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5 「人知れない恋の話」
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「写真を見てると昔の記憶が鮮明に蘇ってくるよ。」
施設に帰ってじーちゃんの部屋に行くと、じーちゃんは昔の写真を嬉しそうに眺めていた。窓からはもう夕日が射していた。写真にあたるオレンジの光が、その歴史をより遠くに感じさせていた。
「何か有力な手がかり思い出した?」
「有力な手がかりっていうのはなかなかないんだけど…。」
じーちゃんは俺にアルバムを手渡して、若松澄子さんとの思い出話を始めた。
「人知れない恋の話」
主な登場人物 岩崎和夫(俺のじーちゃん)
若松澄子(じーちゃんの初恋の相手)
岩崎和夫は地元の高校を卒業して県外の国立大学に進学した。
和夫は外国の音楽や文学に興味を持っていて、本当は英文学を学びたかったのだが、「資源の無いこの国が生き残っていくには技術力しかない」という祖父の信念から、和夫は工学部に進んだ。
実家からの仕送りもあまり無かったので、大学生活を謳歌するという訳にはいかず、勉強とバイトに明け暮れていたが、バイト代が入って時には奮発してジャズ喫茶に行き、その時はまだそんなに美味しいとも思えなかったコーヒーを注文して、ジャズ喫茶でコーヒーを飲む自分という姿に酔いしれながら、未だ見ぬ異国に思いを馳せていた。
そんな和夫が澄子と出会ったのは、彼女の父親が経営する大黒堂という和菓子屋だった。
大学に入学した年から、長期休みで実家に帰ってくる時は必ず近所にあった大黒堂でバイトをさせてもらっていた。和夫は21歳、澄子は18歳の高校三年生だった。澄子は地元のお嬢さん学校と言われている女子高に通っていた。澄子も外国の音楽や文学に興味を持っていて、英語を勉強したいと思っていた。家は先祖代々仏教徒だが、澄子はクリスチャンに憧れていて、親に隠れて町の外れの教会に通い、こっそり宣教師に英語を教えてもらっていた。いつかは外国に行ってみたいと思っていた。
その日は大黒堂の人間は店番を残してほとんどが出払っていた。他県の百貨店で甘い物市が開催され、この街から大黒堂が出店することになり、その準備に追われていたのだ。バイトの和夫は工場の掃除と倉庫から材料を運んでおくように言われていて大黒堂に残っていた。工場と倉庫は庭を挟んで母屋の向かい側にあった。和夫が倉庫から小豆の大袋を肩に背負って工場に運んでいるとき、母屋から何か床に落としたような大きな音が聞こえた。気になって母屋の方へ行ってみると、この家の娘の澄子が青ざめて震えていた。床を見ると高級そうなラジオが落ちていた。和夫は急いで小豆の袋を工場に運んで、澄子のところへ行った。
「大丈夫?怪我してない?」
和夫は心配して澄子に言った。
「わ、私、どうしよう…。お父さんの大切なラジオが…。」
澄子は目に涙を浮かべてうろたえていた。
和夫はラジオを持ち上げ調べてみた。スイッチを入れても音がしない。
「壊れてますよね…?」
澄子は大きな目から涙をポタポタ流しながら和夫に聞いた。
「ちょっと中開けてみていいかな?」
和夫が聞くと、澄子は涙を流したまま唇を噛みしめて何回も頷いた。
和夫はラジオを工場に持っていって、工場にあった工具を取り出し、慣れた手つきでラジオのネジを外していった。澄子は和夫の後に付いてきて、少し離れたところから心配そうにその様子を見ていた。和夫はしばらく無言でラジオをいじっていた。人気の無い工場に和夫の工具をいじる音だけが響いていた。
そして和夫は再びラジオのネジを閉めた。
パチッ
和夫がスイッチを入れるとラジオからジャズが流れてきた。
「よしっ!」
和夫は歓喜して拳を上げた。
