群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

56 学園より抜け出て

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「いやはや、とんだ一日だったな」

「……」

 直樹は、香月の数歩前を歩きながら頭を掻いた。
 実際、死にかけたし、およそ日常とは大きく隔たれた時間であった。

「まぁ、一晩寝れば変わった夢だったな、なんて思えそうだけどな」

「……」

 努めて軽く笑う直樹だったが、香月は黙りこくったままだ。
 校舎から出た辺りからこの調子である。

 そして校門から出て少しのところで、救急車と遠巻きに群がる野次馬の集団に出くわした。
 見ると、救急車に運び込まれようとしていたのは希理だった。
 後から追い掛けてきたのだろう、思惟子が救急車に同乗しようとしていた。
 思惟子は心配そうな表情であったが、希理の状態は悪いものではないらしく、そこまで切羽詰まった様子は感じられなかった。
 周囲から漏れ聞こえてくる会話も同様であり、直樹は香月の頭を押さえて、この場をやり過ごす事に決めた。

 幸いにして、校門から出てきた二人を見咎めた者はいなかったし、思惟子も希理に注意を向けていたために気付かれる事はなかった。
 香月からしてみれば、友人を心配に思う気持ちはあるだろう。
 しかし今は香月のケアを優先すべきだと直樹は判断し、それは客観的に見ても間違ってはいない筈だ。
 救急車が去り、散り散りになる野次馬にまぎれて直樹らも学園から離れた。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 すっかり闇に包まれた住宅街ではあったが、起きている人間の方が圧倒的に多い時間帯であり、姿は見えずとも人の気配はそこかしこに溢れている。
 それでありながらも、耳朶に響いてくるのは自分達の足音ばかり。

「その…まぁ、気にするなよ。こういうのは気にし始めたら延々と続くぞ」

「……うん」

 希理の事もそうだが、香月の中では様々な情報が整理しきれずに渦巻いているのだろう。
 直樹にも経験がある。
 知識として学んでみても、それまでの常識を覆す出来事が眼前に迫りくればパニックを起こす。
 その場は無我夢中で乗り切ったのだとしても、後々になってじわじわと侵食してくるのだ。

 差し当たっては頭を空っぽにしてやり過ごすのが一般的ではあるのだが、こればかりは個人差もあって如何ともし難い。
 地道に、自分に合った気晴らしを探すほかない。

「なぁ、香月――」

 こうして香月の事を第一に考える事も、直樹にしてみれば気晴らしのひとつである。

(気晴らしというよりも、現実逃避に近いけどな――)

 自身よりも大切な者の身を案じる事によって、己に起きている現実から目を逸らす。
 問題の先送りでしかないと理解しているが、自分の事を最優先にしてみたところで妙案が出る訳でもないのだ。
 それならば他者の問題解決を優先した方が有意義であるし、その過程によって自身の解決案が出た事だって……無い事もない。

 ともかく、まずは香月のテンションを普段のものに戻さねばなるまい。
 ほんの数秒、目を閉じたまま歩いていた直樹は、香月の歩みが止まった事に気付くのが遅れた。

「……ん? どうした?」

 立ち止まり振り返ると、それまで俯き気味でいた香月が勢いよく顔を上げた。
 周囲は薄暗く距離もあったが、直樹はその瞳に決意の光を見た。

「なお――!」

 直樹の名を呼びかけた香月だったが、その途中で言葉を切った。

「?」

 その行動の大半が、思いつきの一言で説明できてしまう香月である。
 何かを語ろうとした矢先、まったく別の事柄に思考を移ろわせる事も珍しくはない。

 しかしここまでの流れで、話題がいきなり別の所に飛ぶというのはおよそ考えられない。
 突然の違和感に不安を覚える直樹。そしてその不安感を助長するかのように香月は何の言葉も発せず、その視線も力なく宙を泳いでいる。
 やがて香月の膝から力が抜け――

「おいっ!?」

 咄嗟に駆け寄ろうとした直樹だったが、一歩目を踏み出したところで反射的に元の位置へと足を滑らせた。
 香月の動きが妙なものだと、感じ取ったからだ。

 その場にくずおれたと思われた香月だったが、膝を軽く曲げた状態のまま倒れる事はなかった。
 だが、首と腕はだらりと弛緩した状態であり、例えるならば、壁に背を預けたまま居眠りをしているかのようだ。
 もちろん香月の背に壁などないし、居眠りをするのだとしても膝を曲げた状態でなど不自然に過ぎる。

(……んん?)

 そこで初めて直樹は、香月の両脇に添えられている白い手に気付いた。
 その手が香月を倒れ伏さないように支えているのだと理解できたが、同時に、その手が香月の意識を奪ったのだとも。

「誰だ!!」

 鋭く叫びながらも、怒りに身を委せて飛び込むような真似はしなかった。
 香月を盾にされる事を恐れたのが最大の理由だが、香月に異変が起きるまで、その背後に何者かが忍び寄っていた事にまったく気付けなかったからだ。
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