無能と追放された侯爵令嬢、聖女の力に目覚めました

ゆうき

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1巻

1-2

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「なんで私って、こんなに駄目人間なんだろう……」

 自分の才能のなさが悔しくて、悲しくて、気づいたら目から大粒の雫が溢れ出てきた。
 これじゃいつまでたっても、私は家族に認めてもらえない。……愛してもらえない。
 ……起きてても辛いだけだし、明日も朝は早い。もう寝よう。
 私は涙を拭いながら明りを消すと、ボロボロのベッドに横になる。ギシギシと鈍い音がするし、臭いも酷いけれど、それでも硬い床の上で寝るよりはいい。

「……私の人生ってなんなんだろう……もっと魔法の才能があったら、お父様に愛してもらえたのかなぁ……ぐすっ……ひっく……」

 私は汚れた枕に顔をうずめて、誰にも聞かれないように小さく嗚咽おえつを漏らしながら眠りについた――


   * * * *


 あれから数日後、私は無事に十五歳の誕生日を迎えた。もちろん誰からもお祝いの言葉など貰えるはずもなく、今日も一人で小屋の中で過ごしていた。
 昨日、お父様から朝一で出発をするから小屋で待っていろと言われたのだけれど……仕事がないと、逆にソワソワしてしまう。
 おかしいな、痛い思いをしなくてすむはずなのに……もう暴力を振るわれる毎日が当たり前になって、身体に染みついちゃっているのかもしれない。

「……今日は雨、か」

 暇つぶしに小屋の窓から外を見ると、まるで空が泣いているかのように、雨が静かに大地を濡らしていた。今は寒い時期だから、もしかしたら雪になるかもしれない。
 ……せっかくの誕生日で、初めて婚約者の方と顔を合わせるというのに……
 でも、この天気は私の人生を象徴しているようにも思えた。

「あっ……どうしよう、こんな汚い格好で王家の方に会うわけには……」

 ガラス窓に映る自分を見て、思わずハッとした。
 私は今日も汚い服だし、髪もボサボサだ。こんな格好でお会いしたら、ダラムサルの名前に傷をつけてしまうかもしれない。
 ちょっと気乗りしないけど、迎えが来たら何とかしてほしいってお願いするしかない。怒られたり叩かれたりするかもしれないけど、家の名に傷がつくよりはマシだと思う。

「どんな方なんだろう……失礼のないようにしなきゃ……」

 歳はいくつなんだろう。容姿はどうなんだろう。性格はどんなんだろう。優しい人だといいな……ちょっぴりでいいから、私を愛してくれる人だといいな……
 そんなことを思って待っていると――

「あっ……はい」

 小屋の扉をノックされて、私はドキドキしながら扉をゆっくりと開ける。
 そこには、お屋敷を守る近衛兵の人達が立っていた。

「リリー・ダラムサル」
「は、はい……きゃあ!?」

 名前を呼ばれたから返事をしたら、次々と近衛兵の人達が部屋の中に押しかけてきた。その数は、十人を優に超えている。
 え、なに……一体何が起こったの……!? こ、怖いよ……だ、誰か助けて……!

「連れていけ」
「な、なに……!? いやっ!」

 私はなぜか両手を縛られて拘束された上、目隠しまでされてしまった。
 いくら私でもこれはおかしいというのはわかる。わかるけど、だからといって魔法は使えないし、近衛兵の人達を倒せる武術が使えるわけじゃない……どうすることもできない。

「やめて! 乱暴しないでください!」
「うるさいな。おい、黙らせろ」
「はっ!」
「むー!!」

 口に布のような物を押し込まれた私は、それ以上言葉を発せなくなった。
 一体何が起こってるの? この人達は、私を婚約者がいる場所へ送ってくれるんじゃないの? どうして屋敷の近衛兵が、私にこんな酷いことをするの?
 混乱する私の気持ちなんか一切汲み取ってもらえず、無理やり立たされ、どこかへ向かって歩かされた。

「ここに入ってろ!」

 男の人の声と同時に突き飛ばされた私は、そのまま勢い良く地面に転がった。この肌に受ける質感からして、木の床のような感じがする。
 そんなことよりも……うぅ。手を縛られている上に目隠しまでされているせいで、無抵抗で転んじゃったから身体が痛い……ぐすっ。

「出発しろ」

 ガタガタと音を立てながら、私がいる場所が揺れ始める。
 ……もしかして、ここって馬車の荷台の中? どこかに連れていかれているってこと……? え、まさかこのまま婚約者の元に連れていかれる……? こんな乱暴なやり方で連れていくなんて、さすがにないと思いたい。