澄子は緊張の糸が解れたせいでその場に倒れそうになった。和夫は澄子を抱き起こした。二人は思いもかけず抱き合ってしまい、その瞬間恋に落ちた。
和夫はラジオの修理に追われて、皆が帰ってくるまでにしておくように言われていた仕事が全然終わっていなかった。そのせいで澄子の父である社長からさんざん怒られた。和夫は一切言い訳をせず、ひたすら謝っていた。奥から澄子が何か言いたげにやってきたが、何もするなと目配せをして。澄子は目に涙を溜めて和夫に頭を下げた。
それからというもの、二人は人目を盗んで会うようになった。もともと同じことに興味があったので、趣味の話に花が咲いた。お互いこんなに何もかも合う人がいるなんて信じられないと思っていた。和夫のバイトが休みの日には、二人で和夫がよく行くジャズ喫茶に行った。澄子は今まで男と一緒にこのような場所に来たことなど無かったので、入る前に怖気づいてしまったが、一度入ってしまうとその魅力に取り付かれて、和夫にまた連れて行ってもらうようにお願いするようになった。和夫は澄子を喜ばせたくて、今まで以上にバイトを増やすようになった。
夏休みが終わり和夫が下宿先に戻ってからは、和夫は心にぽっかり穴が空いたように澄子の不在感を感じていた。お互いの予定が合い、やっと会えたのは一ヵ月後の事だった。いつものジャズ喫茶に行き、その後は二人で公園の中を歩いた。お互い話すことがたくさんあったはずだったが、帰りの時間が近づくにつれて何も話せなくなった。澄子を駅のホームまで送って、電車の窓越しに見つめあった時、和夫はある決心をした。
学業をがんばって一流の会社に就職が決まったら、卒業と同時に澄子に結婚の申し込みをしよう。
その後、和夫は二人の未来の為に今まで以上に猛勉強した。翌年の夏には、ある一流企業の技術職に就職が決まった。これでやっと澄子に結婚の申し込みが出来る。あとはお互い卒業を待つのみだ、と思っていた。そんな矢先、台風が近づく大雨の晩、澄子はびしょ濡れで和夫の下宿先にやってきた。
「和夫さん、今すぐ私をもらって下さい。」
澄子は震えながら涙目で和夫に訴えた。
施設に帰ってじーちゃんの部屋に行くと、じーちゃんは昔の写真を嬉しそうに眺めていた。窓からはもう夕日が射していた。写真にあたるオレンジの光が、その歴史をより遠くに感じさせていた。
「何か有力な手がかり思い出した?」
「有力な手がかりっていうのはなかなかないんだけど…。」
じーちゃんは俺にアルバムを手渡して、若松澄子さんとの思い出話を始めた。
「人知れない恋の話」
主な登場人物 岩崎和夫(俺のじーちゃん)
若松澄子(じーちゃんの初恋の相手)
岩崎和夫は地元の高校を卒業して県外の国立大学に進学した。
和夫は外国の音楽や文学に興味を持っていて、本当は英文学を学びたかったのだが、「資源の無いこの国が生き残っていくには技術力しかない」という祖父の信念から、和夫は工学部に進んだ。
実家からの仕送りもあまり無かったので、大学生活を謳歌するという訳にはいかず、勉強とバイトに明け暮れていたが、バイト代が入って時には奮発してジャズ喫茶に行き、その時はまだそんなに美味しいとも思えなかったコーヒーを注文して、ジャズ喫茶でコーヒーを飲む自分という姿に酔いしれながら、未だ見ぬ異国に思いを馳せていた。
そんな和夫が澄子と出会ったのは、彼女の父親が経営する大黒堂という和菓子屋だった。
大学に入学した年から、長期休みで実家に帰ってくる時は必ず近所にあった大黒堂でバイトをさせてもらっていた。和夫は21歳、澄子は18歳の高校三年生だった。澄子は地元のお嬢さん学校と言われている女子高に通っていた。澄子も外国の音楽や文学に興味を持っていて、英語を勉強したいと思っていた。家は先祖代々仏教徒だが、澄子はクリスチャンに憧れていて、親に隠れて町の外れの教会に通い、こっそり宣教師に英語を教えてもらっていた。いつかは外国に行ってみたいと思っていた。
