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第二十一章

生きる意味-05

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「少し、昔話をしてやろう」


 神様を名乗る女性――菊谷ヤエ(B)という女性が、既に噴火活動が鎮静化し、それでも高熱を感じる事が出来るバリス火山の山頂に、彼女を横たわらせた。

  彼女――餓鬼の意識は、既に回復している。

  ゆっくりと身体を起こして、山頂から見える景色をただ眺める事しか出来ていない餓鬼に、ヤエは言葉を発したのだ。


「昔々、混沌を司る神・カオスと同化した、元・人間のアホがいた」


 語る言葉を、餓鬼が聞いているかどうかなど気にしていないと言わんばかりに、ヤエ(B)は語りを連ねていく。


「そのアホは、ヒトの心が分からない女だった。自分以外にはとんと興味がなく、興味がない事柄なんて片っ端からぶち壊してしまえばいいと端的に決めてしまうような、そんなアホだった」


 吹き上がる水蒸気に包まれながらも、餓鬼はその惨状を目の当たりにする。

  アルハットによって形作られた七十メートル近い高さの壁に遮られたマグマが外気に触れて固まり溶岩となり、溶岩の上を通ろうとしたマグマがさらに層を造りと繰り返した。


「カオスという神は、アホのそういった部分を気に入る、同じくらいアホな神だったが、アホとアホが組み合わさった結果として超絶アホな……だが故に、酷く恐ろしい神として、この世に君臨した」


  もしアルハットによって壁が形成されていなければ。

  まずは、バルトー国とレアルタ皇国の国境付近に点在する、両国の国境警備隊は全員が死亡していた事だろう。

  そしてバルトー国バリスタル市の一部も、恐らくはマグマを防ぐ手立ても、遠くへ逃げる為に必要な経路も用意する暇も与えられず、多くの人間が死亡していた事は、想像に難くない。


「カオスはこの世界でもっとも単純明快な力を以て、世界を、星を、銀河を、全てを破壊できる能力を持っていた。だから他の神々はそうして生まれた超絶アホな最強の神を恐れ、排斥しようと考えた」


 それだけじゃない。バリス火山は元々、噴火活動が確認されていなかった火山であり、噴火警報さえなければ登山ルートとして稼働する、観光名所だ。

  つまり……姿は見えないが、マグマに飲み込まれた者や、火山灰などの衝突によって命を落とした者も、少なからずいた事だろう。

  既に失われた命は、例え神如き力を手に入れたアルハットでさえ、取り戻す事は不可能だ。

  人間は勿論、神であっても――命は一つしか無いものだ。


「排斥しようとした結果――超絶アホの力を前に、多くの神が敗北した。どんな強大な神であっても、超絶アホの持つ強大な力の前に敗れ、恐れ、慄き、世界の終わりを待つしか、出来る事など無かった」


 通常、災厄をまき散らす災いは、自分の身体を構成する虚力までをも含めて、大災害を引き起こす。

  しかし餓鬼は、こうして生き続けている。

 それは誰が助けたわけでもない。たまたまアルハットが災厄を振りまこうとした餓鬼に刀を刺し込んだ結果、全ての虚力を放出しようとした彼女を止めただけに過ぎない。


「どの神も世界の終わりを戦々恐々と待ち続ける中、超絶アホな神に向けて『本当に世界を滅ぼしてくれ』と懇願する、変わり者の神がいた」


 そんな、中途半端にしか災厄を振りまく事しか出来なかったにも関わらず、これだけ大きな災厄が人々を襲ったのだ。

  それは何だか――とても恐ろしい事のように、餓鬼は見えた。


「変わり者の名は【コスモス】――秩序を司る神、混沌から世界を守るべき神であるにも関わらず、奴は人間だけじゃなく、生物の悪性や醜悪さに嫌気がさして、超絶アホに『いっそのこと全てを破壊してほしい』と願った」


 荒れる息を整えながら、耳から入る情報に気を配る事など出来る筈も無い。

  餓鬼はヤエの語る言葉を聞き流しながら、溶岩に膝を付け、凍える身体を抱えるようにして、震えた。


「だが超絶アホは、自分がやりたい事を率先してやるのは好きなくせに、いざ他人から『やれ』と言われるとやりたがらないタイプだった。アレだ、お母さんから『宿題やったの?』って言われたら『今やろうと思ってたのにやる気無くした~』っていうタイプのヤツ」


 自分の起こした災厄によって、多くの人間が死ぬ。

  それは、餓鬼が望んでいた事ではないか。

  それが不発で、アルハットによって防がれてしまった事を悔しがる事はあっても、事態の深刻さに餓鬼が震える必要などないではないかと考えても。

  嫌悪感は、収まらない。


「だからコスモスにムカついた超絶アホは、コスモスの力も自分のモノにして黙らせようと考えたが、そこは世界のルールに逆らえない。同一の存在が司る事の出来る概念は一つだけ。既に混沌を司っている超絶アホは、そのままでは混沌と秩序を司るW神さまにはなれなかった」


 虚力さえ生を得られる災いとは違い、人間は肉体の老化によっていつかは死ぬ。

  そして時には、災いが災厄を振りまく事なく引き起こされた災害で命を落とす者もいる。

  そうした死と何が違うのだと正当性を心で叫んでも。

  嫌悪感は、収まらない。


「だからソイツは、同じ身体を共有する同一の人格存在を作り上げ、何時でも切り替える事の出来る存在……【多重存在者】として自分を作り変えた後、作り上げたもう一つの人格にコスモスを同化させた。分かりやすく言えば、同じ体に異なる人格が二つ存在し、切り替えると別人になるって感じで、異なる精神に一つずつ、神さまを同化させたわけだ」


