押し返したのか、魔女が自ら距離を取ったのか、それさえも判りませんでした。
 大悪魔には、何が起こり終わったのか理解できなかったのです。

 魔女は言いました。愚かな騎士よ、選べ。目醒めぬ主君を庇い死ぬか、それとも新たな主君を求めて去るか。
 よもやその程度でこの私を退けられるとは思うまい。

 騎士は言いました。大悪魔様、お逃げください。この身が凍る前に。
 大悪魔は拒みました。わたしのために命を棄てるのですか。
 騎士は答えました。主君のために命を尽くすことこそ、騎士の本望。
 さあ、お逃げください。この身が果てる前に。

 魔女は嘲笑います。剣を下げぬのか、騎士よ。
 騎士は応えます。敵を前にして剣を下げる騎士など居らぬ。
 魔女は嘲笑います。命に背くのか、騎士よ。
 騎士は応えません。大悪魔の前に立つことが答えだと告げるように。

 大悪魔のすぐ横を鋭い雹が裂きました。雹は太い樹に当たり、樹は瞬く間に厚い氷に覆われました。
 魔女が振るった剣から放たれた魔が空気を凍らせたものでした。
 騎士が振るった剣から放たれた魔は氷を溶かせなかったのです。
 大悪魔には、その全てが終わってから認識できたのです。

 大悪魔は恐れました。その絶望的な力の差を。
 大悪魔は悟りました。その絶対的な死の訪れを。

 魔女の蒼い瞳が大悪魔を捉えます。
 その瞳は逃亡を願っていました。大悪魔への殺意は感じられませんでした。
 まるで、初めから騎士だけを狙っていたかのように。

 剣が衝突する高音が響きます。
 戦の心得に乏しい大悪魔でも、魔女が殆ど力を使っていないことは判りました。騎士が凡ゆる力を駆使していることは判りました。
 けれど騎士は退きません。その剣先が下がることはありません。

 騎士の剣から烈火が巻き起こります。炎は銀色の毛先すら燃やすこともできず、蝋燭の灯火が吹き消されるように霧散します。
 魔女は手で振り払っただけでした。白く美しい肌には傷一つ有りません。

 大悪魔は魔を編みます。知る限り強力な火炎を創り出します。
 魔女は言いました。娘よ、一度魔を放てば、お前も私の敵となるぞ。
 騎士は言いました。大悪魔様、銀雪に逆らわず、お逃げください。
 そして剣が交差します。騎士の片腕を氷雪が覆い、鎧が砕けます。

 大悪魔は悟りました。正しいのは、騎士の想いと共に逃げること。
 大悪魔は否定します。騎士を見捨てて逃げることが、正しいのか。
 大悪魔は否定します。逃げずに立ち向かう力など、この手に無い。
 大悪魔は否定します。力有る魔女であろうと、友を奪うことは赦さない。

 騎士の抵抗は容赦無く斬り捨てられました。
 魔女は氷剣を振るいます。終わりだ、忠実なる悪魔の騎士。
 騎士は動けません。生命を、忠誠を断つ刃を避けることができません。

 そうして、残酷な氷剣は大悪魔の忠臣に振るわれます。
 その圧倒的な力に抗える者など、その場には居ません。





 いいえ、居ないと思われていました。


   *

 少女は屋敷を出てから、初めて世界の広さを識りました。
 少女は牢獄を出てから、初めて外界の尊さを識りました。
 少女は言います。嗚呼、外とは、これほどまでに自由なのですね。
 それを見つめる黒鎧の騎士は、最早掛け替えの無い存在でした。

 騎士が居なければ、少女は暗がりに囚われた少女のままでした。
 騎士が居なければ、少女は誰からも肯かれぬ少女のままでした。
 少女は言います。嗚呼、貴方のおかげでわたしは外を識りました。
 それを見つめる黒鎧の騎士は、既に臣下を超えた存在でした。