「むぅ……ひっぐ……」
「泣いてないで大人しくしろ、ダラムサルの名を汚す、鬱陶うっとうしいガキめ」

 恐怖ですすり泣いていると、怒声と共に私のお腹に衝撃が走った。そのせいで、私の意識は闇に沈んだ――


   * * * *


「おい起きろ」
「…………」
「起きろって言ってるだろ!」
「かはっ……」

 それからどれだけの時が経ったのか――眠っていた私は、鈍い衝撃と共に目を覚ました。
 な、なにが起こったの……い、息が苦しい……お腹が痛い。

「ぷはっ……!」
「降りろ」

 痛みと苦しみに悶えていると、荒々しく拘束や目隠しを取られた。いつの間にか近くにいた近衛兵の男の人に、強引に荷台から降ろされる。
 ここ……どこ? 周りは木ばっかりで、全く人がいる気配がない。

「あ、あの……ここはどこですか。どうしてこんな場所に連れてこられたんですか……? 私、これからお城に行かないといけないんです……」
「お前がそれを知る必要はない。俺はお前をここに連れてきて、これを渡せと言われている」
「これは……音声を入れる魔法石……え……待って……!」

 自分に起こった状況や謎の魔法石に混乱していると、馬車は私を置いて去っていってしまった。

「置いていかないで……きゃあ!」

 必死に追いかけるけど、馬の速度に追いつけるはずがなかった。それどころか、焦って走ったせいで足がもつれ、雨でぐしょぐしょになった土の上に倒れてしまった。
 つ、冷たいしドロドロになっちゃった。ど、どうしよう……こんな森の中に置いていかれるなんて……そもそもここはどこなの? 私、屋敷に帰れるの……?

「あっ……もしかして、この魔法石に帰り方が録音されているかも……」

 近衛兵に渡されたこの掌サイズの青い石は、魔法石と呼ばれる。色によってさまざまな効果が付与されていて、青い魔法石は人の声を録音できるの。
 確か、大きく三回振れば起動できたはず……あっ、できた!

『リリー。これを聞いてる頃、お前は屋敷ではなく深い森にいるだろう。そこは我が国の東に広がる大森林だ。なぜそんなところに連れていったかだが――貴様のような無能を、家から追放することにしたからだ』

 え……つい、ほう……? そんな、私の聞き間違いだよね……? いくら私を嫌っているお父様でも、私を追放なんてしないよ、ね……?

『貴様のような人間がいると、家の名前に傷がつく。むしろ今まで面倒を見てやったことを感謝してほしいくらいだ。王家との婚約だが、お前が事故死したという理由をでっち上げ、一度解消した後に、改めてシャロンが婚約をすることになった。娘を追放したことを周りの貴族に嗅ぎつかれたら面倒だからな。この話は、何年も前から国王と話し合っていた。国王や婚約者も無能なお前より、才能溢れるシャロンの方が良いそうだ』

 うそ……そんなの信じられない。

『シャロンもとても乗り気でな。婚約者として相応しいのはリリーよりも自分だと、自ら提案をしてきたくらいだ』

 そんな……シャロンは私から、家のために役に立てる唯一のわずかな希望だった婚約者を……奪ったというの。
 もう、感情がぐちゃぐちゃになってよくわからない。呼吸が乱れて息苦しいし、胸もバクバクしていて今にも爆発しそう。

『だから、貴様には一切の役割も屋敷にいる意味もない。本当は決まった時点で即処分してやりたかったが……いくら屋敷から外に出さないとはいえ、貴様の存在自体はほかの貴族や王族も知っている。目立ったことはできない。だから、“城に行く途中で事故に遭って死んだ”とするために、今日まで屋敷に置いてやっていたのだ』

 そんなの嘘だよ……し、信じない……私はもうとっくの昔に……いらない子だったなんてそんなの……!

『あらお父様、何をなさっていらっしゃるのですか?』
『おお、シャロン。我が娘よ。なに、あの無能に最後の別れをしているところだ』
『あぁ、以前おっしゃってた、追放の際に渡す魔法石のことですわね。お忙しい中、あんな女のために時間を割くなんて、まさに当主の鏡ですわ。ところでお父様、私もお姉様にご挨拶してもよろしいでしょうか?』
『ああ、もちろん』

 シャロン……? ご挨拶ってなに……?