 ふと、そこで餓鬼は後ろで言葉を連ねるヤエへと、震える身体でチラリと視線を向ける。だがヤエは彼女の事などは見ておらず、ただその景色から見える世界を見渡している……ようにも見える。


「解離性同一性障害と同じようなモノだな。まぁ解離性同一性障害が生きる上で必要な、精神安定上の防衛的適応によって引き起こされるものだとすれば、超絶アホの作り出した【多重存在】システムは、完全に利便性を考慮して作られた人格の切り替えスイッチでしかない。そこに、ストレスや精神安定などの意味は求めていない」


 解離性同一性障害というのがどんな障害かは、名前から察するしか出来ないが、しかし餓鬼は今までの言葉を頭の中で思い出しながら、この語りが誰の事を指しているのか、それを思考する。


「結果として、超絶アホの体にある二つの存在は、互いの意見同士が基本的に合致せず、しかしどっちも同じ体に宿る存在だから殺し合いも出来ないイタチごっこになった結果……互いに協力し合い、やりたい事、やらなければならない事を二人で協力して生きていこうと決めた」


 もし彼女の言葉が真実ならば――同じ体に存在する作られた人格の方は、その為だけに生み出されて、その為に生き続けなければならないのか、と。

  そう考えた事によって、餓鬼は何だか――それが他人事のように思えなかった。


「まぁ、その内のコスモスと同化した存在は私だ。私は基本、もう一つの存在……私はAの仕出かした事の後始末をする為に動き回り、私で対処できない荒事はAが担当する……と言った感じだな」

「……アンタは」


 ん、と。そこでヤエは初めて餓鬼の方を見た。

  餓鬼は震える身体を立ち上がらせつつ、言葉を発して問うのである。


「……アンタは、それで……何が楽しいの?」

「……楽しい、か。私は、Aが抱いた『コスモスも取り込みたい』という願望を叶える為に作られ、Aが仕出かした事に対処するだけの、掃除屋としての存在だ。楽しい等という感情は、本来は必要などない」


 だとすれば、彼女は役割に沿って生きる為だけに生み出された存在であり、そうした役割を楽しいと思えなければ、そもそも生きる事自体が苦行でしかない。


「確かに、時々考える。私は、Aの為だけに生きているのか、存在しているのか、とな。だが考えた所で答えなど出る筈も無い。そもそも『そうであれ』とAに押し付けられ、生まれた存在だ。奴に逆らう事も出来なければ、出来たとして自分の存在理由を……生きる理由を否定する行為だ。できるはずもない」


 私とお前は似ている、と。

  ヤエは初めてそこで、微笑みを浮かべた。


「だが、私とお前とでは、一つだけ決定的に違うところがある」

「……なに?」

「お前は私のように、愚母から生み出され、愚母の為にしか動けないなんていう、操り人形じゃない。災いとして、自分の生きる意味を、自分の為に定める事が出来るんだ――それは、普通の人間と何ひとつ変わらない」


 ヤエ(B)は、自分の生きる意味を自分で見つける事など、出来なかった。

  ヤエ(A)という大本に生きる意味を与えられる事で、ようやく彼女は存在理由を得るのである。


「お前は、自分の生きる意味を求めた。だがお前一人では見つける事が出来ず、その意味を愚母に委ねる事で、楽に生きる意味を手にした。……逃げたんだよ、お前は。ガキのようにな」


 ヤエは胸ポケットから煙草を取り出し、火を灯し、フィルターを通して煙を吸い込み、肺へ入れ込んだ後に吐き出した。


「見ろ。……その結果が、コレだ」


 多くの命を奪う事が出来た、災厄の爪痕。

  アルハットによって救われた命はあれど、救えなかった命もある。

  アルハットがいなければ、どれだけの被害があったかを想像する事も出来ぬ惨状は、餓鬼の心を震わせる。


「……お前と愚母の間に繋がっていたパスは消去しておいた。これで愚母は、この惨状を引き起こした事で、お前が死んだと認識している筈だ」


 下山する、と言わんばかりに、溶岩で埋め尽くされた山頂から下っていくヤエの背中を、餓鬼は見えなくなるまで見続ける。


「この惨状を見て、これからどう生きるかは、お前が決めろ。死にたいなら死ね、生きたいなら生きろ、もう一度愚母に生きる意味を委ねて災厄を振りまいたり、他の誰かに生きる意味を委ねても良い。何にせよ、お前の心に従え」


 声が通るからか、ヤエの姿が見えなくなっても、餓鬼に彼女の声は届き続ける。


「人間だけじゃなくて、お前以外の名有りや、クアンタやマリルリンデも、心に従って生きているんだ。お前にしか無い、お前だけの――生きる意味を探せ。私の代わりに、な」


 決して自分の為に生きる意味を定める事が出来ないヤエが、それを餓鬼に委ねたのは――それこそ彼女には、それ位しか自分に出来なかったからなのかもしれない。


  彼女の言葉を、願いを聞き届けて――餓鬼はただ、その場で世界を見渡し続ける。


  世界は、広い。
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