約束

まんまるムーン

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6 「人知れない恋の話」

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「澄ちゃんどうしたの?こんな時間に。」
とりあえず澄子を部屋の中へ入れて、手ぬぐいを渡した。
「こんな物しかなくて申し訳ないけど、俺外に出てるから着替えて。風邪引くといけないから。」
和夫は自分の服を持ってきて澄子に渡し、部屋の外へ出た。

 しばらくすると澄子がドアを開けた。和夫は中へ入って、暖かいお茶を入れ、澄子に渡した。澄子の顔は青ざめて、目に涙を浮かべて震えていた。
「俺さ、就職決まって卒業したら、澄ちゃんに正式に結婚を申し込もうと思ってるんだ。」
和夫はニッコリ笑って澄子に言った。
「澄ちゃんとこは代々続く立派な家柄だし、こんな俺が結婚を許してもらうには、澄ちゃんと結婚するに見合った人間にならないといけないと思うんだ。ご両親にちゃんと認めてもらえるようにきちんと挨拶に行きたいと思ってる。だから卒業まであと少しだけ待っててもらえないかな?」
和夫がそう言っても澄子はうつむいて黙ったままだった。

「今じゃダメですか?」
澄子は呟くように言った。
「え?」
「私は今すぐがいいんです。親に認めてもらえなくても、勘当されてもかまわないんです。」
澄子は別人のように頑なに言った。
「澄ちゃん、何かあったの?」
和夫が聞いても澄子は何も答えなかった。
 
 和夫は真剣に澄子との事を考えていたので、ここで夜明かしさせる事は出来ないと、暴風雨の中、澄子を連れて駅へ向かった。
 
 しかし電車はすでに台風で運行停止になっていた。和夫は頭を抱えてしまった。しかしこの近辺に澄子が泊まれるような旅館など無かったので、やむなく自分の下宿へ帰った。
 
 和夫は澄子の為に布団を敷いて、自分は部屋の隅の壁にもたれ掛るように座って。
「和夫さんがここに寝てください。」
「いいんだよ。澄ちゃんが寝て。明日朝一番で送って行くから。」
 和夫は壁にもたれかかったまま、いつの間にか寝てしまっていた。

 朝、人の吐息を感じて目を覚ますと、隣に澄子が座って和夫の肩に頭を乗せてもたれかかったまま寝ていた。澄子の髪からいい匂いがした。和夫は澄子が愛しくてたまらなくなって、何度も澄子の頭を撫でた。
 
 和夫は澄子を連れて大黒堂へ向かった。玄関の前には澄子の父親が立っていて、和夫を見ると掴みかかってきた。澄子が制止するのも聞かず、父親は和夫を何度も殴った。和夫は一切抵抗しなかった。和夫は澄子の父親に、夕べからの事を土下座して謝った。そして就職が決まった事、卒業したら結婚を許してほしい事を懇願した。父親は和夫の言う事など聞く耳も持たず、澄子の腕を引っ張り家の中へ引きずり込み、娘に二度と近寄るな、と玄関を思いっきり閉めた。

「澄ちゃん、待ってて!俺必ず迎えに来るから!」
和夫は玄関の外から中にいる澄子に向かって叫んだ。

 

 その一ヵ月後、和夫は信じられない知らせを受けた。

 澄子が結婚したというのだ!

 ずっと後で知ったことだが、澄子の縁談は和夫と澄子が出会う前から親同士の間で既に決まっていたそうだ。一見商売繁盛しているように思えた大黒堂だったが、その実情は火の車だった。商売を手広くやりすぎたせいだった。澄子の婚姻は、危機に瀕した大黒堂を建て直す為の政略結婚だった。相手は他県の大きな材木問屋の息子で、息子といっても澄子より15も上だった。親同士が知り合いで、大黒堂に訪れたときに澄子を見かけて一目で気に入り、嫁に欲しい、嫁に来てくれるならいくらでも経済的援助をするという約束を交わしたそうだ。
 
 澄子はずっと、家の為、そして家を継ぐ兄の為に、自分は喜んで嫁ごうと思っていた。だが和夫と出会って、その気持ちは揺るいでしまった。和夫と一緒にいると、今まで見てきた世界がまるで違うもののように見えた。幼い頃から父と母を見ていて、将来の自分はこんなもの、結婚生活は修行のようなものと思っていたが、和夫といると、違う未来もあるのではないか、と思うようになってしまった。
 
 暴風雨の中、和夫の元に走ったその日、澄子は勇気を振り絞って父親に自分の気持ちを正直に話した。当然父親は怒り狂い、澄子の頬を思いっきり張り飛ばした。澄子はそのまま外へ飛び出し、気付いたら和夫の元へ来てしまっていた。
 

 和夫はしばらく状況が理解できず、毎日のように澄子の家に行って話を聞こうとした。しかし毎回門前払いで、澄子もすでに実家にはいないようだった。どこに嫁いだのかも教えてもらえずじまいだった。和夫はしばらく抜け殻のようになり、学校にもアルバイトにも行かず、家に引きこもり酒に溺れる毎日だった。一人でいると、澄子と過ごした日々を思い出し涙が止まらなかった。

あの日、土砂降りの雨の中やってきた澄子を自分は受け止めるべきだったのか?

二人で駆け落ちするべきだったのか?

 和夫の後悔は止まることがなかった。しかしこれは澄子の選んだ道だ。この現実を自分は受け止めるべきなんだと思った。澄子に何か事情があったのかもしれないし、自分がこのまま不幸な人生を歩んでしまったら、裏切ってしまった澄子が罪悪感を抱いてしまうかもしれない。澄子にそんな可哀相な事はさせたくない。澄子の幸せを遠くから祈っていよう。そして澄子が罪悪感を抱かなくていいよう自分も幸せになろう。

和夫はその時、そう思うことで自分を慰めた。







「…じーちゃん…それ小説にしなよ。映画化決定だって!」
俺は涙でグズグズになって言った。
「そうかの?全米も泣いてくれるかの?」
じーちゃんも涙を浮かべてそう言った。
「いきなりアメリカ進出かよ!」
俺は思わず笑ってしまった。
じーちゃんも涙を拭いながら笑った。
「でも、何でいまさら澄子さんを探してんだ?」
「それがな、俺も家庭を持って、人並みの幸せを手に入れて、可愛い子供も孫もできたしな、澄子さんのことはもうずっと前に、考えないようにしようって心に決めてきてたんだがな…去年あたりだったかな…夢に澄子さんが何回も出てきたんだ。そして夢の中で、私を探してください、って言うんだよ。わしもな、もうこんな体だし、先も長くはない事は分かっている。そう思うと、もう一度澄子さんに会いたくなってな。」
じーちゃんはそう言って遠い目をした。
「そっか。」
俺はじーちゃんの為になんとか澄子さんを探し出してあげたいと思った。

 じーちゃんは眠くなったようだったので、ベッドに横にならせて俺は部屋を出て行った。部屋の外に出ると、ちょうど石田さんが俺を迎えにやってきた。
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