『お姉様、そちらの居心地はどうですの? きっとドブネズミのようなお姉様には、最高の居心地でしょうね! そうそう、お父様からお聞きになられたかもしれませんが、お姉様の婚約者は私をお選びになったのですわ。だからぁ、お姉様はぁ……名門ダラムサル家にはもう不要ですのぉ! おーほっほっほっほ!!』

 私……私は……いらない子……私は……何の役にも立てなかった……!

『シャロン、奴はダラムサル家にではなく、この世に必要とされてないのだ。言葉は正しく使いなさい』
『申し訳ありません、お父様!』
『だが気持ちはわかるぞ、我が愛しの娘よ。私もあのグズが消えて胸がスッとした。本当に、あんな女が娘だなんて思いたくもない……いや、娘はシャロンだけであったな!』

 私はダラムサル家の人間と思われてなかった……娘とさえ思ってもらえてなかったんだ。

『うふふ。あっ、そうだお父様、せっかくお姉様が消えたんですから今日はお祝いにしましょう!』
『うむ、それは良い案だ! 今日はシャロンの好きなものを作らせよう!』
「うぅ……あぁ……うわぁぁぁぁん!!」

 私は最後まで聞いたところで限界を迎えた。膝からくずおれて幼子のように大声で泣いた。
 こんな大声で泣いたら、うるさいと誰かに怒られてしまうかもしれない。
 でも、もう……限界だった。

「あっ……ぐすっ……あぁぁぁぁぁ!!」

 どうしてこうなってしまったのだろう。
 ……どうして? そんなの考えるまでもない。私は魔法が使えない無能で、家の人達の期待に応えられなくて、その上グズで……嫌われて当然な人間なんだ。そんな私が追放されるのは当然だ……死んじゃった方が、みんな幸せなんだ……

「…………」

 何とかその場から立ち上がり、フラフラとした足取りで森の奥へと入っていく。
 特に目的なんてない。でも……あの場所でジッとしていたら、それこそ頭がおかしくなってしまいそうだった。

「ひっく……うぇぇぇん……」

 冷たい雨が降り続ける森の中、私の無様な鳴き声は無数にある木々と厚い雲に隠された。もうビショ濡れになってるせいで、今頬に流れる雫が、涙なのか雨粒なのかわからない。
 ……わかってるよ。泣いてても何も解決しない。歩いていても目的地なんかない。
 それでも私は救いを求めるように、彷徨さまよい歩き続けた。


 一人置き去りにされてから一体どれだけの時間森の中を彷徨っていただろう。十分かもしれないし、一時間かもしれない。もしかしたらそれ以上かもしれない。
 元々栄養が足りていないせいで体力がないのと、冷たい雨に打たれてずぶ濡れになったことで、体温を奪われてしまった。立っていることもできなくなり、前のめりに倒れてしまった。

「寒い……お腹すいたよぉ……身体が痛いよぉ……お父様ぁ……お母様ぁ……シャロン……」

 悲痛な叫びを上げても、名前を呼んでも、当然誰も助けてくれない。
 ただただ私の無力さと、世界の冷たさを感じるだけだ。
 もうダメなのかな……このまま一人ぼっちで死んじゃうのかな。
 あぁ、でも……私みたいな人間は、人知れず死ぬのがお似合いだろうし、家の人に迷惑をかけたんだから、こんな死に方も至極当然だ。
 それに、ここで死んじゃえば……この苦しみから解放される。私を産んですぐに亡くなったお母様のところに行けるかな……

「その方が……いい、な……お母様、ごめんなさい……私、幸せになれませんでした……」

 胸のポケットから小さな紙切れを取り出し、それを胸の前でぎゅっと握った。
 これは、私を産んですぐ亡くなったお母様が私に残してくれたものだ。本当はもっと大きかったんだけど、シャロンの嫌がらせで破られてしまったの。
 破られても、私は書かれていたことを全て覚えている。だから、悲しくなった時は、この紙切れを握りながら、お母様を思い出す。

『私の分まで生きて、幸せになって』

 それが、握りしめられた紙に書いてあった言葉。だから、私は家のために頑張って生きて、認められて、幸せになりたかった。
 でも――もう駄目みたい。私、もう……ダラムサル家にいられないよ……

「もう、疲れた……眠ろう……今、そちらに行きますね」

 そうと決まれば、もうここから動く必要もない。早く死んでしまおう。
 地面に力なく横たわりながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。
 ――おやすみなさい。




   第一章 森の優しき魔法使い


 あれ、ここは……お屋敷の中? どうして私はこんなところにいるんだろう。
 私は森で倒れて、そのまま人生を終えたはずなんだけど。
 もしかして、これが走馬灯ってものなんだろうか?

