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無限ループする悪役令嬢は角砂糖の夢を見る
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(またこの光景……)
わたしは歪んだ月を見ていた。
真夜中の水の中は暗く、冷たくて。
(もう何度目かしら……?)
ある時は転んで頭を打ち、またある時は馬車に跳ねられ。
最終的にわたしは必ず命を落とす。
(今度こそ生き残ってみせるわ……!)
やがて意識が遠のき、わたしはゆっくり目を閉じた――
♢♢♢
「エミリア、君に大事な話がある!」
国中の貴族たちが集う、華やかな夜会。
メルクリド公爵家の令息で婚約者のレオン様が、真剣な様子で声を掛けてきた。
「わたしとの婚約を破棄なさりたいのでしょう?」
「そうだ……ん? なぜ分かったのだ!?」
「では、ごきげんよう」
「お、おいっ! 待て、エミリア!」
間抜けな顔をしているレオン様を放っておいて、わたしは屋敷へと帰る。
(さて、どうしたものかしら?)
これまで馬車に乗っていたのをやめ、歩いて帰ることに。
そうすることで、この無限ループから抜け出せるかもしれない。
以前、馬車を降りたところで他の馬車が突っ込んできたことがあるから、細い道を選んで帰る。
ここなら馬車も通れないけれど、まだ安心はできない。
「きゃああああっ!!」
女性の悲鳴がして反射的に後ろを振り向くと、野犬の姿が月明かりに照らされていた。
鋭い牙がギラリと光る。
「ガルルルルルッ!!」
女性は立ち止まるわたしを追い越し、逃げて行った。
野犬に喉元を噛みつかれ、視界が揺らぐ。
(今度こそ、今度こそ生き残ってみせるんだから……!)
♢♢♢
「エミリア、君に大事な話がある!」
レオン様がわたしに声を掛けてきた。
まったく同じやり取りに、思わずため息が出そうになる。
「わたしとの婚約を破棄なさりたいのでしょう?」
「そうだ……ん? なぜ分かったのだ!?」
「では、ごきげんよう」
「お、おいっ! 待て、エミリア!」
間抜けな顔をしているレオン様を放っておいて、わたしは屋敷へと帰る。
(歩いてもダメなら、一体どうすればいいの?)
考えながら、いつものように馬車へと乗り込む。
そして馬車は転倒し、わたしはあっけなく命を落とした。
♢♢♢
「エミリア、君に――」
「わたしとの婚約を破棄なさりたいのでしょう? では、ごきげんよう」
いい加減、レオン様のセリフを聞くのも面倒になってきた。
わたしは屋敷には帰らず、バルコニーでひと休みする。
(星が綺麗……)
ビロードのような夜空では、たくさんの星が瞬き。
束の間、心が安らぐ。
「やあ、こんばんは」
突然、挨拶をされてわたしは驚く。
てっきり自分だけかと思っていたから。
「ずいぶんと疲れているようだね」
「あ……いえ、大丈夫です」
背の高い、精悍な顔立ちをした若い男性。
身なりも整っているし、貴族に違いない。
(あら? こんな出会い、今まであったかしら?)
屋敷へ帰らず、会場に残ったこともあるけれど、いずれも火事や暴動などに巻き込まれて命を落とした。
バルコニーへ出て、この男性と話したのはこれが初めて。
「侯爵家が長女、エミリア・サリファーと申します」
「僕はオスカー。どうやら君は、もうすぐこの世界から去る運命にあるようだね」
「えっ?」
「君は真っ黒なオーラを全身にまとっている」
「あの、それってどういう意味ですか……?」
「僕はね、人の寿命を色で知ることができるんだ。生まれたばかりの赤ん坊が真っ白なら、余命幾許もない老人は灰色がかっている、というようにね」
オスカー様の話は、果たして真実なのだろうか。
でも私が命を落とすことを、ズバリと言い当てた。
(これは抜け出せるチャンスかもしれないわ……!)
