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52 とある印刷所にて
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ロドルフは、小さな印刷所を営む家の一人息子だ。
と言っても、今の両親は、彼の本当の親ではない。
ロドルフは、十歳の頃に孤児院から引き取られた養子だ。
養父母は子供好きの優しい人達だが、残念ながら子宝には恵まれなかった。
そこで孤児院に養子を探しに行き、ロドルフを選んで自分達の息子として引き取ったのだ。
彼は養父母が営む印刷所を手伝いながら、平凡で幸せな毎日を過ごしている。
どんなに努力をしても、普通は孤児院出身の者がまともな仕事に就く事は難しく、院を出て独り立ちした後の生活は困窮しがちだ。
運良く養子として引き取られたとしても、奴隷の様な扱いを受けたりする場合だってあるのが現実。
だから、きちんと愛情を持って育ててくれた養父母には、深く感謝している。
でも───、ロドルフが一番感謝している人物は、実は他にいる。
インクの汚れが染み付いた右手を開くと、彼の手の平には大きな傷が残っていた。
幼い頃、毎年夏になると、孤児院の裏手にあった大きな川で仲間達と水遊びをしていたロドルフは、足が攣って溺れ、死にかけた事がある。
その時に、川底の岩で切った傷だ。
孤児院の職員が慌ててロドルフを水中から引き上げた時には、既に彼の呼吸は止まっていた。
だがその時、同じ孤児院で暮らしていた少女が、泣きながら魔法を放ったのだ。
その少女こそ、ミシェルである。
生死の境を彷徨う友人を目の当たりにしたミシェルは、無意識の内に治癒魔法を発動させたのだった。
その事故を切っ掛けに、光属性の魔力持ちであると判明したミシェルは、お貴族様の養女となる事が決まった。
『私、聖女になれるんだって! ロドルフのお陰だね』
『俺のお陰でミシェルが聖女になれたんじゃなくて、ミシェルが聖女だったから、俺の命が助かったんだよ』
『それもそうか。ロドルフが無事で良かった』
あの時のミシェルの無邪気な笑顔を、今でも時々思い出す。
だが、その後のミシェルの苦労を思うと、あの時光属性が判明しない方が良かったのではないかと、思わずにはいられない。
(俺のお陰じゃなくて、俺のせいで、ミシェルは聖女になっちまったんだ……)
そんなミシェルも今では平和に暮らしているらしいが、彼女を苦しめていた奴等を、ロドルフはまだ赦す事が出来ずにいる。
───ドンドンドンッ!
作業場の扉を叩く音で、感傷に浸っていたロドルフの意識は急激に浮上した。
業務がとっくに終了したこんな時間に訪ねて来る者など、一人しかいない。
「はいはい」
扉の外に立っていたのは、思った通りの人物だった。
「やあ、また仕事頼めるかい?」
「勿論ですよ、ディオン様。
いつものビラの印刷ですか?」
そう、何を隠そう、巷で話題の怪文書と呼ばれているビラを印刷しているのは、このロドルフなのだ。
「うん、そう」
「今回は何枚用意します?」
「一枚だけ印刷して欲しいんだけど」
「は? 一枚!?
一枚ならわざわざ印刷する必要無いでしょう?
原紙をそのまま使えば良いじゃないですか」
「アハハ、そうなんだけどさぁ、今迄と同じ紙と同じインクで、同じ様に印刷した物を用意した方が効果的なんだよ」
「相変わらず妙な拘りですね」
呆れ顔のロドルフに、ディオンは原紙を差し出した。
「面倒な客でごめんねー。
多分、これで最後だから、協力してよ。
報酬は高めに請求しても良いからさぁ」
「報酬は普通で良いですよ。ミシェルの為でもあります、し……」
そう言いながら手元の原紙に視線を落としたロドルフは、複雑な表情で固まった。
その怪文書の内容は、今まで以上に衝撃的だったからだ。
「……これ、大丈夫なんですか?」
「うん、だから一枚だけなんだ。
今回は、ちょっとセンシティブな内容だから、ばら撒かずに本人に直接届ける予定なんだよ」
「それってビラと言うより手紙では?」
「そうとも言うけど、受け取った者は、まさか一枚だけの為に印刷したとは思わないだろうから、このビラをいつばら撒かれるのだろうかって怯えるでしょ?ふふっ。
まあ、本当はコレを使わないで済めば、その方が良いんだけどねぇ……。
アイツ等のおイタがあまりにも過ぎる様だったら、お仕置きもキツ目にしないといけないから、一応用意しとこうと思って」