『どうしてダラムサル家に生まれて、魔法の一つも使えないんだ!』

 急に目の前に現れたお父様は、私の頬を遠慮なく張った。
 ごめんなさい、魔法が使えなくてごめんなさい……。ダラムサルの名前を汚してごめんなさい……

『お姉様のような人間が私の姉だなんて、人生の汚点でしかありませんわ!』

 シャロンは風の魔法を使って私を吹き飛ばす。空にふわりと打ち上げられた私は、そのまま地面に叩きつけられた。
 ごめんなさい、駄目な姉でごめんなさい……。頼りない姉でごめんなさい……

『貴様のような無能、ダラムサル家に生まれてこなければ良かったのだ!』

 お父様はシャロンと一緒に、倒れている私の頭を踏みつけた。わざとかかとの硬い部分でグリグリ押してくるから頭が割れそうに痛い。
 ごめんなさい、もう迷惑をかけません……だから叩かないで。酷いことを言わないで。もっと頑張るから……言われたことはなんでもしますから、私を一人にしないで……一人は寂しいの……

『お姉様の婚約者は私がいただきますわ。まあ仕方ありませんわよね。お姉様のようなグズで根暗で無能な人間が、王家に嫁げるわけありませんもの』

 ごめんなさい、ごめんなさい……みんなの期待に応えられなくてごめんなさい……
 ごめんなさい……
 ごめんなさい……
 ごめんなさい……


   * * * *


「うぅ……ひっぐ……あ、あれ……?」

 私は自分の涙と嗚咽で目が覚めた。周りを見渡すと、そこはさっきまでいた森の中ではなく、見たことがない部屋の中だった。
 いろんな本が乱雑に積まれているが、暖色のテーブルや本棚、暖炉なんかはとてもおしゃれで、ダラムサル家のお屋敷に置かれていても何の遜色もなさそう。
 それよりも……ベッドってこんなに柔らかかったんだ。あのボロボロのベッドに慣れてしまったせいで、ふかふかの寝心地に違和感を覚えてしまう。

「これはふかふかすぎて、寝るのが大変そう……そうだ、死ぬ前に一度やってみたいことがあったんだよね。えいっ」

 どうせ私はもう死ぬだけなんだから、ちょっとくらいやりたいことをやっても、バチは当たらないよね。
 一旦立ち上がり、ふんすっと気合を入れてから、ベッドに頭からダイブした。
 な、なにこれ、信じられない! 改めてベッドに横になったけど、フワフワすぎてダメ人間になっちゃいそう。

「ふにぁ……あれ? そういえば、服が違う……なんで?」

 ここに運ばれる前、私はボロボロな布一枚の服を着ていた。ビショビショだったし、泥だらけで酷い有様だった。
 でも、今はすごく綺麗なローブを着てる。着替えた記憶なんて、当然ない。一体どうして?

「――――」
「きゃっ」

 疑問を抱きながら何とか起き上がろうとした瞬間、掌より少し小さいくらいの全身真っ白な人型のお人形さんが、私の枕元で楽しそうに跳ね始めた。
 びっくりした、全然気づかなかったよ。これも魔法、なのかな? お人形さんを操る魔法なんてあるのかな……よくわからない。
 のっぺらぼうでちょっと怖いけど、ぴょんぴょんしてて可愛く見えてきた。
 私、実はこういう小さい生き物が好きなの。本当は動物がいいけど、このお人形さんも可愛くてとっても好み。

「ねえお人形さん。ここはどこ?」
「――――」

 返ってきたのは沈黙。そうだよね、のっぺらぼうで口がないんだもん。話したくても話せないよね……

「あっ、待ってどこ行くの?」

 私の制止など一切聞かないお人形さんは、器用に跳ねて部屋の外に行ってしまった。思った以上に俊敏だ。
 ところで……ここ、どこなんだろう。なんで私はこんなところにいるのだろう。
 私はあの時、森の中で倒れてそのまま死ぬつもりだったのに……