わたしはある時間を無限ループしている事実を、オスカー様に打ち明ける。
「なるほど。君のオーラが真っ黒なのも頷けるね」
「わたし、どうすればいいのか分からなくて……」
「こうして出会ったのも何かの縁だ。力になるよ」
「……ありがとうございます!」
オスカー様は柔らかく微笑んだ。
光の束を集めたような金色の髪が夜風になびく。
紺碧の海を思わせる青い瞳は、吸い込まれてしまいそうで。
(って、わたしったら、なに見惚れてるのよ!)
「それじゃ、行こうか」
「? きゃあっ!」
いきなり体が浮かび上がり、私はオスカー様にしがみつく。
「ともに時間の狭間を覗いてみよう」
「じかんのはざま……?」
わたしとオスカー様の体がぐんぐん夜空へ上がっていく。
見下ろす街並みは、思っていたよりもこぢんまりとしていて。
行き交う馬車や人々が小さくなり――どこかへと吸い込まれていった。
♢♢♢
「エミリア、目を開けて」
「……ここは?」
「時間の狭間だよ」
広いような狭いような、暖かくて涼しい空間。
そこにたくさんの時計があって、忙しなく動いている。
ダンスを踊っている時計、追いかけっこをしている時計。
「まるで時計が生きてるみたい……」
「そうだね、彼らは無限の時を刻んでいるから」
オスカー様に支えられながら、時間の狭間を泳いでいく。
呼吸はできるから、空気は存在するようだ。
「ここには人の寿命を刻む時計もあってね」
「それじゃ、わたしの時計も……?」
「うん、エミリアなら見つけられるはずだよ」
「この中から……?」
数え出したらキリがない時計たちに、わたしは途方に暮れそうになる。
でも無限ループから抜け出せるなら、やるしかない。
わたしはオスカー様から離れて、自分の時計を探し始めた。
(この時計も違う、こっちの時計も違う……)
オスカー様は宙で椅子に座り、優雅に紅茶を飲んでいた。
時折、木の棒を振っては満足そうに微笑む。
どれくらい経ったか分からないけれど、ある時計を見るなり、わたしは強い絆を感じずにはいられなかった。
「オスカー様! この時計がわたしの時計ですっ!」
「ようやく見つけたようだね。ふむ……」
時計は暴れて逃げ出そうとするけれど、オスカー様が小声で何かを呟くと大人しくなった。
「これを見てごらん」
「……あっ!」
時針と分針の間に角砂糖が挟まっていた。
時刻は午後九時四十五分で止まったままだ。
「もしかして、このせいで無限ループしていたんですか?」
「ご名答。角砂糖は取り除いてしまおう」
オスカー様は浮かんだティーカップの中に、これまた暴れる角砂糖を入れると、銀製のスプーンでかき混ぜる。
そして美味しそうに飲み干した。
チクタクと動き出すわたしの時計。
オスカー様が手を離すと、時計はどこかへ走って行った。
(やったわ! これで無限ループから抜け出せる……!)
「ありがとうございます、オスカー様」
「いや、この場所を司る者として当然のことをしたまでだ。それに僕にも責任があるからね」
(責任?)
オスカー様は、白い歯を覗かせながら言葉を続ける。
「さあ、元の世界へ帰ろう」
「はい!」
オスカー様にそっと抱き寄せられて。
胸がトクンと高鳴る。
(わたしったら、どうしてこんなにドキドキしているの?)
