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第一章

第6話 転機

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 妹の穂乃果が幼稚舎の年少に入園し、私が年長に進級してから暫くたったある日の午後。


「今日のおやつはいちごプリンだよ。」


 幼稚舎から帰宅した私と穂乃果がリビングのソファ近くで絵本を読んでいると、おやつの準備を終えた母親が私と妹の穂乃果のところにやって来た。
 母親手作りのプルプルいちごプリンは私と穂乃果の大好物だ。


「わぁい!プリン♪プリン♪いちごプリン♪」


 浮かれた穂乃果がすぐさま絵本をポイッと投げ出してぴょんぴょんしながら母親の元に駆け寄って行った。しかし、両手にプリンを持ってこちらに歩いてきている母親窘められて、トテトテと再びソファの方に戻ってくる。


「さ、ふたりとも召し上がれ。」


 母親がにこりと笑い目の前のローテーブルにプリンを置くと同時に、私と穂乃果は待ち切れないとばかりにスプーンを手に取ると一口掬って口に運んだ。


「んぅ~~~♡」


 口に入れると甘さが広がりいちごの香りが鼻に抜けた。あまりの美味さに思わず笑み零すと、母親も嬉しそうに微笑んで私達を見つめていた。


「美味しい?」

「「うん!」」

「そっか、良かった。慌てないでゆっくり食べるんだよ。」


 そう言いながら母親はプリンでベタベタになった穂乃果の口の周りをウエットティッシュで拭うと、にっこり笑顔でこう言った。


「香乃果に穂乃果、おやつが終わったらお母さんとちょっとお話しようか。」





 ◇◇◇



「お母さん、"いいなずけ"ってなぁに?」


 一頻りおやつを食べ終えた私達は母親と一緒にソファに座り、母親の話を聞いていた。
 まだ小さくて無邪気な穂乃果は母親の言葉の意味がわからず、その言葉の意味を訊ねると、母親はにっこりと微笑み私と穂乃果を膝に座らせ、優しく頭を撫でながらわかりやすく説明してくれた。


「許嫁はね、将来、香乃果と穂乃果の旦那様になる人の事だよ。年齢的にも、香乃果はさとくん、穂乃果はわっくんがいいかな?」

「だんなさま?だんなさまってなぁにぃ?」


 穂乃果は不思議そうな顔で膝の上から母親を見上げた。


「そうだなぁ…わかりやすく言うと、う~んと、ふたりにとっての王子様かな。」

「え!おうじさま!なら、ほののおうじさまはわっくんがいい!」

「そう。穂乃果はわっくんが好きなのね。」

「うん!だってわっくんとっても優しいんだよ?ほのが欲しいって言うとね、な~んでもくれるの!」

「う~ん…それは、わっくんがくれるというか、穂乃果がわっくんから強奪してるだけな気がするんだけど…ま、いいか。それで、香乃果は?さとくんかな?あなた達とっても仲が良いものね。」


 くりくりの目を瞬かせて言った穂乃果の長い髪を母親は苦笑いを浮かべながら梳くと、今度は私のツインテールに結んである髪をくるくるとお団子に結い直しながら母親は私に問いかけた。


 聖?
 聖は兄でライバルで、家族だ。

 じゃあ渉は弟?
 弟だと思ったことは一度もなかったし、今でも思っていない。大切で愛しい存在。

 聖が王子様と言われたところでピンとこないけど、渉が王子様と言われたら……なんだか気恥ずかしい。
 だけど、ちょっぴり嬉しい。

 そう私は嬉しかったのだ。

 渉のことを思っただけなのに、胸がドキドキして顔に熱が集まるのを感じ、渉が私の王子様であってほしい、そう願っている自分の気持ちに吃驚した。
 同時に、渉は私にとっては、弟や家族ではなくて、ひとりの男の子なんだと気が付いた。
 これが、初めて私が渉を『異性』として意識した瞬間だった。そして、渉に抱いている想いが『恋』だと言うことに気が付くと、自然と口からポロリと言葉が出てきた。