 少女は自らに問います。
 わたしは何のためにこの力を得たのか。
 この力は何のためにこの手に在るのか。
 喪うわけにはいかないのです。わたしの臣を。わたしの友を。

 少女は自らに命じます。
 大悪魔よ。貴方がわたしを繭にしているのなら、応えなさい。
 貴方が有する莫大な魔を、貴方が従える膨大な熱を、この手に献上なさい。
 わたしが必ず護りましょう。貴方の臣を。貴方の友を。

 さあ、宣しましょう。全ての力有る魔女に。全ての力無き民に。
 我こそ、炎の大悪魔を受け継ぎし者。
 わたしを、わたしの友を否定するのなら、焼き尽くしましょう。

 たとえ貴女が世界を統べる魔女だとしても、わたしは、消えない。



 銀雪の魔女は笑います。愉しそうに。嬉しそうに。
 大悪魔よ。呆ける時間が長かったな。危うくお前の忠臣を氷漬けにするところだったぞ。
 大悪魔は言いました。まだ醒めていません。きっと。まだ貴女の所業を思い出せないから。

 黒鎧の騎士を断つはずの氷剣は、紅く燃える火柱に阻まれました。
 その紅蓮の炎は大悪魔の手の中で燻っていたのです。

 騎士は驚きました。まさか、大悪魔様の御力が戻ったというのか。
 大悪魔は騎士の前に立ちます。その小さな身体で、護りたい友を庇います。
 大悪魔は言いました。さあ、銀雪の魔女よ。貴女の相手はわたしです。
 その瞳に一切の迷いは無く、恐れは無く、ただ戦意だけが満ちていました。

 銀雪の魔女は笑います。まるで大悪魔の目醒めを歓迎するかのように。
 魔女は言いました。一度魔を放てば私の敵になる、そう警告したが。
 大悪魔は言いました。友を護るためならば、喜んで敵となりましょう。
 魔女は問いました。目醒めぬままにこの私を退けられると思うか。
 大悪魔は答えました。目醒めぬままでも貴女を退けなければなりません。

 氷塊が舞い踊り、大悪魔に降り注ぎます。その全てが大悪魔に届かず蒸発します。
 風雪が吹き荒び、大悪魔に喰らい付きます。その全てが大悪魔に届かず消滅します。
 大悪魔の周囲だけ世界の理が曲げられているかのように、氷雪が近寄ることはできません。

 魔女は賞賛します。今代の大悪魔は防戦に長けているようだな。
 大悪魔は応えません。火を紡ぎ、炎を従え、魔女を睨みます。
 一点を喰い破る氷刃さえも、一点を焼き尽くす獄炎が阻みます。

 魔女は歓喜します。今代の大悪魔は過去を超えるかもしれぬな。
 大悪魔は応えません。火を纏い、炎を滾らせ、魔女を睨みます。
 魔女が振り抜く氷剣さえも、自らの手に編んだ籠手で弾きます。

 魔女は狂喜します。何処まで耐える。私は何処まで力を解放できる。
 大悪魔は応えます。何処までも耐えましょう。貴女が退くまで何度でも。

 騎士は止めました。大悪魔様、魔が保ちません。魔が枯渇すれば貴女は二度と目醒めぬかもしれません。
 大悪魔は拒みました。枯渇すればわたしが死ぬ、諦めれば貴方が死ぬ。結末は同じなら、最期まで抗います。
 さあ、銀雪の魔女よ。貴女が退くまで抗うこととしましょう。

 魔女は尋ねます。何故、真なる力が醒める前に私に挑むのだ。
 臣下を犠牲にしても生き延びるのが王たる者ではないのか。
 臣下の犠牲を拒み死に急ぐのが王たる者だと思うか。

 大悪魔は答えます。わたしは貴女に挑むのではありません。
 わたしは、わたしのために、共に歩む者を護るのです。
 友の犠牲を拒み死に抗うのが王たる者。
 わたしは、わたしのために、わたしの友を護るのです。