時計たちがサッと道を開けてくれた。
そこから、わたしの暮らす街並みが見え――
♢♢♢
「エミリア、君に大事な話がある!」
レオン様が真剣な様子で、わたしに声を掛けてきた。
そこにオスカー様の姿はない。
(もしかして夢だったのかしら? ううん、そもそも無限ループしていたことが夢だったかもしれないじゃない)
「お話とはなんでしょうか?」
「君は陰でミランダを虐めていたそうだな?」
「レオン様ぁ、わたし、すっごく怖かったんですぅ」
ストロベリーブロンドの髪をした小柄な女性が、レオン様にしなだれかかる。
胸元が大きく開いたドレス、甘ったるい香水の匂い。
男爵令嬢のミランダ・ロッソは、黄色い瞳を潤ませながらレオン様を見上げる。
「わたしは虐めたりなどしておりません」
「嘘をつくな! 多数の証拠や目撃証言があるのだ!」
「レオン様ぁ、エミリア様は嘘をついてますぅ」
ここでのやり取りは一言一句、間違うことなく記憶している。
わたしが身分を笠に着てミランダ嬢を虐めたとしてレオン様に悪役令嬢と罵られ、公衆の面前で婚約破棄を言い渡されるのだ。
(何度経験しても、気持ちのいいものじゃないわね)
けれど今のわたしは、無限ループから抜け出した身。
たとえ醜聞を広められようと、自分を信じて清く正しく生きてゆきたい。
(オスカー様、どうかわたしに勇気を分けてください――)
そこへ凛とした声が響き渡る。
「水を差すようで悪いが、そのご令嬢は複数の男性と関係を持っているようだ」
(オスカー様……! やっぱり夢じゃなかったのね……!)
「なんだ貴様は? 無礼にも程があるぞ!」
「レオン様ぁ、この人、誰なんですかぁ?」
レオン様とミランダ嬢はオスカー様を睨みつける。
「これをかければ……ほら?」
「やだ! なによこれ!」
「なんっ!?」
オスカー様が木の棒を振ると、ミランダ嬢の周りにうっすらと男性の姿が浮かび上がった。
全部で三人。皆、夜会に招待されている令息ばかり。
「この粉は人についた異性の香りを実体化できるものでね」
「でっ、でたらめを言うな! 胡散臭い貴様は何者だ!?」
オスカー様は鷹揚な様子で名乗った。
「申し遅れた。僕はオスカー・ヴェラーム。ヴェラーム王国の国王だ」
「……は?」
途端に会場がざわつく。
「一夜にして敵対する国を消し去ったと言われる、あの……」
「はるか西にある、魔法使いが治めるヴェラーム国の国王陛下でいらっしゃったとは……」
誰もが言葉を失う。
オスカー様だけが、月夜のように微笑んでいる。
「ルギウス国王から夜会に招かれて秘密裡に訪れたのだが、胡散臭いとは非常に傷つくね」
「あ……あ……」
レオン様が青ざめる。無理もない。
国王に向かって「胡散臭い」と言い放つなど、不敬罪に問われてもおかしくないのだから。
「エミリア、一目会った時から君を愛してしまった」
「……え?」
オスカー様は跪き、わたしに右手を差し出す。
「僕は君と一生を添い遂げたいと思っている」
「オスカー様……」
「どうか僕と結婚してほしい」
まっすぐ見つめられ、心臓が早鐘を打つ。
その意味が分かり、わたしはオスカー様の手を取った。
「……はい」
「ありがとう、エミリア。必ず幸せにするよ」
オスカー様に優しく抱きしめられ、頬に熱が集中する。
しばらくして体を離すと、レオン様とミランダ嬢へ冷ややかな視線を向けた。
「僕とエミリアに対する冒涜――君たち二人の処分はすでに決めてあるが、改悛する時間はくれてやろう」
「そっ、そんな……!」
「いやあああああっ!」
膝を落とすレオン様とミランダ嬢。
わたしはオスカー様と一緒に、静まり返った会場を後にした。
「あ、あの、オスカー様」
「なんだい?」
「お言葉ですが、死罪にするのはどうかと……」
「君を蔑んだ二人だというのに優しいのだね」
「いえ、決してそういうわけでは……」
「元からあの二人を死罪にするつもりはない。ただ、エミリアを貶めた罰を与えるには十分だろう?」
そう聞き、わたしは胸を撫で下ろす。
「エミリア、君には魔女の素質がある」
「わっ、わたしが魔女……ですか!?」