その日は大黒堂の人間は店番を残してほとんどが出払っていた。他県の百貨店で甘い物市が開催され、この街から大黒堂が出店することになり、その準備に追われていたのだ。バイトの和夫は工場の掃除と倉庫から材料を運んでおくように言われていて大黒堂に残っていた。工場と倉庫は庭を挟んで母屋の向かい側にあった。和夫が倉庫から小豆の大袋を肩に背負って工場に運んでいるとき、母屋から何か床に落としたような大きな音が聞こえた。気になって母屋の方へ行ってみると、この家の娘の澄子が青ざめて震えていた。床を見ると高級そうなラジオが落ちていた。和夫は急いで小豆の袋を工場に運んで、澄子のところへ行った。
「大丈夫?怪我してない?」
和夫は心配して澄子に言った。
「わ、私、どうしよう…。お父さんの大切なラジオが…。」
澄子は目に涙を浮かべてうろたえていた。
和夫はラジオを持ち上げ調べてみた。スイッチを入れても音がしない。
「壊れてますよね…?」
澄子は大きな目から涙をポタポタ流しながら和夫に聞いた。
「ちょっと中開けてみていいかな?」
和夫が聞くと、澄子は涙を流したまま唇を噛みしめて何回も頷いた。
和夫はラジオを工場に持っていって、工場にあった工具を取り出し、慣れた手つきでラジオのネジを外していった。澄子は和夫の後に付いてきて、少し離れたところから心配そうにその様子を見ていた。和夫はしばらく無言でラジオをいじっていた。人気の無い工場に和夫の工具をいじる音だけが響いていた。
そして和夫は再びラジオのネジを閉めた。
パチッ
和夫がスイッチを入れるとラジオからジャズが流れてきた。
「よしっ!」
和夫は歓喜して拳を上げた。
澄子は緊張の糸が解れたせいでその場に倒れそうになった。和夫は澄子を抱き起こした。二人は思いもかけず抱き合ってしまい、その瞬間恋に落ちた。
和夫はラジオの修理に追われて、皆が帰ってくるまでにしておくように言われていた仕事が全然終わっていなかった。そのせいで澄子の父である社長からさんざん怒られた。和夫は一切言い訳をせず、ひたすら謝っていた。奥から澄子が何か言いたげにやってきたが、何もするなと目配せをして。澄子は目に涙を溜めて和夫に頭を下げた。
それからというもの、二人は人目を盗んで会うようになった。もともと同じことに興味があったので、趣味の話に花が咲いた。お互いこんなに何もかも合う人がいるなんて信じられないと思っていた。和夫のバイトが休みの日には、二人で和夫がよく行くジャズ喫茶に行った。澄子は今まで男と一緒にこのような場所に来たことなど無かったので、入る前に怖気づいてしまったが、一度入ってしまうとその魅力に取り付かれて、和夫にまた連れて行ってもらうようにお願いするようになった。和夫は澄子を喜ばせたくて、今まで以上にバイトを増やすようになった。
夏休みが終わり和夫が下宿先に戻ってからは、和夫は心にぽっかり穴が空いたように澄子の不在感を感じていた。お互いの予定が合い、やっと会えたのは一ヵ月後の事だった。いつものジャズ喫茶に行き、その後は二人で公園の中を歩いた。お互い話すことがたくさんあったはずだったが、帰りの時間が近づくにつれて何も話せなくなった。澄子を駅のホームまで送って、電車の窓越しに見つめあった時、和夫はある決心をした。
学業をがんばって一流の会社に就職が決まったら、卒業と同時に澄子に結婚の申し込みをしよう。
その後、和夫は二人の未来の為に今まで以上に猛勉強した。翌年の夏には、ある一流企業の技術職に就職が決まった。これでやっと澄子に結婚の申し込みが出来る。あとはお互い卒業を待つのみだ、と思っていた。そんな矢先、台風が近づく大雨の晩、澄子はびしょ濡れで和夫の下宿先にやってきた。
「和夫さん、今すぐ私をもらって下さい。」
澄子は震えながら涙目で和夫に訴えた。
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