 紅蓮の炎が舞います。克せるはずもない吹雪に挑みます。
 全ては、己の大切な忠臣のため。己の大切な友人のため。
 大悪魔は命じます。燃えなさい、氷雪さえも焦がしなさい、我が炎よ。わたしを否定する豪雪を燃やしなさい。
 殺させない。奪わせない。わたしは、わたしを肯定する者を護るのです。

 魔女が放つ氷雪は大悪魔の火焔に融かされます。
 大悪魔の火焔は魔女が放つ氷雪に潰されます。
 紅と蒼が対立し、相克し、確かに拮抗していました。漆黒と白銀が舞い、強大な魔が弾けて大地を震わせました。

 魔女の顔は愉悦に染まります。
 嗚呼、血が滾る。魔が踊る。大悪魔よ、その力を振るえ。この私が真なる力を振るえるように。
 幾年かも判らぬ程長く抑え込んだこの力を解き放てるように。
 幾年かも判らぬ程長く抑え込んだこの欲を解き放てるように。

 けれど、大悪魔の炎は俄かに勢いを失います。
 それは大悪魔の力の限界を表していました。未だ目醒めぬ身では、世界の覇者たる魔女と長く争える魔を有していないのです。
 それは大悪魔の命の終焉も表していました。銀雪の魔女がこの好機を見逃すはずがありません。

 魔女は問います。その炎は潰えたか。氷雪に敗れたか。
 大悪魔は答えます。いいえ。今にも氷雪を融かすことでしょう。
 その双眸には燃え盛る戦意が満ちていました。諦念も恐怖も無く、正面から魔女を見据えていました。

 不意に、銀雪の魔女の周囲を漂っていた魔が消えます。魔女は自らの右手を掲げます。
 それを合図に、空を旋回していた烏が降りてきました。

 烏は尋ねました。魔女様、何故その御力を振るわぬのですか。
 魔女は答えました。大悪魔の真なる力が醒めるまで待つことにする。
 烏は当惑します。まさか。今ここで大悪魔を滅することさえ可能ですが。
 魔女は答えます。馬鹿か。今ここで大悪魔を滅しても面白くないだろう。凡ゆる魔女に恨まれようと、私は自らの欲望を否定することなどできぬ。

 魔女は言いました。
 大悪魔よ、早く目醒めろ。直ちにその力を取り戻せ。私が全ての魔を解き放ち、闘うことができるように。
 嗚呼、この持て余す魔を解き放ち、闘える日を待ち望むこととしよう。

 そうして魔女は外套を翻し、狼狽える烏を従えて立ち去りました。



 大悪魔は力が抜けたように座り込みました。強大すぎる脅威が去った現実を受け入れることができず、魔女が去った方角を見つめていました。
 大悪魔は呟きます。わたしは、友を護れたのですね。

 騎士は跪きながら主君に問います。
 何故逃げなかったのですか。何故私の前に立たれたのですか。

 大悪魔は微笑みます。
 貴方はわたしの臣であり、友であり、恩人です。どうして、その貴方を見捨てて逃げることができましょう。嗚呼、その怪我を治さねばなりません。
 騎士は何も答えられませんでした。ただ、頭を垂れるだけでした。

 大悪魔は言いました。
 貴方が慕う大悪魔とは違うでしょう。けれど、わたしはわたし。
 従えぬのなら、ここで主従は断つこととしましょう。真に従えぬ主君のために、その命を棄てる意義は有りません。

 騎士は応えました。この命、御身のために捧げる覚悟。
 大悪魔は笑いました。果てるのは赦さぬとお伝えしたはずです。
 騎士は応えました。ならば、この剣を御身のために捧げましょう。何時如何なる時も、我が剣は御身のために振るうことを誓いましょう。


 大悪魔は呟きます。
 早く目醒めなければならない。強く在らねばならない。
 わたしは、もう独りではないのだから。
 わたしは、もう否定されていないのだから。

   †
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