「ヴェラーム王国に来れば、魔女としての能力を開花できると約束しよう」
無限ループを抜け出せたかと思ったら、今度は魔女の素質があると言われ。
そればかりか、オスカー様にプロポーズされるなんて。
(本当に夢を見ているみたいだわ……)
外には見たこともない豪華な馬車が止まっていた。
馬には立派な翼があって、わたしは目を見開く。
(もしかしてこの子たちはペガサス? とっても綺麗……)
馬車に乗り込むと、ペガサスが白い翼を羽ばたかせる。
ふわりと馬車が浮かび上がり、煌めく夜空を駆けていく。
「実はエミリアに謝らなければならない」
「なんでしょうか?」
「君の時計に挟まっていた角砂糖を落としたのは僕なんだ」
「えっ? そうなんですか?」
「時間の狭間を管理している時に、角砂糖が言うことを聞かずにどこかへ落ちてしまってね」
「それで私は無限ループに陥っていたんですね……」
(だからあの時「責任がある」とおっしゃったのね)
そうだと判明しても、不思議と腹は立たなかった。
むしろ嬉しいとさえ思えた。
だって、こうしてオスカー様と出会えたのだから。
「あの、私のオーラは何色でしょうか?」
「見事な紫色をしているよ。僕と同じね」
「オスカー様と同じ、ですか?」
「ああ。高貴なる魔法使いだけが有する色だ」
わたしにそんな力があるなんて。
と、あることが気がかりでオスカー様に訊ねた。
「その……人の寿命を知ることができるのは辛くありませんか?」
「エミリアはどこまでも勇敢で思いやりに溢れているね。心配せずともヴェラーム王国では魔力であらゆる病や怪我を治癒することができるし、普段、この力を使うことは堅く封じている」
わたしは再び胸を撫で下ろす。
窓から月の光が静かに差し込み、オスカー様の髪と瞳がキラキラと輝く。
今度こそ、うっとり見惚れていたら。
「これからはエミリアが受けた苦しみの分だけ、いや、それ以上に君を愛すると誓うよ」
「……は、はい」
わたしは急に恥ずかしくなって俯いた。
するとオスカー様が、わたしの顔をそっと持ち上げて。
「っ……」
生まれて初めての口づけは角砂糖のように甘く、わたしは幸せの吐息を零した。
END
わたしは歪んだ月を見ていた。
真夜中の水の中は暗く、冷たくて。
(もう何度目かしら……?)
ある時は転んで頭を打ち、またある時は馬車に跳ねられ。
最終的にわたしは必ず命を落とす。
(今度こそ生き残ってみせるわ……!)
やがて意識が遠のき、わたしはゆっくり目を閉じた――
♢♢♢
「エミリア、君に大事な話がある!」
国中の貴族たちが集う、華やかな夜会。
メルクリド公爵家の令息で婚約者のレオン様が、真剣な様子で声を掛けてきた。
「わたしとの婚約を破棄なさりたいのでしょう?」
「そうだ……ん? なぜ分かったのだ!?」
「では、ごきげんよう」
「お、おいっ! 待て、エミリア!」
間抜けな顔をしているレオン様を放っておいて、わたしは屋敷へと帰る。
(さて、どうしたものかしら?)
これまで馬車に乗っていたのをやめ、歩いて帰ることに。
そうすることで、この無限ループから抜け出せるかもしれない。
以前、馬車を降りたところで他の馬車が突っ込んできたことがあるから、細い道を選んで帰る。
ここなら馬車も通れないけれど、まだ安心はできない。
「きゃああああっ!!」
女性の悲鳴がして反射的に後ろを振り向くと、野犬の姿が月明かりに照らされていた。
鋭い牙がギラリと光る。
「ガルルルルルッ!!」
女性は立ち止まるわたしを追い越し、逃げて行った。
野犬に喉元を噛みつかれ、視界が揺らぐ。
(今度こそ、今度こそ生き残ってみせるんだから……!)
♢♢♢
「エミリア、君に大事な話がある!」
レオン様がわたしに声を掛けてきた。
まったく同じやり取りに、思わずため息が出そうになる。
「わたしとの婚約を破棄なさりたいのでしょう?」
「そうだ……ん? なぜ分かったのだ!?」
「では、ごきげんよう」
「お、おいっ! 待て、エミリア!」
間抜けな顔をしているレオン様を放っておいて、わたしは屋敷へと帰る。
(歩いてもダメなら、一体どうすればいいの?)