「こんなところに連れてこられてどうなるんだろう。どこかに売られちゃうのかな? それとも魔法の実験体にされちゃうのかな……」

 私はあのまま楽に死にたかったのに。もうこれ以上苦しいことや、辛いことは味わいたくない。そうじゃないと、もう心が壊れちゃう。

「目覚めたようだね、良かった」
「えっ……?」

 部屋の扉を見ると、そこには一人の男の人が立っていた。さっきのお人形さんを肩に乗せて部屋に入ってくる。
 首より少し長めの銀色の髪と切れ長で真っ赤な目が特徴的だ。彼は整った顔を綻ばせながら私を見つめる。
 ……とっても綺麗な人だ。私、ダラムサル家にいた時に、いろんな人を見てきたの。中にはすごく綺麗な人もいたけど、そんなのこの人の足元にも及ばない。


 それに、ずっと見ていても飽きない、不思議な魅力がある。
 しばらく見とれて、急に不安になった。
 どこのどなたかは知りませんけど、あなたも私に酷いことをするんですか? もう私をいじめないで……

「わ、私……どうして……」
「誰かがこの辺りに来たら知らせてくれる結界を張ってあるんだ。それが反応したから、急いで確認をしに行ったら、君が倒れていた。周りにはほかに人がいなかったから、僕の家に連れてきたんだ。どこか痛む部分はあるかい?」
「あの……その……えっと……」
「緊張しているのかい? 大丈夫、ゆっくり落ち着いて……君のペースで話せば大丈夫」

 彼はとっても優しい声色でそう言った。
 おかげで、深呼吸をして、ほんの少しだけ落ち着くことができた。
 とはいっても、まだ恐怖が私の心を支配していることには変わりない。

「そうだ、まだ名乗っていなかったね。僕はエルネスト。しがない魔法使いさ。長いからエルでいいよ」
「えっと……私はリリー・ダラムサ……あっ」

 咄嗟に名乗りそうになったところで、私は言葉を詰まらせた。
 私はもう追放された身だし、私のような無能がダラムサルを名乗るなんておこがましいにも程がある。
 それに……いつどこで話を聞かれて、お父様にお仕置きされるか、わかったものじゃない。そんなことはないと思ってても、身体が拒否反応を起こしてしまうの。

「ご……ごめんなさい……リリーです……」
「うん? リリーだね。よろしく」

 彼は私の隣まで歩み寄ると、細くて綺麗な手を差し伸べてきた。
 その動きが、私には暴力を振るう前の仕草に見えて思わず身震いをしてしまった。
 えっと、これってもしかして、握手を求められてる……? 私をいじめるわけじゃないの……?

「エルネスト様……ダメです、私のような汚らしい人間に触れては……」
「どうして? 確かに外で倒れていたから汚れてはいたけど、それが握手をしない理由にはならないよ。あとエルネスト様じゃなくて、エル」
「あっ……」

 エルネスト様は私の意思などお構いなしに私の手を取ると、手の甲にその小さくて美しいピンク色の唇を寄せた。
 握手をするとばかり思っていたから、あまりにも予想外だったエルネスト様、ううん、エル様の行動に、私の頭は真っ白になってしまった。

「よろしくね、リリー」
「ひゃ、ひゃい……エル様……」
「うーん、様はいらないんだけどなぁ」

 あはは、と少し困ったように笑うエル様。どんな顔をしても絵になる人だな。
 現状では、私をいじめる素振りはない。それどころか、出会ったばかりだというのに彼の笑顔を見ていると、不思議と胸の奥がじんわりと温かくなった気がする。

「さて、いろいろ事情を聞きたいところだけど……お風呂の用意をしてあるから、温まっておいで。この寒い雨の中にいて、身体が冷えているだろう」
「そ、そんな……これ以上ご迷惑をおかけするわけには。すぐに出ていくので……」
「僕のことは気にしなくていいよ。さあ、この人形が連れていってくれるから行っておいで」
「は、はい。ごめんなさい……」

 人の言うこと……ううん、命令を聞くことが身体の芯まで沁みついてしまっているせいで、エル様の言葉に逆らうことができなかった。エル様に深々とお辞儀をしてから、お人形さんの後を追うように部屋を出た。
 こう言っては何だけど、あちこちにたくさんの本が乱雑に積まれていて、決して綺麗なお家とは言えない。けど……私の住んでいた小屋よりは居心地好いと思う。

「ここなの? 案内してくれてありがとう、お人形さん」

 お人形さんの後について歩いていると、無事に脱衣所に到着した。
 お礼を言うと、お人形さんはぺこっと頭を下げてから、私がさっきまでいた部屋の方へと戻っていった。やっぱり可愛いなぁ。


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