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第3章

14話—人にはそれぞれ事情ってありますよね。

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「記憶が無い…?」

 驚いて聞き返すと、マーレは力無く頷いた。
 聞けば、3年前に女将さんと出会い、引き取って貰ったのだと言う。

 確かに全然似てない母子だなぁと思ったけど。

 それ以前の記憶がすっぽり無いのだそう。
 自分の名前も、何処から来たのかも、何処で生まれたのかも、何にも覚えて無いみたい。
『マーレ』と言う名前は女将さんがつけたと教えてくれた。

 左肩のアザも女将さんに言われて知っていたが、生まれつきなのか後から付いたものかも分からないと言う話だ。

「思い出そうとすると頭が痛くなっちゃって……」

「そうだったの」

 マーレの精霊、ウォレスがふよふよと飛んできて肩へ座った。

「この子の事もちゃんと覚えて無くて……いつも助けてくれてたのは、私が契約者だったからなんだね」

 ウォレスは嬉しそうに表情を綻ばせている。

 ウォレスに聞けばマーレの本当の名前が分かるかもしれない。
 名前が分かれば彼女の過去も、何があったのかも調べる事が出来るかもしれない。
 でも、マーレもウォレスもそれをしていない。
 きっと何か事情があるんだと思う。
 二人が望まないのなら、私がとやかく言う事じゃないよね。
 ワサビちゃんもそれを分かっているのか、何も言わずに二人の様子を見守っている。


「えみの事聞いてもいい?」

「え? 私?」

 不意に話を振られて驚いてしまう。
 まぁ、やましい事も無ければ、面白くも無いけれど。

「どんな風に過ごしてきたの? あ、ダメじゃ無かったら」

「ダメな事なんてないよ! でも、面白エピソードは何にもないよ?」


 私は母と二人暮らしだ。
 記憶がある頃には母しかいなかったから、もうそれが当たり前だった。
 住んでいた所は田舎で緑の多い地域だ。住宅街の周りを田んぼに囲まれていた。

 春は近くの公園に桜を見に行ったし、夏は暑いけど梅雨が無いから比較的過ごしやすい。
 秋には焼き芋売りの軽トラが来るし、冬には雪が積って、雪合戦して遊んだ。

 車で30分くらいの所に祖母が住んでいて、看護師だった母が夜勤の時は泊まりに行っていた。
 口煩い母と違って、優しくていつもニコニコしていて、料理上手な祖母が大好きで。
 料理は大体祖母から教わったんだ。
 決して裕福では無かったけど、母のおかげで有り難い事にごく普通の女子大生、させて貰ってました。

「素敵なお母さんとおばあちゃんだったんだね」

「うん」

 ただ、ひとつだけ心残りがあった。
 俯く私にマーレが声を掛けてくれる。

「私、死んでしまって異世界こっちに来たんだけど、その日の朝に母と喧嘩したの」

「喧嘩?」

「うん。原因も覚えてないくらい些細なことだったと思うんだけど、もう謝れないと思ったら…ね」

 何て言ってしまったのか思い出せないけど、でも喧嘩した事は覚えてる。
 何で聞き流せなかったのかなとか、嫌な言い方しちゃってただろうなって後悔してるんだ。
 そして、それはきっと母も一緒で。
 それが本当に心残りなのだ。
 せめて、その事だけでもごめんねって伝えられたら…

「ごめん! 何かしんみりしちゃったね! 湯冷めする前に戻ろうか」

「そうだね! …ごめんね」

「そんな、謝らないで。今度は楽しい話しよ! ウキウキしちゃうような話しよ!!」

「だったら恋バナですね!!」

 こっ恋バナ!?

 ワサビちゃんからそんなワードが飛び出してくるとは……
 と言うか、何処でそんな言葉覚えてきたの?

 さては騎士の皆さんですね……

「ワサビちゃんもラットさんの話してくれるの?」

 期待を込めて聞いたらびっくり。

「え? どうしてラットさんが出てくるんですか?」

 真顔で言われました。

「「…………」」

 マーレまで遠い目しちゃってるね。

 ラットさん…なんか、ごめん。

 宿へと続く入り口で、シャルくんとレンくん、それにハワード様とばったり出会した。
 3人でお風呂に行っていたようで、誰の腹筋が凄いとかで盛り上がっていた。
 男子め。
 想像しちゃうからヤメて欲しい。
 マーレと一緒に赤面してたら、シャルくんに「二人共のぼせたんじゃないのか」と心配され、ハワード様にはニヤニヤと笑われてしまった。

 たまに思うけど、シャルくん天然だよね。
 その天使な容姿で天然とか、もうどうしよう。
 そしてハワード様、その顔憎たらしいからヤメて。

 シャルくんとレンくんの相手をマーレに任せて、ハワード様に声を掛ける。
 少しだけ距離を取って、さっき聞いたマーレの話を伝えた。
 一応皇子だし、調査団の責任者っぽいし、耳に入れておいた方が良いと思ったのだ。

「あざ? どんな?」

「どんなって言われても…紅くて小さな……花、のようにも見えたけど……」

 そう言ったら難しい顔して考え込んでしまった。

「何か引っかかる事でも?」

「いや、調べない事には何とも。覚えておこう」




 宿の外。
 少し離れた場所で、アルクが一人夜風に当たっていた。
 握られた右手の中には、えみと揃いのリングがある。
 婚約の解消を伝えて尚、彼女の指にはそれが光っていた。
 それが何を意味するのか…

 ふと気配を感じて振り向くと、此方へ向かってルーベルがやってくる。

「月が綺麗ですね」

「ええ」

「何を考えていたんです?」

「……それは」

 少しの沈黙の後、口を開いたのはルーベルだった。

「外れますか?」

「は……?」

 驚いてルーベルを見ると、彼は夜空を見上げたまま。
 その表情は怒ってるでも、悲しんでるでも、呆れでもない。
 彼を知らない人からしたら、無表情に見えるそれは、アルクを案じるものだった。
 騎士として、それらを纏める団長として、あってはならない筈なのに、アルクはルーベルの問いに即答する事が出来なかった。

 アルクが俯きかけたその時。

「アル、様子がおかしい」

 ルーベルの声色が変わった。
 アルクも空を見上げる。

「月が出てるのに星が見えない」

「まさか…」

 全身に怖気が走る。
 同時に意識が研ぎ澄まされていく。
 明らかに異物の気配を察知した。

「領主の息子よ」

 空から声が降ってきたかと思うと、目の前に白い塊が現れる。
 ソラだ。

「囲まれた。皆を」

 二人宿へと走った。その後へソラが続く。

 夜の闇のせいで彼等の肉眼には映らなかった瘴気が、月を中心に街上空を渦巻いていた。
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