考えながら、いつものように馬車へと乗り込む。
そして馬車は転倒し、わたしはあっけなく命を落とした。
♢♢♢
「エミリア、君に――」
「わたしとの婚約を破棄なさりたいのでしょう? では、ごきげんよう」
いい加減、レオン様のセリフを聞くのも面倒になってきた。
わたしは屋敷には帰らず、バルコニーでひと休みする。
(星が綺麗……)
ビロードのような夜空では、たくさんの星が瞬き。
束の間、心が安らぐ。
「やあ、こんばんは」
突然、挨拶をされてわたしは驚く。
てっきり自分だけかと思っていたから。
「ずいぶんと疲れているようだね」
「あ……いえ、大丈夫です」
背の高い、精悍な顔立ちをした若い男性。
身なりも整っているし、貴族に違いない。
(あら? こんな出会い、今まであったかしら?)
屋敷へ帰らず、会場に残ったこともあるけれど、いずれも火事や暴動などに巻き込まれて命を落とした。
バルコニーへ出て、この男性と話したのはこれが初めて。
「侯爵家が長女、エミリア・サリファーと申します」
「僕はオスカー。どうやら君は、もうすぐこの世界から去る運命にあるようだね」
「えっ?」
「君は真っ黒なオーラを全身にまとっている」
「あの、それってどういう意味ですか……?」
「僕はね、人の寿命を色で知ることができるんだ。生まれたばかりの赤ん坊が真っ白なら、余命幾許もない老人は灰色がかっている、というようにね」
オスカー様の話は、果たして真実なのだろうか。
でも私が命を落とすことを、ズバリと言い当てた。
(これは抜け出せるチャンスかもしれないわ……!)
わたしはある時間を無限ループしている事実を、オスカー様に打ち明ける。
「なるほど。君のオーラが真っ黒なのも頷けるね」
「わたし、どうすればいいのか分からなくて……」
「こうして出会ったのも何かの縁だ。力になるよ」
「……ありがとうございます!」
オスカー様は柔らかく微笑んだ。
光の束を集めたような金色の髪が夜風になびく。
紺碧の海を思わせる青い瞳は、吸い込まれてしまいそうで。
(って、わたしったら、なに見惚れてるのよ!)
「それじゃ、行こうか」
「? きゃあっ!」
いきなり体が浮かび上がり、私はオスカー様にしがみつく。
「ともに時間の狭間を覗いてみよう」
「じかんのはざま……?」
わたしとオスカー様の体がぐんぐん夜空へ上がっていく。
見下ろす街並みは、思っていたよりもこぢんまりとしていて。
行き交う馬車や人々が小さくなり――どこかへと吸い込まれていった。
♢♢♢
「エミリア、目を開けて」
「……ここは?」
「時間の狭間だよ」
広いような狭いような、暖かくて涼しい空間。
そこにたくさんの時計があって、忙しなく動いている。
ダンスを踊っている時計、追いかけっこをしている時計。
「まるで時計が生きてるみたい……」
「そうだね、彼らは無限の時を刻んでいるから」
オスカー様に支えられながら、時間の狭間を泳いでいく。
呼吸はできるから、空気は存在するようだ。
「ここには人の寿命を刻む時計もあってね」
「それじゃ、わたしの時計も……?」
「うん、エミリアなら見つけられるはずだよ」
「この中から……?」
数え出したらキリがない時計たちに、わたしは途方に暮れそうになる。
でも無限ループから抜け出せるなら、やるしかない。
わたしはオスカー様から離れて、自分の時計を探し始めた。
(この時計も違う、こっちの時計も違う……)
オスカー様は宙で椅子に座り、優雅に紅茶を飲んでいた。
時折、木の棒を振っては満足そうに微笑む。
どれくらい経ったか分からないけれど、ある時計を見るなり、わたしは強い絆を感じずにはいられなかった。
「オスカー様! この時計がわたしの時計ですっ!」
「ようやく見つけたようだね。ふむ……」
時計は暴れて逃げ出そうとするけれど、オスカー様が小声で何かを呟くと大人しくなった。
「これを見てごらん」
「……あっ!」
時針と分針の間に角砂糖が挟まっていた。
時刻は午後九時四十五分で止まったままだ。
「もしかして、このせいで無限ループしていたんですか?」
「ご名答。角砂糖は取り除いてしまおう」
オスカー様は浮かんだティーカップの中に、これまた暴れる角砂糖を入れると、銀製のスプーンでかき混ぜる。
そして美味しそうに飲み干した。
チクタクと動き出すわたしの時計。
オスカー様が手を離すと、時計はどこかへ走って行った。
(やったわ! これで無限ループから抜け出せる……!)