「私は…私も渉が王子様がいい…」

「ダメダメ!わっくんはほのの王子様なんだから!」


 私の言葉に穂乃果がムッとしながら隣の私の方を向いて大きな声で言うが、母親はよっぽど吃驚したのか穂乃果の言葉をスルーして俯く私の顔を覗き込んできた。


「あらあら、香乃果もわっくんなの?てっきりさとくんかと思ってたのに。」

「聖とは、良いライバルなだけ。1ヶ月しか変わらないのになんでもできちゃうなんて、悔しいんだもん。」

「ふふふ、香乃果は負けず嫌いだものね。そうなの…香乃果の王子様はわっくんだったのね。」


 私の言葉を聞いた母親は満足そうに、にこにこしながらうんうんと納得するように頷いていると、発言を流されて不貞腐れた穂乃果が母親の膝からぴょんと飛び降りて正面に立ち、私達の方に向かって大きな声で怒鳴った。


「だからぁ!わっくんはー!!!」

「はいはい、穂乃果の王子様もわっくんなのね。…それにしても渉くんたらモテモテだね。これは将来が楽しみだなぁ。」


 穂乃果の大きな声に吃驚して私が耳を塞ぐと、その私達の様子を見た母親はそう言って楽しそうに笑った。



 ◇◇◇



 月日が流れ、聖に続いて私が初等部に上がった初登校の日。

 いつものように私は渉と手を繋いで登校をしていたのだが、初等部校舎は幼稚舎よりも手前にあったので、校舎前で別れる時に当たり前のようにパッと手を離すと、何故だか渉がきょとんとした顔でこちらを見上げて不思議そうに言った。


「このちゃん、どこいくの?ここ違うよ?」


 そう言う渉の瞳には一点の曇りもなかった。初等部に進級する時にきちんと説明をしていたはずなのだが、渉のその様子を見て、ちゃんと理解していなかったことに気が付く。
 不思議そうな顔でじっと此方を見つめる渉からは、不安の色が滲んでおり、ここでもう一度説明する必要があるなと理解した私は、園帽の上から渉の頭をぽんぽんと撫でながらゆっくりと渉にもわかるように話をした。


「ううん、違くないよ。私は今日から小学生だから、ここに通うんだよ。」

「そぉなの?じゃあ、俺も行く。」


 状況が良くわかっていないのか、渉は私の話を聞いてにっこりと可愛らしい笑顔でそう言うと、私の手を引いて一緒に校舎に入ろうと歩き始める。私は慌てて渉を制止すると、しゃがんで渉に目線を合わせて、もう一度話をした。


「ここは小学生になったら通えるところ。渉はまだ幼稚園生だから、ここに通うのは来年からだよ。」

「このちゃんと一緒がいい。」


 渉は眉間に皺を寄せて言うと、俯いて立ち尽くしてしまった。
 私はしゃがんだまま渉の顔を下から覗き込んで言い含めるように諭した。


「んーん、それはできないよ。私は今年小学生になったから、ここなの。渉はあっちね。」

「じゃあ、このちゃんも来年からにして。」

「私はひとつお姉さんだから、もう渉と一緒にいけないの。だからごめんね。来年からまた…」


 私の制止を振り切って初等部の校舎に入ろうとしたので、もう一度渉にそう言うと、言い終わらないうちに見る見る間に渉の大きな瞳に涙が滲んで、ポロポロと零れ始めた。


「やだ……やだ!このちゃんとはなれたくない…行かないで!」


 初等部の校舎の前で、顔を真っ赤にしながら目に涙をいっぱい溜めてぷるぷる震えながら私の制服を掴み、行かないで、と言う渉に、私はどう対応していいかわからなくなり戸惑った。
 いつもなら甘えん坊が駄々を捏ねて困ったな、と頭を撫でながら宥めるのだが、その時の私は何故だかわからないが、急に周りの目が恥ずかしくなり、泣いて縋り付く渉を思わず突き飛ばしてしまったのだ。

 しまった!そう思った時には時すでに遅く、初めて私に拒絶された渉は、尻もちをついたまま吃驚して目をまん丸に見開いて固まっていた。
駆け寄り抱きしめて、一言ごめん、と渉にそう言えば良かったのに、その時の私は恥ずかしさと居た堪れなさに追い立てられるかのように、気が付くと私は言ってはいけない一言を言放っていた。


「やだ!恥ずかしいからやめて!渉なんて嫌い!」


 そして私は、そんな渉に背を向けて校舎に走って入っていった。走り去る直前に一瞬だけ傷ついた渉の顔がチラリと見えたがもう後戻りは出来ず、私はそれを見なかったふりをして一心不乱に教室まで走った。


 その日から渉は私に笑いかけてくれることは無くなった。

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