ふざけた様な口調でそう言いつつ、ニヤリと笑ったディオンに、ロドルフは微かな恐怖を感じた。
と言っても、今の両親は、彼の本当の親ではない。
ロドルフは、十歳の頃に孤児院から引き取られた養子だ。
養父母は子供好きの優しい人達だが、残念ながら子宝には恵まれなかった。
そこで孤児院に養子を探しに行き、ロドルフを選んで自分達の息子として引き取ったのだ。
彼は養父母が営む印刷所を手伝いながら、平凡で幸せな毎日を過ごしている。
どんなに努力をしても、普通は孤児院出身の者がまともな仕事に就く事は難しく、院を出て独り立ちした後の生活は困窮しがちだ。
運良く養子として引き取られたとしても、奴隷の様な扱いを受けたりする場合だってあるのが現実。
だから、きちんと愛情を持って育ててくれた養父母には、深く感謝している。
でも───、ロドルフが一番感謝している人物は、実は他にいる。
インクの汚れが染み付いた右手を開くと、彼の手の平には大きな傷が残っていた。
幼い頃、毎年夏になると、孤児院の裏手にあった大きな川で仲間達と水遊びをしていたロドルフは、足が攣って溺れ、死にかけた事がある。
その時に、川底の岩で切った傷だ。
孤児院の職員が慌ててロドルフを水中から引き上げた時には、既に彼の呼吸は止まっていた。
だがその時、同じ孤児院で暮らしていた少女が、泣きながら魔法を放ったのだ。
その少女こそ、ミシェルである。
生死の境を彷徨う友人を目の当たりにしたミシェルは、無意識の内に治癒魔法を発動させたのだった。
その事故を切っ掛けに、光属性の魔力持ちであると判明したミシェルは、お貴族様の養女となる事が決まった。
『私、聖女になれるんだって! ロドルフのお陰だね』
『俺のお陰でミシェルが聖女になれたんじゃなくて、ミシェルが聖女だったから、俺の命が助かったんだよ』
『それもそうか。ロドルフが無事で良かった』
あの時のミシェルの無邪気な笑顔を、今でも時々思い出す。
だが、その後のミシェルの苦労を思うと、あの時光属性が判明しない方が良かったのではないかと、思わずにはいられない。
(俺のお陰じゃなくて、俺のせいで、ミシェルは聖女になっちまったんだ……)
そんなミシェルも今では平和に暮らしているらしいが、彼女を苦しめていた奴等を、ロドルフはまだ赦す事が出来ずにいる。
───ドンドンドンッ!
作業場の扉を叩く音で、感傷に浸っていたロドルフの意識は急激に浮上した。
業務がとっくに終了したこんな時間に訪ねて来る者など、一人しかいない。
「はいはい」
扉の外に立っていたのは、思った通りの人物だった。
「やあ、また仕事頼めるかい?」
「勿論ですよ、ディオン様。
いつものビラの印刷ですか?」
そう、何を隠そう、巷で話題の怪文書と呼ばれているビラを印刷しているのは、このロドルフなのだ。
「うん、そう」
「今回は何枚用意します?」
「一枚だけ印刷して欲しいんだけど」
「は? 一枚!?
一枚ならわざわざ印刷する必要無いでしょう?
原紙をそのまま使えば良いじゃないですか」
「アハハ、そうなんだけどさぁ、今迄と同じ紙と同じインクで、同じ様に印刷した物を用意した方が効果的なんだよ」
「相変わらず妙な拘りですね」
呆れ顔のロドルフに、ディオンは原紙を差し出した。
「面倒な客でごめんねー。
多分、これで最後だから、協力してよ。
報酬は高めに請求しても良いからさぁ」
「報酬は普通で良いですよ。ミシェルの為でもあります、し……」
そう言いながら手元の原紙に視線を落としたロドルフは、複雑な表情で固まった。
その怪文書の内容は、今まで以上に衝撃的だったからだ。
「……これ、大丈夫なんですか?」
「うん、だから一枚だけなんだ。
今回は、ちょっとセンシティブな内容だから、ばら撒かずに本人に直接届ける予定なんだよ」
「それってビラと言うより手紙では?」
「そうとも言うけど、受け取った者は、まさか一枚だけの為に印刷したとは思わないだろうから、このビラをいつばら撒かれるのだろうかって怯えるでしょ?ふふっ。
まあ、本当はコレを使わないで済めば、その方が良いんだけどねぇ……。
アイツ等のおイタがあまりにも過ぎる様だったら、お仕置きもキツ目にしないといけないから、一応用意しとこうと思って」
ふざけた様な口調でそう言いつつ、ニヤリと笑ったディオンに、ロドルフは微かな恐怖を感じた。
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