「ありがとうございます、オスカー様」
「いや、この場所を司る者として当然のことをしたまでだ。それに僕にも責任があるからね」
(責任?)
オスカー様は、白い歯を覗かせながら言葉を続ける。
「さあ、元の世界へ帰ろう」
「はい!」
オスカー様にそっと抱き寄せられて。
胸がトクンと高鳴る。
(わたしったら、どうしてこんなにドキドキしているの?)
時計たちがサッと道を開けてくれた。
そこから、わたしの暮らす街並みが見え――
♢♢♢
「エミリア、君に大事な話がある!」
レオン様が真剣な様子で、わたしに声を掛けてきた。
そこにオスカー様の姿はない。
(もしかして夢だったのかしら? ううん、そもそも無限ループしていたことが夢だったかもしれないじゃない)
「お話とはなんでしょうか?」
「君は陰でミランダを虐めていたそうだな?」
「レオン様ぁ、わたし、すっごく怖かったんですぅ」
ストロベリーブロンドの髪をした小柄な女性が、レオン様にしなだれかかる。
胸元が大きく開いたドレス、甘ったるい香水の匂い。
男爵令嬢のミランダ・ロッソは、黄色い瞳を潤ませながらレオン様を見上げる。
「わたしは虐めたりなどしておりません」
「嘘をつくな! 多数の証拠や目撃証言があるのだ!」
「レオン様ぁ、エミリア様は嘘をついてますぅ」
ここでのやり取りは一言一句、間違うことなく記憶している。
わたしが身分を笠に着てミランダ嬢を虐めたとしてレオン様に悪役令嬢と罵られ、公衆の面前で婚約破棄を言い渡されるのだ。
(何度経験しても、気持ちのいいものじゃないわね)
けれど今のわたしは、無限ループから抜け出した身。
たとえ醜聞を広められようと、自分を信じて清く正しく生きてゆきたい。
(オスカー様、どうかわたしに勇気を分けてください――)
そこへ凛とした声が響き渡る。
「水を差すようで悪いが、そのご令嬢は複数の男性と関係を持っているようだ」
(オスカー様……! やっぱり夢じゃなかったのね……!)
「なんだ貴様は? 無礼にも程があるぞ!」
「レオン様ぁ、この人、誰なんですかぁ?」
レオン様とミランダ嬢はオスカー様を睨みつける。
「これをかければ……ほら?」
「やだ! なによこれ!」
「なんっ!?」
オスカー様が木の棒を振ると、ミランダ嬢の周りにうっすらと男性の姿が浮かび上がった。
全部で三人。皆、夜会に招待されている令息ばかり。
「この粉は人についた異性の香りを実体化できるものでね」
「でっ、でたらめを言うな! 胡散臭い貴様は何者だ!?」
オスカー様は鷹揚な様子で名乗った。
「申し遅れた。僕はオスカー・ヴェラーム。ヴェラーム王国の国王だ」
「……は?」
途端に会場がざわつく。
「一夜にして敵対する国を消し去ったと言われる、あの……」
「はるか西にある、魔法使いが治めるヴェラーム国の国王陛下でいらっしゃったとは……」
誰もが言葉を失う。
オスカー様だけが、月夜のように微笑んでいる。
「ルギウス国王から夜会に招かれて秘密裡に訪れたのだが、胡散臭いとは非常に傷つくね」
「あ……あ……」
レオン様が青ざめる。無理もない。
国王に向かって「胡散臭い」と言い放つなど、不敬罪に問われてもおかしくないのだから。
「エミリア、一目会った時から君を愛してしまった」
「……え?」
オスカー様は跪き、わたしに右手を差し出す。
「僕は君と一生を添い遂げたいと思っている」
「オスカー様……」
「どうか僕と結婚してほしい」
まっすぐ見つめられ、心臓が早鐘を打つ。
その意味が分かり、わたしはオスカー様の手を取った。
「……はい」
「ありがとう、エミリア。必ず幸せにするよ」
オスカー様に優しく抱きしめられ、頬に熱が集中する。
しばらくして体を離すと、レオン様とミランダ嬢へ冷ややかな視線を向けた。
「僕とエミリアに対する冒涜――君たち二人の処分はすでに決めてあるが、改悛する時間はくれてやろう」
「そっ、そんな……!」
「いやあああああっ!」
膝を落とすレオン様とミランダ嬢。
わたしはオスカー様と一緒に、静まり返った会場を後にした。
「あ、あの、オスカー様」
「なんだい?」
「お言葉ですが、死罪にするのはどうかと……」
「君を蔑んだ二人だというのに優しいのだね」
「いえ、決してそういうわけでは……」
「元からあの二人を死罪にするつもりはない。ただ、エミリアを貶めた罰を与えるには十分だろう?」
そう聞き、わたしは胸を撫で下ろす。
「エミリア、君には魔女の素質がある」
「わっ、わたしが魔女……ですか!?」
「ヴェラーム王国に来れば、魔女としての能力を開花できると約束しよう」
無限ループを抜け出せたかと思ったら、今度は魔女の素質があると言われ。
そればかりか、オスカー様にプロポーズされるなんて。
(本当に夢を見ているみたいだわ……)
外には見たこともない豪華な馬車が止まっていた。
馬には立派な翼があって、わたしは目を見開く。
(もしかしてこの子たちはペガサス? とっても綺麗……)
馬車に乗り込むと、ペガサスが白い翼を羽ばたかせる。
ふわりと馬車が浮かび上がり、煌めく夜空を駆けていく。
「実はエミリアに謝らなければならない」
「なんでしょうか?」
「君の時計に挟まっていた角砂糖を落としたのは僕なんだ」
「えっ? そうなんですか?」
「時間の狭間を管理している時に、角砂糖が言うことを聞かずにどこかへ落ちてしまってね」
「それで私は無限ループに陥っていたんですね……」
(だからあの時「責任がある」とおっしゃったのね)
そうだと判明しても、不思議と腹は立たなかった。
むしろ嬉しいとさえ思えた。
だって、こうしてオスカー様と出会えたのだから。
「あの、私のオーラは何色でしょうか?」
「見事な紫色をしているよ。僕と同じね」
「オスカー様と同じ、ですか?」
「ああ。高貴なる魔法使いだけが有する色だ」
わたしにそんな力があるなんて。
と、あることが気がかりでオスカー様に訊ねた。
「その……人の寿命を知ることができるのは辛くありませんか?」
「エミリアはどこまでも勇敢で思いやりに溢れているね。心配せずともヴェラーム王国では魔力であらゆる病や怪我を治癒することができるし、普段、この力を使うことは堅く封じている」
わたしは再び胸を撫で下ろす。
窓から月の光が静かに差し込み、オスカー様の髪と瞳がキラキラと輝く。
今度こそ、うっとり見惚れていたら。
「これからはエミリアが受けた苦しみの分だけ、いや、それ以上に君を愛すると誓うよ」
「……は、はい」
わたしは急に恥ずかしくなって俯いた。
するとオスカー様が、わたしの顔をそっと持ち上げて。
「っ……」
生まれて初めての口づけは角砂糖のように甘く、わたしは幸せの吐息を零した。
END
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